山岳会の新年会 ― 2026年01月17日
12時半から受付開始。13時から13時40分までは海外遠征の報告。13時50分から16時30分までは稲熊隆之氏の気象遭難を予防するための講演会が行われた。中途で休憩をはさみながらの長い講義になった。気象だけは訓練ができないから学ぶことと経験を重ねるしかない。
話には出なかったが、例えば豪雪と寡雪は20年サイクルで来る。豪雪は登山者を確実に判断を誤らせる。38豪雪はその典型で愛知大生の薬師遭難では13人が命を絶った。
気象遭難は大抵は東京大阪名古屋の大都会の登山者が多い。ふだん便利な社会で暮らしていると気象変化に疎くなるのだ。関西学院大ワンゲル部の学生らが大長山で豪雪によりテントがつぶれるトラブルがあった。救助要請をしたが監督はそんな低い山でテントがつぶれるほど降るわけがないと高をくくっていた。東京のプロガイドが飛騨市山乃村から入山して北俣岳に向かったがこれも豪雪で下山できなくなって救助要請している。富山の文登研では豪雪の年に大日岳の雪庇に乗って崩落し、死亡事故があった。これなど多人数がのれば崩落するのは当然だが注意喚起を欠いた。那須連峰の雪崩事故も南面を夜が明けてから登攀中に雪崩れた。3月ということでブロック雪崩だろうか。
太陽は東から昇る。昇ると同時に高い所から気温が上昇する。夜が明けてから明るくなってから出発すると上部の凍結していた雪の塊も落ちて来る。雪庇も崩壊し易くなる。この原則を守れるか否か。知己はこれで4人が死んだ。ことおごとく運といえばそうかも知れない。
その後はシルクロードに会場を移して懇親会となった。こんな機会でもないと会えない人に会えるので毎回出席している。
話には出なかったが、例えば豪雪と寡雪は20年サイクルで来る。豪雪は登山者を確実に判断を誤らせる。38豪雪はその典型で愛知大生の薬師遭難では13人が命を絶った。
気象遭難は大抵は東京大阪名古屋の大都会の登山者が多い。ふだん便利な社会で暮らしていると気象変化に疎くなるのだ。関西学院大ワンゲル部の学生らが大長山で豪雪によりテントがつぶれるトラブルがあった。救助要請をしたが監督はそんな低い山でテントがつぶれるほど降るわけがないと高をくくっていた。東京のプロガイドが飛騨市山乃村から入山して北俣岳に向かったがこれも豪雪で下山できなくなって救助要請している。富山の文登研では豪雪の年に大日岳の雪庇に乗って崩落し、死亡事故があった。これなど多人数がのれば崩落するのは当然だが注意喚起を欠いた。那須連峰の雪崩事故も南面を夜が明けてから登攀中に雪崩れた。3月ということでブロック雪崩だろうか。
太陽は東から昇る。昇ると同時に高い所から気温が上昇する。夜が明けてから明るくなってから出発すると上部の凍結していた雪の塊も落ちて来る。雪庇も崩壊し易くなる。この原則を守れるか否か。知己はこれで4人が死んだ。ことおごとく運といえばそうかも知れない。
その後はシルクロードに会場を移して懇親会となった。こんな機会でもないと会えない人に会えるので毎回出席している。
雪とグルメと温泉の釜ヶ谷山 ― 2026年01月11日
気象予報では雨が降るようで芳しくない。今回は久々に2名になったので冬の雨は嫌だな、と思いつつ出かけた。名古屋を5時には出る。すき家で朝定をかき込んで名二環に入り、名古屋高速一宮線で北上、R22に降りてR156へ、岩戸トンネルを抜けてすぐ左折、鵜飼い大橋で長良川を渡ると百々ヶ峰に突き当たる。R256に入って如来ヶ岳山麓を北上、県道79号を西へ行くと伊自良川と交差するので県道91号に右折。集合はてんこもり農産物直売所へ午前7時だがチエーンがあっては入れない。まだ薄暗いが相棒はコンビニで待っていていた。すぐ伊自良湖へ向かった。立ち寄りたいたい所があったが下山後だ。
下山後に江戸時代の地誌『新撰美濃志』を読んでみた。伊自良郷と呼ばれていたが伊自良村はなく、長瀧村の項目があった。伊自良は十郷あってそれぞれ字があった。・・・『釜嶽』は濃陽志略に「里民呼曰釜溪ト連互數里ニ絶頂有池四時不涸、此山雑樹葱岩石岣最爲奇也」と見えたり。『長瀧山、岸見山』伊自良の高山なり。伊自良川は此の山中より出づ。常は水なく、砂川にて洪雨の時水出づ。略。『甘南美寺』は臨済宗にて白華山と號す。開基は高阿彌、名知阿彌。本尊は千手十一面観音、脇立不動毘沙門なり。當國三十三所十三番に配す。引用は以上。
長瀧村の名残りは伊自良湖のすぐ下流の里の地名に見る。伊自良湖の湖面が見えると多数のボートが浮かんでいた。恋人同士が朝早くからデート?多分公魚釣りか、疑問のまま登山口の臨時Pに着いた。地形図で116m地点。あいにく小雨模様だ。オーバーヤッケで防寒と小雨対応の身支度を整えて出発。最初は舗装路を分け入ると杉の高木が生える森の中である。番号入りの観音の石仏が立っている。バンガローのような施設は今は冬のもの寂しい雰囲気である。しばらくは車道を歩くと二又に別れる。右は釜ヶ谷に沿う林道で赤谷の出合い迄続く。堰堤記号が三か所連続してあった。我々は釜ヶ谷本流に沿いながら直進。左へ上がって四阿などの施設で舗装路は終わった。ここからは未舗装の林道歩きだが次第に山路になった。途端に谷が立って来て傾斜が強まる。岩がごろごろした歩きにくい山路をこなしてゆくと優しい道になり、山頂からの南東尾根の端に立つ四阿に着いた。残念ながら展望はない。途中から小雨が降雪になった。一種の感動とともに不安も伴う。ここで雪に備えて雨具でザックをカバー。尾根の道からみぞれ谷の枝谷の源流を迂回すると奥の院に着いた。社殿は穴だらけだ。中をのぞくと座禅した板間があった。穴は多分風通しを良くして腐食を避けるためか、人が使わない建物は内にこもった湿気で腐る。雨の時は膨張して外からの湿気を防ぎ、乾燥した時は縮んで隙間風を入れてやる校倉造が理想ですが高額の建設費がかかる。
さて出発だ。左に丁度33番目の石仏が建っていた。美濃三十三観音霊場の十三番目の霊場だ。ここを後に登るとすぐに神社が建っていた。ここはおそらく明治維新で「仏法を廃し、釈迦の教えを棄却する」という仏教の信仰や施設を否定する運動の影響か。説明を読むと明治3年とある。祖神は皇祖神のアマテラスだった。
地形図で等高線が密にになり、急登を強いられた。行者岩に到達、上に登ると、最近登った百々ヶ峰と金華山が見えた。ちょっと荒れ気味の登山道を登ると龍神コースへの分岐に着いた。降ったり止んだりしていたが標高640mまで来ると冷気が違う。一面真っ白になった。小さなコブを巻くと待望の山頂だった。千把小屋という避難小屋まである。扉がないので雪が吹き込んで床は白い。小屋の四隅の角は丁度腰掛に良いのがあって少し休めた。
