早川康浩さんのこと2012年05月01日

 中日新聞朝刊19ページにどこかで見たことのある名前と顔写真が掲載された。医人伝というシリーズらしい。掲載されたのは胃腸科専門医院はやかわクリニック(金沢市)院長早川康浩さんというお医者さんだ。 記事は登山とかスキーのことには一切書いてないが、山スキーの世界ではよく知られた存在である。以下のHPも公開されて情報発信にも熱心である。
 http://w2222.nsk.ne.jp/~turu/
 今のところ、健康に異常な数値もないし、お世話になることもないと思うがメモ代わりに記憶にとどめておきたい。
 スーパー山スキーヤーの本職は内視鏡医療のスペシャリストだった。山スキーは前夜又は深夜発日帰りが基本。午前、それも未明から登りはじめ、その日に下山する。その理由が医院の繁盛もあってか、非常に多忙の様子だ。
 記事によると、大腸検査で異常がなければ10分以内で終わるらしい。ポリープが見つかって、1つを切除するくらいなら15分で済ますとか。しかも予約なしで受信してもその日にやってくれるらしい。今や全国的な名医との評判という。私の山友も受信したことがあるという。山の話なんか相手をしてくれないだろうね。

御池岳・捜索活動の報道2012年05月02日

4/8御池谷登山口の遭難防止を呼びかける看板
 朝日新聞朝刊社会面25ページ(14版)にNさんの鈴鹿・御池岳遭難事故の顛末が記者の署名入りで報じられた。全国紙にしては珍しく地域に密着した的確な取材をされたようだ。
 紹介のために切り抜きをアップしたいが実名入りなので控える。
 滋賀県警の発表として、死因は凍死となっている。意外な感じである。記事の重点は大見出しで「鈴鹿山脈 山岳連盟、続けた捜索」となっている。このことから異例の長期の捜索活動に半分以上が割かれた。最後は居村さんのコメント「山仲間の絆が育んだ献身的な捜索と、執念の情報収集が発見につながった」で結ばれている。捜索に関わった人が癒される文面となっており、拙ブログでも一区切り付けたい。
 さて遭難防止である。Nさんは山歩き3年の初心者だった。
 220万都市の名古屋市民の遭難が多くなるのはやむをえない。しかし、手をこまねいているわけではなく、現在、3年前から取り組んでいるのは定年後に始めた生涯センター主催のハイキング講座開催である。無料、座学2時間以内、実技ありで実際の装備の紹介、ガイドブックの紹介、登山計画書の配布などで関心はあるが全く知らない人が対象だ。これを全市に拡大していけば「愚公山を移す」じゃないが初心者の遭難は激減するだろう。 
 山岳会では主にヒマラヤ登山経験者が岩登りやRFの訓練に重点を置いていた。現実はちょっとも減らない。鈴鹿は増加の一方らしい。計画書を書くことで「何も知らない自分を自覚する」ことが肝心と思う。自分の体力や技術、経験にあった山歩きは自分を知ることから始まる。慎重という意味はそういうこととこの事件で実感した。

