新城市へ行く ― 2025年07月01日
今日1日は忙しい。5時起き、R153添いの牛丼屋で朝飯をかき込む。R301から三河山間部を走って作手に行き、巴山白髭神社に参拝。予定では周回したかったが車から降りるともう暑いと感じて最低鞍部からもっとも安易な参道を往復しただけに済ます。
新城市のコメダで時間を過ごす。回転ずしで腹ごしらえして新城市市民文化会館と図書館へ向かう。図書館では郷土資料室で岩瀬忠震の書籍類を物色、けっこう集めてある。
13時20分頃か、新城武都紀の短歌会の歌会に寄らせてもらう。40歳から5年間は文語文法を学ぶために入会していたことがあった。いったん解散して今は継承者がなく、雑誌の発刊は止めたが歌会は有志で続けられている。
13時30分から三遠歴研の会合へ。資金難で遅れていた機関誌が1年ぶりに発刊されて配布。今後をどうするかの話である。短歌、俳句に限らず高齢化、継承者難で結社の解散が続いている。とりあえず、2年毎の研究輯録は資金難で延期するがそれに代わる発表の場は用意される運びである。
帰路はR301に向かったが、パトが火事だからR151へ迂回せよと、いう。やむなく豊川市からR23経由で帰名。この道は遠回りだが信号がないためにまあまあ走る。約2時間で帰宅。シャワーを浴びて、名工大へ。
19時からの理事会に間に合った。会場が突然変更されて右往左往した。出席者は4名。WEBも少ない。うだるように暑いからか、今一盛り上がらず。
新城市のコメダで時間を過ごす。回転ずしで腹ごしらえして新城市市民文化会館と図書館へ向かう。図書館では郷土資料室で岩瀬忠震の書籍類を物色、けっこう集めてある。
13時20分頃か、新城武都紀の短歌会の歌会に寄らせてもらう。40歳から5年間は文語文法を学ぶために入会していたことがあった。いったん解散して今は継承者がなく、雑誌の発刊は止めたが歌会は有志で続けられている。
13時30分から三遠歴研の会合へ。資金難で遅れていた機関誌が1年ぶりに発刊されて配布。今後をどうするかの話である。短歌、俳句に限らず高齢化、継承者難で結社の解散が続いている。とりあえず、2年毎の研究輯録は資金難で延期するがそれに代わる発表の場は用意される運びである。
帰路はR301に向かったが、パトが火事だからR151へ迂回せよと、いう。やむなく豊川市からR23経由で帰名。この道は遠回りだが信号がないためにまあまあ走る。約2時間で帰宅。シャワーを浴びて、名工大へ。
19時からの理事会に間に合った。会場が突然変更されて右往左往した。出席者は4名。WEBも少ない。うだるように暑いからか、今一盛り上がらず。
初夏の足助・黍生を歩く ― 2025年05月31日
名古屋市を出発した時はR153上で小雨だった。間欠ワイパーを動かしながら足助町はどうか心配した。まもなく乾燥路面になったから一安心。
足助町のPに止めて10時過ぎに歩き出す。巴川を渡ると右手に神社があり、路傍には白い十字の草花が生えていた。十薬またはどくだみという。民間の薬草である。舗装された坂道にさしかかって急坂になると左手に登山口が見えた。足元には竹の枯れ葉が積み重なる。そうか今は竹の秋という。麓は苗田一色だったが所々に刈入れ時の麦田もあって麦の秋を迎えている。米だけを中心に考えていると秋という感覚は不思議である。
山路は急登を強いられるが最初の鉄塔に着く。休むまでもない時間なのでパス、樹林におおわれた山道を登ると2番目の鉄塔に着いた。涼しいがさすがに汗が出てくるので一休み。シャツとベストも脱いで下着1枚になった。ふたたび歩き出すと350mのコブを左に回り込んで林道に降り立つ。山頂への入口には後7分とある。最後の登りで前途には大きな岩がどんと構えていた。平な一角に立つとかつては山城だったという案内板、三角点、神域という石垣の囲みが現れて登頂。約1時間。温度計を見ると16.5℃。風も爽やかで気持ちよい。
休んでいると間近に鶯が来て鳴いている。遠くからは♪東京特許許可局♪と鳴くホトトギスも聞こえて来た。いかにも初夏の里山の風情に嬉しくなった。下山は往路を下った。近くの喫茶店で喉を潤した。ホトトギスが盛んに鳴いていた話をするとこの頃は夜によく鳴き声を聞くという。
