奥美濃・権現山(1143m)文献ノート2006年11月04日

 権現山はかなり多い山名である。昭和54年初版といささか古くなってしまったが『コンサイス日本山名辞典』はハンディなためよく利用する。本書によると権現山(ごんげんさん6+ごんげんざん2)で8座、権現山(ごんげんやま)で何と32座を数える。他に権現岳も加算すると実に45座にもなった。
 その中で岐阜県は4座ある。表題の権現山は地図に印刷されなかったので辞典には漏れた形である。だから5座あることになる。
 権現の原義は仏が仮(権は仮の意味)の姿を現すことをいったという。そして神社名や神社のある地名を頭にして呼ばれるから両白山地一帯に広まる白山信仰に由来する山が多い。①能郷白山②小津権現山はいずれも山麓に白山神社がある。
 では表題の権現山は何権現かとの疑問は福井県側に下ってみて分かった。山麓には白山神社があったからこの山もやはり白山権現に由来することであろう。
 これまでにこの権現山を取り上げて解説なり案内をした山岳文献は少ない。年代順に並べると
 ①昭和53年 屏風山脈の旅 金草岳の項目の中で若干の記載がある。権現山はかつては原生林に覆われた秘境的な山だったことが書かれている。
 ②平成7年9月28日 続・ひと味違う名古屋からの山旅 権現山を独立した目次で取り上げた嚆矢であろう。
 ③平成7年10月1日 霧の山 本書でも目次で独立して紹介された。偶然であるがほぼ同時である。
他には
 ④昭和47年の 秘境奥美濃の山旅の金草岳の概念図に山名が印刷され高倉峠から金草まで破線路が書かれている。昔は峠から縦走路があったのである。
 ⑤昭和55年の 越前/若狭 山々のルーツ にも金草岳の概念図には権現山の名前が見える。
 分からないのは高倉峠の別名が⑤②では日ノ窪峠としているが平成元年の『福井の山150』では桧尾峠の別名としていることである。いずれも『越前国名蹟考』の記述の読み方の勘違いであろう。一方は金草の東(増永氏)といいもう一方は西(白崎氏)という。更に②の執筆者はウソ越えまでも含めている。この権現山に日ノ窪権現とでも呼ぼう、と提案している。地名にもなく神社にもないからいくらなんでも飛躍しすぎである。せめて廃村となったが藤倉(芋ヶ平)とか高倉を冠してやりたい。特に藤倉谷は北尾根で分かれるがいずれも詰めでは権現谷の名前が①に記載されている。
 さてこの山はかつては金草岳への縦走の途次に通過するピークとして認識されこの山だけを目指すことはなかったようだ。登山して何が価値があるかといえば位置的なよさである。峠からひたすら藪を漕いできて北に派生する尾根に乗った瞬間に目に飛び込むのは名峰の名をいやがうえにも高める金草岳の雄姿である。登る際に何枚も何枚も撮影し下山時にもまた撮影して飽きなかった。積雪期に改めて登ってみたくなった。
 今回は見えなかったが白い白山を遠望できれば最高である。それこそが権現と命名された理由ではないだろうか。山麓では白山神社に詣で権現山に登れば白山権現を遥拝することが出来る。かつては奥宮があり遙拝所があったであろう。平かな山頂でそんな思いに浸ったことである。
追記
西尾寿一編『渓谷』3の中の源流の山々と題した文にヒノクボ(権現山)と紹介されている。中央がくぼんでいる、と地形の特徴を述べている。確かに南のピークとの間は凹んでいる。窪は地形に由来するがヒノは何か。おそらく桧であろう。確認できなかったがかつては窪地に天然の桧が多数あったと思われる。つまり日ノ窪とは美濃側の今は忘れられた地名であろう。とすれば高倉峠の別名は日ノ窪峠に落ち着く。