本居宣長の奥墓に行く2014年06月04日

 以前から訪問したかった山室山の奥墓にやっと登れた。
6/1(日)の予定を終えて帰名するが、気になっていた松阪市山室山の宣長の奥墓に寄り道した。次いで、松阪城址の宣長の記念館にも寄った。
 紀伊長島ICからR42を走る。大台町の道の駅で一休み。大勢のドライバーがいた。再び、走るが、どこか、見当があるわけではないので、飯南への案内で左折。県道59を走ると偶然に奥墓へ行けた。
 車道は妙楽寺まで行けるがトイレのあるPに止めて石段を登った。すぐに妙楽寺であるが、無人だった。更に奥へと行く。石段も壊れたものもあった。細長い蛇が逃げた。宣長の化身?と一瞬思った。すぐ上の車道を横切るところは草が繁っていた。

  奥墓に行かむとすれば草茂る    拙作
  
  くちなはは人恋しさにあらはるる    拙作

 一曲がりした桧の林の中に奥墓はあった。息子に遺言書を認めて奥墓もこの通りせよ、とのこと。見取り図まで描いてあったという周到さである。

 下山後は松阪城址の宣長記念館に寄った。奥墓に行ったと言うとスタッフの男性も先だって行ったばかりで、蛇に遇ったというから同じ蛇ですねえ、と笑った。
 2Fの展示品の中では神器伝授図のことに興味を抱いた。易姓革命のたびに断絶するシナの歴史、日本の皇室の連続性に注目して描いたものらしい。元朝史、清朝史なのである。国学者としての原点なのだろう。
 江戸時代の市井の学者なのにちゃんとシナの歴史の特徴を見抜いていた。説明書きに中国4000年の歴史云々とあった。スタッフには僭越ながら中国史はたかだか100年余り、中国という言葉も昔はなくてシナだったという話をした。日本人には漢人、モンゴル人も満洲人も見た目では区別ができないから一緒くたに中国にしているんだろう。

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