続・映画の中の時代と風景 ― 2007年12月19日
黒澤明の「七人の侍」を観た。劇場で観て以来何十年ぶりか。
改めて観るととにかく面白い。黒澤監督は非常に面白い映画を撮ってきた人だった。この作品に由来する評価は世界的に高い。模倣した外国映画もあるというほどだ。
昭和29年公開。以降はビデオで一般家庭に普及したと思う。更にDVD版が出てPCで観られるゆえに若い人たちも楽しめるようになった。益々観られてゆくだろう。とにかく躍動的で面白いのだから。
ちょっとだけ疑問や注文をつけるとすれば、山に囲まれた農村にしては阿弥陀堂、神社・・・たとえ山の神でもいい・・・の類が欲しい。どんな時代でも人々は信仰を忘れなかったと思う。
野武士から守るため橋を解体していたが丸太がよく加工されて立派な構造に見えた。ところが家はみすぼらしい。その落差が疑問であった。
馬はアラブかサラブレッドであろうか。当時あんなスマートな馬がいたであろうか。農耕馬はもっと足が太い気がした。時代劇全般に言える疑問であるが。
三船敏郎が飲んでいた酒はどぶろくというものであろう。当時は清酒の普及期でまだ一般人は濁った酒であったからよく時代考証されている。ただし飲み方が豪快であった。あんなにごくごく飲めるものか。過剰演出である。
最後の場面で田植えをしながら歌を歌っていた。京都の山奥に田歌(とうた)という地名がある。田植え歌というのも昔はあった。芭蕉にも
風流の初めや奥の田植え歌
がある。農民出の一茶にも
もたいなや昼寝して聞く田植え歌
があった。あの風景は中々時代考証が行き届いていると感じた。
気の弱そうな農民が立派な槍や武具を持っていたので改めるとかつて落ち武者から奪ったものと分かった。落ち武者を殺して持ち物、着るものを奪うのは奥三河の山村の例がある。検索で望月峠の名前の由来を探ると
設楽ヶ原というサイトからコピーする。
******************************
望 月 様
天正3年5月,長篠の戦いに甲州軍敗れ望月右近太夫義勝(勝頼の伯父という)逃れて22日に御園村に来る。空腹に堪えず一民家に入りて食を求む。老婆あり曰く「貧家にして供すべき物なし,唯大豆あるのみ」と炊りて出せしに義勝小柄を以って皮を剥きて食し,後信濃に至る道を問ふ。老婆窮に思へらく,必ず名ある落人なるべし討取りて恩賞に預らんと深山中に迷ひ入らしめ,直ちに村人に告ぐ。村人竹槍を以て之を囲む。義勝遁るべからざるを知り大喝一番「汝等竹槍を以て我を斬るべし。我は信濃の産,死後は信州風の吹来る所に葬れ。左あらば仇せじ」と言ひ,『仇なれや名を長篠に留めはせで御園の草の露と消ゆとは』と辞世し,自ら腹を切り自若として死につけり。死骸を右百姓の家の側なる溝に埋め,大小其他小遣金等を奪へり。其の後寛永に至りその子孫に大いに崇りあり。之に依りて信州風吹く園裏峠(字真地御園峠の麓旧別所街道を隔つる数十間)に小石祠を建てたり。
又刀は無銘にして何人の作なるかを知らざるを頗る名刀なるといひ,亦祟りありとなし,氏神熊の神社に奉納せり。後年義勝夫人甲州より夫を尋ねて長篠附近に至りしが,當地に死せしと聞き墓を訪はんて振草村神田に来りし時亦殺されしと傳ふ。
(東栄町文化財保護委員会発行 昭和37年)より
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文中に「村人竹槍を以って之を囲む」とあるから映画の中の場面そのものである。雇われた7人の侍のリーダー格の志村喬も農民に追われたことがある、と語る。竹槍戦法は第2次世界大戦でも使われたことがあるというが本当だろうか。
侍が7人というのも何か意味ありげである。奥三河の古戸山で七人塚というものを見たことがある。これも落ち武者の墓であろうか。
リアリズムと何か。
農家の間を吹き抜ける強風と舞い上がる砂埃、ドロドロの地面などは真に迫る。しかし、あの場面には送風機を使ってわざとらしく風を作るという。泥には墨汁を混ぜたという。つまりそれは演出である。知らなければいいが知ってしまうとやり過ぎ、と思う。
山岳写真家の中にも上高地あたりの冬景色を撮影するにわざと風を起こしていかにもブリザード風の演出をするそうである。写真は真に迫るだろう。プロはより厳しさを強調するものであるが・・・。
ここまで書いて有名な秋桜子の「自然上の真」と「文芸上の真」の論争を思い出した。俳句にあっては「文芸上の真」であれという。単なるありのままでは文芸ではないというものであった。映画も芸術であるから演出も許されるのであろうか。
山岳写真においては被写体の真、ではなく、撮影する写真家の足元、息吹き、心臓の鼓動、緊張感、感動、視線が伝わればいいと思う。演出は無用である。だが商業用に何かを強調したいプロの山岳写真はそういう要望に応えなくてはいけないだろう。単なるシュカブラでなく風雪が舞い上がる瞬間をとらえたいもの。難しいところである。
俳句革新をした子規は写生を主張した。それは余計なことを嫌ったからである。写生なら駄句を作る確率が減る、秀句は中々作れないけれど。この頃血を流すシーンをリアルに見せるからカラーの暴力シーンは観たくない。真に迫らなくてもいい場面もある。
リアリズムも人間次第内容次第というのが結論です。
