風生と死の話して涼しさよ 高浜虚子2016年06月02日

 この俳句の風生とは富安風生のことで、三河一宮町出身。生家を訪ねたこともある。親戚筋の人が住んでいたが生家ということの標柱があったと記憶する。
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/tousan/110/110.htm

 句の背景は「昭和三十二年夏。避暑のため訪れた山中湖畔で、句会が催されました。珍しく人名の詠みこまれた不可思議な句です。このころ富安風生はノイローゼ気味で、だから師弟の間で死の話に及んだそうです。」(ブログ俳諧の六四三)から

 昭和32年当時で虚子が83歳の時に72歳の風生と死の話をしていたというのだ。90歳代の高齢者が増えた今は珍しくもないが当時は深刻なことだっただろう。涼しい、という季語には明日にも人生を終えるかも知れない恐れが込められているかに思う。もう少し加齢しないと本当の味わいは出来ない。

 ここ一宮町に来るといつも風生の土地だなと思う。温雅な句風はこの土地に生まれ育ったからに違いない。豊川市は本宮山などの山から流れ出た土砂の扇状地であり、豊橋平野は豊川の沖積平野だ。しかも南向きで農業には好条件が揃う。本宮山の国見岩には大己貴命(おおなむちのみこと)が祀ってあったがまさに農業神として信仰されたであろう。
 他人と優劣を争わない性格は俳句にも出ていて、山本健吉は遊俳といっている。肥沃な土地なら争わなくても生きていける。

東三河・本宮山 幸田新三河線鉄塔NO49の巡視路を巡る2016年06月04日

 5/28は宝川源流を詰めて表参道を下山した。その際、荒沢川を渡る橋の手前にマイカーを停めた。新東名がまるでダムの堰堤のようになって、宝川の谷間を塞いでいる場所だ。宝川が荒沢川と分かれる付近の鉄塔巡視路を目にした。その下には必ず巡視路があり登山道として利用できると考えた。
 6/2は6時30分と早出したが高速代をケチって県道56が渋滞ででひどいので、R1にエスケープ。どちらも平日なので渋滞で動かなかった。まず高地池に行くが太陽発電パネルの工事中で入れなかった。行ってみたがPは工事業者に利用されているので転換。豊川市上長山町の最奥の登山口を出発したのは10時になった。マイカーは前と同じ場所に停める。
 荒沢川の橋を渡るとすぐに分岐で直進は宝川源流へ。額田三河線NO38と幸田新三河線の巡視路NO49の案内標が立っている左へ行く。しばらく林道を歩くと宝川を渡渉する。対岸は植林のよく踏まれた山道になった。また幸田新三河線NO49の道標へ導かれて登ってゆく。小さな沢を渡ると山腹の右を歩く。急登したと思うと額田三河線NO38の鉄塔に着いた。一面草地になっている。鉄塔38は右から上部を左へ回り込む踏み跡をたどる。左から高地池からの巡視路と合流。すぐ先に鉄塔NO49が建っている。
 振り返ると本宮山が間近に迫る。どんどん行くとまた巡視路の分岐になる。これはNO48へ、とある。これも高地池からのルートになる。さらに先でちょっと踏み跡が薄くなるが赤テープに導かれて進む。下草がシダで覆われた植林内を歩くと常緑樹の雑木林との境になる。ここで踏み跡は左へ角度を変えて登ってゆく。ジグザグのカーブが丸くなり、掘りの深い道形はかつては馬が歩いたと思われた。
