花見の宴の後2018年04月02日

天白川緑地の桜並木
 3/31は天白川沿いの桜は全開となった。それに呼応して桜の花の下ではブルーシートを敷いて家族ぐるみで宴会もたけなわだった。しかも路上駐車が多々あった。警察もこの時ばかりは甘いのだろうね。
 4/2の今朝、プラごみを出しに行った。エレベーターで乗り合わせた住民が言うには宴会の後のごみを近隣のマンションのごみ集積場に大量廃棄してあったとのこと。
 非常にマナーが悪い。自分たちで飲み食いしてなぜ持ち帰らないのか。マンションの清掃を受け持つ人は今朝から分別に大わらわとか。近くにスーパーがあるために手軽に買い物して飲み食いの後のごみは捨ててしまうのだろう。無粋な花見客である。

北ア・白馬乗鞍岳スキー登山2018年04月02日

白馬乗鞍岳頂上から見た小蓮華山と向こうは三国境、白馬岳
 1月から3月までスキーを履いたのは2回だけ。本格的な滑りを味わうこともなくシーズンが終わりまた来年まで長いブランクができる。膝の痛みは少しは残るが歩行には問題なく、登山にも支障がない。但しスキーだけは咄嗟の動きで関節に影響があると考えて踏みきれなかった。既にブランクは2015年を最後に中2年になる。意を決して行こうと決めた。
 行く先は白馬乗鞍岳だ。乗鞍岳は未経験であるが天狗原までなら蓮華温泉と朝日岳スキー登山のため数回は行った。天狗原から1時間ほどで登れる。
 3/31の17時天白を出発。名古屋ICまでは絶好の行楽日和かクルマが多く渋滞気味だった。入線は18時前になった。
 東名から名神にかけてもクルマは多めで小牧JCT手前からとうとう渋滞になったが中央道へは空いている。恵那SAに着いたのは18時50分。
 夜空には春満月が明々と浮かぶ。何と恵那山の真上にあり、黒々とした恵那山を明るく照らす。天照大神の胞を埋めたという伝説が彷彿する。春満月は恵那山トンネルの手前まで見えた。そして伊那谷に出ると今度は南アルプスの上に出ている。
 中央道から長野道へ入り、梓川SAで一休みする。安曇野ICから出てR19経由で白馬方面へ走った。周囲には雪の断片すらないが、夜目には高々と北アルプスの白い嶺が並ぶ。
 白馬村からさらに小谷村へ。白馬駅前のにぎわいを過ぎると途端に灯が消えたように暗くなった。行き交うクルマはなく栂池スキー場へ走る。心細いほど暗い山道をくねくね走ると雪明かりでほっとするようなエリアに出た。まだ10時前だが通りは宿の灯が消えて寂しい。スキーブームが去ってボードが支えている。少子高齢化は観光地にも影を落とす。
 駐車場には9時55分着。梓川SAで車内を片付けておいたからシュラフを広げて寝るだけだ。
 4/1朝明るさに目覚めると5時。早過ぎるが二度寝すると起きられなくなるのでシュラフを片付け、荷物室を整理。寒いので羽毛ジャケットを着る。食事の準備をした。昨夜買っておいたアルミ鍋の天ぷらうどんを温める。それを食べながら寿司をつまむ。終わると服装の準備だ。羽毛ズボンの上にオーバーズボンを履くと準備は終わった。次はパッキングだ。7時、ゴンドラ乗り場へ偵察に散歩する。まだだれも居ない。そのうち7時30分になったのでチケット売り場に行く。1920円。長野県所定の登山計画書をプリントアウトしたものを添えてチケットを購入。8時にゴンドラが動き出す。
 終点駅でいったん下車して、スキーを履いて、ロープウェイ乗り場へ滑る。また外して並ぶ。自然園駅に着いたのは9時7分だった。1829mとあった。駅舎を出る前に小谷村の山案内人から登山者向けの注意喚起があった。ひよどり峰は雪崩やすいので登らないで欲しいこと、直下の林道滑降は雪崩の常習地帯があるので立ち止まらずスピーディーに行動して欲しいとのこと。また雷鳥が白馬乗鞍岳に向って移動中なので脅かさないで欲しいとのことだった。3月初旬に行方不明になった人がいるので帽子など所持品と思うものを見つけたら連絡して欲しいと言われた。
 9時35分、外の雪面でスキー板にシールを貼って、いよいよ出発だ。尾根に移ってシールを効かせながら歩く。20分ほどで息が切れるので休む。持ち重りする食べ物を飲んだり食べたりする。朝食は6時ころだからもう3時間は経過しているからだ。特に林檎は美味しいし重いので休むたびに食べた。また少し登っては休んだ。2204mの天狗原とは比高375mで1時間強程度。高度計を見ると2000mを越えたら急に力が湧いた。
 11時7分天狗原に到着。ここで小休止、11時20分出発。急斜面に取り付く。シールを効かせながら登る。一気には登れず、呼吸を整えてまた前進をくりかえす。何とか端っこに着いたが山上は広々している。
 12時10分ケルンの建つ乗鞍岳頂上に着いた。夏道は歩いた記憶がないので新鮮な角度で小蓮華山と三国境の雪稜を眺めた。向こうは黒い露岩を張り出した白馬岳である。三国境からは雪庇の張り出しがすごい。未踏の雪倉岳、悪戦苦闘して登った朝日岳が見える。素晴らしい眺めである。
 12時30分、小高く盛り上がった2456m辺りまで行ってシールを剥がす。いよいよ滑降。雪質は粉雪で抵抗なく曲がる。あっという間に急斜面の降り口に着いた。雪質の良いところはターンしたが、腐っているところは曲げにくいのでキックターンで滑降した。北東へ行くほど腐っている気がした。上手いスキーヤーは悪雪でも滑降してゆく。
 天狗原に滑り降りた。また小休止。13時前、天狗原を後にする。まずはロープウェイ乗り場を目指す。広すぎて目標がつかみにくい。悪雪のなので斜滑降とキックターンで下る。一旦林道に下ったがR乗り場で水を買った。栂の森駅までの案内をもらう。結局は林道が近道のようだ。今は至るところスキーの跡が付いているのでどこでも行けそうだが知らないととんでもない所に下る。
 林道は余り走らない。大腿筋だけが使われるせいか疲労感がたまる。何とか栂の森駅下に来たが、Rで下るのはもったいない。ゲレンデを下ったり、林道を下ったり、またゲレンデに戻って下った。結局15時過ぎにゴンドラ乗り場に着いた。目いっぱい遊ばせてもらった。
 駐車場に戻るとガラガラだったが満杯に埋まっていた。身支度を終えて白馬の湯に向った。やや熱めである。入浴後はR148をひたすら走った。途中大町のスーパーでジンギスカンのパックを買った。帰路は朧月夜であった。

