渡部昇一『名将言行録』2025年11月25日

 P330~349
徳川家康についての考察が書いてある。
小見出しを列挙すると
 柔軟な発想の持ち主
 ・・・臨機応変に考えた
 大阪冬の陣の講和を引き出した偽書
 ・・・人の長所をよく見た
 家康が編みだした守成の法則
 ・・・戦国時代は能力重視、幕藩体制の下では長子相続を重視
 大名の心得と天下を取るものの心得は違う
 ・・・長子相続を重く見た
 家康の経済センス
 ・・・経済のことが分かっていた
 勇猛から温和へ
 ・・・秀吉は家康を畏怖していた
 恐るべきは家康のつくり馬鹿
 ・・・本末をわきまえること

渡部昇一『決定版 日本史』2025年09月28日

 目次の中の中世の理解に役立つ。

宮城谷昌光『古城の風景』Ⅰ2025年09月27日

 愛知県にある古城を40ヶ所取り上げてある。松平の城跡もあるのでリアルな歴史の学びになる。本書を手にある時はルーツの松平町の親氏を訪ねて天下峰に登ったり高月院を訪ねて見る。岡崎市の岩津城址の松平信光と信光明寺にお参りする。安城市の安祥城址を訪ねて松平清康、広忠を偲ぶ。良い本である。
 1467年の応仁の乱から地方へと波及していった。天正三河の大乱もそのひとつ。松平家も戦乱の中から生まれた新興勢力だった。中世は約150年で貴族化して既得権は戦国時代に焼き払われてしまった。新たな政治勢力が台頭したターニングポイントになった時代だった。松平は波乱の中から天下を取ったのである。

嶋津義忠『小説 松平三代記 清康・広忠・家康、三河から天下へ』2025年09月27日

 戦国乱世を完全に終わらせ、天下泰平の時代を切り開いた徳川家康。その偉業の陰には、祖父・松平清康、父・松平広忠の二代にわたって続いた悲劇の歴史があった。
 松平清康はわずか十三歳で宗家の家督を継ぐと、疾風のごとく大地を駆け巡り、三河全域の統一をなしとげた英傑だった。しかし、戦陣で家来に襲われて思いがけない最期を遂げ、三十五歳にして天下を目指す覇業は挫折してしまった。
 清康の突然の死は嫡男・広忠に命の危険と苦難の人生をもたらした。その不遇に耐え、自立を模索して苦闘した広忠もまた家来の手にかかって若い命を落とした。
 人質の境遇から戦国の世に人生の第一歩を踏み出した家康は、二代続いた負の連鎖を断ち切り、戦国大名として飛翔する。そして、祖父、父が示した二つの生き方を我が身のうちで一つにまとめあげ、「戦のない時代」の礎を築いた。
 乱世の波に翻弄されながら、戦い続けた松平三代の男たちを描き出した力作長編小説。

司馬遼太郎『覇王の家』上2025年09月26日

 徳川家康のルーツとなった松平親氏からの八代を描いた小説である。小説だけに矢作川を三河と尾張の国境に見立てたり、そこかしこに事実ではない記述もある。ネガティブな書き方も気になる。

伊藤賀一『三河物語』メモ2025年09月25日

 『三河物語』は、家康の側近・大久保彦左衛門が、そばに仕える中で見聞きしたエピソードを書きつづった、家康研究の一級史料。そこに語られる天下人・ 家康の生涯は、試練とピンチの連続だった…!(版元から)

 東葉経済オンラインから
家臣の家康への皮肉が書かれた「三河物語」の中身
「主君を裏切る者が出世している」と憤慨
伊藤 賀一 : 「スタディサプリ」社会科講師

松平・徳川家と大久保家の事績
 徳川家康に長年仕えた旗本の大久保忠教は、「彦左衛門」の通称と「天下のご意見番」として広く知られています。『三河物語』は忠教が著した書物で、家康を中心とした松平・徳川家の歴史と、大久保家歴代の事績がつづられています。

全3巻で構成され、上巻は(松平家始祖という建前の)清和源氏の由来にはじまり、初代・松平親氏から8代目である家康の父・広忠まで、中巻は家康の人質時代から織田信長との清洲同盟の成立を経て、信長の比叡山延暦寺の焼き討ちまでが記されています。

下巻は武田家との抗争から本能寺の変、豊臣秀吉への臣従を経て、関ヶ原の戦いでの勝利、大坂夏の陣までが記されています。後半には忠教の子孫に向けた教訓も記されており、下巻は分量が多くなっています。

大久保彦左衛門忠教は、1560年に三河国(現在の愛知県東部)で生まれました。父の忠員(ただかず)は家康の祖父・松平清康から3代にわたり松平家・徳川家に仕えた重臣です。忠教の長兄・忠世(ただよ)は「徳川十六神将」に数えられ、次兄の忠佐(ただすけ)も戦場で活躍し、ともに江戸幕府の成立後は譜代大名となっています。

彼らの異母弟にあたる忠教も、少年時代から松平(徳川)家に仕え、初陣以降は家康の合戦のほとんどに参加しています。いわゆる武断派の武将(武官・番方)の1人であり、戦場における槍働きで家康の信任を得ていきました。

渡部昇一『名将言行録を読む』2025年09月25日

 このところ松平八代の歴史にはまった。そのもとは1467年の応仁の乱以後は戦国時代に突入して行く。すると中世に関心が集まった。そこでまた渡部昇一『名著で読む日本史』を読むと7番目の岡谷繁実『名将言行録』が紹介されている。
 ネットで類書を見ると多数あるので愛知県図書館所蔵の図書を閲覧に行ってみた。数冊ある中で表題の一冊が読みやすかった。著者も渡部氏である。
 目次のみをコピペしておく。
内容説明
彼らはなぜ名将と呼ばれたのか。現在伝わる戦国武将の逸話は、すべてこの本に収まっている。

目次
北条早雲―人心掌握術に長けた軍人政治家

北条氏康―謙虚にして冷静、しかも勇猛果敢な明君

北条氏規―すぐれた外交手腕で北条家の延命をはかった知将

太田道潅―才気煥発なるがゆえに恨みを買った悲運の人物

山中鹿之助―尼子再興に命を捧げた烈士

毛利元就―言動ともに完璧な戦国第一等の大大名

小早川隆景―毛利家存続のために知恵を巡らせた深謀遠慮の人

武田信玄―人情に通じた戦国時代の合理主義者

真田昌幸―徳川家康が勝てなかった軍略の天才

上杉謙信―武将が憧れ尊敬した武将の中の武将〔ほか〕
以上

 再び『名著で読む日本史』の中に戻ると
 応仁の乱で確かに世の中は乱れた。京都で3年から4年は戦乱があり、公家や門跡がことごとく焼き払われた。これが下級人民たちが向上発展してゆくターニングポイントになったと内藤湖南の見解を引いている。
 大衆が古代の天皇家の歴史を学んでも得ることは少ない。しかし、応仁の乱以後なら価値はある。特に松平家のように豊田市の山奥で興った一族が砦を奪いながら、段々と平野部に降りてついに岡崎城を占拠した。家康は岡崎城で生まれて一揆と戦い、信長、秀吉に仕えて最後は天下を取った。家康は名将言行録の最後に収録してあります。