「岳人」4月号を読む ― 2009年03月15日
郵便受けに「岳人」4月号が投函されていた。早速読んだ。2月半ばだったか突然、特集「山がわかる」の情報提供の依頼が舞い込み一晩で仕上げて送っておいた。好きなことは徹夜も厭わずやる。協力へのお返しであろう。
「登山者のための山地図」がそれで眺めているだけで楽しくなる。小学校の5年生くらいだったか、親に日本の白地図を買ってもらい主要な山名、河川名、火山脈、山地名、各地の名産などを書き込むのが楽しくて仕方が無かった。試験のための勉強でなく面白いから調べる学ぶという習慣はこの時代の産物であろう。だからこの特集のある岳人の発売が待ち遠しかった。
真に山が好きな人にはこの特集も受けるはず。登山の技術の練磨や向上に情熱を傾ける人もいるがそんな人は概して山を知らないことに愕然とする。山が好き、といっても知識も技術も判断力も三拍子揃った山屋は本当に少ないのだろう。
「いまさら聞けない山の用語辞典」も恥をかく寸前に助かった。実は先週12日に会報の編集会議で校正をしていて「天場」を見つけた。これは変換ミスと思って「テン場」に訂正したが今日この辞典を読んですぐに担当者に原文に戻すべくメールを打った。昔は天幕と呼んでいたから天場なのでテント場の略ばかりではなかったのだ。執筆者は私よりかなり若いから尚違和感はあるが。多分父親が名うての登山家であり、母親もかなりなアルピニストだから親から子への伝承だろう。
「地図からわかる山」も大いに首肯できる内容である。かつて奥三河の山を歩いた折、宇連山の近くに鉛筆の尖ったような山頂の山を発見した。地図で調べると三角点だけで無名であるが登ってみることにした。地形図「海老」を読むと円い等高線が同心円を描いている。調べると地元では「高畑」と呼んでいた。小学校の校歌の歌詞に歌われ、昔は馬草の採草地だった由。後に山の本を書いた際この山も収録した。それを読まれた地元のY氏が私の山を取り上げてくれてありがとう、といってきたそうだ。
木暮理太郎は「東京は望岳都」と言っていたらしい。実際東京から見える山々の同定を研究していた。それには地形図が頭にあり、尚且つ登っていないと的確な同定は出来ない。急な尾根の登り、たおやかな峠道などは体に記憶されるから遠くからでも「わかる」といえる。
実際、飛騨・傘山から白山はわかる、そのとなりのかなり離れた大きな山がわからないので地図で調べる。見た感じは猿ヶ馬場山の山塊かと思う。ところがそれは三方崩山と奥三方岳であった。奥三方岳は登っていないので体が覚えていないのだ。白山からあんなに離れているものか、と今でも思う。地形図では隣り合った衛星峰(前衛)に過ぎないのに山稜から大きく離れているからだった。
写真は昨年6月に撮った大笠山からのもので傘山とは南北正反対になるが参照するにはいいだろう。
ともあれ山の楽しみを倍加するこの号が多くに読まれることを期待したい。地図を楽しめれば脱百名山、脱ガイドブックである。ガイドブックはガイドされている隣りの山か離れている山を登る参考にしたい。
「登山者のための山地図」がそれで眺めているだけで楽しくなる。小学校の5年生くらいだったか、親に日本の白地図を買ってもらい主要な山名、河川名、火山脈、山地名、各地の名産などを書き込むのが楽しくて仕方が無かった。試験のための勉強でなく面白いから調べる学ぶという習慣はこの時代の産物であろう。だからこの特集のある岳人の発売が待ち遠しかった。
真に山が好きな人にはこの特集も受けるはず。登山の技術の練磨や向上に情熱を傾ける人もいるがそんな人は概して山を知らないことに愕然とする。山が好き、といっても知識も技術も判断力も三拍子揃った山屋は本当に少ないのだろう。
「いまさら聞けない山の用語辞典」も恥をかく寸前に助かった。実は先週12日に会報の編集会議で校正をしていて「天場」を見つけた。これは変換ミスと思って「テン場」に訂正したが今日この辞典を読んですぐに担当者に原文に戻すべくメールを打った。昔は天幕と呼んでいたから天場なのでテント場の略ばかりではなかったのだ。執筆者は私よりかなり若いから尚違和感はあるが。多分父親が名うての登山家であり、母親もかなりなアルピニストだから親から子への伝承だろう。
「地図からわかる山」も大いに首肯できる内容である。かつて奥三河の山を歩いた折、宇連山の近くに鉛筆の尖ったような山頂の山を発見した。地図で調べると三角点だけで無名であるが登ってみることにした。地形図「海老」を読むと円い等高線が同心円を描いている。調べると地元では「高畑」と呼んでいた。小学校の校歌の歌詞に歌われ、昔は馬草の採草地だった由。後に山の本を書いた際この山も収録した。それを読まれた地元のY氏が私の山を取り上げてくれてありがとう、といってきたそうだ。
木暮理太郎は「東京は望岳都」と言っていたらしい。実際東京から見える山々の同定を研究していた。それには地形図が頭にあり、尚且つ登っていないと的確な同定は出来ない。急な尾根の登り、たおやかな峠道などは体に記憶されるから遠くからでも「わかる」といえる。
実際、飛騨・傘山から白山はわかる、そのとなりのかなり離れた大きな山がわからないので地図で調べる。見た感じは猿ヶ馬場山の山塊かと思う。ところがそれは三方崩山と奥三方岳であった。奥三方岳は登っていないので体が覚えていないのだ。白山からあんなに離れているものか、と今でも思う。地形図では隣り合った衛星峰(前衛)に過ぎないのに山稜から大きく離れているからだった。
写真は昨年6月に撮った大笠山からのもので傘山とは南北正反対になるが参照するにはいいだろう。
ともあれ山の楽しみを倍加するこの号が多くに読まれることを期待したい。地図を楽しめれば脱百名山、脱ガイドブックである。ガイドブックはガイドされている隣りの山か離れている山を登る参考にしたい。
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