烏岳山吟2009年12月01日

 
  山裾にちらほらと咲くお茶の花

  冬黄葉杉の林を明るうす

  木枯らしに運ばれるごと登頂す

  底冷えの頂きに座すヤッケ着て

  北風をまともに受けし頂きに

  局より局颪の吹きにけり

  凛として十一月の局ヶ岳

  国境の山の高さに冬の雲

  尻に当て山人めきし毛皮かな

  尼ヶ岳富士の形に眠るなり

  山に一歩踏み込めば咳の治まりぬ

  いいたかの湯に冷えし身を沈めたり

      道の駅いいたかにて
  *小津の忌を心に見入るパネルかな
  
  百円の値で大根の売られけり

*世界的な映画監督の小津安二郎は12月12日の60歳の誕生日に頸のガンで亡くなった。飯高のオーヅ会では12月6日(日)に小津映画「東京暮色」の上映会が催される。主演女優の有馬稲子を招きトークショーも行う。

とこなめ焼き物散歩道を歩く2009年12月02日

  常滑や細道小道冬うらら

  坂小春常滑の海見ゆるまで

  知多の海冬鳥が波乗りのごと

  伊勢湾の彼方に冬の鈴鹿見し

  セントレアより飛び冬の雲に入る

東京ウォーキング2009年12月04日

 12/3夜、二つの山岳グループの集まりをこなす。その後、名古屋駅西口から夜行バスで東京に向かう。12/4早朝5時30分前に新宿駅前に無事到着。未明。24時間営業の外食店で朝食。車内でもらった朝風呂のサービス券1000円也の入浴施設でさっぱりする。かなりのお客でにぎわう。
 新宿界隈の喫茶店で時間をつぶした後、徒歩でY社、C社を訪問した後、地下鉄で移動。神保町の山岳専門の古書店悠久堂書店を巡り、御茶ノ水駅前まで足を伸ばす。山岳書専門の茗渓堂に行く。ここでK氏と偶然に鉢合わせ。口髭を生やしているが見覚えのある顔だ。どこかで見た顔だ、と相手方もこちらを観る。Kさんですか、と確かめてようやく笑顔で握手した。
 その後、神田で再会し、一杯やろうと別れた。神田駅前のとある居酒屋で5時から夜9時過ぎまで遅くまで歓談した。山と人の話題だけで4時間もよく話題が持ったものである。ホテルへは8時チエックインの予定としたが10時を回った。酩酊で風呂も入らず就寝。

東京ウォーキング二日目2009年12月05日

 昨夜の深酒のせいでやや頭が重い。しかし、焼酎のお湯割りなので悪酔いではなさそうだ。午後の年次晩餐会まで半日あるので江東区の小津安次郎紹介コーナーを再訪することにした。JRで東京駅に向かい、地下鉄に乗り換え、深川界隈に行く。
 かすかな記憶を頼りに古石場文化センターまで歩く。玄関の左にあるのは同じ。やや展示を入れ替えた他は変わりない。管理者にあいさつ後は昼飯の時間になった。どうせならと小津が通ったという南千住のうなぎ屋に行くことにした。「尾花」という名店らしい。駅を降りて南へ5分で着く。玄関は落ち着いて水が打ってある。
 11時30分であるが1名が順番を待つ。すぐに順番が回り、店内に通される。メニューを見てどきっとした。名古屋の2倍はする高級店だった。折角なので中間程度のうな重にした。待つこと30分以上。運ばれたうなぎの蒲焼は蒸しが入るせいで箸で切れるほどやわらかいが名古屋のようなカリっとした食感がない。食文化の違いである。美味しいことに違はないが期待が外れた。味覚は保守的なのである。
 店を出ると何と長蛇の列。そんなにも人気があるのかと思った。JRで品川に向かう。東海から初めての会長選出で多勢の人が上京。宴会後は新幹線で帰名。

