島津亜矢・初座長公演を観る!2012年05月17日

観客で混雑する御園座界隈
 演歌歌手・島津亜矢さんの初座長公演が5/12から5/27まで御園座で興行中である。初日から満員御礼の連続というほど好評である。出し物は史劇「山本八重の半生 会津のジャンヌダルク」2幕ものと歌の三部構成である。山本八重は明治維新前後に生き、同志社大学を設立した新島襄の奥さんになる実在の人物である。舞台では山本八重の若い頃だけに絞って作劇された。
 島津さんはもちろん山本八重の役を演じられた。八重は男勝りで、力持ち、スペンサー銃を使いこなす腕前もあったという。戊辰戦争では負けたが会津城で銃を片手に戦った。その男性的なイメージが自分にピッタリというので引き受けられた由。
 観劇というと大抵はちゃんばら劇か、家庭の男女の相克などが多いように思うがこれは歴史に題材を得ている点で単なる作り物の時代劇ではない。幕末の史実という点で興味深いものがあった。
 初めての本格的な舞台だったが、迫真の演技でこなされた。冗漫さはなく、テンポよく進行する。演技に熱が入るあまり、手に汗握る殺陣の場面では、島津さんの夫役で主役の田中健さんが、刀を振り回した際に2列目の客席に投げ込まれた形になった。諏訪、怪我か、と思ったが演技は真剣でも刀は真剣ではなかったので事なきを得た。すぐ劇場の係員が飛んできて、様子を伺っていた。こんなことも想定の内らしく、すぐに代わりの刀が用意されて、劇は進行させるのだ。
 その後、田中健さんの竹笛=ケーナの演奏があって、その口上ではしきりに釈明された。舞台では何があるか分からないんですよ、と。客席にも軽く謝罪された。ケーナはコンドルは飛んでゆくを吹かれた。見事なものだった。
 舞台の方は所狭しと女性座長にふさわしくないほどの活劇ぶりだった。じめじめしたところが全くない。つまり、舞台劇では女性のお涙頂戴という安易な場面が多いがそれがない。「私は男だ」というセリフも出る。それはもう山本八重のエピソードそのものであろうか。人気歌手や美男美女の人気俳優で彩る従来の枠をオーバーしている。
 八重の半生なので、会津城は散々な結末に終わることは歴史の本に譲ることにしよう。
 最後は待ちに待った歌唱である。歌だけでも良いのだが、劇の出来が良いので余韻を引きずりながら楽しめた。ある有名歌手が「歌手芝居なんてけんもほろろ」と言ったが、それは実在しない人物、物語が作り物だから、素人芝居なんて観ちゃおれないよ、という自虐的な意味であろう。島津さんは肥後もっこすそのままに演じきってしまった。あのセリフだけでも大変なのだが、今回はなぜか、江利チエミのテネシーワルツという英語の歌も披露された。一世を風靡した名曲である。これも歌の道をまい進する一里塚だろうか。
 高木東六に「末恐ろしい子ども」藤山一郎に「日本の演歌の宝」とか言われた熊本出身の天才少女歌手は今、御園座に役者としての才も魅せはじめた。集客力も凄い。一緒に観た三重県から来た実弟が「紅白の常連でもないのになんでやろ」と不思議がる。一度はライブで聴きたいというファンが全国に多数遍在する。どんな芸能人に成長してゆくのか。しばらくは一日1回1600人以上、2回ならば3200人以上のファンが詰め掛ける御園座から目が離せない。

吟!新緑の今淵ヶ岳2012年05月18日

乙狩の奥や権現滝の落つ

渓声と共に登るや青葉谷

降り注ぐ日の明るしや若葉山

一人静二人静の咲き初めし

桐の花朴の花咲く美濃の山

ホトトギス声調のまだ整はず

山頂やさはやかな風吹かれをり

風景写真展のご案内2012年05月19日

 私の古い友人が写真展を開催しますのでご案内いたします。ご用とお急ぎでない方はどうぞごゆっくりご観覧ください。

風景写真展 まほらば山河 奥三河
 撮影場所に詳しい地図データを付けました。ロケ・ハンにお役立てください。

撮影者 安江邦之  0565-58-2807

  豊田:豊田市民ギャラリー 5/17     5/18&5/19    5/20(日)
VITS豊田タウンB1F    13:00~  10:00~      10:00~  
0565-33-2112         18:00     18:00       16:00

*今日はようやく行って来れました。Pは無料券をくれますのでゆっくり楽しめます。写真コンテストではない、構図とか技術をあらそうものではない、名所旧跡でもない、失われゆく奥三河の風景をある時点で記録した数千点から選定した二十点です。地味ですが心にしみる作品でした。20日限りとなります。
 前田真三氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E7%9C%9F%E4%B8%89
 東松照明氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%9D%BE%E7%85%A7%E6%98%8E
に通じるものがありました。