 前方が明るくなると鉄塔だがNO表示はない。多分NO36。そこは広々とした眺めの良い広場になっていたので小休止した。吉祥山が高圧電線の向こうに見える。豊橋平野の扇のような広がりも見渡せる。道はがぜん良くなり、次の鉄塔NO35へ行く。雑木林をくぐったり、鉄塔付近は芒の草地になったり変化する。鉄塔を過ぎると手入れされた桧の林の中を急登する。本宮山と西蔵の分岐は篤志家のテープで示してある。
 右へ行く。△500mのコブは左へ乗り越す。最低鞍部からやや道が荒れている。△490mのコブを巻きながら歩く。尾根の中央に立つと反対方向には枯れ枝を重ねてあった。巻き道へ行けという印である。△570mで独立標高点558mのコブも頂上へ登らず右へ山腹を巻く。鞍部から両側とも植林の中の風景は変わらず、我慢を強いられる。宝川西尾根の合流する地点まではちょっとしたアルバイトがある。
 合流地には赤テープが四方にある。尾根伝いに左折すれば風頭山からの尾根と合う。電波塔のピークになる。右は宝川へ下るが地形図の破線路は生きているかは不明。地形図にない直進の道は一旦沢に下る。宝川源流の左側の源頭である。緩く登り返すと馬の背平に着く。ここには道標が立つ。
 馬の背は電波塔のピークと本宮山との鞍部になっていて650m。荒れたセメントの道を比高110mで山上の園地に着く。東屋で昼食をとる。頂上はカットして国見岩まで下る。先回見落とした岩戸神社に女道から参拝し、戻って男道を下る。鎖場の多い険しい道だ。鎖の三叉路から左へ行くと宝川源流と林道分岐になる。今回は本宮山林道へ下った。国見岩は地形図では豊川市側に突き出た約50mほどの実線であるがどうも階段道を表現している。地形図の謎は一つ解消した。
 照葉樹の落ち葉で大変滑りやすいが距離はない。林道を下ってゆくと山上園地へ登る階段道の登山口があった。これは実線で描かれているので本宮山林道本線と思ったが山道であった。地形図の謎の2つ目も解消した。表参道と合流するが膝が痛むので林道を辿る。37分でまた合流する。
 309m三角点から林道を辿る。10分ほどで上空の高圧電線の下に来た。注意深く見ると幸田新三河巡視路NO50の案内標があるので林道から山道へ下る。余り歩かれていないので落ち葉はふかふかしている。すぐに鉄塔NO50に着いた。そこから左折する。案内標に再びNO49を見出す。
 ここは地形図の三叉路の箇所だ。途中に役行者様が祀ってある。階段を下ると新東名の側道に降り立つ。左はまた本宮山林道に戻るので右へ行く。すぐに新東名のトンネルに着く。左はトンネルをくぐって上長山町の村に行くが、マイカーのデポへは右の林道のような広く平坦な山道を行く。するとしばらくでNO49の案内標があり、左の林内へ地形図にない山道を下る。降りた地点は荒沢川の橋の近くでマイカーもすぐのところだった。地形図の謎の3つ目も解消。15時13分。休憩を含めて5時間強の登山でした。
 その後また本宮の湯に入湯して帰名する。