足助町のPに止めて10時過ぎに歩き出す。巴川を渡ると右手に神社があり、路傍には白い十字の草花が生えていた。十薬またはどくだみという。民間の薬草である。舗装された坂道にさしかかって急坂になると左手に登山口が見えた。足元には竹の枯れ葉が積み重なる。そうか今は竹の秋という。麓は苗田一色だったが所々に刈入れ時の麦田もあって麦の秋を迎えている。米だけを中心に考えていると秋という感覚は不思議である。
山路は急登を強いられるが最初の鉄塔に着く。休むまでもない時間なのでパス、樹林におおわれた山道を登ると2番目の鉄塔に着いた。涼しいがさすがに汗が出てくるので一休み。シャツとベストも脱いで下着1枚になった。ふたたび歩き出すと350mのコブを左に回り込んで林道に降り立つ。山頂への入口には後7分とある。最後の登りで前途には大きな岩がどんと構えていた。平な一角に立つとかつては山城だったという案内板、三角点、神域という石垣の囲みが現れて登頂。約1時間。温度計を見ると16.5℃。風も爽やかで気持ちよい。
休んでいると間近に鶯が来て鳴いている。遠くからは♪東京特許許可局♪と鳴くホトトギスも聞こえて来た。いかにも初夏の里山の風情に嬉しくなった。下山は往路を下った。近くの喫茶店で喉を潤した。ホトトギスが盛んに鳴いていた話をするとこの頃は夜によく鳴き声を聞くという。
寧比曽岳のミツマタの花 ― 2025年03月30日
3/20に来たら川面町で通行止め。何だろうと左折して林道を行くと察しがついた。ところどころ杉の幼木が根っこから倒れているので雪害だろう。上八木町、五反田町と迂回、明川町でR153に出た。伊勢神峠から大多賀まで15センチの積雪路だった。いつも賑わうPには1台だけ。大多賀の里人に聞くと大多賀、稲武、設楽辺りの約7000戸が停電中というのであきらめて帰った。今日はその雪辱戦である。
名古屋市の自宅を出て登山口の大多賀に着いたのは11時。道路脇のスペースに先着者のクルマが止まっているので後に停めた。林道周辺は全山人工植林の山なので何も変化は見られない。美しい谷川を眺めながら歩くと30分で堰堤のある林道終点。三椏はその少し手前にまだ寒いので白っぽくつぼみが見えた。2~3の花だけが黄色い色で咲く。ちょっと早い気がした。
三椏は昔は和紙の原料としてたくさん栽培されていた。小原町には「和紙のふるさと工芸館」があり今も植えられている。ここのも昔は大規模に栽培されていたものが谷沿いに残ったのだろう。
ヤマップで山頂に通じる尾根道をチエックすると少し戻ると赤テープで地形図の破線路につながる尾根道に導いている。踏みこんでみると意外によく歩かれて道になっていた。赤テープのマーキングも多くて特に迷うところはない。しかし傾斜は急で下着の背中が汗で濡れる。登るにつれて風も強くなる。正規の登山道に合流し、山頂を目指す。12時半に登頂。いつもは先着者でにぎわうが休んでいる人は居ない。1人だけ無線通信に夢中で取り組んでいた。東屋の陰に隠れて小休憩。おやつをかじる。ちょっと休んで富士見峠へ行く。電波反射板の台地からは恵那山や南アルプスの山々が大きく見えた。2/15に来た際はすべて雪山だったが今日は黒っぽくなっている。
ここからが未知のルートなので地形図をチエック。登山道ではなく、防火線(帯)という数メートル幅の切り開きの中を下る。切り開きは真北と北東に分かれる。防火線が977mのコブをからめるので右へ振る。防火線はけっこう急な斜面を下ってゆく。977mから真東へ少し行き過ぎて戻る。登山道ではないので真北へ振る分岐はだだっ広く注意が要る。950mの等高線から900mへゆったり下ると沢ノ入林道につながる。ここは三差路なので地形図をチエック。ここからはほぼ一本道の車道歩きで浄水場辺りで舗装路になる。周辺の山の沢が集まってくるので水量も多い。てくてく下ると標高750mの高原の山里の大多賀に着く。
大多賀には鍬入れを待つ稲田が水をたたえてあった。ここはミネアサヒだろうか。私はいつも山のまぼろし「ミネアサヒ」をストックしている。令和6年産は2kgしか買えなかった。水がきれいで1日の気温較差が大きい中山間地の特産である。
ここからは県道33号線に戻りPまで若干の登り返しになる。
ちょっと思い出話