島津亜矢さんを応援しています!2012年05月20日

 5/17に続いて2回目の観劇でした。今日は日曜日とあって午前11時開演の1回目のみ。出し物はもちろん変わらず。5/12以来、今日で9日目で、大切な喉の調子は疲労の極度に達してきたはずですが頑張って乗り切ってください。
 主役の田中健さんが御園座のお客様は優しく応援していただけて我々にも励みになるとご挨拶もありました。そうですね観劇はこの一体感がいいわけです。TVやユーチューブだけでは味わえない体験なわけです。チケットは安くはないが、それだけのことはあるのです。
 今日は観劇のほかにファン同士で清遊も楽しみました。掲示板のいわばOFF会です。観劇も夢をみているような錯覚にとらわれます。非日常に遊んだわけです。OFF会もそれに輪をかけて楽しいものでした。さてまた日常に引き戻されるのです。

続報・えっ!丸善名古屋店が・・決定!2012年05月22日

2012.1.14付けで以下の文を書いたらホントになってしまった。朝日新聞は34面のど真ん中、中日新聞は今回も一面と九面を割いて報じている。丸善の場所は本好きの名古屋人には大きな関心事なのである。わが意を得たりと、思わず、にやっと笑った。 

 「中日新聞朝刊が一面と九面を割いて丸善名古屋店の閉店を報道した。それも6月とあって思わず、えっとなった。
 ビルの老朽化にともなう移転先が見つからないのが原因とか。隣の丸栄の一部を間借りできないものかねえ。服の売り場を撤退して丸善を取り込めば入店者は確実に増えるだろうし。
 丸善に無ければ諦めて、注文するか、となる。平積みの減り方が売れ筋を読むバロメーターになる。栄中心から至近距離にある。どれも量と質を誇る丸善ならばこそだ。
 丸善より大きな蔵書量を誇る書店はあるがどこも利用勝手が悪い。広すぎる。栄から少し遠い。デパートの上階に位置する書店は億劫になる。中空店舗よりはやはり1階がよい。せめて2階か3階だ。丸栄さん、丸善さんに場所を提供してあげてよ。」

 但し、希望は2.階か3階だったが6階と7階になるようだ。まあいいか、めでたし、めでたし。

 今日も仕事の後、丸の内に向かうが、俳句の友人から食事のおさそいがあったので伏見の「三好乃」で洋食をいただく。その足で丸善に向かう。朝日の広告で見た『オール読物』を買う。目に付いたキャッチは「会津幕末秘史 山本八重よ銃をとれ」。書いたのは直木賞作家の中村彰彦氏。ワックの『歴史通』9月号と11月号にも中村氏が詳細に記述している。
 何で関心があるかといえば、今、御園座で演歌歌手の島津亜矢が山本八重を熱演中なのである。その名も「会津のジャンヌダルク 山本八重の半生」。5/12の開幕以来、満員御礼が続いているという。これまでに2回観劇した。面白い歴史劇に仕上がっている。いろいろ、知りたいことが出てきたのである。
 連日大入りが疑いなしの御園座はこのまま千秋楽まで行くだろう。すると延べ4万人もの動員になる。加重平均すると客単価は10000円強としても4億円のキャッシュが懐に入る。苦境が伝えられる御園座であるが干天の慈雨くらいの効果はあるだろう。島津さんに社運をかけただけはある。建物の減価償却がやっと終わったと思ったら、もう建て替えという。もったいない話だ。あんな立派な劇場をねえ。
 島津亜矢さんだけでなく、他の俳優さんらの動員も配慮しないと、一将功なりて万骨枯る、見たいな話になろうか。それでも彼女はすごいと思う。25日にもまた行きますよ。