小津安次郎を偲ぶ会に参加2009年12月06日

 東京深川に生まれた小津安次郎であるが9歳で父親の生家のある三重県松阪市に移住。少年期は父の故郷で教育を受けた。19歳で代用教員になり、局ヶ岳の麓の尋常小学校で1年を過ごした。小津が世界的に知られるようになり、顕彰活動が盛んになる。地元でも熱心に調査されて少年期の小津が掘り起こされた。以来、今年も15回目のオーヅ会で小津を偲ぶ集いがもたれた。
 映画は「東京暮色」を鑑賞。午後からは主演女優だった有馬稲子を招いてトークショーも行われた。彼女は当時27歳位で映画ではショートカットの女子大生役だった。今70歳代後半の高齢者であるが妖艶な美貌振りは変わらず、常に人に見られる商売なので磨いているのだろう。
 トークショーでは司会者を逆リードする大物ぶりもちらっと見せる。司会のリードで小津監督の思い出話を語る。2作品にしか出演していないが強烈な印象を持ったようだ。しかし、小津の話もさることながら彼女自身の人生の話の方が波乱があって興味深い。意外にも大陸からの命からがらの引き上げ体験者であった。
 おまけに養母に育てられた点で高峰秀子と同じような境遇である。それに芸名までも2代目という点も同じ。ただ彼女自身も「私は喧嘩早い」という。腹にしまって置けないのである。そのことは中公文庫『バラと痛恨の日々』有馬稲子自伝に詳しい。ペンを持つことが好きなことでもやはり高峰秀子と良く似ている。
 逆境にめげず、絶えず向上心を失わず、新境地を求めて生きて来たのである。私が生まれた頃に活躍した有馬稲子とはこんな女優さんだったのかと思いを新たにして松阪市を後にした。