過去の記事
「春の蓮華温泉 山スキー行 ―」
http://koyaban.asablo.jp/blog/2009/05/06/4289561

「リベンジ成功!春の朝日岳大滑降 」
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/05/06/5065719

「北アルプス・金山沢滑降! 」
http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/04/30/6794363

映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」観賞2018年04月02日

 前評判の高い表記の映画を見に行った。映画館は昨年開館した日進市赤池にある『プライムツリー赤池』4FのTOHOシネマズである。天気も良いのでポタリングで行った。調べると約3.5kmくらいだった。14時30分に出て15分で着いた。
 映画COMの解説「名優ゲイリー・オールドマンがイギリスの政治家ウィンストン・チャーチルを演じ、第90回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した歴史ドラマ。チャーチルの首相就任からダンケルクの戦いまでの知られざる4週間を、「つぐない」のジョー・ライト監督のメガホンで描いた。
 第2次世界大戦初期、ナチスドイツによってフランスが陥落寸前にまで追い込まれ、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。連合軍が北フランスの港町ダンケルクの浜辺で窮地に陥る中、就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチルの手にヨーロッパ中の運命が委ねられることに。
 ヒトラーとの和平交渉か徹底抗戦か、究極の選択を迫られるチャーチルだったが……。チャーチルを支える妻クレメンティーンに「イングリッシュ・ペイシェント」のクリスティン・スコット・トーマス、秘書エリザベス役に「ベイビー・ドライバー」のリリー・ジェームズ、英国王ジョージ6世役に「名もなき塀の中の王」のベン・メンデルソーン。
 脚本は「博士と彼女のセオリー」のアンソニー・マッカーテン。アカデミー賞では主演男優賞のほか、オールドマンの特殊メイクを担当した日本人メイクアップアーティストの辻一弘らがメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。」とあり、日本人のメイクアップが話題になった。オールドマンがこんなにも変わるのかというサプライズがあった。
 出演者が数名に絞られているが、中身は大きな歴史のうねりを描いた。名政治家は演説がうまい。言葉で多数の人を動かす。敵役にされたヒトラーの演説も中々のものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=T2jhno1BL3w
 ドイツ国民を奮い立たせる扇動者の見本である。WW1で敗戦後のワイマール体制からの脱却を訴える。
 一方、受けて立つチャーチルはどうか。
チャーチルの肉声が聞こえる演説
https://www.youtube.com/watch?v=BYddUT_547A
チャーチルの人物像をまとめた
 https://www.youtube.com/watch?v=s_ssvsIY7Oo&t=1s

 映画を見て思ったことはチャーチルの偉さは困難から逃げなかったこと。
 それは英国の宣教師で登山家だったW・ウエストンは『日本アルプス 登山と探検』のまえがきの「今日の日本において、世界はまのあたりに、国民的な威信をなおそこなわないで保ちながら西洋文明に同化適応する力を発揮している東方一国民の、類い稀な例証を見ることが出来る。
 その上、この注目すべき民族が、現在では予測できないほど将来豊かに発展することは、ほとんど疑問がない。この民族は、国民的な威信の向上のためには、恐らくどんな自己犠牲も払えるのである」 ウォルター・ウェストン(1861-1940)『日本アルプス 登山と探検』(平凡社ライブラリー) 」と書いた。
 騎士道の国が武士道の国を認めたのである。
 アルピニズムの国らしく困難から逃げずドイツに挑んだ。騎士道の国ゆえに困難から逃げなかった。日本は負けたが欧米の奴隷になるまいと思って戦った。日本は多大な犠牲をはらい、絶滅寸前まで戦ったから国体が守られた。
 チャーチルもまた英国にドイツの国旗が立っても良いのかと、問うた。「never」と叫んだ。多くの犠牲を生んだが国を守る気概を示した。言葉一つで流れが変わったのだ。
 一見の価値があります。