苗木城址から浅間山を周遊 ― 2025年01月25日
東濃の未踏の里山を探して見た。既登の山の前衛とか、隠れたところに意外な山がある。今回は高峰山(945m)の南西に位置する浅間山(551m)が良さげと思った。等高線が山頂に向かって絞り込まれて尖峰に見える。記録は古くからありヤマップでも城山(苗木城址)とセットで歩かれている。直線距離も約2kmだから周回もできる。
中央道を恵那山に向かって走る。うっすら雪化粧している。全山黒木で覆われるから真っ白にはならない。むしろ左の方に真っ白な山々が見えている。
中津川ICを出て、10時過ぎに市街地を走るが遅いついでにコンビニではなく、スーパーで食料と飲み物を買いだした。R257で木曽川に架かる城山大橋を渡るとすぐ右折して苗木城址である。一度は来ているが記憶はない。
東濃は尾張藩の所領だがここは苗木藩が治めていた。
「苗木藩 財源」の検索でAIは「苗木藩の財源には、藩札や御用金、領地からの収入などがありました。」との回答。藩札は今では県債、公債である。他に山林からの収益があった。小藩といえども城を経営することができたのだろう。決して楽な経営ではなかっただろう。
恵那山を仰ぐPに停めて天守閣に向かって歩き出した。天守閣に立つと好展望が広がった。恵那山、木曽山脈、周囲には笠置山、二ッ森山などが取り囲む。木曽川、付知川とその支流が無数に流れている。中津川市苗木に生まれた俳人の吉田冬葉は
岳雪のあざやかなるに麦を踏む 冬葉第一句集 吉田冬葉
と詠んでいる。岳雪とは恵那山の雪であろう。
城から大手門跡へ四十八曲がりの急坂を下山。地道に出て山の田川にかかる上地橋に行くと右岸沿いに飛騨街道(南北街道)への道標があった。上には旧北恵那鉄道の鉄橋が錆びて冬空に晒されたままだ。
12時30分、飛騨街道に進んだ。両側ともきれいに刈られて歩き易い。やや登り気味にお化け岩なるところを過ぎると車道に出て案内板は終わった。・374の民家を見て、右折。実線の道を歩いて新谷の里へ行く。やや広い道へ左折、また実線の私道のような道から民家の横を通過して二車線の市道苗木205号線へ出た。浅間山の破線路の登山口へたどるために新谷の田園地帯と・342の民家の私道も通らせてもらって車道に出た。ここから右折、工場のような建物から左折、やっとクランク状の登山口に着いた。
地形図に破線路は示されているがきちんと整備はされていないいわゆる廃道状態であった。踏み跡へおもむくまま登って行った。先へ踏み跡が続いていたが岩尾根を攀じ登って行ったら「せんげの森」の四阿に付いてGPSを見ると破線路から外れていた。しかし良くしたもので本来の旧遊歩道への連絡路が残っていた。ここからは藪が覆う廃道をRFしながら登った。
大手門跡を12時30分に出発して約2時間の14時36分に登頂できた。小休止後は北へ踏み跡を追う。雑木林の疎林の中で見失いそうになるとGPSで位置確認。先蹤者の付けた白っぽくなった荷造りひものマーキングが見つかる。510mのコブまで来ると良い道の跡が出て来た。
たどると15時17分、舗装路へ飛び出した。苗木城址のPまで約1時間のウォーキングが待っていた。浅間山だけなら山頂をかすめるだけだが城山と合わせて5時間とはかからない結構ハードなハイキングになった。
中央道を恵那山に向かって走る。うっすら雪化粧している。全山黒木で覆われるから真っ白にはならない。むしろ左の方に真っ白な山々が見えている。
中津川ICを出て、10時過ぎに市街地を走るが遅いついでにコンビニではなく、スーパーで食料と飲み物を買いだした。R257で木曽川に架かる城山大橋を渡るとすぐ右折して苗木城址である。一度は来ているが記憶はない。
東濃は尾張藩の所領だがここは苗木藩が治めていた。
「苗木藩 財源」の検索でAIは「苗木藩の財源には、藩札や御用金、領地からの収入などがありました。」との回答。藩札は今では県債、公債である。他に山林からの収益があった。小藩といえども城を経営することができたのだろう。決して楽な経営ではなかっただろう。
恵那山を仰ぐPに停めて天守閣に向かって歩き出した。天守閣に立つと好展望が広がった。恵那山、木曽山脈、周囲には笠置山、二ッ森山などが取り囲む。木曽川、付知川とその支流が無数に流れている。中津川市苗木に生まれた俳人の吉田冬葉は
岳雪のあざやかなるに麦を踏む 冬葉第一句集 吉田冬葉
と詠んでいる。岳雪とは恵那山の雪であろう。
城から大手門跡へ四十八曲がりの急坂を下山。地道に出て山の田川にかかる上地橋に行くと右岸沿いに飛騨街道(南北街道)への道標があった。上には旧北恵那鉄道の鉄橋が錆びて冬空に晒されたままだ。
12時30分、飛騨街道に進んだ。両側ともきれいに刈られて歩き易い。やや登り気味にお化け岩なるところを過ぎると車道に出て案内板は終わった。・374の民家を見て、右折。実線の道を歩いて新谷の里へ行く。やや広い道へ左折、また実線の私道のような道から民家の横を通過して二車線の市道苗木205号線へ出た。浅間山の破線路の登山口へたどるために新谷の田園地帯と・342の民家の私道も通らせてもらって車道に出た。ここから右折、工場のような建物から左折、やっとクランク状の登山口に着いた。
地形図に破線路は示されているがきちんと整備はされていないいわゆる廃道状態であった。踏み跡へおもむくまま登って行った。先へ踏み跡が続いていたが岩尾根を攀じ登って行ったら「せんげの森」の四阿に付いてGPSを見ると破線路から外れていた。しかし良くしたもので本来の旧遊歩道への連絡路が残っていた。ここからは藪が覆う廃道をRFしながら登った。
大手門跡を12時30分に出発して約2時間の14時36分に登頂できた。小休止後は北へ踏み跡を追う。雑木林の疎林の中で見失いそうになるとGPSで位置確認。先蹤者の付けた白っぽくなった荷造りひものマーキングが見つかる。510mのコブまで来ると良い道の跡が出て来た。
たどると15時17分、舗装路へ飛び出した。苗木城址のPまで約1時間のウォーキングが待っていた。浅間山だけなら山頂をかすめるだけだが城山と合わせて5時間とはかからない結構ハードなハイキングになった。
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