休憩中にもどんどん降って来る。眺めもなく止みそうにないので往路の下山を決めた。連続的に降雪路を下る。桧の林に下っても断続的に雪がある。滑落しないようにゆっくり慎重に下った。東屋まで下るとやっと落ち葉の道になり安定的に歩ける。車道に着いてほっと一安心。そこから余裕で石仏の番号を見ながら下ってPに戻った。
帰りは甘南美寺に寄って参拝。池の鯉の大きさに見とれた。もう一ヶ所、「伊自良湖 FISHIG & ADVENTURE PARK」に寄った。公魚(わかさぎ)の天ぷらはあるか、聞いたらフライはあるとの回答。13時だったがラーメンと公魚のフライ(二人で一つ)を注文。朝6時半から釣りボートを営業するから恋人のデートではなかった。疑問が解けた。待っている間にも車にどんどん積もって来た。雪とグルメの冬日和を楽しめた。
もう一つおまけに帰りがけに約30分の所にある武芸川温泉に寄って入湯した。900円と高くなったにもかかわらず、そして大雪というのに大勢のお客が詰めかけて来た。これには驚いた。
下山後に江戸時代の地誌『新撰美濃志』を読んでみた。伊自良郷と呼ばれていたが伊自良村はなく、長瀧村の項目があった。伊自良は十郷あってそれぞれ字があった。・・・『釜嶽』は濃陽志略に「里民呼曰釜溪ト連互數里ニ絶頂有池四時不涸、此山雑樹葱岩石岣最爲奇也」と見えたり。『長瀧山、岸見山』伊自良の高山なり。伊自良川は此の山中より出づ。常は水なく、砂川にて洪雨の時水出づ。略。『甘南美寺』は臨済宗にて白華山と號す。開基は高阿彌、名知阿彌。本尊は千手十一面観音、脇立不動毘沙門なり。當國三十三所十三番に配す。引用は以上。
長瀧村の名残りは伊自良湖のすぐ下流の里の地名に見る。伊自良湖の湖面が見えると多数のボートが浮かんでいた。恋人同士が朝早くからデート?多分公魚釣りか、疑問のまま登山口の臨時Pに着いた。地形図で116m地点。あいにく小雨模様だ。オーバーヤッケで防寒と小雨対応の身支度を整えて出発。最初は舗装路を分け入ると杉の高木が生える森の中である。番号入りの観音の石仏が立っている。バンガローのような施設は今は冬のもの寂しい雰囲気である。しばらくは車道を歩くと二又に別れる。右は釜ヶ谷に沿う林道で赤谷の出合い迄続く。堰堤記号が三か所連続してあった。我々は釜ヶ谷本流に沿いながら直進。左へ上がって四阿などの施設で舗装路は終わった。ここからは未舗装の林道歩きだが次第に山路になった。途端に谷が立って来て傾斜が強まる。岩がごろごろした歩きにくい山路をこなしてゆくと優しい道になり、山頂からの南東尾根の端に立つ四阿に着いた。残念ながら展望はない。途中から小雨が降雪になった。一種の感動とともに不安も伴う。ここで雪に備えて雨具でザックをカバー。尾根の道からみぞれ谷の枝谷の源流を迂回すると奥の院に着いた。社殿は穴だらけだ。中をのぞくと座禅した板間があった。穴は多分風通しを良くして腐食を避けるためか、人が使わない建物は内にこもった湿気で腐る。雨の時は膨張して外からの湿気を防ぎ、乾燥した時は縮んで隙間風を入れてやる校倉造が理想ですが高額の建設費がかかる。
さて出発だ。左に丁度33番目の石仏が建っていた。美濃三十三観音霊場の十三番目の霊場だ。ここを後に登るとすぐに神社が建っていた。ここはおそらく明治維新で「仏法を廃し、釈迦の教えを棄却する」という仏教の信仰や施設を否定する運動の影響か。説明を読むと明治3年とある。祖神は皇祖神のアマテラスだった。
地形図で等高線が密にになり、急登を強いられた。行者岩に到達、上に登ると、最近登った百々ヶ峰と金華山が見えた。ちょっと荒れ気味の登山道を登ると龍神コースへの分岐に着いた。降ったり止んだりしていたが標高640mまで来ると冷気が違う。一面真っ白になった。小さなコブを巻くと待望の山頂だった。千把小屋という避難小屋まである。扉がないので雪が吹き込んで床は白い。小屋の四隅の角は丁度腰掛に良いのがあって少し休めた。
休憩中にもどんどん降って来る。眺めもなく止みそうにないので往路の下山を決めた。連続的に降雪路を下る。桧の林に下っても断続的に雪がある。滑落しないようにゆっくり慎重に下った。東屋まで下るとやっと落ち葉の道になり安定的に歩ける。車道に着いてほっと一安心。そこから余裕で石仏の番号を見ながら下ってPに戻った。
帰りは甘南美寺に寄って参拝。池の鯉の大きさに見とれた。もう一ヶ所、「伊自良湖 FISHIG & ADVENTURE PARK」に寄った。公魚(わかさぎ)の天ぷらはあるか、聞いたらフライはあるとの回答。13時だったがラーメンと公魚のフライ(二人で一つ)を注文。朝6時半から釣りボートを営業するから恋人のデートではなかった。疑問が解けた。待っている間にも車にどんどん積もって来た。雪とグルメの冬日和を楽しめた。
もう一つおまけに帰りがけに約30分の所にある武芸川温泉に寄って入湯した。900円と高くなったにもかかわらず、そして大雪というのに大勢のお客が詰めかけて来た。これには驚いた。
三ヶ日町平山からの荒廃した平尾山往復 ― 2025年11月22日
計画では本坂峠の静岡県側にマイカーをデポ。姫街道を峠まで40分歩く。峠からは坊ケ峰を越えて平尾山まで縦走約90分、4等三角点のある中山峠乃至旗振山に登る。①東への尾根を辿って三ヶ日町平山へ下山。②4等三角点から南へ尾根の破線路を辿って三ヶ日町本坂へ下り、マイカーのデポ地へ歩く。の二案を考えていた。
静岡県へ行く前に嵩山に来たのでR362から左折して姫街道の旧道に寄る。ここには本陣の屋敷がある。姫街道の新しい石標も立っている。
実際には本坂トンネルを抜けて静岡県に入ると上空は厚い冬雲が北へ流れている。つまり太平洋の湿った空気が北の冷たい空気に混じり雲になったのだ。これでは富士山は見えない。もっと冷えて冬型の気圧配置にならないと富士山は見えないだろう。
というわけで、平尾山と4等三角点の踏査だけに絞った。一旦はR362を下って左から宇利峠を越えて来たR301と出合うところまで来た。前方にバローが見えたので食料品を買い足した。三ケ日ミカンが豊富に並んでいるので一袋買う。
店を出て三差路に戻り宇利山川に沿ってR301を走る。途中で平山奥へ行く車道に左折。中山峠の東尾根の末端に来た。周囲はたわわに実った蜜柑山だった。軽自動車も一杯止まっている。標高は110m。その一角に停めさせてもらって蜜柑山の作業道へ入って登る。
