秋の流レ谷遡行2024年09月23日

 台風の影響で当初の9月21日から9月23日の計画は中止。代案として久々に流レ谷を遡行してきた。
 自宅を未明に出て、入溪地の鈴鹿の朝明渓谷の手前の流レ谷橋に着いた。夏はロープで駐車できないが今日は駐車出来た。
 入溪地は橋のすぐ近くから谷の中に降りる。しばらくは荒れた河原歩きで右から廃林道が来る。いくつかある砂防堰堤を乗り越す。
 以後は小滝が次々現れて直登する。高巻きではトップの判断でロープを出してもらい確保をして登攀する。6回位は確保してもらった。1回は確保したにも関わらず、足場が確保出来ず、水浴びになり撤退。左の空谷から脆い岩伝いによじ登った。尾根を越えるとトップも上がって来たばかりだった。
 その後も適当に手強い滝が現れて登攀を楽しめた。滝の上流に谷底から天然杉の高い木が直立していた。その滝では関西からの5人パーティに追いつかれた。力のあるメンバーらしい。先に行ってもらった。その後すぐの二股で関西の5人は右の本流へ。我々は左の谷に入り中尾根の登山道に出て下山した。
 中尾根は何度か歩いているがこんなに痩せ尾根だったかと思うほど険しかった。登山口に近づくと照葉樹林帯になり青いどんぐりが落ちていた。キャンプ場は閑散としている。林道を経て入溪地のPに戻った。谷で出会った5人は多分松尾尾根を下山していてまもなく帰って行った。我々は山休の゙湯で汗を流して帰った。

巻機山の米子沢に挑む②2024年09月08日

 夜6時から12時頃までは缶ビールの酔いと疲労でぐっすり眠れた。トイレに起きると深夜を回る。蚊取り線香を一本燃え切ったのでつぎ足す。実際に蚊が居ることと熊除けでもある。いったん起きるともう眠れない。午前3時にはトタン屋根を叩くような降雨があった。しばらく続いて沢登りはどうなるやらと気をもんだが雨は止んだ。うとうとしていると午前5時にコンコンとノックがあった。
 今回の米子沢は研究すると単独で行くのはリスクが高そうだった。過去には死亡事故もあったので関東圏の沢の精通者にガイドを依頼してあった。
 ハーネスなどを付けて4人パーティで実施。若いスタッフ2名も居るので心強い。
 最初は砂防堰堤工事用の車道を歩き、水の流れのない氾濫河原の米子沢に入渓。しばらくは岩伝いに遡行、やっと水が流れているところへ来た。右岸を高巻き、景観が良くなってきた辺りで又、連瀑帯の右岸の大高巻きがあった。これで体力の消耗させられた。滝の連ちゃんを巻くのだから木の根、草の根、枝をつかんで必死で登る。沢も立ってきて登攀の要素が多くなる。スタッフらはザックが大きいのにスイスイ遡行してゆく。結局、ガイドの判断で中途で撤退することとした。私のペースでは日帰りは無理との判断である。エスケープルートがないこともある。頑張って良い所まで行ってしまうとそこで体力尽きてヘリを救助要請ということになりかねない。そうならないようにプロガイドを依頼したわけだ。過去の記録には沢中ビバーク後遭難した例もある。
私が地形図やガイドブックで研究した以上に沢が立ってきてきた。この上は等高線が詰まっているのでもっと厳しくなる。朝は青空も見えていたがいつしか雲が厚くなった。モチベーションは低下するばかりだ。現在の自分の体力では無理だった。下降は遡行よりも危険なことがある。登りに掛かった時間以上に掛かる。そろそろ下り無事駐車場に帰還した。
    清水の民宿で山の蕎麦を食う
 昼時でもあり、帰り支度を整えると蕎麦を一緒に食って行こうと誘われた。もちろん同行させてもらった。清水で登山客相手の民宿である。山菜が山盛りになった蕎麦である。大変美味しかった。
 名刺を出して改めてあいさつする。日本山岳会東海支部の名前を見て、とっさに世界第二位の高峰のK2へ登った会だね、と返ってきた。隊員のTさんなら知っているよ、と。T氏は北アルプスの山荘の経営の仕事をしていることもご存じだったから世間は狭い。一気に親しみが湧いてきた。木曽山脈の沢の話から名古屋ACCの某の名前も出てきた。行ったことがないというのでまた中央の沢で合流できたら良いな、と話が弾んだ。
 自分も若い時は木曽駒の細尾沢を遡行し、宝剣岳を越え、三の沢岳のコルに下り、伊奈川を下降して八丁峠を登り返した沢中2泊の昔話をした。或いは上の廊下の遡行の話も出た。しかし、肝心なことは今、どんだけ体が動くか、であろう。リベンジを約して別れた。
     帰路は大沢山のトンネル経由
 南魚沼市街に戻りナビでは大沢山経由でR117へ越えるルートが示された。R253より高いが行ってみた。合流地点は津南の近くだったからかなり近道である。信州中野ICから上信越道に入ったがETCカードを間違えてバーが上がらない。チケットで入るが塩尻、飯田付近で渋滞というので松本で出てR19で帰名した。
 軽油を給油すると44リットル。現地と合計で64リットル。773km走っての燃費は満タン法で12km/リットルと高燃費だった。ファンベルトを交換した効果が出ている。

