雪虫舞う ― 2006年11月19日
裏木曽・小秀山は前夜発で行きました。出発が遅くなり乙女渓谷に着いたのは夜11時半過ぎでした。この時期の乙女渓谷は当然誰も来ていません。閑散としています。家型テントで仮眠。
夜半にざーっと雨が降っていましたが大降りではなく助かりました。朝は非常に寒い。ここは標高数百はある。身支度を整えたがまだ晩秋の気分が抜けきらず装備、服装とも不十分でした。二の谷を予定したが小雨では滑りやすいので断念した。三の谷もどうか。それでも行けるところまでは行くことになった。三の谷の登山口までは林道をとぼとぼ歩きます。三の谷登山口からは小屋の前を通るいつものコースです。名残の黄葉が林内を明るくしてくれます。急な登山道をこなしていくと岳樺の生えた所に来て明るくなる。ここからは隣の拝殿山も見えた。その向うの白草山もよく見える。足元には雪が見え始めた。1400m付近から雪でした。
段々高度を上げて二の谷の分岐に着くがここからはまだ通行禁止の看板が立っていた。もう開通したはずであるが。雪は次第に多くなり、手袋も濡れて悴む。軍手、皮手と取り替えたが濡れると冷たい。毛糸の手袋が欲しい。兜岩で装備が不十分なこともあり登頂を断念して下山した。兜岩付近は積雪5センチ、ガスで視界なしでした。晩秋と初冬が同居するこの時期の亜高山帯の登山の難しさを感じた。下山時には上部で雹、下部では雨も降っていました。大雨にならなかったことは幸いでした。営林小屋近くの山の神に祈ったからでしょうか。でも今は神様は出雲に出かけてお留守のはず。
名残の黄葉を楽しみながら12時に下山した。車の付近で白い綿を付けた虫が舞い飛ぶ。ああ!綿虫だ。雪虫、白ばんば、雪蛍、大綿など俳句の季語にもなっている。アブラムシの仲間らしい。綿虫は風のない曇りがちの日に飛ぶ。初冬の風物詩である。綿虫が飛ぶと初雪が近いというがもう山の上では一足早く降雪を見た。かつて高賀山の山頂、奥茶臼山の林道などで見た。皆11月中であった。
W君が次の御前山の登山口の偵察に行くという。R41に出て道を案内した。登山口付近に至る林道の周辺では意外にも黄葉が最盛期でした。暖冬で遅かったようだ。下呂温泉で冷えた体を温めて帰った。
山の神留守の祠に何を願ふ 拙作
舞ふ綿虫捕まえてまた飛び立ちし 拙作
夜半にざーっと雨が降っていましたが大降りではなく助かりました。朝は非常に寒い。ここは標高数百はある。身支度を整えたがまだ晩秋の気分が抜けきらず装備、服装とも不十分でした。二の谷を予定したが小雨では滑りやすいので断念した。三の谷もどうか。それでも行けるところまでは行くことになった。三の谷の登山口までは林道をとぼとぼ歩きます。三の谷登山口からは小屋の前を通るいつものコースです。名残の黄葉が林内を明るくしてくれます。急な登山道をこなしていくと岳樺の生えた所に来て明るくなる。ここからは隣の拝殿山も見えた。その向うの白草山もよく見える。足元には雪が見え始めた。1400m付近から雪でした。
段々高度を上げて二の谷の分岐に着くがここからはまだ通行禁止の看板が立っていた。もう開通したはずであるが。雪は次第に多くなり、手袋も濡れて悴む。軍手、皮手と取り替えたが濡れると冷たい。毛糸の手袋が欲しい。兜岩で装備が不十分なこともあり登頂を断念して下山した。兜岩付近は積雪5センチ、ガスで視界なしでした。晩秋と初冬が同居するこの時期の亜高山帯の登山の難しさを感じた。下山時には上部で雹、下部では雨も降っていました。大雨にならなかったことは幸いでした。営林小屋近くの山の神に祈ったからでしょうか。でも今は神様は出雲に出かけてお留守のはず。
名残の黄葉を楽しみながら12時に下山した。車の付近で白い綿を付けた虫が舞い飛ぶ。ああ!綿虫だ。雪虫、白ばんば、雪蛍、大綿など俳句の季語にもなっている。アブラムシの仲間らしい。綿虫は風のない曇りがちの日に飛ぶ。初冬の風物詩である。綿虫が飛ぶと初雪が近いというがもう山の上では一足早く降雪を見た。かつて高賀山の山頂、奥茶臼山の林道などで見た。皆11月中であった。
W君が次の御前山の登山口の偵察に行くという。R41に出て道を案内した。登山口付近に至る林道の周辺では意外にも黄葉が最盛期でした。暖冬で遅かったようだ。下呂温泉で冷えた体を温めて帰った。
山の神留守の祠に何を願ふ 拙作
舞ふ綿虫捕まえてまた飛び立ちし 拙作
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