裏木曽・高時山を歩く2014年09月30日

高時山頂上からの御嶽山
 9/27、御嶽山が水蒸気爆発を起こして3日目。懸命の捜索救助活動が続けられている。にもかかわらず、危険な火山ガスの発生で長時間は滞在できず、限定的なようだ。鈴鹿なら応援に行けるが特殊な高山では邪魔になるだけであろう。
 なるだけ近いところから御嶽を眺めたいと探したのが裏木曽の高時山である。検索するとランプの宿として知られる渡合温泉への林道は4月に修復し開通していることが分かった。加子母側の長い林道走行は避けたいから温泉から登ることにした。
 R257から付知峡へ入る。R257自体は昔は南北街道と言ったらしい。わざと古い町並みの街道を走ったこともある。そして、さらに驚くのがこの県道である。
 明治時代初期には御嶽信仰の登拝の道として開削された。主導者は私財を投入して完成させ、感謝されたが、家運は傾いた。中央線はまだ開通しておらず、白巣峠を越えて王滝へ行く方が近道にもなった。そんな歴史を刻んだ石碑があった。中央線の開通とともにこの道の登拝道としての役目を終えて廃れた。もっぱら林道として利用されている。
 渡合温泉への道は遠かった。県道から林道へ、そして未舗装の道へと進む。そのどん詰まりに温泉はあった。かつて1度、入湯させてもらったことはある。あの時は林道を走れるだけ走ってそこから歩いたから楽な山歩きだった。木曽越峠の歯痛地蔵だけは記憶がある。
 渡合温泉は夫婦で経営されているようだ。朝早く着くと主人がどこかへ出かけるようだったので、山道のインフォメーションをもらった。親切に紙に書いて教えてくれた。まづ滝を見学しなさい、と。というので旧道を歩くことになった。この道は初見であった。滝までは良い道があった。滝からは利用者も余りないせいで踏み跡程度になった。古い道標はそこかしこに残っているので何とか迷わずに歩けた。基本的には谷沿いに歩くが、一部崩壊箇所もあり、薮に覆われていたりする。初心者向きではない。約1時間もしただろうか、林道へ上がった。しばらく林道を歩くとまた道標で山道に導かれた。ここもススキで覆われて分かりにくいが突破すると何となく山道に開かれて行く。ヒノキの植林内を急登してトラバース気味に行くと木曽越峠だった。
 峠は加子母側の林道と付知側の林道がゲートで遮断されて行き来はできないが、開発し過ぎである。かつて慈しんだ峠の歯痛地蔵は辛うじて保存されていた。
 峠から一旦林道に下り、又登ると御嶽展望台があった。間じかに噴煙を上げる御嶽を眺めた。そこからしばらくでまた林道に下り、登り返した。この尾根はヒノキ、トチノキの大木が残る素晴らしいものだが、自然破壊がやり切れない。尾根伝いに登ってゆくと御料局の8の文字のある標石があった。付知側は国有林だからかつては御料林だったのか?
 1434mを経てさらに長い釣り尾根を登りかえすと御嶽山に開かれた山頂だった。2等三角点が埋まる。これだけ良い眺望であるが、御岳信仰の祠などはない。
 今も多くの登山者が山頂付近で心肺停止のままで救助を待っている。未発見の登山者もいるかも知れない。朝方から捜索救助のヘリコプターの音がひっきりなしに聞こえてきたが、可及的速やかな捜索救助を祈る。遭難された登山者を思い、手を合わせた。
 高時山は御嶽山の南南西の位置にある。噴煙を噴き上げる火口が良く見える。噴煙は北西の風に流されて東に流れてゆく。右に三笠山、左の継母岳も良く見える。継母岳は崩壊しそうなほど鋭角に聳えている。何事もなければ豪快な山岳風景であるが遭難者や家族を思うと心が痛む。
 25分ほど滞在して下山。峠からは山道を下ったが、旧道へは降りずに林道を下った。長い林道歩きだった。温泉に戻ると奥さんにあいさつして帰った。

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