巻機山の米子沢に挑む①2024年09月07日

 9/6の夜発で、先日ファンベルトとテンショナーを交換したNV350に乗って遠出である。
       9/7 南魚沼市へ
 目的地は新潟県南魚沼市の巻機山の登山口のある清水。約400kmもあるので夜出てR19の道の駅「木祖村」で車中泊。直前に購入した窓に貼るシェードを設置すると外からの光が入らず快適だ。標高900m以上あるから気温は19℃と涼しい。翌朝は早朝出発、松本市のよしのやで朝定を食べる。梓川に沿うこの道も松本市街を抜けると快適に走れる。安曇野を過ぎて長野盆地を経由、豊野から信州中野で千曲川に沿うR117に入る。これまでに何度も走った。
津南町、十日町市からR253で南魚野へ山越え。
    南魚沼市の鈴木牧之記念館へ
 時間的に早いので塩沢の鈴木牧之の記念館を見学した。著書『北越雪譜』で江戸時代の読者に越後で豪雪に埋もれた人生を送る人間の暮らしを紹介して人気を得た。都会人にサプライズを与えた古典の著者であった。この本は明治時代の『遠野物語』にヒントを与えた気がする。原作者は現地の人がいるがそのままでは二番煎じなので、柳田国男が文語文で編集。これも都会人に山の怖さを知らせ、サプライズを与えた。川端康成の『雪国』の中にも一節が引用されている。
 記念館を辞して、軽油を20リットル給油、道の駅で昼食、スーパーで夜食、行動食を買い出し。汗でべとつくので「金城の里」で入湯してさっぱりした。450円と安い。その後、清水へ。
      三国街道(R291)から清水へ
 R291は昔は三国街道といって上州と越後の国境の清水峠を越えた古道である。日本山岳会が120周年を迎える2025年の記念事業として120本の山岳古道を調査中であるがこの街道もその一つである。
 今も車道は通じていない。街道筋の最奥の清水は狭い山里である。民宿やバス停もある。巻機山登山で賑わっているのだろう。九十九折れの山路を奥まで走ると桜坂駐車場があり、近代的なトイレも整備されていた。P料金500円を払う。トイレの横に停めて車中泊の準備を済ます。16時頃とて下山者が続々降りてきた。帰ってゆくと18時頃には自分独りになる。さすがに心細い。しかも車の中はマフラーの熱がこもって暑い。標高も750m位なのでそんなに涼しくもない。前の車はサイドの窓を開放できたが今度はまったく隙間もないのでバックのドアを少し開けて冷気を入れる。缶ビール一缶と夜食を食うとすることがない。ここはインターネットも通じないからだ。

