キャンプの火あがれる空の穂高岳2010年03月03日

朝日文庫「加藤楸邨集」古利根抄(S6からS9)から
1905年生まれなので1931年、26歳で句作を始めた頃の初期の作品である。楸邨は20歳で父と死別し進学を断念するが代用教員で経済を支えた。苦学しながらも東京高等師範を出て24歳で結婚。28歳までに一男二女をもうけた。長男の名前が穂高であった。
 このときの作品は上高地4句として掲載された。初学時代はまだ「かな」を使っていた。小梨平辺りから穂高岳を仰いだものであろう。しかもキャンプの火に照らされて見えたのだ。その感動が長男の命名の動機になった。後に編む句集にも穂高の名前を使った。彼も山が好きな人であった。山や自然の好きな俳人が多かった「馬酔木」で第一歩をスタートした記念碑的な作品である。