大多賀の里は年間を通じて冷涼な気候と聞く。大昔、名古屋の気温35℃の暑熱に耐えかねて富士見峠の南にあった開拓の農村を訪ねたことがあった。設楽町になる標高900mの農家を訪ねると「まあ上がれ」と招き入れられて何と炬燵に足を入れた。そして小粒のじゃがいもの煮っころがしをいただいた。その後996mの鞍部を経て寧比曽岳を往復した。2回目は段戸湖から寧比曾岳を往復後、996mで下って921mの林道を越えて段戸湖へ下ったこともある。この一帯は冷涼なので段戸湖で貯めて水を温めて水田耕作を試みたらしいがうまく行かなかったのだろう。921m付近の豚舎もすでに廃屋だった。
名古屋市の自宅を出て登山口の大多賀に着いたのは11時。道路脇のスペースに先着者のクルマが止まっているので後に停めた。林道周辺は全山人工植林の山なので何も変化は見られない。美しい谷川を眺めながら歩くと30分で堰堤のある林道終点。三椏はその少し手前にまだ寒いので白っぽくつぼみが見えた。2~3の花だけが黄色い色で咲く。ちょっと早い気がした。
三椏は昔は和紙の原料としてたくさん栽培されていた。小原町には「和紙のふるさと工芸館」があり今も植えられている。ここのも昔は大規模に栽培されていたものが谷沿いに残ったのだろう。
ヤマップで山頂に通じる尾根道をチエックすると少し戻ると赤テープで地形図の破線路につながる尾根道に導いている。踏みこんでみると意外によく歩かれて道になっていた。赤テープのマーキングも多くて特に迷うところはない。しかし傾斜は急で下着の背中が汗で濡れる。登るにつれて風も強くなる。正規の登山道に合流し、山頂を目指す。12時半に登頂。いつもは先着者でにぎわうが休んでいる人は居ない。1人だけ無線通信に夢中で取り組んでいた。東屋の陰に隠れて小休憩。おやつをかじる。ちょっと休んで富士見峠へ行く。電波反射板の台地からは恵那山や南アルプスの山々が大きく見えた。2/15に来た際はすべて雪山だったが今日は黒っぽくなっている。
ここからが未知のルートなので地形図をチエック。登山道ではなく、防火線(帯)という数メートル幅の切り開きの中を下る。切り開きは真北と北東に分かれる。防火線が977mのコブをからめるので右へ振る。防火線はけっこう急な斜面を下ってゆく。977mから真東へ少し行き過ぎて戻る。登山道ではないので真北へ振る分岐はだだっ広く注意が要る。950mの等高線から900mへゆったり下ると沢ノ入林道につながる。ここは三差路なので地形図をチエック。ここからはほぼ一本道の車道歩きで浄水場辺りで舗装路になる。周辺の山の沢が集まってくるので水量も多い。てくてく下ると標高750mの高原の山里の大多賀に着く。
大多賀には鍬入れを待つ稲田が水をたたえてあった。ここはミネアサヒだろうか。私はいつも山のまぼろし「ミネアサヒ」をストックしている。令和6年産は2kgしか買えなかった。水がきれいで1日の気温較差が大きい中山間地の特産である。
ここからは県道33号線に戻りPまで若干の登り返しになる。
ちょっと思い出話
大多賀の里は年間を通じて冷涼な気候と聞く。大昔、名古屋の気温35℃の暑熱に耐えかねて富士見峠の南にあった開拓の農村を訪ねたことがあった。設楽町になる標高900mの農家を訪ねると「まあ上がれ」と招き入れられて何と炬燵に足を入れた。そして小粒のじゃがいもの煮っころがしをいただいた。その後996mの鞍部を経て寧比曽岳を往復した。2回目は段戸湖から寧比曾岳を往復後、996mで下って921mの林道を越えて段戸湖へ下ったこともある。この一帯は冷涼なので段戸湖で貯めて水を温めて水田耕作を試みたらしいがうまく行かなかったのだろう。921m付近の豚舎もすでに廃屋だった。
アセビの花咲く大野山 ― 2025年03月23日
名古屋市の空はどんより霞んでいる。現地ではどんな空だろうか、と思いながら昼前に出発。12時30分、R153を走って地方道を抜けてまたR153へ。豊田市足助町の喫茶店でカレー&コーヒーを食べる。
足助町の空はやや青空も見える。気温が低いから水蒸気も少ない。今日は山頂に立ちたい、と設楽町へ向かった。R153を伊勢神トンネルを抜けて小田木から段戸山牧場を経由する広域農道へ右折。標高千メートルの高原地帯を走り抜けると設楽町湯谷に下る。