作業道はセメントで舗装されている。見た目以上に急坂ですぐに息が切れる。北東には富幕山がどっしり見えている。地形図の実線の終点で標高200mの等高線の手前に道標が見えた。車道から滑りやすい斜めの道とも言い難い道を登る。蜜柑山側は電線なのでうっかり触れることもできない。
すぐに左への隙間がある。かつては尾根道があったのに蜜柑山の整地で削られたのであろう。手入れのしていない桧の植林の中の廃道というか荒廃した感じのルートを探りつつ登る。倒木あり、枝も散乱する歩きにくい道である。
幸い赤テープのマーキングはある。等高線がゆるくなると道もはっきりしてきた。息苦しさも慣れてきて約30分のところで一息入れた。すると人工林の中の尾根にも関わらず大径木が林立する。樹木名は知らないが常緑照葉樹林でブナ科の仲間であろう。母樹として伐らずに残されているのだろう。嵩山の山上にも数多見た樹種だ。
地形図に実線のある林道と交差した。古い道標が割れて落ちていた。林道を見送ると尾根に取り付くが右へ新たな林道が出来ていた。この林道はすぐに大きく段差が掘ってあり車が通行できないようにしてあった。左の尾根に踏み跡を探すとかすかに続くのが見える。明瞭ではないが何とか歩ける。地形図の中山峠の印刷の「中」に着く。赤テープと薄い踏み跡が北と南に別れるので南に振った。一旦は掘割のような地形の鞍部に降りた。これが本来の中山峠であろう。向こうにも踏み跡が続く。破線路の尾根には赤テープが断続的に見えるので容易に4等三角点にたどり着いた。展望はまったくなし。ここがかつては旗振山と呼ばれた場所だろうか。嵩山の山上からここで旗振りの相場の情報を読み取り、また東の方の中継点へ伝えたという。
南へはかすかに切り開きもありそうな気がするので下山路に使える。下りきれば三ヶ日町本坂に着く。
踏み跡を戻るが鞍部から左下へ幅のある山路が下って行く。たどると中山自然歩道と県境縦走路の交差する地点だった。ここも中山峠という。ここから5分県境縦走路を登ると先ほど別れた地点に着く。更に20分で平尾山の山頂だった。13時20分登頂。ここも展望なしで詰まらない山頂だ。13時30分下山開始。分岐点に下って「中」からは元の尾根を下った。
蜜柑山には多数のミカン狩りの女性らがいた。業者もハサミで切り取りながら積み込んでいた。今がミカンの取入れの最盛期なのだろう。ナビで本坂へ下った。愛知県に戻ってまた国道を帰名した。
静岡県へ行く前に嵩山に来たのでR362から左折して姫街道の旧道に寄る。ここには本陣の屋敷がある。姫街道の新しい石標も立っている。
実際には本坂トンネルを抜けて静岡県に入ると上空は厚い冬雲が北へ流れている。つまり太平洋の湿った空気が北の冷たい空気に混じり雲になったのだ。これでは富士山は見えない。もっと冷えて冬型の気圧配置にならないと富士山は見えないだろう。
というわけで、平尾山と4等三角点の踏査だけに絞った。一旦はR362を下って左から宇利峠を越えて来たR301と出合うところまで来た。前方にバローが見えたので食料品を買い足した。三ケ日ミカンが豊富に並んでいるので一袋買う。
店を出て三差路に戻り宇利山川に沿ってR301を走る。途中で平山奥へ行く車道に左折。中山峠の東尾根の末端に来た。周囲はたわわに実った蜜柑山だった。軽自動車も一杯止まっている。標高は110m。その一角に停めさせてもらって蜜柑山の作業道へ入って登る。
作業道はセメントで舗装されている。見た目以上に急坂ですぐに息が切れる。北東には富幕山がどっしり見えている。地形図の実線の終点で標高200mの等高線の手前に道標が見えた。車道から滑りやすい斜めの道とも言い難い道を登る。蜜柑山側は電線なのでうっかり触れることもできない。
すぐに左への隙間がある。かつては尾根道があったのに蜜柑山の整地で削られたのであろう。手入れのしていない桧の植林の中の廃道というか荒廃した感じのルートを探りつつ登る。倒木あり、枝も散乱する歩きにくい道である。
幸い赤テープのマーキングはある。等高線がゆるくなると道もはっきりしてきた。息苦しさも慣れてきて約30分のところで一息入れた。すると人工林の中の尾根にも関わらず大径木が林立する。樹木名は知らないが常緑照葉樹林でブナ科の仲間であろう。母樹として伐らずに残されているのだろう。嵩山の山上にも数多見た樹種だ。
地形図に実線のある林道と交差した。古い道標が割れて落ちていた。林道を見送ると尾根に取り付くが右へ新たな林道が出来ていた。この林道はすぐに大きく段差が掘ってあり車が通行できないようにしてあった。左の尾根に踏み跡を探すとかすかに続くのが見える。明瞭ではないが何とか歩ける。地形図の中山峠の印刷の「中」に着く。赤テープと薄い踏み跡が北と南に別れるので南に振った。一旦は掘割のような地形の鞍部に降りた。これが本来の中山峠であろう。向こうにも踏み跡が続く。破線路の尾根には赤テープが断続的に見えるので容易に4等三角点にたどり着いた。展望はまったくなし。ここがかつては旗振山と呼ばれた場所だろうか。嵩山の山上からここで旗振りの相場の情報を読み取り、また東の方の中継点へ伝えたという。
南へはかすかに切り開きもありそうな気がするので下山路に使える。下りきれば三ヶ日町本坂に着く。
踏み跡を戻るが鞍部から左下へ幅のある山路が下って行く。たどると中山自然歩道と県境縦走路の交差する地点だった。ここも中山峠という。ここから5分県境縦走路を登ると先ほど別れた地点に着く。更に20分で平尾山の山頂だった。13時20分登頂。ここも展望なしで詰まらない山頂だ。13時30分下山開始。分岐点に下って「中」からは元の尾根を下った。
蜜柑山には多数のミカン狩りの女性らがいた。業者もハサミで切り取りながら積み込んでいた。今がミカンの取入れの最盛期なのだろう。ナビで本坂へ下った。愛知県に戻ってまた国道を帰名した。
本坂峠から富士見岩ハイキング ― 2025年11月18日
10月3日の坊ケ峰に続いて18日も午後からの所用で新城市へ。午前中をフルに使って先月の心残りの本坂峠から富士見岩の間の部分を歩いた。先月は峠直下の旧トンネルまで車で上がったが今日はR362のトンネル手前にP。しばらく車道を歩くとR362の下をくぐってすぐにトイレがある。ここで左が姫街道、右が嵩山の蛇穴へと行く。
車道を歩くと行き止まりになるので戻って、山側に続く踏み跡をたどると国の史跡に指定された嵩山(すせ)の蛇穴だった。ここには嵩山自然歩道の道標がある。自然歩道は桧の植林で手入れがされて美しい冬木立になっている。歩いて行くと浅間神社への分岐、姫街道への分岐を見送り、頭浅間の古社のある稜線(豊橋自然歩道)に到達した。途端に強い北風が吹きさらされて寒い。