南信州・フロヤ沢遡行②2024年08月19日

 朝5時に起きて朝食を済ます。テントをたたんでフロヤ沢の入渓地に行く。身支度を整えて大きな堰堤を右から越えると平凡な沢に入った。しばらくは滝もなく平流が続き、実線で示す林道の終点にある大きな堰堤を右から巻いた。ちょっと高いので短いロープで懸垂下降して沢に下る。
 両岸が迫りV字形の谷相に変わる。小さな直登できる滝が現れていよいよ沢歩きらしい。特に困難な滝はないままに終わるか、と思っていたら標高1550m付近に直瀑10mの滝が立ちふさがった。遡行は不能、右も左も巻けない。それでも左にけもの道が岩の尾根に続いている。フエルトシューズでは角付けが不安定だがけものの歩いた後は結構しっかり足場になる。上部では岩が脆く支点が頼りないのでお助けロープを出してもらった。
 岩のやせ尾根に乗って先を見るとそこで断崖になるので左の流れのない空谷にそろそろと降りて小岩の散乱する谷を適度に登ってまた尾根に登り返した。40mのロープぎりぎりで懸垂下降で滝の落ち口に立った。再び遡行を再開。二岐を何度もやり過ごし、ついに水流が絶えた。と同時に地形図に表現された土の崖が見えたので笹の斜面を漕いで登山道に出た。リーダーの大声が聞こえる。右へいくとすぐに山頂だった。曇りでもあるのでアルプス展望台は割愛(先週行ったので)した。
山頂にが飯田市から若いカップルが休んでいた。人気の山だが平日はさすがに少ない。
 休憩後12時過ぎに五座小屋峠に向けて下山を開始。阿南町と平谷村の境界尾根である。最初から笹と灌木のからむヤブの尾根を下る。両方とも急峻な源頭だ。転落すると100mくらいはあっという間に滑落するだろう。笹や灌木の枝をつかみながら足元で探りながらゆっくりくだった。それでも登るよりは楽だ。
 途中にあるコブでルートから平谷村側に下る尾根に外れるのでその度に左へ笹の海を泳ぐかのように戻った。
1500mのコブが二つあるところで町村尾根と別れて九十度西に降る。しばらく笹薮を漕いだが鞍部で良い道が突然現れた。しかも赤テープが高い頻度で出てきた。無名の尾根を歩く好事家はいるものである。後は踏み跡を歩くだけだ。まもなく林道終点に着いた。もうRFの苦労から解放された。
 林道の入り口から若干登り返すと五座小屋峠だ。若い頃はこの峠から千本立に登ったが記憶はない。その他源四山にも登ったという記憶はある。
 別荘地への入り口2ヶ所を過ぎるとあとは下るのみ。クルマが見えると9時間45分の長丁場の「バリ山行」も終わった。
 ひまわりの湯に浸かる。またR153を名古屋に向けてハンドルを交代しながら帰った。

南信州・フロヤ沢遡行①2024年08月18日

 8/18(日)の夜8時ごろ平谷村へ向けて出発。目的地は8/13に幼児を連れて登ったばかりの蛇峠山。
 ミニハイキングから今度は芥川賞を受賞した「バリ山行」である。バリ山行が純文学になる。
 矢作川の源流は根羽村の茶臼山であるが長さで言えば平谷村の大川入山に突き上げる柳川である。三河湾まで約200kmある。以前から遡行の機会を狙って記録を調べると一日がかりで私の体力では沢中一泊になる。そこで蛇峠山を、と記録を調べるとヒットしない。それじゃ、とフロヤ沢を遡行して蛇峠山になった。この時期にふさわしい名前の沢だ。
 平谷村に付いてR153から靭にそれる。ここは飯田街道が塩の道と呼ばれたころの古い宿屋がまだ残っている。最奥の村だ。その三差路を右折するとフロヤ沢に沿う県道になる。入渓地点付近で仮泊の適地を探したがないので靭の奥の林道ゲートまで行ってテント設営。12時を回ったのでミニ宴会は止めて就寝。

沢登りの道具再点検と手入れ2024年05月29日

 沢の登りでも下降でもフェルト沢靴の消耗が激しいので更新することにした。テント内で使ったヘッドランプの電池もすぐに消えた。消耗しているがスぺアがなくて使い物にならなかった。
 テント一式は帰宅後すぐにベランダの物干し場に広げて干した。あいにくの雨で乾きにくい。
 沢用の古いザックも泥だらけになったのでバスに水を貯めてザックを水に浸した。ハーネス、沢ソックス、沢スパッツ、短いロープなども泥を落とすために水に浸して濯ぐことにする。
 ナイロン袋に入れてあったが出すとまたヒルが一匹出てきた。しぶとい奴だ。
 バスからバケツに移し替えて沈めておくとまた細かい泥が沈殿した。ナイロンの繊維にこびりついていたのであろう。