北アルプスで遭難死多発2012年05月05日

 新聞でもネットでも現在進行形で北アルプスの3ヶ所で遭難死が報じられている。小蓮華で6名中4名が死亡確認、爺ヶ岳で1名、穂高で1名が死亡である。いずれも年齢は60歳以上の元気な高齢者層である。私も同じ範疇だから無関心ではおれない。
 3000m級の小屋泊まりの春山登山は素晴らしい。重いテントを持たず、夏山と同じ感覚で、防寒着や冬山装備を加えるだけである。冬ほど荒れることもないし、第一日照時間が長いので行動時間も余裕がある。
 但し、晴れればの話である。ちょっと吹雪かれると急速に低温になるし、風雪が見る見る体温、体力を奪って行く。60歳以上になると数十年のベテランであれ、ヒマラヤ経験者であれ、1人2人と高齢者から弱って行く。いち早く、風雪を回避できる安全圏に下山したいところである。
 中間地点に位置する小蓮華山では進むか、撤退か判断に迷うだろう。痩せた稜線で躊躇するうちにつかまってしまったのだろう。ちょっと下るだけでも体感温度は上がるのだが。
 一昨年のGWは私も栂池から同じゴンドラに乗って、天狗原を越えて、蓮華温泉に滑走した。テント泊した。翌日は朝日岳にリベンジできた。天狗原には白馬岳に向かう登山者の蟻の行列が見えた。荒れさえしなければ良い思い出だけが残るのに。
追記
結局、小蓮華の6人は全員、低体温症で死亡となった。Tシャツに雨具をはおっただけという信じられない服装だった。天狗原までは確かに暑いからそれでもいいが稜線に出たら冬である。テルモスに温かい飲み物を入れて飲むとか、長袖の下着を着るとかは常識だろう。風通しのよい雨具ではなく、風を通さないヤッケを着用することも大切である。それを知らない人たちではなかった。「山の危険は登山者自身のうちにある」を実証したようなニュースだった。

冷えは大敵2012年05月06日

 GW後半になって、北アルプスでは、最悪の大量遭難が起きてしまった。一挙に8名もの高齢者が低体温症で死亡した。低気圧の接近から少しぐずついただけでもこんな有様である。典型的な気象遭難である。
       日常生活においては
 人体は低温には弱いように出来ている。もちろん暑さにも弱いが・・。しかし、冷えると体内の免疫力が弱まり、細菌・ウイルスが増殖して発病する。それを防御し、攻撃のために熱を出して体を温める。白血球が体を守ろうとする。寒いと震えるのはそのためである。頭痛もする。食欲も衰える。自然な現象だから保温と安静が一番だ。抵抗力がやがては解決する。
 それを解熱剤の服用で治すと一時的には軽減するが根本治療になっていないわけだ。抗生物質の服用も用心する必要がある。善玉菌まで殺すからだ。
 最近、よく購読するようになった右寄りの月刊誌「WiLL」は1月号から鍼灸師の小林詔司氏の連載記事が有益である。題して「100歳まで元気に」という。
・1月号「健康になりたければ白湯を飲め」
冷水は体力が落ちるから白湯を呑みなさいというのです。
・2月号「みかんに気をつけろ」
体にいいからといって食べすぎはよろしくない。
・3月号「風呂は週二、三回で十分」
回数はほどほどに。
・4月号「女の髪は体を温める」
洗髪は着衣で、と提案されています。
・5月号「関節が痛いときは休め」
お説のとおりです。無理をしないことです。
・6月号「ナイトキャップの復活を」
つまりは体を冷えから守るわけです。
 我々現代人は快適な生活に慣れ切って、少し暑くても、エアコンを使う。部屋でも、マイカーでも、事務所でも完備されている。冷蔵庫の冷たい飲み物は飲み放題です。24時間、コンビニで買えるシステムです。原発停止をきっかけに見直したいものです。体調だってよくなる気がします。
 昔から日本人はお茶を冷やして、飲む習慣はなかったのですね。夏でも熱いお茶をのんだものです。知らないうちに便利さが体調まで悪くしているんでしょう。エアコンの効いた部屋で季節はずれのものを飲み、食べる、シャンプーで毎日洗髪、入浴せずにシャワーのみ、ガラスとコンクリートの部屋は朝方一気に冷えて、何だか体調がおかしい、となる人って多いですよね。