ここまでが1時間弱でベンチで休むと冷えるのですぐ南に向けて歩き出す。愛知県側は桧の人工林だが静岡県側の境内周辺は常緑照葉樹林が覆う。この植生は427.2m(4等三角点:本坂峠)を越えてもしばらくは続く。かつて日本列島の西南はこのような植生が占めていた。樹齢の古そうな太い幹も多い。保全されているのだろうか。
柴田明彦『旗振り山と航空灯台』(ナカニシヤ出版。令和3(2021)年出版)によると米相場の情報伝達の場として嵩山の山上とだけの記載があり、427.2mの本坂峠のピークを推定されている。周囲より20m以上高いのでそうかも知れないが現状は愛知県側は桧の人工林が高く、静岡県側は前述の通り照葉樹の高木が生えている。ただ三角点の先が膝くらいの笹原になっている。そして静岡県側に広い地形は想定通りか。ここ以外に良い場所はない。ここから中山峠の南の旗振山(点名:中山峠。393m)につなげるのは無理がない。
嵩山町側へのバリルート(破線路)の案内もある。常緑照葉樹林から抜け出すとパッと明るくなり、下り気味に歩いて登り返すと富士見岩だった。南側に回って岩に攀じ登り素晴らしい展望を得た。眼下には三ヶ日町の猪鼻湖、広大な浜名湖は冬の太陽に鈍く照り返し光る海に見えた。山の中の山も良いが海の見える山も良い。
冬晴れには違いないが遠方は冬霞ではっきりしない。それでも黒っぽい富士山が見えた。まだ雪が少ない。これで一応の目標は達成できた。
下山時は12時30分。新城市の歴研の会合まで1時間あるが昼食を食べている時間は無さそうだ。ナビを見ると27分とあった。信号が殆どないから早い。途中、次郎柿の露天売り場が続くのでつい一袋買った。200円で6個は入っていた。13時20分に無事会場入りできた。
会議後、100km先の奥大井の山を予定していたが冬型の気圧配置の影響か冷たい雨がぱらついて中止にした。名古屋への帰途はR23に周ったが刈谷市周辺から大渋滞。東名高速も豊田市周辺が大渋滞だったらしい。R301が良かったかな。R23は刈谷で降りて徳重経由で帰った。
車道を歩くと行き止まりになるので戻って、山側に続く踏み跡をたどると国の史跡に指定された嵩山(すせ)の蛇穴だった。ここには嵩山自然歩道の道標がある。自然歩道は桧の植林で手入れがされて美しい冬木立になっている。歩いて行くと浅間神社への分岐、姫街道への分岐を見送り、頭浅間の古社のある稜線(豊橋自然歩道)に到達した。途端に強い北風が吹きさらされて寒い。
ここまでが1時間弱でベンチで休むと冷えるのですぐ南に向けて歩き出す。愛知県側は桧の人工林だが静岡県側の境内周辺は常緑照葉樹林が覆う。この植生は427.2m(4等三角点:本坂峠)を越えてもしばらくは続く。かつて日本列島の西南はこのような植生が占めていた。樹齢の古そうな太い幹も多い。保全されているのだろうか。
柴田明彦『旗振り山と航空灯台』(ナカニシヤ出版。令和3(2021)年出版)によると米相場の情報伝達の場として嵩山の山上とだけの記載があり、427.2mの本坂峠のピークを推定されている。周囲より20m以上高いのでそうかも知れないが現状は愛知県側は桧の人工林が高く、静岡県側は前述の通り照葉樹の高木が生えている。ただ三角点の先が膝くらいの笹原になっている。そして静岡県側に広い地形は想定通りか。ここ以外に良い場所はない。ここから中山峠の南の旗振山(点名:中山峠。393m)につなげるのは無理がない。
嵩山町側へのバリルート(破線路)の案内もある。常緑照葉樹林から抜け出すとパッと明るくなり、下り気味に歩いて登り返すと富士見岩だった。南側に回って岩に攀じ登り素晴らしい展望を得た。眼下には三ヶ日町の猪鼻湖、広大な浜名湖は冬の太陽に鈍く照り返し光る海に見えた。山の中の山も良いが海の見える山も良い。
冬晴れには違いないが遠方は冬霞ではっきりしない。それでも黒っぽい富士山が見えた。まだ雪が少ない。これで一応の目標は達成できた。
下山時は12時30分。新城市の歴研の会合まで1時間あるが昼食を食べている時間は無さそうだ。ナビを見ると27分とあった。信号が殆どないから早い。途中、次郎柿の露天売り場が続くのでつい一袋買った。200円で6個は入っていた。13時20分に無事会場入りできた。
会議後、100km先の奥大井の山を予定していたが冬型の気圧配置の影響か冷たい雨がぱらついて中止にした。名古屋への帰途はR23に周ったが刈谷市周辺から大渋滞。東名高速も豊田市周辺が大渋滞だったらしい。R301が良かったかな。R23は刈谷で降りて徳重経由で帰った。
錦秋の勢和国境の山を歩く~気になっていた台高山脈北部の空白を歩く ― 2025年11月08日
まだ伊勢道も開通していなかった頃、名古屋市から延々R23からR166を走って、50歳の前に高見大峠から高見山に登った。Pから高見山を往復するだけならお散歩程度だったから行ける所まで行ってみようと台高山脈縦走路を南下してみた。するとハッピのタワでちょうど良い時間になった。
後日台高山脈縦走を企てたが乗って来る人はいないので50歳のGWに体力試験として実施した。この時はマイカーで大又へ行って、大台ケ原へ下山後は近鉄吉野駅から大又までバスを利用した。これで周回できる。
当日は大又のバス停付近の空き地にデポ。伊勢辻山に向かった。予定通りとは行かなかったが何とか大台ヶ原へはたどり着けた。そして無事マイカーも回収できて帰宅した。
以来気になっていたのがハッピのタワから伊勢辻山間の空白部分である。2021年11月20日には木梶山をからめて念願の空白部分を埋める山行をしたが木梶林道への入り口が廃道に見えてパスしたために大幅にロスしてしまい、木梶山往復だけになった。だから4年ぶりの台高山脈ということになる。
名古屋は朝5時過ぎに出発。伊勢湾岸道は東海ICからいせ川越ICまで利用、あとはR23から中勢バイパスで松阪市までスムーズに南下。R166へ入って約65kmの道を走る。
先回の学習効果で木梶林道のPにはスムーズに着いた。以前は無かった簡易舗装までしてある。先着は4台あった。朝飯、用足しなどで道草を食ったせいで9時40分過ぎに出発。足早に飛ばすがちょうど紅葉、黄葉の盛りで美し過ぎて撮影に忙しく先へ進めない。全山人工林のイメージしかなかったが来る時が良いと素晴らしい景色に当たる。
