岩雪崩とまり高萩咲きにけり 吉田冬葉 ― 2025年01月31日
『冬葉第一句集』から、大正8年7月の駒ヶ岳の所見から。大須賀乙字の序文にあたる「冬葉君の近業」を転載しておこう。
冬葉君の近業
冬葉君は吐天君(注:1)と相知って其句に一段の生気を帯びた。吐天君は冬葉君と交つて其句に油が乗って来た。二人とも句は実に巧者である。此の上の修業は初心にかえる工夫と読書して句品を高うすることにある。
雷鳥の巣にぬくみある夕立かな
痩馬に草鞋咬まれし暑さかな
虎杖の花に霜降る夏暁かな
岩雪崩とまり高萩咲きにけり
句作は渋るときはいくら骨を折っても出渋る。一旦出渋った句はいくらつくりかへても面白くない。之に反して感興に乗った時は泉の噴出する勢いあって、調子から違ってくる。
此等の句は駒ヶ岳での吟である。「雷鳥の巣にぬくみある」と、とても想像では出来ない。更に「夕立かな」と平気で云ってのける事なぞは、実地に其時の光景に出あはせなければ思ひも寄らぬ事である。非思量の境なればこそ此の句を得たのである。作者の気稟(注2)をかへる事は誰でも難しいが、境は転ずるに従って新しい刺激もあり発見もある。
句作はどうしても旅行がいい。旅行をしなければ誰でも句は沈滞して了ふ。虎杖の句は高山気分がよくでている。「霜降る夏暁かな」の夏暁が等閑の言葉でない。露霜のすぐ消えさうな趣がある。「岩雪崩とまり」の句切れつよく「高萩咲きにけり」とゆうゆうと叙し去った調子高く甚だよろしい。いつもの巧みな句よりも品格一等を高めて居る。
大正八年八月
大須賀乙字
以上
注1:内藤吐天1900-1976。大垣市の俳人。薬学博士。大須賀乙字門。詩集、翻訳など多くの著作がある。詩は日夏耿之助に師事し格調が高い。 昭和時代の薬学者,俳人。 明治33年2月5日生まれ。名古屋市立大,名城大の教授をつとめた。
注2:読み方:きひん. 生まれつきもっている気質。(デジタル大辞泉)
・・・乙字の句業の継承者として、第一人者としての片鱗がでている。
冬葉君の近業
冬葉君は吐天君(注:1)と相知って其句に一段の生気を帯びた。吐天君は冬葉君と交つて其句に油が乗って来た。二人とも句は実に巧者である。此の上の修業は初心にかえる工夫と読書して句品を高うすることにある。
雷鳥の巣にぬくみある夕立かな
痩馬に草鞋咬まれし暑さかな
虎杖の花に霜降る夏暁かな
岩雪崩とまり高萩咲きにけり
句作は渋るときはいくら骨を折っても出渋る。一旦出渋った句はいくらつくりかへても面白くない。之に反して感興に乗った時は泉の噴出する勢いあって、調子から違ってくる。
此等の句は駒ヶ岳での吟である。「雷鳥の巣にぬくみある」と、とても想像では出来ない。更に「夕立かな」と平気で云ってのける事なぞは、実地に其時の光景に出あはせなければ思ひも寄らぬ事である。非思量の境なればこそ此の句を得たのである。作者の気稟(注2)をかへる事は誰でも難しいが、境は転ずるに従って新しい刺激もあり発見もある。
句作はどうしても旅行がいい。旅行をしなければ誰でも句は沈滞して了ふ。虎杖の句は高山気分がよくでている。「霜降る夏暁かな」の夏暁が等閑の言葉でない。露霜のすぐ消えさうな趣がある。「岩雪崩とまり」の句切れつよく「高萩咲きにけり」とゆうゆうと叙し去った調子高く甚だよろしい。いつもの巧みな句よりも品格一等を高めて居る。
大正八年八月
大須賀乙字
以上
注1:内藤吐天1900-1976。大垣市の俳人。薬学博士。大須賀乙字門。詩集、翻訳など多くの著作がある。詩は日夏耿之助に師事し格調が高い。 昭和時代の薬学者,俳人。 明治33年2月5日生まれ。名古屋市立大,名城大の教授をつとめた。
注2:読み方:きひん. 生まれつきもっている気質。(デジタル大辞泉)
・・・乙字の句業の継承者として、第一人者としての片鱗がでている。
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