        登山においては 
 冷えと発熱の調整は本当に難しい。
 栂池から出発するとおそらく、天狗原への登りで一汗かく。ここまでは軽装で良いが、すぐに着替えて風による冷え、高度による冷えに対応しなければいけない。ヤッケもすぐに着用するか、できるようにしておきたい。そして、汗をかかないようにゆっくり登る。登るにつれて、水を控えてテルモスのお湯か、お茶を飲んで体を冷やさないことを心がけたい。
 2009年の夏山でも北アルプスの雲の平を早朝から縦走中、雨と濃霧の中で体が冷えた。山荘に寄って、ストーブを囲み、熱いコーヒーを飲んで休憩した。今まで以上に元気で再出発できたことを共感した。異口同音にあそこで休んでよかったね、と。
 黒部川・上ノ廊下を遡行した際も、濡れからくる冷え対策をきっちりやった。何せ、黒部源流の水に一日浸るのである。これがうまくないと低体温症でやられる。撥水機能のある下着と速乾性のシャツ、撥水ズボン、雨具で固めた。濡れが浸透する前に川から上がった。焚き火で乾かすのは足と沢足袋だけで済んだ。冷えからくる体力の消耗は想像以上であろう。だから想像力を働かせて、準備することになる。

奥穂高岳でもか・・・2012年05月07日

 北アルプス・白馬岳の遭難事故が終わったと思ったら、奥穂でも起きた。しかも、愛知県の山岳会会員で30歳代の若手3人という。昨日、バリエーションルートを登攀中に滑落し、1名は登り返して、救助を要請、2名は死亡と報じられた。吹雪の中をザイル操作がうまくいかなかったという。危険も承知の登攀なので事故死もやむなし。
 私が所属する山岳会でも、GWに20歳の会員が山頂付近から、白出沢に滑落して亡くなった。あまりにも事故が多いので現在はネットが仕掛けてある。天候不良、技量不足だと非情にも死ぬことになる。遭難箇所のスポット地図を見るとほぼ全域で事故がある。そういう山である。
 先ほどまで友人との話。60歳以上の高齢登山者の行動が腑に落ちないらしい。なぜ、温かい飲み物など飲んで、元気を回復する行動を取らなかったのか、と疑念が晴れない。
 答えて曰く、全員がベテランの医師たちだから、あれこれ詮索するのは、釈迦に説法である。あえて言うならば、ポケットにぶどう糖を入れてしゃぶる、ということでも防止はできた。体温が下がって、食欲がなくなり、カロリーを吸収する力がなくなる。そんな時、即吸収されるぶどう糖はありがたい。
 代謝不足で判断力、気力が薄らいで行く。低体温症になってゆく状況を想像してみる。
 良い装備を持っているのに使わない、非常食も利用しないで吹雪に晒されて死んで行くのだ。そのくらいの努力をしてもよかったのにとおもう。この場合高齢者だから雪洞を掘るなんて無理だろう。やっぱり、出発前と引き返すかどうかのポイントでの、すべては判断一つかと思う。

あはれ!百名山病登山者達2012年05月08日

 5/7付け、中日新聞夕刊によると、爺ヶ岳で亡くなった大阪の女性登山者(61歳)はピッケルもテントもなく、五龍岳を目指していたと報じられている。登山口の登山相談所で、変更を指導したという。この稜線は夏でも経験者向きの難コースとなっている。百名山を稼ぎたいばっかりに長期休暇を利用して来たのだろう。白馬岳も日本百名山だから亡くなった6名の高齢登山者たちも百名山狙いかな、と推察する。
 夏の最盛期の山小屋の混み具合は尋常ではない。確かに、この時期は山小屋もあまり混まないから、ちょっとベテランの域にある人は春の白馬岳に登ろうと、考えやすい。天気さえ良ければ快適な小屋でゆっくり春山登山を味わえたはずだった。
 目標を持って登山を継続して行くのは悪いことではない。しかし、目標が優先されると悲劇をうむ。北海道のトムラウシ山ツアー登山も同じである。名古屋のある大きな山岳会の女性会員2名が夏の大雪山の避難小屋で凍死していた事故もあった。これもジャーナリズムが深田百名山を囃したててきた結果であろう。
 今年、山岳会の新年会でNHKのアナを招いて講演を聴いた。田部井淳子氏の同行で北アルプスを縦走した映像は反響が大きく、リクエストが多くて再放送されたという。それだけ関心が強いことの現われである。反面、田部井氏の人気に便乗して、百名山を煽っているかに思う。TVの情報は一気に広まるから怖い。 
 高齢者がいとも簡単に低体温症になるのは、朝食を食べないか、少なすぎることも災いしているのではないか。人間の社会と違って、自然の猛威は弱者(高齢者、女性、初心者など)であっても、容赦なく叩き付けて来るのだ。しかし、いつまでも荒れているわけではない。山のご機嫌を伺って登れる賢い登山者でありたい。