ハッピのタワの入り口の標示で谷筋の道に入るが不明瞭で行きつ戻りつしながら短いスパンのジグザグの踏み跡に入る。しかも急峻な斜面である。GPSを見ても忠実には辿れていない。いつしか無意識のうちに破線路のトラバース道を辿る。小さな谷の入り口にハッピのタワへの標示があったのだが見落としてトラバースの道を辿り、倒木でやっとおかしいと気づいた。GPSを見ると外していることが分かって引き返した。約150mのロスだった。
正しいルートは水の無い谷を辿る。やっとの思いでハッピのタワに着いた。タワは峠の意味であるが見た目には地形的にはたわんでいる。辿り着いてすぐに乗り越すイメージではなく、結構広い。
さあ、いよいよ空白部分の縦走路の山路を歩く。右は針葉樹林で埋め尽くされた奈良県、左は針葉樹林のはげたところにススキの穂が揺れる。ハンシ山にさしかかるころから黄葉、紅葉した太平洋型の混交林の落葉広葉樹林が目立つようになる。
国地院の地形図を改めて眺めて見る。すると櫛田川は源流になると木梶川、蓮川に大きく分かれる。その中の木梶川が高見山から木梶山をカバーする。どの源流部もみな落葉広葉樹林の記号で埋まっているではないか。〇の下にバーがある記号。
蓮川は源流部で菅田川と木屋谷川に分かれて、木梶川源流部の山塊を抱き込んでいる。中央構造線の周辺には変わった地形が多いがそれは別に置く。
次々に現れてくる紅黄葉を眺めては足を止めて撮影に余念がない。
これを古人は錦秋といった。
今日はうまく当たったのだ。ハンシ山を下って伊勢辻山に登り返すところが正にブナの原生林になっている。大又からの登山道に合流する。ここまでが空白だった。記憶にはないがゆったりした気持ちのいい尾根道が伊勢辻山まで続いた。最後は冬のアセビの群落に阻まれる。何となく過ぎてしまいそうな山頂だった。ここで腰を下ろして休憩する。
若干のアセビ群落をやり過ごすと急な斜面になりゆっくり遠景を見ながら降りる。一旦は鞍部に下って登り返すと赤ゾレ山の山頂である。その手前に黄葉の美しい木があり撮影に夢中になった。1303mあり今日の最高点になった。ハンシ山、伊勢辻山、赤ゾレ山はともに地形図に三角点も山名もない。ここから南部の山々を眺めた。遥かなる大台ヶ原を目指した自分を思い出す。ツエルトビバーク2泊でたどり着いた。2023年5月1には大台ヶ原山上を正午に出発し、松浦武四郎らが歩いた尾鷲道をツエルトビバーク1泊(マブシ嶺山頂)で尾鷲市県道まで下った。
これで高見山から尾鷲市県道迄赤線がつながった。予定では木梶山を絡んで下りたかったがこれで満足、且つ出発の遅れで時間切れと判断し、赤ゾレからの尾根を下降。この領域もブナの原生林で尾根はほぼ黄葉で埋め尽くされていた。古びた道標のテープは少ないがブナの疎林なので見通しやすい。源流に下るところが急峻だが約1時間でと渡渉地点に下った。後は林道を歩けばPに着く。県境のすぐ東側にある谷なのですでに日没している。林道歩きの最中、浮遊する虫を見た。これは綿虫だろう。雪虫とも言い、台高山脈にも初雪が近いことの前触れか。
ハッピのタワの出合いを過ぎて林道を飛ばした。ほとんど平坦で落石や倒木もないから歩き易い。P着くと自分の車だけがあった。先着の登山者らは帰って行った後だった。
R166へ戻る。飯高の道の駅で少々のお買い物をする。柿が6個400円とお買い得、名産の茶葉、しいたけ、葉に包んだ生菓子など1790円。松阪市に出てからはホルモン焼きの一升瓶で焼肉を食う。2380円。これで秋の一日を堪能できた。また中勢バイパスで帰名。
後日台高山脈縦走を企てたが乗って来る人はいないので50歳のGWに体力試験として実施した。この時はマイカーで大又へ行って、大台ケ原へ下山後は近鉄吉野駅から大又までバスを利用した。これで周回できる。
当日は大又のバス停付近の空き地にデポ。伊勢辻山に向かった。予定通りとは行かなかったが何とか大台ヶ原へはたどり着けた。そして無事マイカーも回収できて帰宅した。
以来気になっていたのがハッピのタワから伊勢辻山間の空白部分である。2021年11月20日には木梶山をからめて念願の空白部分を埋める山行をしたが木梶林道への入り口が廃道に見えてパスしたために大幅にロスしてしまい、木梶山往復だけになった。だから4年ぶりの台高山脈ということになる。
名古屋は朝5時過ぎに出発。伊勢湾岸道は東海ICからいせ川越ICまで利用、あとはR23から中勢バイパスで松阪市までスムーズに南下。R166へ入って約65kmの道を走る。
先回の学習効果で木梶林道のPにはスムーズに着いた。以前は無かった簡易舗装までしてある。先着は4台あった。朝飯、用足しなどで道草を食ったせいで9時40分過ぎに出発。足早に飛ばすがちょうど紅葉、黄葉の盛りで美し過ぎて撮影に忙しく先へ進めない。全山人工林のイメージしかなかったが来る時が良いと素晴らしい景色に当たる。
ハッピのタワの入り口の標示で谷筋の道に入るが不明瞭で行きつ戻りつしながら短いスパンのジグザグの踏み跡に入る。しかも急峻な斜面である。GPSを見ても忠実には辿れていない。いつしか無意識のうちに破線路のトラバース道を辿る。小さな谷の入り口にハッピのタワへの標示があったのだが見落としてトラバースの道を辿り、倒木でやっとおかしいと気づいた。GPSを見ると外していることが分かって引き返した。約150mのロスだった。
正しいルートは水の無い谷を辿る。やっとの思いでハッピのタワに着いた。タワは峠の意味であるが見た目には地形的にはたわんでいる。辿り着いてすぐに乗り越すイメージではなく、結構広い。
さあ、いよいよ空白部分の縦走路の山路を歩く。右は針葉樹林で埋め尽くされた奈良県、左は針葉樹林のはげたところにススキの穂が揺れる。ハンシ山にさしかかるころから黄葉、紅葉した太平洋型の混交林の落葉広葉樹林が目立つようになる。
国地院の地形図を改めて眺めて見る。すると櫛田川は源流になると木梶川、蓮川に大きく分かれる。その中の木梶川が高見山から木梶山をカバーする。どの源流部もみな落葉広葉樹林の記号で埋まっているではないか。〇の下にバーがある記号。
蓮川は源流部で菅田川と木屋谷川に分かれて、木梶川源流部の山塊を抱き込んでいる。中央構造線の周辺には変わった地形が多いがそれは別に置く。
次々に現れてくる紅黄葉を眺めては足を止めて撮影に余念がない。
これを古人は錦秋といった。
今日はうまく当たったのだ。ハンシ山を下って伊勢辻山に登り返すところが正にブナの原生林になっている。大又からの登山道に合流する。ここまでが空白だった。記憶にはないがゆったりした気持ちのいい尾根道が伊勢辻山まで続いた。最後は冬のアセビの群落に阻まれる。何となく過ぎてしまいそうな山頂だった。ここで腰を下ろして休憩する。
