三遠地方民俗と歴史研究会総会へ2018年04月21日

 会場は富岡ふるさと会館。13時前に会場入りした。総会は式次第に沿って進行。その後に記念講演が行われた。
 演題:村木砦~設楽原まで 信長の鉄砲使用
 講師:小林芳春氏 設楽原を守る会
アマゾンに掲載された略歴
「1933年、新城市生まれ。愛知学芸大学卒業。現在、設楽原をまもる会、新城市郷土研究会、日本銃砲史学会等の会員。元新城市教育長」

・・・・有名な設楽原古戦場であるが、『信長公記』を縦軸に、自著の『「長篠・設楽原の戦い」鉄炮玉の謎を解く 』(黎明書房)を横軸にして展開。目からうろこのの歴史談義でした。元は学校教員で専門は数学でした。話の資料にも分布図、統計など、数学的資質を活用されての話は面白く新鮮でした。
 まさに「データをして語らしめる」ということです。客観的な数値ですから説得力があります。今までの歴史談義は、作家的な想像力を膨らませた物語から、史料の分析にもとづいたアカデミックな学者の研究がありましたが、ここに数学的統計学的なデータ分析からの歴史の解明もあるのかと感動しました。
 私も好きな俳人の句集の俳句をベースに、俳句の季語、キーワードを統計的手法で分析を試みたことがあります。漠然としたイメージが数値的にデータ化されて、伝えられてきた俳人のイメージがはっきりした経験があります。文芸や歴史のような論考にも数学的なセンスがあると面白さは倍増します。

 アマゾンから転載「「長篠・設楽原の戦い」に使われた鉄炮玉の鉛同位体比の測定により、鉛の産地が日本だけでなくタイや中国に及んでいることを解明。あわせて分析結果の詳細なデータを公表。
 鉄炮玉の秘伝書『玉こしらへの事』の分析・解読から、玉に細工をし撃った先で玉が二つに分かれる「二つ玉」等、戦国期の玉に施された工夫の数々を紹介。
 地元鉄砲隊の協力のもと、実際の火縄銃を使って『信長公記』の記述「鉄炮を以て散々ニ」の実態を検証。古戦場跡で発見された鉄炮玉の場所、来歴、大きさ等の報告を収録。」

 ハイキングに歴史の勉強に意義深い1日でした。

  行く春や歴史話も三河弁   拙作

八名山地・吉祥山を歩く2018年04月21日

本宮山の尾根からの吉祥山(2016.6.2)
 午後からは吉祥山の新城市富岡で歴史研究会の総会があるので登山と二つかねて1日を宛てた。
 朝6時半ごろ、名古屋を発つ。東名高速は早朝から多めの交通量だ。天気は良いが良すぎてガスがかかる。目に付くかぎりは緑一色になった。それで行楽日和なのである。
 豊川ICを出て、地図を見ながら豊川(地名はとよかわだが、川の場合はとよがわと読む)を渡る道を目指す。R151から一宮町豊の交差点を右折、県道380、381を走り豊川を渡る。景色が開けて、三河富士という本宮山がきれいな山容で見える。山容の撮影に走ったことが思い出された。吉祥山の山容も南北に尾根が流れるように張り出して美しい。
 金沢の交差点を通過、東名高速と交わる手前にAコースの登山口の道標がある。吉祥山ふれあいの森である。クルマは2台ほど。ログハウス風のトイレで用足しを済ます。となりにはビジターセンター風の建物は休憩舎があり愛好家のたまり場になっているようだ。
 8時37分に出発。周囲には多分鶏舎の廃屋があり異様な感じがする。登山道はすぐに樹林の道になる。一旦開けた尾根に着いてあとは尾根通しに坦々と歩く。山頂まであと??mという道標もある。雑木林の中に入ると風も吹きぬけて涼しい。時々、鶯が良い声音で啼く。
 追い越して行った空身の人が何か花の写真を撮影中である。黄色が鮮やかなキンランだった。
 しばらくで大きな看板を兼ねた休憩所になった。山頂は近いが汗をかいたので小休止して水を飲む。いくらも登ることなく山頂だった。2Kmを約50分かかった。
 山頂は360度の大展望だった。冬ならば富士山も見えるらしい。今日はややガスがかかるが、三河本宮山、宇連山や三ッ瀬明神山が見えた。豊橋平野も見下ろす。低い割には展望が良い。
山頂には岩の露頭があり説明板がある。「角閃石片岩」という。この希少な岩石ゆえに標高300m以上が愛知県自然環境保全地域に指定されている。
 下山は北に階段を延々下った。椎の大木の林立する鞍部に着くと道が3つに分岐している。よく整備された道を下るとまた分岐になる。分岐を示す看板には直進すると先程の鞍部に吉祥天女の祠があるという。それでまたこの道をたどると鞍部に戻った。
 山頂に居た男の人も下ってきて吉祥天女を拝んでいる。これが山名の由来の吉祥天女か。それにしても小さくて地味である。