湯谷からR257を南下、大桑で旧津具村に抜ける広域農道に左折。右手にため池を見るとすぐに大野山の登山口の案内板が立っている。未舗装の林道へ右折、すぐに桧の倒木が見える。枯木ではなく、太さ5センチ以上はある生木なので撤去できず引き返す。林道の入り口付近に3台は置けるPに停める。
ここから林道をてくてく歩き始める。10分ほどで二岐になりGPSをチエック。記録では登山口は少し手前なので引き返して見た。文字が消えた看板が指導標だろう。巡視路の案内板で整備された鉄塔巡視路に導かれるのでこれか、と踏み入る。しばらくでジグザグしながら急登すると鉄塔の位置に登った。2/15以来なので心臓がバクバクする。それでも比高100mだからすぐに登頂だ。
南東の方向にドーム型の大鈴山が素敵な形で見える。少し離れて知生山(設楽富士)らしいのが見える。
こんな安気な登山でも地形図に山名が印刷された山である。一座は一座である。達成感はある。高齢者、病後、予後の登山に向いている。西からけっこう強い風が吹きつけるので鉄塔の風下に座ってお茶を飲む。坐って目線が低くなって目に飛び込んできた白い花。今年初めて見るアセビの花だ。ようやく春の山の実感がしてきた。
下りは南東へ巡視路が下っている。芽吹き前の雑木林の中を下るとあっという間に林道に降り立つ。北へ行くと広域農道につながっている。右回りに下ると登りに取った登山口に行く。すぐに三差路に着く。延坂峠から来る林道の入り口に鍬塚城址なる案内板が立っている。今日はカット。しかしうっかり延坂峠への林道を行き過ぎて戻った。地形図を見直すと大野山を半円形に歩く形だった。春の陽気のせいで注意力が散漫になったのだろう。
足助町の空はやや青空も見える。気温が低いから水蒸気も少ない。今日は山頂に立ちたい、と設楽町へ向かった。R153を伊勢神トンネルを抜けて小田木から段戸山牧場を経由する広域農道へ右折。標高千メートルの高原地帯を走り抜けると設楽町湯谷に下る。
湯谷からR257を南下、大桑で旧津具村に抜ける広域農道に左折。右手にため池を見るとすぐに大野山の登山口の案内板が立っている。未舗装の林道へ右折、すぐに桧の倒木が見える。枯木ではなく、太さ5センチ以上はある生木なので撤去できず引き返す。林道の入り口付近に3台は置けるPに停める。
ここから林道をてくてく歩き始める。10分ほどで二岐になりGPSをチエック。記録では登山口は少し手前なので引き返して見た。文字が消えた看板が指導標だろう。巡視路の案内板で整備された鉄塔巡視路に導かれるのでこれか、と踏み入る。しばらくでジグザグしながら急登すると鉄塔の位置に登った。2/15以来なので心臓がバクバクする。それでも比高100mだからすぐに登頂だ。
南東の方向にドーム型の大鈴山が素敵な形で見える。少し離れて知生山(設楽富士)らしいのが見える。
こんな安気な登山でも地形図に山名が印刷された山である。一座は一座である。達成感はある。高齢者、病後、予後の登山に向いている。西からけっこう強い風が吹きつけるので鉄塔の風下に座ってお茶を飲む。坐って目線が低くなって目に飛び込んできた白い花。今年初めて見るアセビの花だ。ようやく春の山の実感がしてきた。
下りは南東へ巡視路が下っている。芽吹き前の雑木林の中を下るとあっという間に林道に降り立つ。北へ行くと広域農道につながっている。右回りに下ると登りに取った登山口に行く。すぐに三差路に着く。延坂峠から来る林道の入り口に鍬塚城址なる案内板が立っている。今日はカット。しかしうっかり延坂峠への林道を行き過ぎて戻った。地形図を見直すと大野山を半円形に歩く形だった。春の陽気のせいで注意力が散漫になったのだろう。
南岸低気圧 ― 2025年03月20日
2月15日以来山から遠ざかってしまい体の調子が悪い。クルマも遠出したがって居る。そこで再び寧比曽岳に向かう。ヤマップの記録で15日現在でもう雪は見えないのでミツマタの花の様子を探る目的で出た。
足助から県道33号を行くと途中で通行止めだった。左折してR153に山越えして伊勢神峠から大多賀峠を目指すが直ぐに雪道になる。轍はあるので強引に行くと峠に着く。足助側は雪面に雪はゼロ、設楽町側はしっかり凍結した雪道だった。通行止めの理由はこれか。いつも満車のPも今朝は1台のみ。ミツマタの花どころではないので中止した。
