梅雨本番2008年06月29日

 梅雨本番である。六月半ばは嘘のように晴れ間を得られたがついに梅雨末期に入ったようだ。おかげで二日がかりの登山予定も流れた。老友から土曜日だけのお誘いがあったが仕事の疲れもあって行く気になれず、断った。終日、原稿の校正をしたり、寝床で本や雑誌を読んで過ぎた。
 自宅にある本ばかりで飽きたので本屋を物色。『遺品整理屋は見た!』(吉田太一著扶桑社)を見つけた。以前に立ち読みしたことはあるがさして気にも留めなかった。今日はレジに持っていってしまった。又雑誌『WILL』8月号も買った。4月号以来、古い時代の映画女優のグラビアに興味が湧き、読んでいたが中々辛らつな世相批判の記事もあって読み応えがある。特に皇室問題を論じている西尾幹二氏の論考は鋭い。関連する記事も面白い。これらを読んでいたら宅配便で『奥三河物語』が届いた。六月初めに予約注文しておいたものである。
           『遺品整理屋は見た!』
 団塊の世代が大量に六十代入りして日本の高齢化が進むのは報道でよく知られたこと。しかし、その裏側では大量の死が待ち受けているのは致し方ない。問題なのは増え続ける独居老人の孤独死である。  『遺品整理屋は見た!』で綴られるのは仕事を通じて知った人生の終末の有様である。遺族、家主の気苦労も並ではない。自分が死んだら殆どはガラクタになる。生前に始末しておきたい気になる読後感であった。老友の一人も以前は大きな屋敷に住んでいたがバブル崩壊で事業が破産し、小さな家に移った。引っ越す際に大量のガラクタが出たという。殆どを棄てたという。生きている間はモノへの執着絶ちがたいということか。
 自殺、殺人、孤独死、と嫌になるくらい不幸な出来事が語られる。結婚してもしなくても結局は一人で死んでいくというサブタイトルの『おひとりさまの老後』も数十万部を越えるベストセラーになった。どちらも決して楽しい本ではないがこの種の本が読まれ始めたのは高齢化が本格化しているからであろう。改めて書棚を眺めると余り価値のない本ばかりで埋まる。老後とは何時来るか分からない死までにモノへの執着をいかに減らしていくかの時間?と考えたら寂しい。親族や親しい友人とのコミュニケーションをとることがやはり人間としては全うな生き方なのかもしれない。職場を離れた後は特に重要な課題であろう。

『澤田久夫写真集 奥三河物語』樹林社刊2008年06月29日

 澤田久夫といえば奥三河の山村民俗研究家としてよく知られた存在である。愛知の山のガイドブックを手がけた際には『設楽こたつ話』などを参考にした。歌集『黒曜石』を出すほどの歌人でもある。死後のせいか本書の年譜には漏れているが『設楽の語りべ』なる歌集も出版されている。
 後輩にあたる鈴木冨美夫氏が昭和六十年に亡くなった澤田久夫氏の遺品の大量のアルバムを整理して写真集としてまとめられた。澤田氏の業績の内で特に大きなものは奥三河の城砦の調査であろう。『北設楽郡史』の中に収録されている。城といっても山城であるから登山の領域である。愛知県の登山ガイドがまだ無かった頃、植物、鉱物、などのガイドを応用したり、城跡の一覧表を参考にしていくつかは登ったことがある。民俗学という学問は足で稼ぐのだと知ったのである。
 三河からは豊橋の菅江真澄が出て、『真澄遊覧記』が出版されている。彩色された絵で江戸時代末期の東北の民俗を描いた。彼が日本民俗学の草分けである。明治になって柳田國男が急速に失われていく歴史に残らない民の生活を記録していった。『遠野物語』『山の人生』などがある。柳田学と呼ばれた方法は民俗学となった。
 菅江は絵と和歌を残し、柳田は文学に高めたし、澤田氏は写真と短歌で残したのである。しかも生前にはならず、死後、弟子の手で残された。書名の物語には少なからず、柳田の名著『遠野物語』が意識されていよう。柳田は戦前、馬にのって奥三河各地を訪ねたという。紀行文もある。『花祭り』を著した早川孝太郎も柳田の弟子であった。最初は柳田から菅江真澄のことを調査する依頼であったというから奥三河は山村民俗研究の土壌があったといえる。そんな中に澤田氏は育っている。
 本書には対談「澤田久夫が記録した奥三河」が収録されて読み物としても貴重である。澤田氏と宮本常一との接点があったことも初めて知った。かつて奥三河にこんな人々の暮らしがあった、という。そういう写真で読む山村の生活の物語である。
 ただの民宿のおばさんだった増山たづ子さんはダムに沈む徳山村の人々を同時代とともにに撮影していった。注目されるところとなり、写真集が出版された。俳人・能村登四郎は御母衣にダムが出来ると知って沈む前に白川村を旅し、俳句に残した。句集『合掌部落』である。国学院大学OBだから山村民俗にも造詣はあったかに思う。富山県の桂書房から出版された『村の記憶』も同じ視点であるがあれは登山者が調査した。廃村=消えていく村を写真と文で記録した。変化したくないが変化しないと生きられない。その中で消えてゆくものは多い。たまには写真を見てあの頃を振り返りたい。すべては郷愁である。