ある遭難からの帰還2022年07月21日

ヤマップの聖岳兎岳笠松尾根のルートから
濃霧、焦り…ミス重ね遭難 南ア山中で1週間、飯田の藤野さん語る
https://news.goo.ne.jp/article/chuplus/region/chuplus-511492.html?fbclid=IwAR3XQ1Rq8-Muq96xGLKUn6cwhCpZee18TJk5ECmW6pRz7uqBIUnBcOVzTOE
 南アルプス聖岳(三、〇一三メートル)近くで遭難し、一週間にわたって山中をさまよった後、自力で下山した飯田市南信濃木沢の市職員藤野貴司さん(60)。地元の遭難防止対策協会員でもあり、自身の体験を振り返り、教訓から夏の登山シーズンを前に注意を呼びかけている。 (長崎光希)

 藤野さんは九日、一泊二日の計画で、地元の芝沢ゲートから入山した。聖岳の中腹にある山小屋で宿泊し、翌日に聖岳山頂から、尾根伝いに兎(うさぎ)岳(二、八一八メートル)や笠松山を通り、林道に出るはずだった。十一日が出勤予定だったため、予備日は設けなかった。

 兎岳山頂には予定通り十日正午ごろ到着。濃霧で視界が悪い中、方位磁石を頼りに下った。三十分後、ふと東方を見ると、ないはずの尾根があった。ルートからそれていることに気が付いた。四本の尾根を横切り、本来のルートに戻った時にはすでに四時間遅れていた。「今思えば、無理に突っ切らずに山頂まで引き返して本来のルートに戻るべきだった」と悔いる。

 薄暗くなった午後七時ごろ、登山路に打ち付けられたくいを見失った。途中で笠松山の山頂と勘違いし、再び別の尾根に入った。「遅れの焦りもあった。負の連鎖に陥っていた」

 日没後、ライトで数メートルほどしか照らせない霧の中を歩き続けた。午前零時ごろ、六メートルほど谷を滑落。けがはなかったが、ストック二本とライトを失った。この日は諦め、近くで非常用の簡易テントで野宿した。

 十一日朝、そばの沢は想像よりはるかに狭いことが分かった。かなり上流にいることに気付き「今日中には帰れないな」と察した。予備のライトは光量不足で行動は日中に制限。電波の届かない谷を沢沿いに下った。

 十二日昼、林道らしき道が見えて歩を速めたところ、ぬかるんだ地面に足を取られた。再び谷を六メートルほど滑落。足首をひねり、首や肩も痛めた。林道もなかった。午後は行動をやめた。
 翌朝、藤野さんを捜す県警ヘリが去って行くのを見た。谷底でライトを掲げて救助を求めたが、届かなかった。「やはり自力で下りるしかない」と思った。

 バナナやおにぎりなど四日分の食料を持って入山したが、この時点で残っていたのは、甘納豆の小袋数個、カップの即席食品一個のみ。沢の水を飲み、空腹を紛らわすため野草のコゴミを摘んだ。日に日にやせ、リュックを体に結ぶひもがゆるんでいった。

 十五日、東に見覚えのある稜線(りょうせん)が見えた。帰れる確信を得た。十六日、目指していた林道に入り、午後十時、登山口に戻れた。車での家路が倒木で阻まれていて、メールで同僚に助けを求めた。駆け付けた同僚の要請で救急車が到着し、救助された。

 搬送先の病院で異常は見つからず、翌未明に帰宅。一週間ぶりの布団は、「最高に気持ちが良かった。家に帰った実感が持てた」
 藤野さんは「多くの人に心配をかけてしまった。日程に余裕を持たなかったから、焦りでミスを繰り返した」と反省する。「簡易テントなど非常用の装備を用意していたから帰ってこられた。無理のない登山を心掛けて」と自戒を込めて呼びかけている。
以上
 ヤマップの同じコースの写真を見ると三角点の手前から下り始めている。これが濃霧の際は分からなかったと思われる。多分2818mから南西に歩き、三角点へはハイマツの中を導かれるからそのまま南西に下った。しかし実際のヤマップのトレースは南南西に急速に振る。濃霧だと2450m付近から尾根の形状になるまでは神経質なRFになる。そこから広い尾根を彷徨したと思われる。笠松山を通過したかどうかまでは書かれていない。いずれ顛末記が書かれることを期待する。無事で良かった。

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