忘年山行・長者峰&高嶺2024年11月17日

 午前5時に起床。外は暗い。もたもたするうちに6時前に自宅を出た。ようやく東の空が焼け始めた。音聞橋から眺めると雄大に見える。天白の牛丼屋で朝定を食う。6時半に出る。
 今日は東の彼方の南信州の山で山岳会の新人歓迎会と忘年会である。
 R153からR301、そして松平橋を左折、県道を足助に向かう。紅葉期は過ぎたがまだ観光客は多いので早朝に足助の街を駆け抜けた。通行量はやはり多い。
 標高500mの稲武の道の駅「どんぐりの里 いなぶ」でトイレタイム。Pは早朝でも50%は埋まる。ナビをチエックすると残り30分くらいのドライブ。稲武はクロスロードなので飯田、豊橋、恵那へと分散する。飯田方面も少なくはないが今までよりは減った。
 R153は足助からは山坂が多くカーブも多い。オーバードライブのボタンをオフにして走る。エンジンの回転数を高めに保ち、トルクの強いところを維持する。以前の3000ccターボディーゼルは余り考えもしなかったが今のクルマは2500ccと500ccも減らしたからトルクも減ってトップギアの走行が不安定になった。
 日産のND350キャラバンの8年落を購入後、エンジンルームからの異音に気づいてファンベルトとテンショナーの部品を交換してもらった。低速域での使い勝手が悪くなった。最近になって気が付いたことは最小回転半径が4.9mから5.9mに大きくなったことである。だから回転や駐車にちょっと手間取る。
 現在販売中の日産キャラバンは2400CCとさらに100ccダウンサイジングしたために7速の変速機を使わざるを得ないのだろう。
 そうこう考えながら走るうちに根羽村を一気に駆け抜け、標高920mの
道の駅 信州平谷のPに着いた。午前8時30分過ぎだった。毛糸の帽子をかぶったリーダーが目に着いたのでそこへ走った。出発の準備中で私もさっそく支度にとりかかる。
 トイレを済まし、出発したのは午前9時5分。柳川を渡って右岸に諏訪神社を見て右折。しばらく車道を歩き養蜂農家の前を過ぎると左へ大きくカーブする。左から来る小沢の手前に登山口がある。舗装路から別れて砂利道に入るとすぐに1040mの独立標高点のある尾根へ渡渉する。この尾根は最初は植林だが尾根が急登になると自然林になる。足元にはどんぐりの実が一杯落ちている。しかも太っている。
 自然林に日光が当たって美しい。急登に耐えながら行くと山毛欅の古木があった。すぐに舗装された林道に飛び出す。30分ごとに林道を串刺しにしながら長者峰のPに着く。
 そこで先着の会員らが居た。目の前の小屋でさっそくお湯を沸かし肉まん&あんまんを蒸す準備に取り掛かる。小屋では宿泊と火器の禁止を謳うが、今日のイベントでお湯を沸かす許可は事前に断ってある。
 思いがけない冬晴れのお陰で360度のうち180度くらいは丸見えだった。しかも風もなく穏やかで小春日和といったところである。次々蒸し挙がる肉まんあんまんを食べて年忘れである。また車での登山組も3名登ってきた。
 山頂のPにはライダーが多数登ってきている。三角点のある所の展望台はガラス張りになっており先着の山のグループが占領していた。
 肉まんあんまんを食べ終えると高嶺へミニハイキングに行った。登山道は林道で山頂直下で笹薮の切り開きを登る。黒い柴犬を連れた親子夫婦が先着していた。眺めは西にちょっと開ける。
 長者峰に戻って下山である。車で来たグループはお迎えが来て帰って行った。我々は自分の足で登ってきた道を下る。若い60歳代のメンバーは素早い。それでも尾根の中間点で待機してくれていた。
 後期高齢者の私との差はやっぱり足腰と膝のバネだろう。今夏ジャンダルムへ登ってきた60代の女性2名は細い、軽い。足腰のバネがある。あっという間に登りあっという間に下ってしまう。かつて年長の人と富士登山で詠んだ拙句  
   遅れがちの老登山者に歩を合はす
が今では自画像になった。
 最後は待っていてもくれず、ただ一人急峻な尾根をとぼとぼ下る。道の駅のPで再会した。雑談しているとふわふわと白い虫が飛んでいる。雪虫であった。雪虫が飛ぶと1週間以内に降雪を見るという。冬の到来を告げる虫である。
 帰路はR153を辿り途中からR343、またR153,県道58で帰宅した。
 ヤマップのデータでは往復9.9km。登りは約2時間半。高嶺往復は25分。下りは1時間20分だった。平均ペース130~150%で速い。らしい。コース定数は18でふつう。らしい。