大多賀の里では民家の周りの除雪をしている。村人に聞くと昨日は南岸低気圧で大雪だったという。稲武から足助にかけて停電もあったらしい。これまででも確かに倒木枝折れがあり通行に障害があった。湿雪は重いので電線を切断したらしい。
とりあえずR153に戻り稲武へドライブ。いつもの喫茶店も休業中だった。稲武の道の駅で問うと昨夜は広域の停電があったという。復旧したばかり。どこの山も登山口に行くまでが大変。大多賀の人も登山口の除雪をするのでこんな日は迷惑と言う。自宅だけで手一杯だから。大人しく帰ろう。
足助から県道33号を行くと途中で通行止めだった。左折してR153に山越えして伊勢神峠から大多賀峠を目指すが直ぐに雪道になる。轍はあるので強引に行くと峠に着く。足助側は雪面に雪はゼロ、設楽町側はしっかり凍結した雪道だった。通行止めの理由はこれか。いつも満車のPも今朝は1台のみ。ミツマタの花どころではないので中止した。
大多賀の里では民家の周りの除雪をしている。村人に聞くと昨日は南岸低気圧で大雪だったという。稲武から足助にかけて停電もあったらしい。これまででも確かに倒木枝折れがあり通行に障害があった。湿雪は重いので電線を切断したらしい。
とりあえずR153に戻り稲武へドライブ。いつもの喫茶店も休業中だった。稲武の道の駅で問うと昨夜は広域の停電があったという。復旧したばかり。どこの山も登山口に行くまでが大変。大多賀の人も登山口の除雪をするのでこんな日は迷惑と言う。自宅だけで手一杯だから。大人しく帰ろう。
雪の寧比曾岳 ― 2025年02月15日
雪山に行きたしされど体力はなし。そんな自分にも寧比曽岳なら近場であり登山の時間もかからない。と言うわけで寧比曽岳に行って来た。天気図は西高東低の気圧配置であり北は悪いが愛知県は天気が良い。しかし明日は悪い。
名古屋を7時前に出た。県道33号線は大多賀峠の手前からアイスバーンになった。4WDのスイッチを入れておく。氷を踏むような音を立てて坂道を登ると大多賀峠のPに着いた。9時半、すでに10台以上の先着があって身支度中だ。今日も賑わうだろう。
自分も購入して初めてチェーンスパイクを装着、東海自然歩道の階段道を右から少し回り込んで階段上部に合流。後は杉や桧の木立の中の踏み固められた雪道を淡々と歩く。保安林のところは落葉した雑木林になり林床に雪が明るく反射する。小さなコブをアップダウンしながら着実に標高をかせぐ。
中間ではチェーンソーの音が聞こえてきた。俳句歳時記で冬に伐採作業する人を冬杣と言う。姿は見えないが仕事をしているのだろう。高みに近づくと明るくなり雪に覆われた山頂が見えた。登頂だ。20日間の間を置いただけだが体が重く感じた。
山頂は樹林がないから大展望である。名古屋方面の巨大ビル群が霞む。天白区の自宅からも夜明けの山であるから視野には入っているはずだ。御嶽山、恵那山、猿投山、寧比曽岳は自宅の窓越しに見える朝な夕なの親しい山々である。
伊吹山、白山、御嶽山、隣は乗鞍岳、奥穂高岳の吊尾根も見える。恵那山の根張りが大きい。存在感がある。そして南アルプスの巨峰群。寧比曽岳の人気の根源はこの豪華な大展望だろう。
富士見峠に移動すると御嶽山の並びが良く見える。恵那山は同じだが南アルプスの合間に富士山が垣間見える。大多賀に通じる登山道はないが防火帯が4mから5m幅で下っている。これだけあればスキーでターンが出来そうだ。下部の林道は滑走できないが歩くだけでも良い。
山頂に戻って下山開始。健脚者には抜かれるばかりだが満足した。Pに戻った。足助の街の手前にある百年草に寄って入浴した。何と300円。後で飲んだコーヒーが美味い。水が良いんだろう。
寧比曽岳の足助側には渓流魚の養殖場がある。富士見峠の大多賀側には水線が多数あり湧き水もあるようだ。取水して浄水場もあるらしい。
寧比曾岳の比曽の由来は『地名の語源』に1針葉樹の茂る地。特に桧の生える所。北向きの日当たりの悪い地。中部から東部の瀬戸内に多く分布。例として寧比曾岳も挙げてある。
