入善町の水と米が届く!2014年10月22日

 入善の駅前旅館でもらったペットボトルの水を呑んでみたところ、まろやかで美味しいかった。水を買うなんて殆どなかった。だって、名古屋市の水は木曽川の水で、水道水でもおいしいのだ。それでも購入動機になったのはまろやかさである。
 入荷して早速冷蔵庫で冷やしたのを飲んだ。やはりうまい。長野県の野沢菜漬けとは違う。あれは現地の雪の中から掘り出したものを食べるからうまかった。それが土産に買って家で食べると不味い。暖房で発酵が進むからだろう。
 水のうまさは花崗岩の砂礫層を浸透して磨かれるのだろう。そこで育つ米もうまいはずである。入荷後、まだ食べていないがそう思う。登山の折、あちこちの山の水を飲んできた。花崗岩の山の水は総じてうまかった。水を買うなんて贅沢なことだ。大切に飲んでいこう。

吟詠!小川路峠2014年10月26日

秋葉道紅葉且つ散る峠かな

黄葉の落ち葉舞ひ散る峠かな

愛されし歴史の道や山装ふ

  縁者から見放されたような淋しい墓。山から山へ流浪の職人
  たちには先祖のお守りさえ不可能に近い

秋深し木地師の墓によるべなし

綿虫が人恋しさにまつわりし

  秋葉道から眺める茶臼山の立派な山容はなぜ日本300名山
  に推されなかったのか疑問に思うほどだ

秋高し伊那の南の茶臼山(愛知/長野)

秋時雨静けさ戻る秋葉道

猿のごとく木に登り通草(あけび)捥ぐ

  遠山側から登ってきて焚き火の熾き火で
  ジンギスカンの焼肉をふるまう

美味しさに馬肥ゆるごとさはに食ふ

  遠山側から登ったというまま行方不明の人の話。
  家族の捜索依頼があったがどのルートをたどった
  のかも分からず、という。

身に入むや行方知れずの山旅人

  明治時代、遠山谷に官吏として赴任したが余りの深さに
  峠で引き返したという逸話が残る。遠山から西へ吹く風
  のように我々も下山。

名にし負ふ辞職峠や秋の風

高峰はなべて隠すや秋の雲

久々の人をもてなす紅葉山

ぬか漬け2014年10月28日

 台高山脈の登山の帰りに松阪市郊外の焼肉屋に寄った。そこで添え物として注文したキュウリの糠漬けの旨かったこと。山に行くたびに2度、3度と寄ったが、品切れのときもあった。それに体調が良いと分かった。肉のスタミナだけではなく、通じにも貢献している。
 調べると乳酸菌が多いという発酵食品だった。子供の頃はよく食べたものだった。農家だったから家で玄米を搗き、米糠が出来る。更に細かい網の篩(ふるい)で糠を篩うと細かい胚芽が少量取れる。これは栄養価の高いものだった。それを粉に混ぜてフライパンで焼いて食べた。糠は沢庵などに使った。捨てるものはなく、無駄は無かった。
 2~3年前に体調が悪く、市販と宅配のヨーグルトを常食してきたが最近は効き目が悪くなっていた。何か別の乳酸菌摂取の食品を探していた。しかし、乳酸菌飲料は結構高い。漬物なら安いし、自宅でもやれる。意外なところにあったものだ。スーパーで当座買いしては食べている。ご飯によく合う。カレーの突き合わせにもいい。
 ところで漬物の季語は冬になる。秋に新米を収穫し、乾燥し、脱穀、米を搗いて、糠が大量に出来る。それを漬物の副原料に使ったのは天啓の知恵というしかない。漬物から乳酸菌やビタミンB群が摂取できる。だから冬の季語の地位をもらったのだろう。
 こんな風に利用すれば何も無理して不味くて消化の悪い玄米食にすることもない。糠は最終的には洗い流して捨てるが栄養分はキュウリなどに吸収されている。段々、子供時代に帰りたくなった。昭和30年代、日本人は経済的にはまだ貧しかったが実は豊かな食生活を送っていたのだ。これまで縁がなかったのは野菜嫌い、かつ漬物嫌いもある。あの色濃い黄や赤、青がなじめなかった。近年は素材の色を大切にしている。そろそろとなじんで行かねばなるまい。