奥三河・宇連山を歩く・・・ガンゾモチフデ山考2016年06月04日

 6/4、久々に仏坂峠から宇連山に登った。
 7時、天白を出発し、新東名から新城ICで降りる。これで3回目の利用である。約72kmあった。更にR151、R257を20km走り、四谷千枚田を目指す。高速を出るとコンビニが一軒もないことにあわてたが、ブッポウウォールの見えるコンビニで昼食とコーヒーを買う。
 四谷千枚田は1000枚以上の棚田で有名である。今日の夜は何やら行事をやるらしい。すでに多くのカメラマンが陣取っていた。交通整理もあり、通行はできた。分県登山ガイド『愛知県の山』の表紙を飾った風景である。
http://www.amazon.co.jp/%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88-%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E3%81%AE%E5%B1%B1-%E6%96%B0%E3%83%BB%E5%88%86%E7%9C%8C%E7%99%BB%E5%B1%B1%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89-%E7%A4%BE%E5%9B%A3%E6%B3%95%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E4%BC%9A%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%94%AF%E9%83%A8/dp/4635023729
 本書の表紙のような青々とした棚田を想像したが、まだ2週間前に植えたばかりで、7月頃になるとのことだった。
 新城ICから約20kmあった。仏坂トンネルのPに着いた。3台止まっている。9時15分、支度して出発する。峠道は途中崩壊箇所があって、臨時の金属製の桟橋が掛けられていた。そこ以外は依然と変わらず歩ける。15分ほどで峠に着く。よく手入れされた杉の高木が林立する。人工林も手入れされれば美しいものである。峠には文字通り石仏が安置されたり、役行者様が祀ってある。
 小休止することもなく、宇連山へ延々と続く尾根の登りに入る。東海自然歩道であるが、道幅は普通の登山道である。ハイカーが愛知県の山間部を踏破するのは難儀なことであろう。登り始めは尾根を忠実に辿らず、山腹を巻いてゆく。それを繰り返すとベンチのある休み場に着く。ここからはほぼ尾根筋の厳しい登りになる。小さなアップダウンを繰り返しながら841mを越えて下ると海老峠に着いた。小休止する。
 フタリシズカが可憐な花を咲かせる。遠くから近くから「テッペンカケタカ」と聞こえてきた。
 ホトトギスである。長い旅を終えて今頃は日本の山で休むこともなく営巣するのだろう。托卵はずるいが彼らのたくましい知恵である。彼らはグローバルに活動する。外国から干渉されたり、したりするうちにずるく悪賢くなるのだ。
 海老峠は川売(かおれ)も廃村宇連(うれ)にも下ったり登ったりしたことがある。昔は行商人の往来した峠道である。川売には少し道形が残っているが、宇連には見えない。下部まで下れば分かるだろう。
 さて、再び山道を歩く。海老峠でやっと半分のところである。歩いても歩いても高くはならず、展望も得られないから忍耐が要る。高くなるどころか838mを越えると逆に下り気味となる。一旦は750mまで下げた後、山頂に向かって高まってゆく。右手が明るい。宇連山の西半分が伐採中で、林道も延伸されてきた。正確には三角点の西に伸びる尾根と東海自然歩道(破線路)の交差するところから北部は皆伐のために道が影響を受けている。
 かつて、清水沢右又を遡行してこの辺りに着いた。何か、切り開きができていた。その看板に書かれた住所に注目した。最後に「ガンゾモチフデ」とあったからだ。あれは地名だったのだ。『振草村誌』に宇連山の別名として「ガンゾモチフデ山」を発見して以来、気になってきた。ガンゾの意味は色々書いて置いた。
 最近では、北アルプスの剣岳の東、剣沢の真北に「ガンドウ尾根」があると知った。
 佐伯邦夫「剣岳地名大辞典」には鋸刃状の尾根の意味とする。
http://www.tatecal.or.jp/tatecal/proceedings/13-17-52_Ls.pdf
 ガンドウには大きなノコギリの意味があるとすると第10岩脈のイメージが重なる。
https://www.gsj.jp/publications/bulletin/bull2003/bull54-07.html

そこは新城市(旧鳳来町)と設楽町の境。今は設楽町であるが、振草村は大部分が東栄町になったが、宇連は設楽町に合併された。だから『振草村誌』に記載されたのである。また、『設楽町誌』の宇連山の絵図に「がんどぅ」として記載されたのも同じ理由になる。すると、モチフデはこの町村界で入会山の境界にされた意味だろうか。

小屋番の山日記 宇連山覚書

http://koyaban.asablo.jp/blog/2006/08/12/

小屋番の掲示板「行ってきました」 宇連山・清水沢遡行

http://8425.teacup.com/koyabann1/bbs/99

 考えているうちに12時に山頂へ着いた。今日は曇り空で明神山も今一さえない。山頂に居た若い男たちはすべて県民の森側へ下って行った。すると仏坂のPの車は鞍掛山への登山者だったことになる。
 山頂でゆっくり休んだ後往路を戻った。帰路は四谷千枚田を通過したがマイカーは減っていた。R257、R420を経て足助でR153になる。県道58で帰名する。

水無月句帳2016年06月08日

ギンリョウソウ
    5/28 本宮山 宝川から表参道
岩の戸ゆこの一滴(ひとしずく)岩清水
・・・国見岩の一段下の岩の割れ目から浸みだす清水。信仰の山に湧水あり、湧水なくして信仰の山ならず。

    6/2  本宮山 新東名起点周遊
風生のふるさとの山涼しかり
・・・愛知県の東部に多い姓は夏目、今泉とこの富安さんで、福岡県に次いで2番目。ふるさとの山は当然、本宮山のこと。