大山白山を歩く2009年12月08日

  枯菊や畑の奥に道のあり

  霜柱登拝の道踏みしめて

  冬杣に一声かけて通りけり

  冬杣の仕事は杉の枝払い

  峠より雪の白山見えにけり

  滅び行く峠に立つや枯木立

  朴落ち葉踏みしめながら下るなり

  峠越えしてから木々に冬日さす

  無渡の里奥なる神の山眠る

  山頂や御岳山も雪の山

  山頂より雪嶺の白山を観る

  雲一つ無き飛騨の空冬うらら

  朴落ち葉谷を埋めるごとくあり
  
  大杉の冬天を突くごとくあり

  冬の日ややまごぼう掘る畑仕事

忘年山行2009年12月13日

 
時雨るるや孤島のごとき菰野富士

鈴鹿なる福王山は年用意

久々の顔も揃ひて年忘れ

山やなる我らは山で年忘れ

手作りの鍋を囲みて年忘れ

寄せ鍋やダッジオーブンの蓋をとる

夜遅く来し人待つや冬の宿

道のなき尾根を探るや冬木立

枯木立雑木疎林の尾根を行く

冬晴れに突き刺すごとき鎌ヶ岳

雲母峰きらきら光る冬の海

映画「通夜の客より-わが愛」鑑賞2009年12月13日

1960年製作。松竹。井上靖原作の「通夜の客」からあらすじを八住利雄が脚本。監督は五所平之助。主演は有馬稲子、佐分利信ら。
 原作の『通夜の客』はかなり以前に角川文庫で読んでいた。ある年、中国山地の山旅で道後山に登山し反対側に下山して、鳥取県側のその村にあったのが井上靖記念館だった。ここが通夜の客の舞台であり、映画化もされていると知って是非見て見たいと思っていた。偶然、TVで見ることが出来た。只、所詮はTVで佐分利信の主演しか記憶にない。それが12/6の有馬稲子を招いての小津を偲ぶ会がきっかけで有馬稲子と知った。
 松竹のWEBからオンラインで購入すると7日間は視聴できる。367円でレンタル店と変わりない。見るともう記憶にはないので初めて見るのと同じである。なんといっても49年前の28歳の頃の有馬稲子のきれいなことに驚く。日本映画盛んなりし頃の昔の女優さんはきれいな人が多かったが有馬さんは明眸皓歯という表現がぴったりの美人である。映画の中では殆どを着物姿で通す。もんぺ、スカート、戦中の服などもあるが。
 この映画はたしかに井上原作とはいうものの有馬稲子の魅力を全開させた気がした。佐分利信も脇に回った感がある。(「浮雲」における森雅之、「雪国」における池部良など)きれいな女優を最もきれいな角度から何度も描写している。五所監督は俳人だったそうだがそのせいか時折可笑しい映像もちらっと挿入してある。玄関の段差でずっこけそうになったり、弔問後の酩酊ぶりも可笑しい。
 なんといっても凄みのあるのは冒頭の10分間余りの映像であろう。佐分利信が亡くなって弔問の風景に現れる有馬稲子の美しさはこの喪服のシーンに象徴されている。管見だが沈痛な面持ちは他の有馬出演作では見られない。映像は一旦回想のシーンに切り替わるが設定では17歳の少女に扮した有馬稲子も可愛い。着物姿からかなり痩身に見える。おそらく少女らしさを出す役作りのために相当痩せたのではないか。
 中国山地の山村の生活を回想する形で2人の愛が描写されていく。甘える、拗ねる、怒る、悲しむ、喜ぶ、悩むといった様々な有馬稲子の演技が素晴らしい。ここまで書いてふと思い出したのは「雪国」(東宝1957年)の岸恵子である。脚本の八住利雄は雪国で脚色している。通りで展開が似ているはずである。
 2つの映画の共通のテーマは若い女性(共に水商売)が中年(共に妻子がある)のずるい男へ捧げる純愛、山村、花火の場面、酒のお酌のやり取り、和服中心の映像、鉄道の場面、雪山の映像など。そして2人の出会いの回想シーンなどの展開はまったく同じである。しかし、演技としては岸恵子の方が一段上に思えるのは白黒とカラーの違いであろう。演技力が映像の美しさに隠れてしまう気がした。
 共に現実にはありえない話に思えるが雪国にもモデルが知られるごとくこの作品にもモデルがあった。井上靖には無名時代愛人がいたのである。『花過ぎ・・・』という愛人が井上靖を書いた作品がある。この愛人の存在によって彼の文学が成長していったという。
 ともあれ、映像の90%以上に有馬稲子が登場する。紛れもなく代表作の一つである。DVDが販売されないのが不思議なくらい。

鈴鹿・福王山を歩く2009年12月15日

 12/12(土)は金山駅で集合して東名阪道を走るが新名神が開通して従来の名神から流入する車で渋滞が常態化してしまった。今日も四日市JCT付近でノロノロ運転が始まる。何とか四日市ICを出て菰野町の菰野富士登山口へ時間通りに集まることが出来た。
 東海自然歩道の一角の山なので手入れはしてあるが橋が壊れているので渡渉した。陸軍用地などという文字の碑があり、いい道を辿るとすぐに山頂であった。下ってみるとまだ時間が余るのでそれじゃ福王山へと転戦した。
 福王神社のPには車もなく閑散としていた。まだ上まで走れるがね、とはいったもののもう戻るまでもないところまで歩いていた。売店ではオジサンが天狗の絵を描いていた。もうすぐ正月に備えて年用意しているようだ。
 急な舗装路を登り切ると神社でやはり車はここまで上がれた。東海自然歩道は左へと案内してある。にわかに決まったので地図もないが山頂をふんだら東海自然歩道へ下るルートを考えた。
 境内の石段を登っていくと拝殿である。ここでもなにやら工事中であったから年用意なのだろう。多くの喜捨を期待しているだろう。ここは商売繁盛でご利益があるそうだ。
 山頂へは右へ行き、拝殿の裏へ回る感じで登っていく。浅い谷に沿って踏み跡が続く。植林の中の暗い道である。汗をかくまもなく鞍部にたどり着く。右へ曲がり山頂へはあやふやな道を辿る。着いたところは三角点もなく樹林の中で展望もない寂しいところである。すぐに鞍部へ戻る。左へ行くと奥の院であった。慎ましい祠があるだけであるが何人かは座れる広場になっている。ここで簡単な飲食を済ます。
 さて下山はそのまま戻ろう、という御仁は誰もいない。中日新聞のペナント、福王神社のペナントがぶら下がる踏み跡が続くが丸太で通せんぼされている。かまわずまたいで行って見た。するとイメージとは大きく違う方向へと踏み跡もペナントも降りてゆくので辿ってみた。本来は南へ尾根を行き、南西へと振ればいいのだが。
 踏み跡は怪しいとは思いながらもペナントがずっと続くのでまさか変なところへ導くわけもないと下った。沢を2箇所は跨いだ。がけ崩れ箇所もあった。3箇所目の沢を跨いで尾根を行くと踏み跡が怪しくなるが一人が下ると広い東海自然歩道に出た。やれやれである。
 どうやら西へ回り込んで下ったようだ。登り返す感じでいくとそれらしい尾根が降りてきたところには赤テープもあり、やはりここへ下るんだな、と思った。地図もコンパスもないとこんなものである。無事境内に戻り、更にもう一つ尾高山をやるグループと買出し組に分かれて散った。
 夜は宮妻峡ヒュッテで忘年会と成った。

