区政協力委員の引継ぎ2009年03月28日

 今夜はマンション内の区政協力委員の引継ぎがあった。前任者は専業主婦中心であったが今回は高齢の男性中心になった。団地自体昭和47年の竣工なのですでに37年経過している。これも時代の趨勢である。住民は入れ替わるから土台濃密なコミュニティは成り立ちにくい。
 先ずは名古屋市区政協力委員規則を検索してみた。
 (目的及び設置)
第1条 市区政に係る情報を住民に伝達し、住民の市区政に関する意見を反映させるなど、市区及び住民相互間における連絡を密にし、もって住民の市区政への関心を深め、市区政への積極的参加を期するため、本市に名古屋市区政協力委員(以下「委員」という。)を置く。
2 3は略
(職務)
第2条 委員は、次の各号に掲げる職務を行なう。
(1) 市区の行なう広報広聴活動及び災害対策に協力すること。
(2) 地域における社会教育活動及び市民運動の推進を図ること。
(3) その他市区行政の連絡及び協力を行なうこと。
以上が規則にうたわれた仕事である。実際には地元神社の行事への参加、小学生児童の交通安全活動、成人式、敬老会、盆踊り他がある。交差点の角に立って児童の安全のために黄色い旗を振っている小母さんがこれからはお爺さんらが担うことになったのだ。
 もう一つアクセスしたサイトでは成り手がない、高齢化、加入率の低下などを問題に挙げたデータも見た。
 以下は推測だが名古屋市の規則は昭和43年の制定で、丁度団塊の世代が高校を卒業して社会に出たころと符合する。田舎から都会へ大量の若者が就職した時代であったから都会でも受け入れる体制が必要だったと思われる。結婚=住宅、出産=医療、子女の教育=学校と行政需要は高まる。
 作家の堺屋太一さんは血縁社会、地縁社会、職縁社会、と分類し、定年後は好縁社会へと説いておられたのを読んだ。今後は就職した都会で定年後は地縁社会に否応なく組み込まれていく。正しく区政協力とは行政の及びがたい部分を担っているように思われる。
 血縁での介護から見放されたおひとり様、高齢の夫婦などは地縁社会で見ずして誰がみるだろう。今後独居老人の世帯が急増していくと思われる。ちょっと声を掛け合う、挨拶を交わす、といったことでおかしいと思えば行政へ橋渡しすることになろう。
 お互いに知らんふりする都会的社会から誰か(区政協力委員くらいは)が住民の動静に関心を持つことになる。名古屋村的な発想が必要なのだろう。
 今日今後を共にする人はみな高齢者であり、企業でもまれてきた人ばかりであった。やっと職縁社会から解放されて血縁、好縁社会で生活しているのだろう。古くから地縁社会でボス的な活躍をする人への反発もあった。どうなるやら。
 地域社会のありようを勉強させてもらうことになる。

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