    6/4 宇連山
得もいはず薄紫のコアジサイ
・・・濃紫陽花もコアジサイというが違う品種。淡い紫色。

突き抜けし腐葉土の精ギンリョウソウ
・・・土を突き破って銀白色の木の子が出ている。種子や胞子を育む土って不思議。

ホトトギスやっとかめだなと迎へける
・・・やっとかめは名古屋の方言というが三河でしか聞かない。八十日目と書き、ひさしぶりの意味。

見へねども遠近で鳴くホトトギス
・・・ハトより一回り小さい。鳴き声はよく聞くが、姿を見たのは北ア・燕岳の登山道で見たのみ。

夏鶯緑はてなし山野かな
・・・登山道の隙間から眺める山間地は緑一色に染まる。

短パンにストッキングの登山服
・・・最近のトレンドは短パンを履くこと。皮膚を守るためにストッキングが居る。確かに膝は楽だろう。

千枚田父祖から継ぎし植田かな
・・・1290枚の棚田で構成する四谷千枚田。突然の山崩れで家も谷も埋まったという。それに負けず汗と涙で棚田にした父祖の遺産。

V(ブイ)の字のフタリシズカの白い花
・・・日の当たらない桧の林床に育つ。裸地で他の雑草との生存競争もなく可憐な白い花を咲かせる。

第4回夏山フェスタ大盛況!2016年06月11日

 10時開場前に大勢が並んで入場待ちする熱心な登山ファンら。私も会場へ重い本を抱えて入場し並べてもらった。開場すると同時に狭いブースとブースの間の通路が人で溢れた。大げさではないよ。
 昨年は7000人弱が訪れたが今年は突破する勢いである。このようなイベントは10年は盛況を続けるらしい。しかし、マンネリでそれ以上は続かないのだとか言っていた。
 午後は登山医学の分野で活躍中の野口いづみさんの山での救急医療の話を聞く。怪我だけでなく病気もあるという。経験を交えての出来事と対応の説明に、これまでに何事もなかったわけではないが、医師のお世話になったことはなかったのが偶然と知らされる。
 講演後は彼女の著作が飛ぶように売れた。ニッチな分野の本なので売れるかどうかの心配は無用だった。野口さんは明日は御在所岳に登山して帰京とか。
 一方、山岳ライター兼ガイドで活躍する小林千穂さんの著作もすぐに完売となる。明日売る本がなくなり、急遽、帰京して著作を取りに行ったという。女子の登山にフォーカスしていて楽しく書いてあるのでよく売れるだろうとの予感はあった。明日6/12は田中陽希さんも登壇するので一層賑わうだろう。

どくだみ茶を飲む2016年06月15日

 美濃の道の駅で買ったどくだみ茶を煎じて飲んでみました。美味しいから飲むものではありません。十薬という薬効を信じるのみです。このこところ、肥満からくる高血圧、体重増による膝変形症、虫歯によりブリッジの折損と良いところなし。自費診療を選択せざるを得なくなり高額の治療費にぞっとする。歯の痛みよりも財布の方が痛い。歯痛には麻酔が効くが財布に打つ麻酔はない。益々働かなくてはならん。
 まず、肥満の原因になっていたと思うヨーグルトの宅配を中止しました。元々便通を良くするためにとったが、同じものを続けると効果はないと知った。栄養価が高いので肥満というデメリットのみになる。
 便秘をすると目が痛むし、歯も痛む。眼科医が言うには腸内の毒素が血管を汚すからだと、アリナミンFを処方してくれた。すぐに解消した。毎日PCと7時間ほどにらめっこしていた現役から離れて目のトラブルは無くなった。便秘は粘膜の中の血管も汚すから虫歯への抵抗力も弱るのだろう。
 以前は目の疲労を緩和するために毎日市販の点眼薬を使用。この中の防腐剤が肝臓に蓄積されてガンマGTPとかいうデータが異常値を示した。これは毎日飲酒をする習慣のある人は大きな数値になるらしいがこちらは飲まない。おかしいな、と考えたのが点眼薬に思いつき、使用を中止し、どくだみを薬局で購入して、1日置きに煎じて飲むと3か月後の健康診断では標準値まできれいに下がっていた。著効に驚いた。
 今回も歯科医院で治療後に処方された化膿止めの薬の副作用として下痢しやすいとあった。その通りになった。ところが薬の服用が終わると今度は便秘になり、切れ痔になる。歯茎から出血するわ痔から出血するわ、財布も出血するわで大変なことになった。財布以外の出血は止まった。
 結局、食べること、飲むことには何ら不自由のない時代なので、如何に出すかを考えた。呼吸は吐いて吸う、金銭出納も損益も文字通り先に出費があって収入は後。出すことが先である。
 医師に頼らず、対症療法の西洋薬はなるだけ飲まない、するとどくだみ茶の飲用が浮かんできた。狙いは、肥満解消、体重減になれば膝も完治し、高血圧の解消にもなる。
 一袋100gで300円のどくだみ茶だ。自費でも財布を傷めない。通販の健康食品もあるがみな高額である。高いものは続かない。これで健康を回復できるなら安いものだ。さあ、続けるぞ!