 ネットの説明を読んでも仏教なのに何で神様の名前が出てくるのか、複雑なので整理すると
1 仏教の守護神である天部の1つ
2 愛の神カーマの母
3 父は徳叉迦(とくさか)、母は鬼子母神であり、
4 夫を毘沙門天とする
5 吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神
6 美女の代名詞として尊敬
 「仏像ワールド」のHPには「もとはインド神話の女神・美と豊穣と幸運を司るラクシュミーであり、密教では美女の代名詞といわれて信仰されていました。毘沙門天を夫に持ち5人の子供がいます。妹の黒闇天(こくあんてん)は災いと不幸を呼ぶ神です。

 貴族階級の人達に広く信仰されました。しかし一般の民衆に支持のあった弁財天に次第に人気を取られ、いつのまにか七福神の座も奪われてしまったといいます。」とあるので、神様の世界にも盛衰があるのです。

 男性曰く以前は今水寺の奥の院として山頂に在ったらしくここに移されたとか。吉祥山の北西の八名井の中腹に神社マークがある。ここが今水寺跡らしい。廃寺なのになぜ神社なのか不思議だ。一度は訪ねてみたい。

 ブログ「Bo-Bo-Rock」さんの記事には「平安時代には中腹に東三河屈指の大寺院、今水寺(こんすいじ)があり、その奥の院として吉祥天女(なぜに吉祥天?)が山頂にまつられ、​これが吉祥山の名前の由来となったそうです。ところが三河湾から奥の院が光って見えると魚がさっぱり獲れなくなるとのことでこまった漁師たちが奥の院を見えないようにしてほしいとお願いし、北側中腹に吉祥天女の祠を遷した」とか。

 愛知県の吉祥山の調査報告書には「角閃石片岩は、灰色を帯びた濃緑色をしてお り、結晶は細粒で 日の光に当てると新鮮な ものでは角閃石の結品がキラキラ輝 いて見えます。」という。
 
 この2つの記事を合わせると、山頂の輝きは角閃石片岩なのでしょう。最近、知った台高山脈のマブシ峰も、何がまぶしいかと思えば、近くに光山があり光谷があるし、南アルプスの光岳(てかりだけ)は石灰岩の光岩が光って見えるそうだ。皆海から見える光である。

 さて、吉祥天女の祠を拝んだ後は近道で元の遊歩道に戻り、Cコースをたどった。ここの山腹からは水が浸み出して小さな沢が流れている。低い山だが水は豊富な気がする。急な道をどんどん下ると作業小屋に着く。パスしていくと車道に出て登山口に着いた。休憩所への道標を見て、山の中へ入る細道を歩いた。ため池を横目に見ながら歩くとまた車道に出てひたすら車道を行くと休憩所である。朝とは打って変わってPは満車で車道にも路駐が多かった。一足違いで多くのハイカーが歩いているらしい。それだけ人気があるのだ。
 Pを出て次は本宮の湯に向った。県道381には母親と娘2人のハイカーも見た。多分JR長山駅から徒歩だろう。駅からでも2時間で登れるハイキングの山であった。
 本宮の湯は久しぶりだ。610円で入湯。湯を出て、軽い昼食をとると12時30分になった。そろそろ新城市富岡へ走る。