撤退の難しさを考える2012年05月09日

 奥穂高岳の3人パーティ、白馬岳の6人パーティも撤退のポイントはいくらでもあったはずである。
 難コースに挑戦する精神は立派である。人類のいまだかつて足を踏み入れてないルートに挑むのはいい。そのようにして多くのルートが開拓されてきた。
 しかし、悪天候と闘って勝った登山家はいないだろう。
 この場合は登山道もないわけだから懸垂下降で安全圏まで下降するべきではなかったか。食事付の小屋があるばっかりにそこを安全圏と思い、無理な登攀を続けて、かえって危険領域に踏み入れてしまったのではないか。今朝(5/8)の中日新聞のルートを見てそう思ったことである。
 白馬岳を目指した6人も同じだ。暖房、食事付の小屋が2時間先にある。頑張ろうと急いだか。小蓮華は標高2766m、白馬岳との比高167mも登ることになる。益々、吹雪の強いところへ進むのだ。
 バリでも一般でも登山者の質が変わったと思う。小屋が完備し過ぎて、依存心がついている。
 戦国時代でも攻撃よりは撤退が難しいとされた。殿には有能な武将をあてたのである。
 殿と書いて「しんがり」と読む。WIKIによると「本隊の後退行動の際に敵に本隊の背後を暴露せざるをえないという戦術的に劣勢な状況において、殿は敵の追撃を阻止し、本隊の後退を掩護することが目的である。そのため本隊から支援や援軍を受けることもできず、限られた戦力で敵の追撃を食い止めなければならない最も危険な任務であった。このため古来より武芸・人格に優れた武将が務める大役とされてきた。」だそうだ。
 登攀するばかりでなく、エスケープも念頭には置かれたとは思うが結果は悲惨なことになった。
 有能な優れた登山家の条件には情勢は不利とみたら、素早い撤退もあるという教訓をこの遭難事故に見た。

