北陸・負釣山に登る2014年10月16日

 10/11(土)に登山する予定だったが、名古屋から早朝に出ても負釣山の登山口には相当時間がかかる。登っても午後遅くになりガスが出て展望も良くないだろう。というので、美濃の母袋烏帽子を行きがけの駄賃として登った。それで10/12(日)の午前中となった。実は午後から俳句結社の年次大会への参加を控えているのであまりゆっくりもして居れない。
 入善駅前の宿は6時半に朝食を済ませた。同宿の若い男性は黒部峡谷に行くために午前5時に出て行ったとか。宿を出て県道60、63を走る。ついでに「水の小径」にも寄る。入善町出身の歌手・津村謙のヒット曲「上海帰りのリル」の歌碑があるところだ。37歳で夭折したため今では忘れられた人であるが、昭和歌謡の一角に燦然と輝く。
 道草を食いながら登山口へ走ると、温泉施設があった。バーデン明日(あけび)という。そこを過ぎるともう人家はなく、狭隘な谷間の山道に入る。猿の大群が日向ぼこをしていたらしく、ぞろぞろと山奥に逃げていった。この山は野生に満ちた予感がする。
 登山口まで舗装路で順調に走れた。余り時間がないので、ザックの中身はおやつ、水、雨具の上着のみに絞って軽くした。普段は持たない軽ピッケルを携行して、音の出る道具を兼ねた。7時半に出発できた。登りは90分、下山は60分の予定とした。登山口からしばらくは林道だがすぐに尾根の山道になった。急峻な尾根だがよく踏まれており歩きやすい。ピッケルで樹幹を叩き、岩を叩いて音を出した。熊よけになるかどうかは知らないが不安を消すためだ。
 1合目、2合目と早いピッチで登山道の指標があったが休むことなく登り続けた。登るにつれて尾根が立って来た。7合目でベンチがあり、ついに小休止した。北アルプスから日本海までのいい眺めを見ながら水を飲んだ。少し下って再び急な登りが続く。
 8合目、9合目を越すとついに山頂に到達。午前9時5分だった。この達成感があるから止められない。
 山頂からの眺望は7合目の比ではなかった。剱岳、鹿島槍、など黒部川の深い山々まで見えた。日本海側の眺めも素晴らしい。
 黒部川の沖積平野が広がる。ここは典型的な扇状地である。その大半は入善町のためにあるような形である。入善町には高い建物は見られない。殆どが水田であろう。穀倉地帯なのだ。通りでご飯が美味いわけだ。
 昨日の園家山(点名は 岨之景(そばのけい) )も視野に入っている。黒部川の夥しい土砂が海浜を形成し、対馬海流で北へ打ち寄せられて、且つ風もあってこのような砂丘になったものか。
 山頂滞在は約15分。水を飲んだだけで下山する。慌しいが仕方ない。約1時間で下山。下山中にも多くの登山者とすれ違った。Pでは女性の単独行が準備中だった。
 登山口を後に黒部ICを目指す。途中に蕎麦の白い畑を見つけたので撮影した。多分水田からの転作だろう。
 それでもまだ11時なのでバーデン明日に入湯した。ここも急いで汗を流してさっぱりしただけである。登山スタイルからワイシャツスタイルに着替えしていよいよ年次大会会場の電気ビルへ急ぐ。高速を飛ばし、駅前の投宿のホテルに車を預けた。
 年次大会は長老級の古参会員がめっきり減って淋しいものだった。その上に中堅会員も病死してしまった。反面新しい人もいるので新陳代謝があったということだろう。女性が非常に増えて男性が極端に少なく感じた。これも時代だろうか。予定通り粛々と進行し無事終えた。

深田久弥山の文化館2014年10月16日

加賀温泉駅に近いスーパーの屋上から富士写ヶ岳を眺める
 北陸の山と俳句の旅も今日で終わる。中々行けない加賀市を回って帰名することにした。以前にも再び三度訪れたことはある。

 『日本百名山』ですっかり有名になった深田久弥は石川県加賀市の紙屋の生まれだった。長男だったが文学に目覚めたために家業は継がず作家になった。
 昭和21年、43歳で神奈川県浦賀港に復員船に乗って帰国。船内では田端義夫の「かえり船」が流されただろう。

  みな大き袋を負えり雁渡る    西東三鬼

文学上の同志として、児童文学者の北畠八穂との出逢いと別れ、初恋の志げ子との再会から八穂を捨てて志げ子と結婚。昭和22年、離婚届けと結婚届けを出す。そんな人生でもっとも波乱のあった昭和の戦前戦後を生きた。

一家が水入らずで過ごしたのは「湯沢の1年」かも知れない。湯沢には志げ子夫人が疎開していた。復員するとすぐに湯沢に向かったという。八穂を裏切ったことで鎌倉文壇から追われるという痛切な出来事があった。もう普通に作家としては生きて生きない。但し、深田には山があった。山の文を書いて生きていく。湯沢の1年はそう決断せしめただろう。

 http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/05/21/6817509

 湯沢に疎開中、朝日新聞から小説の注文があった。それで郷里の加賀市へ帰った。そして昭和39年、『日本百名山』が刊行される。何度かの名山ブームを起こして名著になった。今年は刊行後50周年の年回りという。ベストセラーかつロングセラーになったのだ。
 富士写ヶ岳は深田久弥の初登山の山だった。942mと標高も低く、マイナー山であるが、富士形の姿は美しい。文化館で教えてもらったJR加賀温泉駅からのパノラマ写真を参考に撮影ポイントを探ったが、駅の隣のスーパーの屋上がもっとも均整が取れて富士に似た形に見えた。台風前で天気が今一だったのが残念だ。