平谷村へ古道探し2023年07月28日

 これで平谷村詣でも何回目になるのか。今日は靭から林道を歩き、栄太沢から送電鉄塔巡視路をたどって見た。急な階段をよじ登るとしばらくは痩せ尾根を歩く。左右ともすぱっと切れている。ほどな」平らな台地の一角に着いて笹の中の巡視路をたどった。すぐに地蔵が一体のみ建っていた。紛れもなく塩の道の痕跡である。地蔵から少し登ると高圧鉄塔が建っている。更に進むと別荘地との接点に着いて引き返した。地蔵付近をよく見ると左側に上に登ってゆく広めの踏み跡があった。先の方は笹の海に埋まるので行く気がしない。そのままやせ尾根を戻るが途中で左の林道へ獣道があり強引に下りた。林道を戻りながら取り付きがないか見ながら車に戻った。旧国道を少し入ると沢をまたぐ橋が架かる。沢の右岸側が塩の道の幅があるかに思える。旧道を横切って車道へうっすらと続く。車道側には一台分の駐車地に見えたが塩の道の痕跡かも知れない。
 今日は平日なので平谷村役場を訪ねた。先日電話でやりとりした職員と面接することができた。7/22の栄太沢と峠川の周回の話、別荘地から左折して清水沢を渡り、尾根を探ったら塩の道の痕跡があった話をした。
 彼もあの地蔵の存在は周知していたが他は進んでいない。R153に現在塩の道の看板を立てる計画だそうだ。村誌に書いてある「中の土山」の存在が気になる。
 いったん役場を出て浪合支所に行き、塩の道の資料を閲覧させてもらった。特にこれはという精緻なものは無かった。村人からも忘れられた古道である。しかし、そうではあるが、阿智村、平谷村、根羽村であのような案内板を建てているのは古道ブームが背景にあるのだろう。
 浪合支所を出てまた治部坂峠の蕎麦屋で天そばを食べた。食後、阿智村側の峠付近を探ったが何もない。平谷村の1163m付近を過ぎて栄太沢へ下り下降して見た。両岸とも切り立っているので左右につながる古道は見いだせなかった。上に送電線が見えるところで引き返した。
 左岸の斜面の緩やかなところからあの地蔵のあった一角の平な笹原を探った。ここは植林もなく何にするんだろうか。ひょっとして太陽光発電のパネルでも置くのだろうか。笹の海の中にはボサがあるのみである。沢に戻る際少し上に植林と笹の境目を見ると道の痕跡が見えた。幅は狭いがよく踏まれているので辿って見たら右のコブに回り込むように登って消えてしまった。
 消えた場所は別荘地の尾根と沢の中間に位置するので尾根に登って見た。尾根の1130mのコブには何もない。踏み跡は消えたが、想像すると塩の道ならこのコブの北の1120mの鞍部から等高線に沿うように清水沢を横断するラインを描いた。峠川の西尾根の1120m付近まで来て峠に登ってゆくのではないか。
 残るは地蔵と中の土山を結ぶラインが想像もつかない。再び栄太沢の左又に入って見るか、中々に手強い古道である。

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