ソース:スペック高すぎ驚くべきどくだみ茶の健康効果!効能と成分・副作用は?
http://lettre-du-nature.com/archives/2489

東三河・本宮山 くらがり溪谷から登り風頭山へ下る2016年06月19日

           くらがり渓谷へ
 東名高速の岡崎ICから出て県道37を走るつもりがうっかりパスしてしまい、音羽蒲郡ICまで走った。本宿まで戻ってR473から樫山町月秋の交差点で県道37を右折しくらがり溪谷の駐車場に着いた。この際、新東名の岡崎東ICの傍を通った。高速で来るならここが一番近いと知った。
 地図上のイメージではもっと山深い気がしたから意外である。「岡崎東IC くらがり渓谷」で距離を検索すると旧岡崎市の東のよしの屋の岡崎東店からになるのはまだ認知されていないからだろう。名鉄の東岡崎駅もあり、しばらくは混乱する。そもそもここを岡崎東とするのは無理がある。額田なる歴史ある地名は地図から完全に抹消されたのは寂しい。せめて岡崎額田ICに変更を希望する。
          くらがり溪谷を歩く
 さて、午前6時50分に着いたが、駐車場の開場は午前9時からになる。待っても居れないので、鍵はないのでチェーンを外して入った。7時過ぎに静寂のくらがり渓谷を歩きはじめる。といっても山上まで車道の通過できる林道歩きである。渓相はうっそうとした樹木が日光を遮って文字通りくらがりである。
 地形図には漢字で「闇苅溪谷」とある。本宮山の三角点近くまで水線で突き上げるもっとも正統な溪谷である。源流部の楓橋には闇苅沢とあった。豊川市の宝川は砥鹿神社付近で消える。新城市側の境川も砥鹿神社で終わる。旧作手村も巴川(ともえがわ)の源流が突き上げるが傾斜が緩いので水線は表現されていない。くらがり渓谷は下流で男川(おとがわ)となり、乙川(おとがわ)に合流する。
 苅という字は草を刈ることに限定した国字という。槍ヶ岳山荘の創業者の穂苅三寿雄など信州系の地名や氏名と見る。谷は関西、沢は関東と言うから、闇苅沢の名称は関東か信州の影響下にあるだろう。
         くらがり山荘の歌碑・・・依田秋圃のこと   
 最初はバンガローとかキャンプ場などの観光向けの施設がある。杉はだれでも分かるが欅などは名札で初めて分かる。そんな樹種を見ながら歩いてゆくとくらがり山荘という大きな建物に着く。周囲は紅葉の名所のようだ。今は緑だが11月中旬以降は燃えるような彩になるのだろう。
 ここには奥三河の山と人を愛した依田秋圃の歌碑が建っている。東京帝大林学科を卒業後愛知県に赴任した林業技術者であった。後に浅野梨郷らと交わり、愛知歌壇の草分け的な存在だった。(http://koyaban.asablo.jp/blog/2015/06/16/7670502

