晩秋入り2023年11月01日

 今日から早も11月入りとなった。今年も後2ヶ月で終わる。激動の世界を生きている。情報だらけの毎日である。
 今夜は山岳会の定例会である。十名ちょっとは集まったであろうか。結構活発な話題、課題が出てきた。忘年山行は名古屋近郊の里山で実施の運びとなった。新年会はコロナの再燃で中止を決定した。

事務所の整理整頓④2023年11月02日

 やや暖かい朝。松屋で遅めの朝食を食う。今日も事務所の整理整頓の器具を買うためにニトリへ行く。その前に日進農協へ野菜などを買う。白菜の小ぶりなもの、大根の抜き菜は味噌汁用に、産みたての鶏卵、栗のおこわご飯、ミカン、傷物の柿六個入りで300円と少し重いほど。日進のニトリでマガジンラック、冷蔵庫の仕分けトレー、調味料や蜂蜜、ビタミン剤などを収納する小さな籠など。
 事務所へは夜になってから行く。灯油18リットルを備えとして保管。マガジンラックにデッドストックになりやすい月刊誌、機関紙、週刊誌などを並べてみると収まりがよい。書類ストックも平積みよりは扱い易そうな気がする。代わりにデスクを持ち出す。事務所は片付いてきたので自宅のリビングに置くことにする。ここで新聞や雑誌、書類などを広げて読むイメージである。
 床置きの小物はまた整理棚を購入するがイメージに合う商品が見つかるまで保留する。
 取り出しやすくなった台所で久々に調理する。やはり整理整頓が行き届くと格段にはかどる。今夜は抜き菜の味噌汁にした。

大和芋を食う2023年11月03日

 8月以来体調不良が続く。9月は残暑が厳しかった。10月も不順な天気と寒暖の気温差が大きく万全の体調を保ちにくかった。特に便秘の症状が長引いた。そこで大和芋を食した。
 検索すると「自然薯のように粘り気が強い大和芋には、カリウム・銅・モリブデン・ビタミンB6・ビタミンB1・ビタミンC・パントテン酸・ビオチン等の栄養素が含まれ、グラム数あたりの食物繊維の量は長芋や自然薯よりも多い。」
「便秘を解消しダイエットにも
 食物繊維やレジスタントスターチには、腸内環境を整え便秘を解消する効果もあります。他に、レジスタントスターチは脂肪の蓄積を抑え、カリウムはむくみを解消する働きも。便秘による肌荒れにも良く、薬膳でも乾燥肌を改善するとされており、美肌効果も期待できます。」
 大和芋を摺り下ろして擂鉢に入れて擂粉木で摺る。醤油ベースの調味料と生卵を入れてさらに摺り下ろす。とろーっとしたら食える。
 他に牛蒡と人参をささがきにして、ごま油でフライパンで炒める。豚肉の細切れを先に炒めておく。調味料と砂糖を適宜入れて味を付ける。これも食物繊維たっぷりの惣菜になる。
 とにかく便秘予防は難しい。野菜を食べても、ヨーグルトを食べても便秘になるときはなる。アリナミンB1の1錠でも運動を伴うとすぐ便意を催す。おそらく大腸の蠕動を促すのはちょっとしたスポーツでも良いのであろう。
[長芋の栄養素とその効能・効果とは?夏バテ対策や生活習慣病の予防にも]
https://furunavi.jp/discovery/knowledge_food/202109-chinese-yam/

繊維質の摂取2023年11月04日

 先日来の大和芋のとろろ、牛蒡などで少しは便秘も解消に向かい始めた。まだやや固い便が出る。今日も大和芋、牛蒡の買い足しで保存料理を作り置きしたい。
 海藻の昆布などもぬるぬるするので腸内の健康には良いかも知れません。高齢者は便秘が多いらしい。何らかの脱出方法を考えておきたい。
 運動は事務所への往復で往きか帰りに3駅分を歩くのも良い。このところよく眠れるのもわずかな運動量でもすっと寝入って行ける。これまでだと寝つきが悪くてスマホを見たりしてかえって寝不足になる。不健康な生活であった。

便秘が解消①2023年11月05日

 8月から9月にかけてオンザロックの焼酎に親しんだ。つまみは肉類で野菜はキャベツなどで少ない。これが腸内に与えた悪影響だろうか。また便秘しやすい体質になってしまった。硬い便を無理に出すため、切れ痔で出血もある。昨年と同じ傾向を示すので秋刀魚などビタミンAの食事で一時改善したこともあった。ここにきて運動不足もあって便秘が常習になっていた。
 トイレに座って長時間踏ん張るが出てこない。一旦起き上がって肛門に障ると硬い便が下りてきている。つまり便が固くて腸内をスムーズに蠕動できないのだろう。
 そこで買い置きの牛蒡の料理、新たに大和芋のとろろなどを追加して少しづつ食べてきたら今日は息まずに排便できて快便になった。大和芋、牛蒡の繊維質が腸内に良い結果をもたらしたわけだ。若干の出血はあるが軟便になれば解消するだろう。