今は人工林と雑木林だが明治以前はきららの森と同様に「「きららの森」は、愛知県内最大級の規模を誇る、太平洋型に属するブナの原生林。樹齢200年を超える巨木がそびえたち、モミ・ツガなどの常緑針葉樹に、ブナ・ミズナラなどの落葉広葉樹を交えながら天然林が広がってい」(設楽町HP)たのではないか。森が育んだ伏流水が湧きだしているのであろう。そんな生まれたばかりの水だからコーヒーが美味い。水だけでも美味い。
名古屋を7時前に出た。県道33号線は大多賀峠の手前からアイスバーンになった。4WDのスイッチを入れておく。氷を踏むような音を立てて坂道を登ると大多賀峠のPに着いた。9時半、すでに10台以上の先着があって身支度中だ。今日も賑わうだろう。
自分も購入して初めてチェーンスパイクを装着、東海自然歩道の階段道を右から少し回り込んで階段上部に合流。後は杉や桧の木立の中の踏み固められた雪道を淡々と歩く。保安林のところは落葉した雑木林になり林床に雪が明るく反射する。小さなコブをアップダウンしながら着実に標高をかせぐ。
中間ではチェーンソーの音が聞こえてきた。俳句歳時記で冬に伐採作業する人を冬杣と言う。姿は見えないが仕事をしているのだろう。高みに近づくと明るくなり雪に覆われた山頂が見えた。登頂だ。20日間の間を置いただけだが体が重く感じた。
山頂は樹林がないから大展望である。名古屋方面の巨大ビル群が霞む。天白区の自宅からも夜明けの山であるから視野には入っているはずだ。御嶽山、恵那山、猿投山、寧比曽岳は自宅の窓越しに見える朝な夕なの親しい山々である。
伊吹山、白山、御嶽山、隣は乗鞍岳、奥穂高岳の吊尾根も見える。恵那山の根張りが大きい。存在感がある。そして南アルプスの巨峰群。寧比曽岳の人気の根源はこの豪華な大展望だろう。
富士見峠に移動すると御嶽山の並びが良く見える。恵那山は同じだが南アルプスの合間に富士山が垣間見える。大多賀に通じる登山道はないが防火帯が4mから5m幅で下っている。これだけあればスキーでターンが出来そうだ。下部の林道は滑走できないが歩くだけでも良い。
山頂に戻って下山開始。健脚者には抜かれるばかりだが満足した。Pに戻った。足助の街の手前にある百年草に寄って入浴した。何と300円。後で飲んだコーヒーが美味い。水が良いんだろう。
寧比曽岳の足助側には渓流魚の養殖場がある。富士見峠の大多賀側には水線が多数あり湧き水もあるようだ。取水して浄水場もあるらしい。
寧比曾岳の比曽の由来は『地名の語源』に1針葉樹の茂る地。特に桧の生える所。北向きの日当たりの悪い地。中部から東部の瀬戸内に多く分布。例として寧比曾岳も挙げてある。
今は人工林と雑木林だが明治以前はきららの森と同様に「「きららの森」は、愛知県内最大級の規模を誇る、太平洋型に属するブナの原生林。樹齢200年を超える巨木がそびえたち、モミ・ツガなどの常緑針葉樹に、ブナ・ミズナラなどの落葉広葉樹を交えながら天然林が広がってい」(設楽町HP)たのではないか。森が育んだ伏流水が湧きだしているのであろう。そんな生まれたばかりの水だからコーヒーが美味い。水だけでも美味い。
奥三河の雪見ドライブ ― 2025年02月11日
午後からふらっと大多賀峠の様子見のドライブに出た。R153、R301、松平で県道39号、足助について喫茶店でコーヒータイム。ここのは水が良いせいか、コーヒーの味が良い。一休みしてから県道33号の予定だった。それが勘違いしてR420に右折してしまった。
いつまでたっても見える景色が見えてこない。その内、日影部分のアイスバーンに冷っとさせられて4WDのスイッチをONにした。そうか、間違ったと気が付いて引き返すのも面倒なので設楽町を周回する雪見ドライブに切り替えた。
新段戸トンネルを抜けると豊田市から設楽町になる。R420のカーブの多い山岳路を走りながらR257に合流。田口へ左折して道の駅したらと奥三河郷土館に寄った。久々である。変わらないようだが少しづつ変化はあった。
R257を登り田口へ走る。設楽ダムの工事現場をへつりながら街中を通過、街の外れが湛水後の高さを想定して高架橋の建設が進行中だった。工事は遅れて竣工は延期とはいえ、以前よりも立体的な進捗度は進んで来た。そこから名倉高原へは九十九折れの坂道を走る。名倉高原は冬田に雪が積もって美しい山村風景を見せている。
そして再び道の駅アグリステーションなぐらに寄った。ここも改装されて農産物の店舗が配置換えされスーパーみたいになった。