 ゐろり火に添ふるたきぎの音たてて燃ゆるに山の夜は更けにけり

周囲は闇苅国有林である。左岸側の尾根には宮標石が埋まっていたから戦前は御料林だった。樹木の太さからおよそ樹齢100年以上はある。100年前の1916年は大正5年。事業計画書は明治42(1909)年作成。この歌は歌集『山野』の大正12年「凍る夜」の第1首。林業地の事務所に泊まった時の歌。
 明治中期に旧宮崎村の山本源吉翁が山焼きで兀山だった村有地を植林に切り替えた。その植林事業の計画書を作成したのが林業技師の依田貞種だった。歌人だから歌集もあるが散文集『山と人とを想ひて』の中の「くらがりの蛭」に山本翁と村有林からくらがりの御料林を歩いた話が蛭の被害と共に語られている。場所の特定はできないがこの地に足跡のあったことは事実である。
           馬の背平へ
 さて、くらがり山荘を過ぎると人工的な施設は廃墟然とした一ぜん飯屋の東屋で終わる。これまでも景勝地にはそれぞれらしい名称を与えているが淵も滝も奇岩も中途半端な気がする。あえて名前を与えてまでハイカーの気を引くまでもない。圧倒するような滝もなく、吸い込まれそうな深淵もない。くらがり八景と称してまぼろしの滝に着いたがスケールが小さ過ぎだ。開発し過ぎである。
 林道を延々登ると前方が開けて来た。何と源流部は皆伐されている。楓橋を渡ると本流は左へと山頂に突き上げる。裏参道は急坂を喘いで馬の背平に着いた。ここからは既知のルートになる。再びセメントで固めた参道を登る。転がりそうなほど急な坂道を登りきると国見岩の赤い鳥居の階段道の中途に着いた。ふるさと公園の一角に着いたわけだ。
          本宮山の地形図の疑問
 地形図には岡崎市と豊川市の境界を挟んで、ふるさと公園から実線が豊川市側に連続して下っている。これがどうも階段道である。ところが国見岩と岩戸神社の記号がない。名勝地はドットを三点配する記号であるがここにないので実線が何を意味するか不明である。国土地理院の記号には石段がある。鳳来寺山はちゃんと石段の記号になっている。やはり大己貴命を祀るのだから国見岩(岩戸神社)の名称を入れ、破線路で表現するべきだ。もう1本細目の実線は女道のことだろう。
 鳥居から中段まで下ると左へ踏み跡があるので辿ると地形図の池に遭遇する。これは地形図のダム記号で表現されている。錦鯉が泳いでいる。ゆるやかに尾根を残すとまた沢をまたぐ。すぐに林道らしい道に出る。直進すると奥宮である。
 右へ緩やかに下る。うっそうとした社叢林が静寂境を作り出している。小鳥の鳴き声が盛んである。やがて東屋(地形図の林道がV字の底の部分)に着いたが緑の落葉樹が茂って下界は部分的にしか見下ろせない。休んでいる人に聞くとできたばかりの頃はよく見えたらしい。ここまでは1.5mから3m以内の実線で表現するのは妥当だ。少しづつ細くなって、急カーブする先を下って本宮山林道に降り立つ。この部分は1、5mもないので破線路であろう。結局本宮山林道は国見岩への登り口が終点だった。
 多分、小型重機で遊歩道を開削する際に傾斜の緩いところまでとして、急なところは人手で道づくりをしたのではないか。
 池からの分岐まで登り返す。奥宮にも参拝した。また戻る。林道ならぬ遊歩道は水芭蕉園(旧スケート場)まで続くが今日はパス。
        風頭山へ下る
 さて、国見岩を経て、馬の背平まで戻る。平からは電波塔記号のある690mのピークまで車道を登った。施設は今は利用されず廃墟然としている。金網柵の右から回り込んで尾根に出る。地形図では破線路になっているが踏み跡は一切ない。赤や黄色のテープで登山者の痕跡が分かる程度だ。ただし、樹林の影になるせいでこの時期でも下草はほとんどない。右は桧の林、左は常緑樹などの雑木林になる。
 腐葉土の柔らかい感触を感じながら下る。最初の鞍部で河原町へ下る分岐になる。ここまで来ると両側とも桧の林になり、尾根の幅一杯は防火帯のような広さの道ともいえないが道のように歩ける。
 ここから600m以上のピークを数えること9座も越える。破線路は662mまであるが651m三角点へも迷うことなく行ける。道標はないが、赤テープのマーキングが随所にある。600mに3m足りない風頭山に着いた。馬の背平10:40から約2時間40分かかって13:20に登頂。ここで初めてパン1個を食う。暑いせいでおにぎりは入りそうにない。岩場に降りて本宮山を眺める。はるばる来たぜ、と思う距離感がある。下り坂の山旅であるがほとんど下らない。100m前後の比高しかないから健脚向きである。
 風頭山は今から21年前の平成7年に出版した拙書『続・ひと味違う名古屋からの山旅』に初めて紹介。他のガイドブックにもガイドされて次第に知られるようになった。地元の小学生が遠足で登る山であり、山頂には児童らの置いて行った旗が残っていた。どこをどう登ったかの記憶はない。踏み跡を辿ると25分で林道に出、更に杉林を30分下ると登山口の車道に着いた。徒歩20分で千万町口のバス停に着く。15時20分の名鉄バスでくらがり渓谷に戻った。歩けば1時間強だがバスなら210円かかるが6分ほどだ。岡崎東ICから新東名を経て帰名。名古屋ICまで920円。高速43km+地道15km位で58kmほど。1時間くらいで来れる。