便秘が解消②2023年11月06日

 朝食は野菜と鶏肉のうどんの鍋である。食事後すぐに便意があった。便器を恐る恐る見るとまだ出血している。しかし出血の量は減った。まだ留意が要る。基本的に温かい料理が胃腸の活動を活発化させる。腸内に温かいものが入れば血液の循環が促されて蠕動が始まる。
 今はやらなくなったが昔は暖機運転をやった。エンジンオイルが温まってシリンダー内に循環するのを待った。エンジンの往復運動に例えると潤滑オイルが劣化して充分に周らない。シリンダー内壁を摩耗させている状態だろうか。当然でるべき出力も発揮できない。ユーザーによってはオイル交換しないで継ぎ足しの人もいるらしい。違和感があってもこんなものだと思われたら劣化は早まる。
 老化だと思わず、食習慣で悪化しているとのリテラシーが大切なのであろう。

便秘が解消③2023年11月07日

 今朝も便意があった。連続的に朝食後にあるのは体調が回復基調になったのだろう。しかもするりと出てくれて出血もなかった。ポリープがあると軟らかい便でも多少はこすれて出血するだろう。潜血反応を見る精密検査が必要だろうが、まずは癌を疑わずに生活できる。
 普段のちょっとした心がけで腸内環境は改善する。高価な薬や健康食品は要らないのです。これが毎日の生活となると少しは乱れもでる。すぐに気が付いて是正すれば大事には至らない。独身者が長生きできない理由は多分何でもない生活環境の維持が難しいのであろう。
 様々な理由でおひとりさまになる人が増えている。今まで妻に支えられていたが死別、生別で食事の環境が一変する。
 健康は安らかな生活から生み出されるものなのである。

飯田街道・・・自宅から川名駅まで2023年11月08日

 11月には珍しく雨が降ったが今日は晴れてくれた。一週間ぶりに旧飯田街道を歩くことにした。自宅から八事の坂を越えて川名駅までの5kmのウォーキングである。
 八事の交差点に立つと中京大の名前が目に入った。昭和区八事界隈は大学の街。名城大学、中京大学、南山大学、少し離れて名古屋大学がある。下ると古刹の八事興正寺がある。そこの銘鈑には市電の終点だったとあった。
 普段は車で何度も通って来た道であるが歩くと違った風景になるから不思議である。隼人池に飯田街道の案内板が見えた。車の往来時には見かけたことがない。心そこに無ければ見れども見えず。杁中をやり過ごしてすぐに川名駅だが、山中の交差点の向こうは川名公園で市民の請願により昔の飯田街道の面影を残した。
 川名公園の案内には久屋大通りの住商ビル辺りは昔駿河町といった。飯田街道の起点であるが別名を駿河街道とも言った。関所はないと書いてあるが、実は関所はあった。治部坂峠の手前の阿智村の旧浪合村に浪合関所があった。今は史跡として保存されている。立派な構えである。京都を目指した信玄が作ったとされた。交易の道として信州からは木地製品が運ばれた。名古屋からは瀬戸物が運ばれた。
 特に川名公園の看板にあるように飯田街道のイメージだけでも残す請願があったらしい。なんにも無い様でいて歴史の破片はあったのです。今日のウォーキングの終点は川名駅。ここまで自宅から5km丁度。約1時間15分でした。

立冬に想うこと2023年11月09日

 昨日は立冬だった。乱世、濁世、激動の2023年早くも後2ヶ月を切った。今年は何をしたのか、思う出せないほどあわただしく過ぎてしまった。とりあえずはコロナ禍に一段落してリアル会合が回復してきたことが喜ばしいと思う。
 行政書士の仕事の進捗が思うように進まなかった。年齢的に限界が来たのか、異常な時代の為なのか、それとも異常な暑さが長引いたせいなのか、原因が複合的に重なっている。
 暑さでだらけた生活で体調が今一思わしくなかったが、此のところ便通は正常化してきた。但し若干肥満気味である。暑さで運動不足になったことは否めない。これがすべてを不調に陥れたかも知れない。
 精神的に立ち直るきっかけがあれば復調するだろう。みんなとの登山、俳句会の再開などなど、コロナ以前の生活を取り戻すことである。

秋葉街道踏査の計画2023年11月10日

 11/18~11/19の秋葉街道の踏査の計画がまとまった。東京の古道調査PTら7名と私で8名(男4名、女4名)の久々の大人数になった。浜名湖の北で落ち合い、青崩峠を越えて遠山谷で一泊。翌日は和田から小川路峠を越えて飯田市へ出る。
 小川路峠は過去に数回は行った。
①思い出深いのは飯田市と遠山谷の合同で峠まで登ってジンギスカンの焼肉を食わせてもらったこと。
②今は亡きU先生と小川温泉1泊で往復した。この時に松濤明『風雪のビバーク』の春の遠山入りに出てくる街道と知った。
③ある時は『岳人』の”本を片手に”という特集でこの本と街道を取り上げた。取材で登山した。
④また、『ひと味違う名古屋からの山旅』三十三山の1つで曽山1601mを取り上げて登った。
⑤ある時は小川路峠の南のピークである金森山1703mに登るために登山したこともある。
 途中にある木地師の墓が何とも哀れな気がしたものだった。供花一つなき小さな墓は供養する人もないまま時代の推移を見守ってきた。33観音は馬を引いて登る人、秋葉信仰の人への慰みになった。また登山者の安全を見守った。松濤明は登りに、深田久弥は下りに利用した。松濤明の頃はまだ宿があった。しかし、お客が少なくなったと嘆く宿のオーナーの言葉もあはれである。
 青崩峠は豊橋市に住んでいた頃に1回だけ行った。飯田線を利用したからフルに一日かかった。久々に地質学的に特異な地域の山へ行ける。楽しみなことである。