稲武は素通りしてR153を名古屋に向かう。小田木の谷底の村の雪景色が素晴らしい。連谷町の橋を渡ってすぐに県道484号(牛地大多賀線)に左折。ここからはアイスバーンが連続する緊張感を伴う細道となった。一車線しかない狭い道だ。一回だけ対向車とすれ違ったが幸い小橋の両側によける隙間があり助かった。
大多賀の山里で当初の目的だった県道33号(瀬戸設楽線)に合流できた。ここからは積雪量がかなり厚い。段戸湖方面へ左折、すぐに県道から右へ細道に入る。大きな山家が2軒あり、最奥の家の前で除雪が終わっていた。約150mほどはある。
その先は橋を渡って右へ行くと「林道 沢ノ入線」とあった。目分量で積雪20㎝以上はあるだろう。これならワカン、スノーシュー、スキーを使える。これが目的だった。
33号へ戻って、大多賀峠へ向かう。三俣の咲く谷にもしっかり雪があった。この林道の名前は不明だがスキーが使える。ずっと積雪路を走る。大多賀峠近辺にはもう1台もない。峠を越えてしばらくは積雪路を下った。
足助の街に戻って追分から久々にR153,平戸橋に行く。うな丼を食べて帰ろうと探りながらドライブしたが新築の住宅が並んで面影は無くなっていた。ネットで調べたらうなぎ屋の「うな武」は2021年8月15日をもって閉店したという。梅坪駅近くの鰻はるに寄ってみた。たれの味は甘目で似てゐなくもない。
梅坪駅から浄水駅、県道58号から帰名した。
いつまでたっても見える景色が見えてこない。その内、日影部分のアイスバーンに冷っとさせられて4WDのスイッチをONにした。そうか、間違ったと気が付いて引き返すのも面倒なので設楽町を周回する雪見ドライブに切り替えた。
新段戸トンネルを抜けると豊田市から設楽町になる。R420のカーブの多い山岳路を走りながらR257に合流。田口へ左折して道の駅したらと奥三河郷土館に寄った。久々である。変わらないようだが少しづつ変化はあった。
R257を登り田口へ走る。設楽ダムの工事現場をへつりながら街中を通過、街の外れが湛水後の高さを想定して高架橋の建設が進行中だった。工事は遅れて竣工は延期とはいえ、以前よりも立体的な進捗度は進んで来た。そこから名倉高原へは九十九折れの坂道を走る。名倉高原は冬田に雪が積もって美しい山村風景を見せている。
そして再び道の駅アグリステーションなぐらに寄った。ここも改装されて農産物の店舗が配置換えされスーパーみたいになった。
稲武は素通りしてR153を名古屋に向かう。小田木の谷底の村の雪景色が素晴らしい。連谷町の橋を渡ってすぐに県道484号(牛地大多賀線)に左折。ここからはアイスバーンが連続する緊張感を伴う細道となった。一車線しかない狭い道だ。一回だけ対向車とすれ違ったが幸い小橋の両側によける隙間があり助かった。
大多賀の山里で当初の目的だった県道33号(瀬戸設楽線)に合流できた。ここからは積雪量がかなり厚い。段戸湖方面へ左折、すぐに県道から右へ細道に入る。大きな山家が2軒あり、最奥の家の前で除雪が終わっていた。約150mほどはある。
その先は橋を渡って右へ行くと「林道 沢ノ入線」とあった。目分量で積雪20㎝以上はあるだろう。これならワカン、スノーシュー、スキーを使える。これが目的だった。
33号へ戻って、大多賀峠へ向かう。三俣の咲く谷にもしっかり雪があった。この林道の名前は不明だがスキーが使える。ずっと積雪路を走る。大多賀峠近辺にはもう1台もない。峠を越えてしばらくは積雪路を下った。
足助の街に戻って追分から久々にR153,平戸橋に行く。うな丼を食べて帰ろうと探りながらドライブしたが新築の住宅が並んで面影は無くなっていた。ネットで調べたらうなぎ屋の「うな武」は2021年8月15日をもって閉店したという。梅坪駅近くの鰻はるに寄ってみた。たれの味は甘目で似てゐなくもない。
梅坪駅から浄水駅、県道58号から帰名した。
殿様街道の歩き方 ― 2025年01月09日
殿様街道をどう歩くか。起点は名古屋城。定光寺迄24km。今の県道61号なので大曾根から尾張旭までは瀬戸街道を歩く。しかし市街地なので割愛。名鉄瀬戸線で旭前で下車、砂川(すがわ)の交差点から東に瀬戸街道から殿様街道が分かれて行く。つんぼ石という。ここからが始まりになる。ここから定光寺迄13kmというから大した距離ではない。