丸善は栄でなきゃ!2012年05月23日

 今朝、成年後見の仕事で高齢の女性宅にお邪魔した。仕事が終わって、問わず語りに、丸善の移転を切り出した。開口一番、丸善は栄でなきゃいけません、と言われて、びっくりした。丸栄に入居できてよかったとも言われた。老舗に寄せる信頼感は絶大だと思う。明治屋とセットで買い物を楽しまれてきたのである。確かにあの風景には栄らしさがある。
 私たち、(高齢女性)はもう百貨店でお買い物はしません、ときっぱり。男性の服売り場は閑散としている旨、話すと、女性向けの売り場も同じらしい。以前から苦境の丸栄だったが、世間はそういう反応だったのである。栄に三つも要らないだろう。おまけにパルコまである。過当競争だったわけだ。
 丸善以外には元気な老人向けにモンベル(現在はロフトにある)を誘致したり、ウォールクライミングを設けたりして毛色の変わった、他がやらないことをやる発想が必要だろう。
 島津さん頑張っていますよ、と御園座にも話題を振った。従兄弟の同級生に御園座の社長がいたらしい。東海高校でしょ、という。現在の社長は46歳位のはず。少し年齢が合わないが・・・。ググッて見ると戦後は財界の支援で経営されてきたようである。人のつながりだけで継続してきたわけだ。だから甘い経営にならざるを得ないのか。成功した経営者はみなドライである。
 会社は大きくするとつぶれる。
 芸能は元々は旅芸人というように浮沈の激しい、「浮草」稼業である。その場限りの芝居小屋で芝居を打っては次へ行く。今はちょっと立派になり過ぎた気もする。しかし、島津亜矢一座は心配ない。楽団を抱え、ドサ周り的なコンサートを主にして鍛えている。マスコミに乗らなくても食べていく力がある。芸能のプリンシプルを知っている。
 諸行無常。御園座会館の減価償却50年の内に社会が大きく変化した。利益準備金が積みあがっておれば手を打てるが、他人資本では舵取りが難しい。名古屋財界の英知が求めらる。

「東海山岳」11号編集会議2012年05月24日

 18時30分から、いよいよ「東海山岳」11号の編集作業も最終段階に入った。印刷会社にも来てもらっての打ち合わせを行う。かねて懸念していた写真の件も話し合った。最後の詰めではやはり、50年史に古い写真をということになった。
 支部50年の内、最初の20年くらいが歴史として実に面白い展開である。あの当時のヒマラヤは現在のような私的な、個人的な動機よりも社会の注目があった。社会的な期待の結果として多額の寄付金も集まったのである。1ドルが360円という時代だった。今は80円前後だから隔世の感がある。一杯のコーヒーの値段も60円だった。貧しかったが希望に満ちていたのである。そんなエネルギッシュな若者の群像を描いたつもりである。
 ヒマラヤへ長期遠征のために、支部員らも会社での出世の道を半ば断念したこともあったかに仄聞している。会社に残れた人は幸運で、大抵は退社したという。それだけの夢を持てる時代だった。しかし、ヒマラヤ遠征に加われない支部員は疎外感もあったという。
 悲喜こもごもの50年史になったと思う。

名張毒ぶどう酒事件、奥西死刑囚の再審開始認めず!2012年05月25日

名古屋高等裁判所
 11時半、家裁へ書類提出に出向いたら、名古屋高裁の前が物々しい雰囲気だった。1時間半ほど前に、再審開始決定に対する検察側の異議申し立てを認め、奥西勝死刑囚(86)(名古屋拘置所在監)の再審開始を取り消す決定をしたようだ。
 WEB版毎日JPから
 #名張毒ぶどう酒事件
 1969年の名古屋高裁の確定判決によると、奥西死刑囚は三角関係清算のため妻と愛人にニッカリンTを飲ませて殺害しようと計画。61年3月28日、名張市内の集落懇親会で農薬入りぶどう酒を飲んだ妻や愛人ら5人が死亡、12人が中毒症状になった。奥西死刑囚は「ニッカリンTを混ぜた」と自白、殺人容疑などで逮捕された。起訴直前に否認に転じ、1審津地裁(64年)は無罪判決。2審名古屋高裁では死刑判決を受け、最高裁が72年に上告を棄却、死刑が確定した。
WEB版日刊スポーツから
. 「不当決定」の垂れ幕を掲げた弁護士の手はわなわなと震えていた。名張毒ぶどう酒事件で再審開始を認めなかった25日の名古屋高裁決定。午前10時すぎ、高裁正門前に詰め掛けた支援者約100人からは、ため息とともに怒号が飛んだ。
 「信じられない不当決定だ。暴挙以外の何ものでもない」。奥西勝元被告(86)の弁護団長の鈴木泉弁護士(65)の声は怒りに満ちていた。決定書を見た瞬間は言葉も出なかったという。
 マイクを手にした鈴木団長は支援者を前に「力が及ばなかった点は深くおわびしたい。この決定を必ずや打ち破る」と唇をかんだ。支援者は「無罪を勝ち取るまでともに闘う」と応じた。
 奥西元被告の特別面会人の稲生昌三さん(73)は「何を根拠に不当決定を出したのか」と声を荒らげた。決定が出る前に元被告と一緒に温泉に行こうと約束していたといい、「86歳となり、肺炎も患っている。特別抗告とともに釈放も求めたい」と前を向いた。(共同)

