公社俳人協会愛知県支部総会・講演・懇親句会へ2018年04月22日

 昨日に続けて総会だ。今度は公益社団法人俳人協会愛知県支部の総会である。ふつうは出欠の通知が来るものだが、所属結社が富山県で愛知県に拠点がなく、本部への入会はしたものの事務的には二元制なのである。
 一般的には名古屋市の俳句教室で学び、講師を頼って結社に入会し、ある程度経過したら俳人協会本部と支部へセットで入会という手順である。それが他県の結社のために支部の入会手続きがすっぽり抜けている。会場へ来ても出席の名簿に掲載がなく、その場で支部入会手続きとなった。これでようやく二元性の組織という仕組みが分かった。
 日本山岳会東海支部に入会すると自動的に本部へ入会手続きが進められてゆく。つまり一元的である。関東圏に住む会員が入会しても本部のみで、支部は自分で探して入会する。
 
 さて、総会は他の団体とそんなに違いはない。まず最初に物故者に黙祷を捧げた。前年度の事業報告、会計報告、予算案、新年度の予定事業案を読みあげ承認すれば滞りなく終わる。
 講演は三村純也氏で高浜虚子の俳句歳時記を噛んで砕いての解説であった。
 ウィキぺディアには「三村 純也(1953年 )は、俳人。大阪芸術大学教授。大阪市生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了。芸能、中世文学、民俗学、近代俳句史などを専攻。神戸山手女子大学教授を経て、2008年4月より大阪芸術大学教授。
 中学時代より句作をはじめ、1972年、ホトトギス系の「山茶花」に入会、下村非文に師事、清崎敏郎、稲畑汀子の指導を受ける。1997年より「山茶花」主宰を継承。2002年、句集『常行』で第26回俳人協会新人賞。以下略

 三村氏はホトトギス系の俳人である。

 昨日は東三河の吉祥山の麓の金沢へ行ったが、虚子の高弟の富安風生の生家がある。今は弟さんの家系に相続されたが訪問した際には、風生の実家であったとする記念碑が建っていた。おそらく訪ねる人が多いのだろう。
   まさをなる空よりしだれざくらかな    富安風生
   風生と死の話して涼しさよ         高浜虚子
弟子の名前を入れて作句するくらいだから水魚の交わりであったことだろう。
 
 私も稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記 第三版』 は持っているが、三村氏は旧版の高浜虚子編『新俳句歳時記』をお勧めである。理由は解説にあるという。誰が書いても同じことになりそうだが、例句が良い、解説が的確で、簡潔でと推奨する理由を述べられた。山本健吉氏もコピペしているそうだ。それなら古書店で探してみるか。

 愛媛県松山市へ俳句仲間とミニ旅をした際、子規記念館見学は当然であるが、虚子の実家も訪ねた。仲間の中に実家に近い所の出身者がいて案内してくれたからだ。案内がなければスル―するような控えめの虚子像があった。子規の弟子であるから師を上回ることはできない。関係者の配慮である。

 虚子は「客観写生」、「あるがまま」の人生観を持った。虚子は人間通であった。ふるさとでは立身に苦労したという。苦労人だからこそ人間通になれる。前田普羅に対して「普羅君は山が好きだね、僕は人間が好き」と語ったという(『俳句への道』)
 だから小説家を志したのだろう。名古屋の俳人・横井也有の『鶉衣』を手本に写生文を書いた。どんな関係か、奥三河を詠んだ歌人・依田秋圃の紀行集『山村の人々』の序文も書いている。虚子の「ホトトギス」は文芸誌であったが夏目漱石が朝日新聞に移り、虚子は俳句に戻らざるを得なかった。

 客観写生の虚子に満足しない水原秋桜子、山口誓子らが反発。人間探求派の台頭で俳句は人間を詠め、と一斉に変わった。名古屋市の俳人らもホトトギスから秋桜子、誓子系の結社に変わった。日本人の悪い癖で、良いものでも再評価せず、すべてを捨てて新興俳句の理論になびく。現在の指導者は新興俳句の洗礼を受けた人ばかりだ。

 というわけで三村氏の講演で久々に虚子への想いの断片を書いた。講演の後は懇親句会に移り、選者別に佳作、特選句が発表されて賞状を授与された。