なるだけ資料で示される旧道を辿りながら森林公園口の柏井坂を上り、瀬戸市へ越える。瀬戸市もはっきり残っているわけではない。東光寺から先の道を左折すると石坂峠への山路の入り口になる。峠に着いたら定光寺自然休養林内の歩道を歩いて見るのも良い。丸根山を経て定光寺山門前で終点だ。そこから引き返し、221mの三角点玉ヶ峰を経て中水野駅から高蔵寺駅乗り換えで帰名する。
ざっとこんなプランニングである。令和7年3月31日で定光寺の義直公の廟が竣工する。昨年12月には工事中で入れなかった。この機会に廟へ行くことも意味はある。
なるだけ資料で示される旧道を辿りながら森林公園口の柏井坂を上り、瀬戸市へ越える。瀬戸市もはっきり残っているわけではない。東光寺から先の道を左折すると石坂峠への山路の入り口になる。峠に着いたら定光寺自然休養林内の歩道を歩いて見るのも良い。丸根山を経て定光寺山門前で終点だ。そこから引き返し、221mの三角点玉ヶ峰を経て中水野駅から高蔵寺駅乗り換えで帰名する。
ざっとこんなプランニングである。令和7年3月31日で定光寺の義直公の廟が竣工する。昨年12月には工事中で入れなかった。この機会に廟へ行くことも意味はある。
殿様街道下調べ② ― 2025年01月07日
鶴舞図書館の検索機で木下信二著『殿様街私考』があると分かった。郷土資料コーナーで見ると、「昭和61年発行、孔版私家版限定65/冊子P54、 愛知県尾張旭市 樹下文庫第25冊」であった。日本の古本屋では5000円の希少価値が付いている。
中身を見ると、実際に現地を歩いて、地元の精通者や古老などに聞きいて実証する姿勢である。また古文献、瀬戸市史などにも当たって調査は緻密と思える。それでも私考としたのは謙遜だろう。
中でも、東光寺から石坂峠までの石畳の検証では、江戸時代以来のものではなく、電話線の保護のためと分かった。尾鷲の熊野古道の石畳は多雨地帯ゆえに道を保護する目的で多方面に亘って敷き詰められている。ここでは部分的というところに著者の注意深さが伺える。
今となっては約400年の歴史の変遷で改修されたり破壊されて道の形は部分的にしか残っていない。それでも古きを訪ねるのはノスタルジアであろうか。
中身を見ると、実際に現地を歩いて、地元の精通者や古老などに聞きいて実証する姿勢である。また古文献、瀬戸市史などにも当たって調査は緻密と思える。それでも私考としたのは謙遜だろう。
中でも、東光寺から石坂峠までの石畳の検証では、江戸時代以来のものではなく、電話線の保護のためと分かった。尾鷲の熊野古道の石畳は多雨地帯ゆえに道を保護する目的で多方面に亘って敷き詰められている。ここでは部分的というところに著者の注意深さが伺える。
今となっては約400年の歴史の変遷で改修されたり破壊されて道の形は部分的にしか残っていない。それでも古きを訪ねるのはノスタルジアであろうか。
殿様街道下調べ① ― 2025年01月04日
元旦の山歩きで偶然に知った殿様街道をネットで調べると殿様とは徳川義直が鷹狩で出かけた定光寺の豊かな自然が気に入ってここに墓を作れと作らせた。山路だが生活道路でもあったという。
今日は1/2に行ったばかりの尾張旭市の一角に残る殿様街道の案内板を見に行った。その後、森林公園を通りながら瀬戸市へ越えて、中水野の東光寺からの山岳古道への道筋を調べた。奥が行き止まりで入り口までは行けなかった。この先が入り口で石畳の道へ続く。そして石坂峠に登る。そこからは丸根山を経て、東海自然歩道に合流し定光寺へ良い道があるはずである。
別の機会に『瀬戸市史』や『尾張旭市史』などをチエックしてみたい。
今日は1/2に行ったばかりの尾張旭市の一角に残る殿様街道の案内板を見に行った。その後、森林公園を通りながら瀬戸市へ越えて、中水野の東光寺からの山岳古道への道筋を調べた。奥が行き止まりで入り口までは行けなかった。この先が入り口で石畳の道へ続く。そして石坂峠に登る。そこからは丸根山を経て、東海自然歩道に合流し定光寺へ良い道があるはずである。
別の機会に『瀬戸市史』や『尾張旭市史』などをチエックしてみたい。
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