 私も三重県出身者として、この事件報道には関心をもって見て来た。なんでこんなに裁判が長引くのか。支援者らの再審開始を求める署名は2年間で、10万人以上という。

島津亜矢・初座長公演も千秋楽近し!2012年05月26日

 5/25の午前中に重要な仕事を終えて、片付けてから御園座に向かった。これで3回目の観劇になる。丁度、3時に閉幕したばかりの一部のお客さんがどっと出てこられたばかりで、縁日の寺社のごとき賑わいである。入場待ちするお客さんも大勢いた。
 係りの人に観客の入りを聞いてみると、上々とのこと。地下のある店でもこんなに大勢のお客様がお見えになることはないとのこと。島津亜矢さんの初座長公演はどうやら記録づくめの興行になるだろう。何しろ、普段は閑散としている食堂も満席で、ホールの椅子もすぐに埋まり、弁当も食べておれないからフロアーにべたっと座って食事する人もいた。 
 今日は両脇と中央にビデオカメラが合計で5機据えられて、カメラマン氏に問うと、DVD用に録画しているらしい。テイチクから発売されるようだがまだ正式な情報はない。最初に見た芝居と比較して、気のせいか、今日は役者さんらの配置が若干、間隔が広いように思えた。カメラアングルの死角にならないように、演出を修正したのだろうか。様々な角度から撮影されて、名場面を編集し、大写し、凝視したりして、見ごたえのある、芸術性の高いものが制作されることを期待したい。
 江戸時代、1853年の黒船来航以来、日米和親条約を締結して、開国させられる。今のTPPより深刻なことだった。それは欧米による日本の植民地化を意味していた。
 1862年、薩摩藩主の父・島津久光の大名行列を乱したイギリス人を切り殺した生麦事件が起きた。日本人はたとえ白人であっても、恐れず、主君を守るとあれば、向かってゆく。この事件の処理では薩英戦争で決着が図られたが痛み分けで終わっている。
 その6年後の1868年に戊辰戦争が起きた。欧米列強の植民地化という外圧の元で、最後まで幕藩体制を守ろうとする会津藩と薩摩・長州連合が戦った。会津藩の中に山本八重(新島八重、1845-1932)という女がいた。スペンサー銃の扱い方をよく知る男勝りの女性だった。弟・三郎の形見の衣装を着て、断髪し、男装して、会津城内で戦闘した。このことから会津のジャンヌダルク又は幕末のジャンヌダルクとも言われた。しかし、戊辰戦争には負けた。山本八重をよく知るには↓
http://www.nisshinkan.jp/yae
 戊辰戦争は敗戦。この結果、内乱は収まり、明治政府による政権が確立。八重は兄について、京都に上り、新島襄と結婚します。
 本家・ジャンヌダルクはフランスを勝利に導く活躍をして英雄になりますが、八重は活躍はしましたが会津藩は負けてしまいます。英雄にはなれなかったわけです。「日本の何々というものは常にスケールが小さいか、内実を伴いません。表面だけをみて会津のジャンヌダルクというのは八重に失礼なことです。少なくとも存命中ならそんな命名はさせなかったと思います。
 ちょっとけちをつけましたが、島津亜矢さんははまり役ではなかったでしょうか。彼女も子供時分から男の子に混じって遊びまわり、ままごと遊びの記憶はないそうです。つまり男勝りで、演歌歌手ひと筋の肥後もっこすぶり。体型まで似ているといったらヒンシュクを買いそうですが、八重はにっこり笑って許容していると思います。
 島津の姓名からして、会津方には怨念がありそうに思えるのですが、どうでしょうか。
 この近代日本の黎明期をテーマにした歴史劇は経営的には苦境にある御園座の放つ大ヒットに終わるでしょう。この成功をきっかけに経営が立ち直れば、島津亜矢さんは不振の御園座を救うジャンヌダルクになるのです。是非、そうあって欲しいと思います。企業は経営者の考え一つです。よい演劇の場を提供するのみならず、質の高い企画を生み出せば、立ち直ると思います。よい成功例ができたのですから、頑張ってください。
 明日は千秋楽で大いに賑わうでしょう。一足お先に、質の高い演劇をありがとうございました、とお礼を申し述べておこう。もちろん、お得意の歌唱も良かった。いつの間にか、一世を風靡した江利チエミの名曲をものにされて、英語の「テネシーワルツ」などを歌われた。素晴らしい歌唱だった。
 観客をほんわかとさせるトークはまた見に来たい(期待)と思わせます。お元気で。

千秋楽!2012年05月27日

 5/12~5/27の御園座・島津亜矢・初座長公演
「会津のジャンヌダルク 山本八重の半生」
御園座の亜矢のポスター夏隣

やうこそと亜矢を迎へりハナミズキ

御園座の幟はためく五月かな

  舞台から投げられる記念の日本手ぬぐい
手ぬぐいに感謝の文字の絞り染め

役者みな浴衣姿や幕引かる

幕間(まくあい)に抜け出して飲む生ビール

  島津亜矢さん
初めての座長(ざてう)務めし夏芝居

   出待ち 亜矢さんは大きなマスクで現れました。
五月の夜面(おもて)を隠す役者かな