鈴鹿・雲母峰を歩く2009年12月16日

 12/13(日)は良く晴れた。昨夜は夜遅く着いたメンバーもいて15名ばかりのミニ宴会となった。管理人がこんなに寒くなって何で泊まりこみで山に来るんだ、と頭をひねっている。山とは紅葉の盛んなりし頃か新緑の美しい時期のものという固定観念である。ここは夏が盛りという。しかし、山岳会単位の団体はいまどきはないと聞いた。そんなものだろうか。しかし、ここももう四日市市の運営ではないようだ。何とかのNPO法人が切り盛りしているようだ。楽に日帰りできる山にわざわざ泊まる人も居ないのは道理である。しかし、1泊素泊まり740円ならもっと利用されてもいい。
 山ほど買い込んだ白菜などの野菜、肉、魚なども15人の胃袋に納まり、残り物は少なく済んだ。朝は若干の残りものを平らげてきれいになった。
 少し先のPまで移動した。今日の山は雲母峰である。一般的には岳不動とか小池新道からであるが791mのピークから駐車場に向かって下る南尾根を辿ってみた。右の方へ登っている桧の植林内の薄い踏み跡を辿りながらジグザグに登る。大抵は獣道である。急登を凌ぐと段々尾根が絞られて左右の振り子状のRFの幅も縮まった。左の尾根に達して薮のないことが分かった。左照葉樹、右植林で迷うこともない。
 この尾根をどこまでも登るとより狭まった辺りからは明瞭な踏み跡が付いている。地形図で確認するともうすぐで独立標高点のコブのようだ。いつしか植林の尾根から照葉樹の占める植生になり、それもすぐに雑木林の疎林に変化してきた。疎林を通して左には鎌ヶ岳、右に雲母峰の3つのコブが見え出した。コブを越えると尾根の傾斜が急になった。
 なるだけ大股でゆっくり呼吸を整えながら登る。山スキーの要領である。なるだけ最大傾斜線にスキー板を延ばし、ストックで押しながら高度を稼ぐ。雑木林なら細幹をつかみながら引っ張ることになる。たちまち後続を引き離してしまうので待つ。体が冷えるとまた登るといった具合だ。791mへはほぼ直登であった。
 右へ登山道を歩く。ああ!とても感じのいい山道だ。右のうそ谷源流部の伸びやかなこと。淡い冬日をいっぱいに浴びて落ち葉が地面を暖めている。御在所山も釈迦ヶ岳もよく見える。雑木の道から山頂が近づくとアセビの林になり、樹林に囲まれた山頂に着いた。展望はない。
 下山は往路を戻った。アセビを良く見ると白とピンクの冬芽がある。冬ながらもう春に備えているんだなあ。小さな絵画を見たような山行でした。