六月の樹々の光に歩むかな 石井露月2016年06月21日

 読売新聞朝刊26面の文化 文芸欄の対談「俳句とは」で矢島渚男氏と宇多喜代子氏が語り合う中に出てきた石井露月という俳人。宇多さんが最初に出会った俳人だった。人のことでなく、山を詠むに惹かれて調査開始。
 ソース:増殖する俳句歳時記にあった俳句
http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20000601,20000531,20000530&tit=20000601&today=20000601&tit2=2000%94N6%8C%8E1%93%FA%82%CC

 露月の人となりは
http://d.hatena.ne.jp/pract/20050517
 
以上
 おそらくは授かったような俳句である。先だって登った本宮山の奥宮の裏の森の雰囲気がこんな感じだった。うっそうとした喬木の森にも多少の光はさす。6月の山の上なので緑はまだ若く見える。小鳥の鳴き声を聞くともなしに聞く。木々の間から漏れてくる光の下ゆっくりと歩む。

 秋立つか雲の音聞け山の上
 雪山はうしろに聳(そび)ゆ花御堂

 露月は文学を志したが一人前になるには資本が要ると諭され、断念して医者になったという。私の先輩にも東大文学部を受験して失敗。名古屋帝大医学部には合格して医者になった人がいる。文学は才能が要るという点で医者よりも難しいのである。その上に文章修業、作品が売れるまで食いつなぐお金がいるわけだ。

焼き串に鮎躍らせてありにけり 長谷川櫂2016年06月22日

 作者の長谷川櫂は1954年生れのこの世界では若い俳人。熊本県の産で読売新聞記者を経て専門俳人の道を歩む。句集は多いがどちらかといえば俳句評論や鑑賞文に才がある。句集は持っていないが俳句評論の本は買うことがある。実作よりも理論の人なのである。

 さて掲句はつい最近、能郷白山の登山口に近い岐阜県本巣市根尾の源屋で食べた鮎料理を思い出させた。毎年6月と落ち鮎の時と2回は食べに行く。今年も鮎の刺し身の甘味を味わった。絶品である。他に鮎の甘露煮、塩焼き2尾が付く。塩焼きは竹串に魚体を刺すがまるで生きているかのような躍動感がある。これは定番の味である。「躍らせてあ」るかのような表現がこの句の持ち味である。

http://koyaban.asablo.jp/blog/2009/06/21/4382973

http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/07/17/6905351

水無月句帳Ⅱ2016年06月30日

        6/18 本宮山
くらがりは木下闇なる谷間かな

伐採を逃れて久し夏木立

   短パン姿のランナー
夏山を女ひとりで駆け上がる

誰ひとり見ぬ夏山の頂きに

着いてすぐ一気飲みするソーダ水

梅雨晴れや電波塔立つ本宮山

         6/29
梅雨寒や急病の知らせあり

点滴と浴衣姿の病衣かな

梅雨の冷え半日無為に過ごしけり

梅雨じめり老いて病むこと無惨なり