源氏物語と長恨歌2021年06月28日

ブログ「源氏物語たより」から
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 『桐壷』の巻には、『長恨歌』から多くの詩句が引かれていることは今更述べるまでもないことなのだが、詩句のみならず構想そのものも長恨歌によっているところを見ると、紫式部がいかに白居易(白楽天)に心酔していたかがよく分かる。源氏物語では桐壺の巻に限らず、いたるところに『白氏文集(白居易の詩文集)』の詩句が出てくる。
 それはあたかも和歌における「本歌取り(または引き歌)」のようなものである。「本歌取り」とは、
 「すでに詠まれた歌を、いろいろな形式で取り入れ作歌する表現方法である。それによって一首の歌境を広げ、連想的効果を豊かにし、単独で作る歌には期待できない別の歌境や余情を作り出すことができる」(『評解 小倉百人一首 』京都書房)ということである。
 肝心なことは、ただ過去の歌の一部を借りてくることではない。それによって「別の歌境や余情を作り出す」ことである。
 たとえば、『新古今集』などは、本歌取りの技法を盛んに駆使して、本歌である古今集や万葉集などの歌の世界をさらに広げ、「妖艶、優婉」の世界を創造した。
 源氏物語の桐壺の巻も、長恨歌に寄りながらも、さらにその世界を大きく広げ、余情豊かな新しい境地を創造しているのである。

 それではまず『長恨歌』とはどういう詩なのであろうか、そこから見ていってみたいと思う。
 『長恨歌』は、『琵琶行』と並ぶ白居易の代表的な長詩で、平安人たちに非常に愛された詩である。七言の句が、なんと120句もずらりと並ぶ一大長編叙事詩である。
 唐の玄宗皇帝は、初期のころこそ「開元の治」と言われ、賢帝としての誉れ高かったが、その後半、例の世界三大美女(クレオパトラ、小野小町)の一人と言われる楊貴妃を寵愛するようになったために、国が乱れていく。そしてついに安禄山の乱が起こり、玄宗は都を捨てて逃げることとなる。
 逃げる玄宗に同行した楊貴妃は、部下の不満の矛先となり、馬嵬(ばかい)というところでついに首刎ねられて、尽きる。これを「安史の乱」という。この歴史上の事件をもとにして白居易が詩にしたものである。

 長恨歌は、楊貴妃寵愛の様から始まり、安史の乱による玄宗皇帝の都落ち、そして馬嵬における楊貴妃惨殺。悲しみに沈む玄宗の姿。寵妃の魂を求めて玄宗が派遣した道士の奮闘。楊貴妃の在り所発見、およびしるしの黄金の簪(かんざし)と螺鈿(らでん)の箱の持ち帰り。しかし玄宗の悲嘆は尽きることがない。
 『この恨みは綿々として尽くるの期(とき)無からん』
で、波乱万丈の延々たる一巻は終わる。
コピーは以上。
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・・・長恨歌のオマージュに思えてくる。
 万葉集の大家・土屋文明は芭蕉を日本古来の文学と思うなよ、とのコメントを読んだことがある。芭蕉には杜甫の影響がみられるという。源氏物語には白居易の漢詩文が引用されている。当時の貴族の教養水準は漢詩の鑑賞力だったかも知れません。

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