若干のアセビ群落をやり過ごすと急な斜面になりゆっくり遠景を見ながら降りる。一旦は鞍部に下って登り返すと赤ゾレ山の山頂である。その手前に黄葉の美しい木があり撮影に夢中になった。1303mあり今日の最高点になった。ハンシ山、伊勢辻山、赤ゾレ山はともに地形図に三角点も山名もない。ここから南部の山々を眺めた。遥かなる大台ヶ原を目指した自分を思い出す。ツエルトビバーク2泊でたどり着いた。2023年5月1には大台ヶ原山上を正午に出発し、松浦武四郎らが歩いた尾鷲道をツエルトビバーク1泊(マブシ嶺山頂)で尾鷲市県道まで下った。
これで高見山から尾鷲市県道迄赤線がつながった。予定では木梶山を絡んで下りたかったがこれで満足、且つ出発の遅れで時間切れと判断し、赤ゾレからの尾根を下降。この領域もブナの原生林で尾根はほぼ黄葉で埋め尽くされていた。古びた道標のテープは少ないがブナの疎林なので見通しやすい。源流に下るところが急峻だが約1時間でと渡渉地点に下った。後は林道を歩けばPに着く。県境のすぐ東側にある谷なのですでに日没している。林道歩きの最中、浮遊する虫を見た。これは綿虫だろう。雪虫とも言い、台高山脈にも初雪が近いことの前触れか。
ハッピのタワの出合いを過ぎて林道を飛ばした。ほとんど平坦で落石や倒木もないから歩き易い。P着くと自分の車だけがあった。先着の登山者らは帰って行った後だった。
R166へ戻る。飯高の道の駅で少々のお買い物をする。柿が6個400円とお買い得、名産の茶葉、しいたけ、葉に包んだ生菓子など1790円。松阪市に出てからはホルモン焼きの一升瓶で焼肉を食う。2380円。これで秋の一日を堪能できた。また中勢バイパスで帰名。
大峰山脈・山上ヶ岳に登る。 ― 2025年10月10日
10/9の夜は大淀町の道の駅吉野路大淀センターで仮眠。軽自動車なので窮屈だったが丸まって寝た。
10/10の午前5時に出発、R169からR370,R309とナビ任せで泥川温泉に導かれた。ごろごろ茶屋駐車場に着いたがまだ奥があると走ると913.1mの三角点のあるPが広がっていた。店舗はあったが無人、封筒に1日1000円を入れて投函する仕組みだった。支度を整えておにぎり1個をお茶で流し込んで出発。橋を渡ると女人結界の石柱が建っている。1300年の歴史があるから前近代的とは言うなかれ。
登山道はゆるやかに整備されている。一の世茶屋はすぐに着く。一本松茶屋までは山腹を縫う道で歩き易い。更に先の洞辻茶屋で稜線に上がる。谷間から尾根上に登って明るい。吉野方面から大峰奥駈け道が合わさる。この道は熊のへ続き世界遺産ともなった奥駈け道である。小屋で休んでいたら一人東京から来て奥駈け道を目指したが雨で引き返す途中だった。世間話に花を咲かせていると1時間の長休みになった。
稜線になると自然も豊になる。左右二手に分かれた道は左へ。先の人が慎重に、とアドバイスしてくれたが、重装備だから慎重になったのだろう。我々は日帰りで軽いから心配はいらない。
鐘掛岩には鎖場まで立ち寄ったが霧で引き返す。登山道は平坦になった。西ノ覗岩も霧でパス。平坦ながら岩場の通過があるので捗らない。その内宿坊の立ち並ぶ一角に着いた。大峰山寺の手前まで来たのだ。古い宿坊の軒先にザックを置いて空身で山上に登った。境内に着くと左が本堂だった。右の高まりがあるので細道を行くと背の低い笹原の中にお花畑と山頂の看板が立つ。左折して笹の小径を歩くと一等三角点のある山頂だった。その奥は聖蹟、右は湧出岩の石柱が建つ。どうやらこれがシンボルらしい。
登山者としては一等三角点の大峰山上に関心がある。1887(明治20)年埋設。補点である。奈良県の一等三角点は8座あり、これで6座登った。大峰山系では釈迦ヶ岳、玉置山に次ぐ三座目になる。釈迦ヶ岳は東のコブシ嶺から眺めると三角錐の立派な山容だがこの山は望岳した覚えがない。それも今になった理由である。
釈迦ヶ岳は三十代に登った。西行法師が小夜の中山で詠んだ和歌
年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山
私もまた後期高齢者になってから登りに来れるとは。命があればこそこうして霧を突いて登山出来た。
霧の中で長居は出来ない。霧しょんべんといってずぶぬれになりそうだ。先の宿坊へ戻ってザックからおにぎりを出して食う。冷涼な自然の中では喉の渇きもないからお茶もまだある。来た道を戻った。二手の道は板の階段道で滑りやすいので慎重に下る。洞辻茶屋で休憩。ここで稜線から谷筋の道へ入る。雰囲気が随分変わる。水飲み場にはソーメンが落ちている。これが不潔感を誘うので手を洗うにとどめた。きれいに使って欲しい。
歩き易い道になるが先は長い。そんな倦んだ気分を変えてくれたのは鹿の啼き声だった。
遠くよりな滑りそと啼く鹿の声 拙作
※な~その間に連用形、未然形の動詞を入れると軽い禁止になる。
足もとに気を付けて滑らないように下りなさい、と山の主のような鹿が導いてくれるかに聞こえる。最後の茶屋を見て一段と歩き易い山路まで来るとPに出た。やっぱり我々の車だけあった。支度して動き始めると軽自動車のパトカーが来て我々を見るとUターンしていった。誰かが6時頃から15時30分ごろまで動かない車があうるよ、と警察に通報したんだろうか。ごろごろ茶屋には多数の観光客が居た。さらにくだると昭和レトロな洞川の商店街に出て帰りたくなくなった。結果、柿の葉寿司を購入、洞川温泉に入湯したりとミニ観光で余韻を楽しんだ。
R309に戻ると奈良の複雑な道路網を抜けてようやく名阪道路に入れた。
10/10の午前5時に出発、R169からR370,R309とナビ任せで泥川温泉に導かれた。ごろごろ茶屋駐車場に着いたがまだ奥があると走ると913.1mの三角点のあるPが広がっていた。店舗はあったが無人、封筒に1日1000円を入れて投函する仕組みだった。支度を整えておにぎり1個をお茶で流し込んで出発。橋を渡ると女人結界の石柱が建っている。1300年の歴史があるから前近代的とは言うなかれ。
登山道はゆるやかに整備されている。一の世茶屋はすぐに着く。一本松茶屋までは山腹を縫う道で歩き易い。更に先の洞辻茶屋で稜線に上がる。谷間から尾根上に登って明るい。吉野方面から大峰奥駈け道が合わさる。この道は熊のへ続き世界遺産ともなった奥駈け道である。小屋で休んでいたら一人東京から来て奥駈け道を目指したが雨で引き返す途中だった。世間話に花を咲かせていると1時間の長休みになった。
稜線になると自然も豊になる。左右二手に分かれた道は左へ。先の人が慎重に、とアドバイスしてくれたが、重装備だから慎重になったのだろう。我々は日帰りで軽いから心配はいらない。