改めて観るととにかく面白い。黒澤監督は非常に面白い映画を撮ってきた人だった。この作品に由来する評価は世界的に高い。模倣した外国映画もあるというほどだ。
昭和29年公開。以降はビデオで一般家庭に普及したと思う。更にDVD版が出てPCで観られるゆえに若い人たちも楽しめるようになった。益々観られてゆくだろう。とにかく躍動的で面白いのだから。
ちょっとだけ疑問や注文をつけるとすれば、山に囲まれた農村にしては阿弥陀堂、神社・・・たとえ山の神でもいい・・・の類が欲しい。どんな時代でも人々は信仰を忘れなかったと思う。
野武士から守るため橋を解体していたが丸太がよく加工されて立派な構造に見えた。ところが家はみすぼらしい。その落差が疑問であった。
馬はアラブかサラブレッドであろうか。当時あんなスマートな馬がいたであろうか。農耕馬はもっと足が太い気がした。時代劇全般に言える疑問であるが。
三船敏郎が飲んでいた酒はどぶろくというものであろう。当時は清酒の普及期でまだ一般人は濁った酒であったからよく時代考証されている。ただし飲み方が豪快であった。あんなにごくごく飲めるものか。過剰演出である。
最後の場面で田植えをしながら歌を歌っていた。京都の山奥に田歌(とうた)という地名がある。田植え歌というのも昔はあった。芭蕉にも
風流の初めや奥の田植え歌
がある。農民出の一茶にも
もたいなや昼寝して聞く田植え歌
があった。あの風景は中々時代考証が行き届いていると感じた。
気の弱そうな農民が立派な槍や武具を持っていたので改めるとかつて落ち武者から奪ったものと分かった。落ち武者を殺して持ち物、着るものを奪うのは奥三河の山村の例がある。検索で望月峠の名前の由来を探ると
設楽ヶ原というサイトからコピーする。
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望 月 様
天正3年5月,長篠の戦いに甲州軍敗れ望月右近太夫義勝(勝頼の伯父という)逃れて22日に御園村に来る。空腹に堪えず一民家に入りて食を求む。老婆あり曰く「貧家にして供すべき物なし,唯大豆あるのみ」と炊りて出せしに義勝小柄を以って皮を剥きて食し,後信濃に至る道を問ふ。老婆窮に思へらく,必ず名ある落人なるべし討取りて恩賞に預らんと深山中に迷ひ入らしめ,直ちに村人に告ぐ。村人竹槍を以て之を囲む。義勝遁るべからざるを知り大喝一番「汝等竹槍を以て我を斬るべし。我は信濃の産,死後は信州風の吹来る所に葬れ。左あらば仇せじ」と言ひ,『仇なれや名を長篠に留めはせで御園の草の露と消ゆとは』と辞世し,自ら腹を切り自若として死につけり。死骸を右百姓の家の側なる溝に埋め,大小其他小遣金等を奪へり。其の後寛永に至りその子孫に大いに崇りあり。之に依りて信州風吹く園裏峠(字真地御園峠の麓旧別所街道を隔つる数十間)に小石祠を建てたり。
又刀は無銘にして何人の作なるかを知らざるを頗る名刀なるといひ,亦祟りありとなし,氏神熊の神社に奉納せり。後年義勝夫人甲州より夫を尋ねて長篠附近に至りしが,當地に死せしと聞き墓を訪はんて振草村神田に来りし時亦殺されしと傳ふ。
(東栄町文化財保護委員会発行 昭和37年)より
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文中に「村人竹槍を以って之を囲む」とあるから映画の中の場面そのものである。雇われた7人の侍のリーダー格の志村喬も農民に追われたことがある、と語る。竹槍戦法は第2次世界大戦でも使われたことがあるというが本当だろうか。
侍が7人というのも何か意味ありげである。奥三河の古戸山で七人塚というものを見たことがある。これも落ち武者の墓であろうか。
リアリズムと何か。
農家の間を吹き抜ける強風と舞い上がる砂埃、ドロドロの地面などは真に迫る。しかし、あの場面には送風機を使ってわざとらしく風を作るという。泥には墨汁を混ぜたという。つまりそれは演出である。知らなければいいが知ってしまうとやり過ぎ、と思う。
山岳写真家の中にも上高地あたりの冬景色を撮影するにわざと風を起こしていかにもブリザード風の演出をするそうである。写真は真に迫るだろう。プロはより厳しさを強調するものであるが・・・。
ここまで書いて有名な秋桜子の「自然上の真」と「文芸上の真」の論争を思い出した。俳句にあっては「文芸上の真」であれという。単なるありのままでは文芸ではないというものであった。映画も芸術であるから演出も許されるのであろうか。
山岳写真においては被写体の真、ではなく、撮影する写真家の足元、息吹き、心臓の鼓動、緊張感、感動、視線が伝わればいいと思う。演出は無用である。だが商業用に何かを強調したいプロの山岳写真はそういう要望に応えなくてはいけないだろう。単なるシュカブラでなく風雪が舞い上がる瞬間をとらえたいもの。難しいところである。
俳句革新をした子規は写生を主張した。それは余計なことを嫌ったからである。写生なら駄句を作る確率が減る、秀句は中々作れないけれど。この頃血を流すシーンをリアルに見せるからカラーの暴力シーンは観たくない。真に迫らなくてもいい場面もある。
リアリズムも人間次第内容次第というのが結論です。
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