沢始め・旧坂内村の沢を歩く②2024年05月26日

 26日は4時起床。バタバタと朝飯などを済ませてテント撤収。沢仕度を整えて出発。
 竹林の下に降りて殿又谷の遡行開始。最初の二股で尾根の先に上がると石垣が見える。右の滝谷本流から踏み跡が左へ行くので登って見たら草の生えた平地だった。何かの植栽地か隠し田か。はてまた木地師の小屋掛けでもあったのか。
 沢に戻る。入渓地から赤布などの目印は一切ない。流れに従いながら遡る。周囲は新緑の闊葉樹に覆われている。大きな七葉樹(栃)、欅、山毛欅が素晴らしい。その中を小さな滝の続く沢相が嬉しい。小滝を次々に突破する喜び。圧倒する大滝はないが遡行の喜びに違いはない。
 ふと夢を見た。所々にある平地でツエルトビバークしたらいいだろう。そして焚き火を囲む。肴は炙ったエイのひれでいい。持参の焼酎は沢水で割る。アマゴが釣れたら木の枝に刺して焼く。
 こんな沢旅こそ田部重治の世界だ。否、『樹林の山旅』を著した森本次男の世界である。森本は北アルプスに登れないから奥美濃に来たのではない、北アとは違う世界が良いと高評価した登山家だった。久々の野生的な登山を楽しめる自分を覚える。
 高巻きもした。リーダーは突破したがどうしても足場が滑るので左岸の尾根を小さく巻いて沢身に腹ばいで滑り降りた。巻けば安全と言うわけでもないが。
 水が絶えて源頭に到達。稜線に上がると爽やかな風が吹く。今日の最高点まで登って大休止。沢で死んでいた鹿の頭蓋骨を安置した。鹿の糞だらけの山頂である。いい供養になることだろう。
 下り気味に804mの三角点内谷に着く。埋まっているので掘り出すと三等の文字が見えた。点名の内谷は北へ流れる谷名らしい。
下降はそのまま南へ沢芯をたどる。最初は水が無いが段々水量が増えた。中流部は上から見ると足場が分からないから懸垂で下降した。滝の落差も長くなり、何度も懸垂下降を続ける。10回はやっただろう。本当は互いに撮影したかったが下降時はカメラを構える余裕もなかった。緊張感で喉がカラカラになる。
 それでも終わりはある。謎の平地が現れた。殿又谷もみおろせるがまだ高い。笹や木の枝、根っこ、蔓に捉まりながら下降をつづけ林道に戻った。スパッツを外すとヤマヒルがポトリ落ちた。血を吸って丸々太った奴だ。自宅に戻ったらTシャツの腹部にも血痕があった。2匹に献血した。

沢始め・旧坂内村の沢を歩く①2024年05月25日

 25日夕方発。奥美濃の山も久しぶりのことだ。旧坂内村の中心地の手前の坂本を左折。白川に沿う県道を走る。かつては揖斐高原スキー場へ走った道である。諸家で新穂谷に行くと新穂峠を越えて近江に行ける。言わば山岳古道であった。通りで路傍に石仏があったはずだ。
 今日はその手前の323m付近で白川をまたぐ橋を渡って殿又林道に入った。
 殿又林道で突然野生のシカが横切る。一応最終的なテンア場を探すために堰堤まで行って見たが少し戻って空き地に幕営。久々にテントで仮眠。

沢登りのパッキング2024年05月24日

 5/25の出発に合わせて丸の内の事務所へ沢登りの道具一切を運んだ。ザック3個分になった。一般の登山では使わないハーネス、4人用テント、沢用の道具も結構ある。何年ぶりかで使用する。消耗度も確かめながら吟味しながらザックにパッキングして行った。沢始めはこうした道具の再評価の意味もある。

雑用整理2024年05月16日

 雑用が溜まっていた。岳連への会費を送金を処理しておいた。また14日の早朝会議にはすっかり失念していたので謝罪のメールも送信しておく。
 4月5日の墓参で初見で知った人に俳句の雑誌を送付した。まだまだタイヤの交換とかがある。晴れた日にやりたい。
 今日は5/26の沢登りの予定が決まった。また関東甲信越の山行と沢登りも日程が決まった。
 但し、やりかけの仕事が3つあるので5月中に目途を付けたい。6月になれば建設業関連の届け出を促す。7月末が期限。これもテキパキと片付けないと延長するわけには行かない。
 後は5月一杯は総会のラッシュである。
・5/12のJACは俳句会と重なったので欠席
・5/14の早朝の同窓クラブは失念
これからは
・5/17の夕方から中央支部総会・名古屋駅前
・5/19の午後からアムスカ総会・名工大
・5/26の夜から管理組合の総会・集会室
・5/30の午後から書士会の総会・金山駅前