鐘掛岩には鎖場まで立ち寄ったが霧で引き返す。登山道は平坦になった。西ノ覗岩も霧でパス。平坦ながら岩場の通過があるので捗らない。その内宿坊の立ち並ぶ一角に着いた。大峰山寺の手前まで来たのだ。古い宿坊の軒先にザックを置いて空身で山上に登った。境内に着くと左が本堂だった。右の高まりがあるので細道を行くと背の低い笹原の中にお花畑と山頂の看板が立つ。左折して笹の小径を歩くと一等三角点のある山頂だった。その奥は聖蹟、右は湧出岩の石柱が建つ。どうやらこれがシンボルらしい。
登山者としては一等三角点の大峰山上に関心がある。1887(明治20)年埋設。補点である。奈良県の一等三角点は8座あり、これで6座登った。大峰山系では釈迦ヶ岳、玉置山に次ぐ三座目になる。釈迦ヶ岳は東のコブシ嶺から眺めると三角錐の立派な山容だがこの山は望岳した覚えがない。それも今になった理由である。
釈迦ヶ岳は三十代に登った。西行法師が小夜の中山で詠んだ和歌
年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山
私もまた後期高齢者になってから登りに来れるとは。命があればこそこうして霧を突いて登山出来た。
霧の中で長居は出来ない。霧しょんべんといってずぶぬれになりそうだ。先の宿坊へ戻ってザックからおにぎりを出して食う。冷涼な自然の中では喉の渇きもないからお茶もまだある。来た道を戻った。二手の道は板の階段道で滑りやすいので慎重に下る。洞辻茶屋で休憩。ここで稜線から谷筋の道へ入る。雰囲気が随分変わる。水飲み場にはソーメンが落ちている。これが不潔感を誘うので手を洗うにとどめた。きれいに使って欲しい。
歩き易い道になるが先は長い。そんな倦んだ気分を変えてくれたのは鹿の啼き声だった。
遠くよりな滑りそと啼く鹿の声 拙作
※な~その間に連用形、未然形の動詞を入れると軽い禁止になる。
足もとに気を付けて滑らないように下りなさい、と山の主のような鹿が導いてくれるかに聞こえる。最後の茶屋を見て一段と歩き易い山路まで来るとPに出た。やっぱり我々の車だけあった。支度して動き始めると軽自動車のパトカーが来て我々を見るとUターンしていった。誰かが6時頃から15時30分ごろまで動かない車があうるよ、と警察に通報したんだろうか。ごろごろ茶屋には多数の観光客が居た。さらにくだると昭和レトロな洞川の商店街に出て帰りたくなくなった。結果、柿の葉寿司を購入、洞川温泉に入湯したりとミニ観光で余韻を楽しんだ。
R309に戻ると奈良の複雑な道路網を抜けてようやく名阪道路に入れた。
久恋の四阿山に登る ― 2025年09月15日
朝5時台に起きて外を眺めると雲が低い。余り芳しい気象では無さそうだ。6時にはホテルを出てすき家で朝定を食う。R144で嬬恋村を目指す。8時過ぎには嬬恋パルコールスキーリゾートに着いた。雲が低く暑い。昨日の朝9時過ぎに見たゴンドラはすっきり見えたが今朝はすぐそこまで霧が降っている。結果すぐの出発を見合わせて9時に乗った。往復で3000円。結果ゴンドラを下車、ショートスパッツを付けて9時40分に出発できた。
最初はゲレンデから右へ少し登って歩道をたどるとリフトの終点に軽く登ってゲレンデを下る。実はここから山路への分岐もあったが見落としてそのまま下ってから歩道へ合流した。標高2060m付近の鞍部から樹林帯の中を歩く。
情報通り、歩道は泥濘でぬかるんでいた。2180m前後のゆるやかな等高線の稜線に登り緩やかに歩く。水はけが悪いせいかどこも黒い水溜まりだできて歩きにくい。樹林の中の慰めはナナカマドが少し赤っぽく色づき始めていたことだ。足元にはきのこ類、竜胆の花、黄色いミヤマアキノキリンソウ?もたくさん見かけた。山は秋の装いになっている。
山頂直下の分岐に着いて後25分となった。樹林帯から抜けたので急に明るくなった感じである。幸い雲が高く上がって行く。しかし浅間山は見えてこない。小休止後、最後の登りに挑む。板の階段を快適に登るとまた樹林帯の中の泥濘がある。今までよりは尾根も痩せてきた。岩をつかんで、或いは鉄の鎖、ロープも所々に設置されて険しくなった。
地形図では山頂周辺は岩の崖になっている。2333.1mの二等三角点は丈の低い笹に埋まっている。点名は吾妻山。ここからは根子岳と四阿山を結ぶ登山道が笹の海にくっきり見下ろせる。2128.2mの一等三角点の根子岳は大昔スキー登山で登頂したことがある。20m毎に鉄のポールが建っていて霧でもRFのミスがない。しかし、また根子岳と結んで登るのも良い。すぐそこに見える山頂にはたくさんの登山者の姿も見える。
12時、約2時間20分、岩のゴツゴツした尾根を慎重にたどると登頂である。山頂は小さな祠が一つ、山頂標が一本立っている。狭い場所なので足の踏み場もないほど多数の登山者が居た。持ってきた弁当をお茶で流し込む。遠望は雲で隠れて見えない。特に浅間山の大観を見たかったが残念でした。
実は山麓のパルコールには5年以上前からゲレンデスキーに来ていた。冬は太平洋型の気圧配置なので晴れることも多く雪をかぶった浅間山を欲しいままに眺めて来た。浅間三筋の噴煙も見ている。しかし四阿山は遠望したことがなかった。次の狙いは四阿山を眺めたい。
約50分滞在後、下山を開始、またぬかるみの歩道をやり過ごしてゲレンデ近くまで戻った。
ここで同行者と別れて2119mの岩峰に寄り道してゲレンデに戻った。ゴンドラ乗場まですぐのところからも浦倉山2090.7mを往復した。ゴンドラの最後は15時30分だったが15.時15分に乗車できて無事帰還した。
最初はゲレンデから右へ少し登って歩道をたどるとリフトの終点に軽く登ってゲレンデを下る。実はここから山路への分岐もあったが見落としてそのまま下ってから歩道へ合流した。標高2060m付近の鞍部から樹林帯の中を歩く。
情報通り、歩道は泥濘でぬかるんでいた。2180m前後のゆるやかな等高線の稜線に登り緩やかに歩く。水はけが悪いせいかどこも黒い水溜まりだできて歩きにくい。樹林の中の慰めはナナカマドが少し赤っぽく色づき始めていたことだ。足元にはきのこ類、竜胆の花、黄色いミヤマアキノキリンソウ?もたくさん見かけた。山は秋の装いになっている。
山頂直下の分岐に着いて後25分となった。樹林帯から抜けたので急に明るくなった感じである。幸い雲が高く上がって行く。しかし浅間山は見えてこない。小休止後、最後の登りに挑む。板の階段を快適に登るとまた樹林帯の中の泥濘がある。今までよりは尾根も痩せてきた。岩をつかんで、或いは鉄の鎖、ロープも所々に設置されて険しくなった。