湖西連峰を歩くーハイキング講座実技2012年05月13日

 4/21(土)に実施したハイキング講座の実技編として企画。受講生19名中、8名が参加された。サポートには山岳会から7名が参加した。転倒や捻挫など何があっても自力で対応できるように備えた。空は快晴、風薫る5月のハイキングである。
 豊橋駅までは車で行き、Pに置く。駅から新所原駅まで乗車する。下車後、市街地を歩き、梅田峠の登山口に行く。峠からは嵩山を往復した。山上からは浜名湖の眺めが良い。峠まで戻るとよく整備された自然歩道を歩く。すれ違うハイカーの数も多く、絶好の山日和である。植生は登山口から常緑照葉樹林である。そのために日差しが遮られて、格好の緑陰ができている。折々吹く薫風も心地よい。
 なだらかな尾根を登ると神石山山頂に着いた。ここからも浜名湖の眺めがよい。先着のハイカーが多数休んでいる。老若男女のハイカーが来ては去りの往来の多い山であった。
 ここから普門寺峠まで急な下りで、またNHKの中継所まで登り返す。途中の仏岩でWリーダーによる「三点支持」のミニ講習をする。岩場を安全に通過する初歩の初歩である。この間も三河の明神山で70歳代の人が転落死している。岩場の多いコースを歩く際には身に付けておきたい重要な技術である。
 中継所でしばらく休んで、最後の景色を眺めた後、下ると葦毛湿原への道標がある分岐に来た。鎖付の階段を下ると山腹を巻く歩道に合う。余り段差がない道であるが葦毛湿原に近づいて来るともっと平坦になる。沢の音が聞こえ、バイケイソウ、ミカワバイケイソウの群落の案内板がある。すぐに湿原の一角に着き、木道になる。カザグルマという蔓性の大輪の花が咲いている。同行の人はクレマチスという園芸種という。WIKIによると
「カザグルマ (風車、学名:Clematis patens) は、キンポウゲ科センニンソウ属 のつる性多年草。本州、四国、九州北部、東アジアに分布し、おもに林縁に生える。鑑賞用にも植えられている。」
「茎は木質で葉は長さ3-10センチメートルの小葉3-5枚からなり、初夏短い若枝の先に白または淡紫色の花を単生する。
花びら(正確には萼)は基本的に8枚で長さは7-8センチだが、種類により変異が大きい。近縁のテッセン(C. florida)は中国原産で、普通花びらは6枚。ともにクレマチスの園芸品種の交雑に使われる。」とあり、見た花は間違いなく、野生種である。他にはハルリンドウが見えた。
(WIKIには葦毛湿原で撮影されたカザグルマの写真が貼り付けてある。)
 木道から広場に着くとKさんがスイカを切って、待っていてくれた。娘が近くに住んでいて、手伝ってもらい、用意してくれたという。おもわぬハプニングに皆さん、びっくりしたり、喜んだりして和んだ。軽く汗をかいた体に甘いスイカは絶品である。多謝!
 後は生涯学習センター担当者からの無事の下山と講座の修了をあいさつした。尾根という語彙一つをとっても知らないし、岩場の三点支持も含めて、短いコースながら様々な体験を通じて、覚えることが山ほどあるなあ、と思ってもらえば良い。こうした積み重ねが遭難防止になる。

風薫る2012年05月14日

浜名湖の眺め崇山に風薫る

三遠の青葉茂れる山なみに

緑陰や湖西連峰みなで行く

老鶯が耳元で鳴く薮の中

山薄暑冷たきペットボトル飲む

初夏の湖畔の町やつばくらめ(新所原)

バイケイソウもう咲いたのか五月にも

大輪の花や日影のヤグルマソウ

ハルリンドウ五月の葦毛湿原に

初夏の湿原にまだ蝌蚪のまま

差入れのスイカ食ぶげに美味なりき

奥美濃・今淵ヶ岳を歩く2012年05月16日

 沢始めのつもりで前夜発で行ったが、沢シュースを忘れたために尾根歩きになってしまった。
 美濃市の登山口の滝神社から出発する。滝を見学しておいてから社に向かう。車はここに置く。少し、戻って板山林道を15分ほど登ると送電鉄塔の保守路の入り口がある。林道を離れて、杉の林内の山道を登る。路傍にはヒトリシズカ、フタリシズカの花が咲きはじめた。再び、鉄塔保守路の案内板があり、右折する。一旦登って下ると小沢をまたいで、山腹を巻きながら、隣の尾根へと導かれる。
 送電鉄塔が建っている。そこから下を見ると桐の花が咲き、朴の花が咲いているのが見える。周囲は若々しい緑に満ちている。鉄塔から再び林内の歩道を歩く。傾斜が大変急になってきた。樅の大木のところで小休止。更に上を目指す。標高1000m付近になると小笹が一杯生えて、美しい。そして、逆光で見るシロモジの若葉が大変に美しい。
 いくらもなく、山頂に着いた。三角点が鎮座する静かな山頂だった。南の尾根伝いに笹の小道が続いていく。矢坪ヶ岳へ1時間10分の時間が懸かるという案内板もかかる。
 登頂に要した時間は2時間余りだった。かつては片知溪谷側からヤブを漕いで登った記憶があるが、もう昔のことで詳細は覚えがない。こんな良い雰囲気ではなかったと思う。急なことをのぞけばよく歩かれていているようだ。
 約1時間ほどで下山した。途中に女性の登山者と出会った。こんな平日でも登山に来る人がいるんだなあ。