地形図では山頂周辺は岩の崖になっている。2333.1mの二等三角点は丈の低い笹に埋まっている。点名は吾妻山。ここからは根子岳と四阿山を結ぶ登山道が笹の海にくっきり見下ろせる。2128.2mの一等三角点の根子岳は大昔スキー登山で登頂したことがある。20m毎に鉄のポールが建っていて霧でもRFのミスがない。しかし、また根子岳と結んで登るのも良い。すぐそこに見える山頂にはたくさんの登山者の姿も見える。
12時、約2時間20分、岩のゴツゴツした尾根を慎重にたどると登頂である。山頂は小さな祠が一つ、山頂標が一本立っている。狭い場所なので足の踏み場もないほど多数の登山者が居た。持ってきた弁当をお茶で流し込む。遠望は雲で隠れて見えない。特に浅間山の大観を見たかったが残念でした。
実は山麓のパルコールには5年以上前からゲレンデスキーに来ていた。冬は太平洋型の気圧配置なので晴れることも多く雪をかぶった浅間山を欲しいままに眺めて来た。浅間三筋の噴煙も見ている。しかし四阿山は遠望したことがなかった。次の狙いは四阿山を眺めたい。
約50分滞在後、下山を開始、またぬかるみの歩道をやり過ごしてゲレンデ近くまで戻った。
ここで同行者と別れて2119mの岩峰に寄り道してゲレンデに戻った。ゴンドラ乗場まですぐのところからも浦倉山2090.7mを往復した。ゴンドラの最後は15時30分だったが15.時15分に乗車できて無事帰還した。
風越山に登る ― 2025年08月14日
中津川市から木曽谷へは小雨でしたが上松では徐々に雲があがって晴れそうな天気模様でした。
R19の萩原から懐かしさもあって東野の山里経由で風越山登山口まで走りました。(上松町は禁止。)枯れ枝、小石はあったが土砂崩れ等の障害はなく無事に通行できた。以前はちょくちょく来たが今は東野の集落は廃屋化が進んでいる感じでちょっと寂しい雰囲気です。
登山口には先着が5台あった。けっこう来ています。
9時5分前、出発。Aコースはほぼ直線的に等高線の詰まった斜面を急登させられる。落葉樹林の中ではヤマジノホトトギス、フシグロセンノウ、カワラナデシコ等の折々の花が咲いていて癒された。
御料局三角点と避難小屋もどきの仮小屋が建つ合流点に着くと草地から来るBコースと交わる。眺めも良くなり、木曽谷の様子が見える。御岳山は五合目以上は雲の中でした。
花はコオニユリ、フジバカマ、アザミが咲いている。風越の頭を越えて鞍部に下ると先行の登山者が何やら撮影中だった。何と木の根っ子の部分にレンゲショウマが咲いていた。群生地は比高200m下ってまた登り返すが今日はここで見られたから山頂だけで良しとした。カニコウモリを見るのも久しい。山頂は樹林の中で何も見えない。展望所もあるが雲が厚いのでパス。パンを食べてBコースを下山した。
下山後はねざめホテルに寄ったが日帰り入浴は盆休みで営業していなかった。久々に寝覚めの床の越前屋という蕎麦屋に寄った。R19はお盆帰りのクルマで渋滞中。クルマの量が多いだけではなく南木曽町の交通事故も原因か、車輪が外れるくらいの衝撃があったようだ。
R19の萩原から懐かしさもあって東野の山里経由で風越山登山口まで走りました。(上松町は禁止。)枯れ枝、小石はあったが土砂崩れ等の障害はなく無事に通行できた。以前はちょくちょく来たが今は東野の集落は廃屋化が進んでいる感じでちょっと寂しい雰囲気です。
登山口には先着が5台あった。けっこう来ています。
9時5分前、出発。Aコースはほぼ直線的に等高線の詰まった斜面を急登させられる。落葉樹林の中ではヤマジノホトトギス、フシグロセンノウ、カワラナデシコ等の折々の花が咲いていて癒された。
御料局三角点と避難小屋もどきの仮小屋が建つ合流点に着くと草地から来るBコースと交わる。眺めも良くなり、木曽谷の様子が見える。御岳山は五合目以上は雲の中でした。
花はコオニユリ、フジバカマ、アザミが咲いている。風越の頭を越えて鞍部に下ると先行の登山者が何やら撮影中だった。何と木の根っ子の部分にレンゲショウマが咲いていた。群生地は比高200m下ってまた登り返すが今日はここで見られたから山頂だけで良しとした。カニコウモリを見るのも久しい。山頂は樹林の中で何も見えない。展望所もあるが雲が厚いのでパス。パンを食べてBコースを下山した。
下山後はねざめホテルに寄ったが日帰り入浴は盆休みで営業していなかった。久々に寝覚めの床の越前屋という蕎麦屋に寄った。R19はお盆帰りのクルマで渋滞中。クルマの量が多いだけではなく南木曽町の交通事故も原因か、車輪が外れるくらいの衝撃があったようだ。
干天に慈雨 ― 2025年08月10日
予報通り小雨、明日はもっと降るらしい。これで連休の山行はつぶれた。山の日も台無し。
北アで山岳遭難相次ぐー台風9号が接近中 ― 2025年07月29日
台風9号が小笠原諸島付近にまで接近。週末の天気予報が気になる。8/1夜発で久々の北ア・唐松岳を計画している。前々日に計画の集合について交換したばかりだ。こっちは体調不良だったが鰻丼を食べたら治った気がする。暑さのせいで何となくだるいし、腰痛も出て来た。その上に台風ではモチベーションは下がる一方だ。
腰痛の原因は7/19から7/20の御嶽山の山岳ドライブかも知れん。木曽から飛騨へ約365kmも走ったからだ。特に疲れはなかったのに後で響いて来た。7/26から7/27もリベンジ山行を考えたが腰痛で実施は止めた。
そんな弱気なところへ
唐松岳でも、北アルプス唐松岳で東京都江戸川区の75歳の女性が滑落し、けがをして、長野県消防防災ヘリに救助。唐松岳で単独で登山をしていた名古屋市の59歳男性が27日、体調不良により行動不能になりました。翌28日、男性は長野県山岳遭難常駐隊と同行下山し、救助
とモチベーションは下がるばかり。
腰痛の原因は7/19から7/20の御嶽山の山岳ドライブかも知れん。木曽から飛騨へ約365kmも走ったからだ。特に疲れはなかったのに後で響いて来た。7/26から7/27もリベンジ山行を考えたが腰痛で実施は止めた。
そんな弱気なところへ
唐松岳でも、北アルプス唐松岳で東京都江戸川区の75歳の女性が滑落し、けがをして、長野県消防防災ヘリに救助。唐松岳で単独で登山をしていた名古屋市の59歳男性が27日、体調不良により行動不能になりました。翌28日、男性は長野県山岳遭難常駐隊と同行下山し、救助
とモチベーションは下がるばかり。
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