岩津天神初詣と村積山ハイキング ― 2026年01月05日
岩津天神は四神相応の地に勧請されたと謂れにある。
四神相応の理想的な地形
東(青龍:せいりゅう): 清らかな流れのある川や小高い山。
矢作川、巴川
西(白虎:びゃっこ): 大きな道や小高い山。
東海道、今なら東名高速道路と新東名高速道路
南(朱雀:すじゃく): 開けた平地や大きな池・湖。
岡崎平野
北(玄武:げんぶ): 高くそびえる山(背後)。
村積山
今日は四神相応の地におはす岩津天神への初詣をした後に村積山に登った。メンバーは姪夫婦の娘のSちゃんと4人だった。Sちゃんは6歳になり入学する。岩津天神は学問の神様でもあり意義深い一日になった。
下山後はスシローで昼食、Sちゃんはサーモンが大好きな子だった。来月始めで6歳になり、4月には小学校へ入学する記念の年になった。丸々した赤ちゃんが四肢が伸びて一緒に山を歩けるまでに成長した。
四神相応の理想的な地形
東(青龍:せいりゅう): 清らかな流れのある川や小高い山。
矢作川、巴川
西(白虎:びゃっこ): 大きな道や小高い山。
東海道、今なら東名高速道路と新東名高速道路
南(朱雀:すじゃく): 開けた平地や大きな池・湖。
岡崎平野
北(玄武:げんぶ): 高くそびえる山(背後)。
村積山
今日は四神相応の地におはす岩津天神への初詣をした後に村積山に登った。メンバーは姪夫婦の娘のSちゃんと4人だった。Sちゃんは6歳になり入学する。岩津天神は学問の神様でもあり意義深い一日になった。
下山後はスシローで昼食、Sちゃんはサーモンが大好きな子だった。来月始めで6歳になり、4月には小学校へ入学する記念の年になった。丸々した赤ちゃんが四肢が伸びて一緒に山を歩けるまでに成長した。
厳寒の鞍掛山を歩く ― 2025年12月27日
名古屋を朝早く出発。ものすごく寒い。日進市で朝飯を食う。R153、R301、R420、R257と走った。新段戸トンネルを出てすぐの橋は凍結していた。他は順調に飛ばして道の駅したらに着いた。
先週に引き続き、設楽町清崎の山を探って見たくなった。そこで図書館で明治時代、戦後、高度成長期の五万図をチエックして見た。清崎からかしやげ峠に突き上げる郷沢沿いの地形が緩斜面なので水田でもあろうか、記号が破線路なので歩けるならトレースして見たかった。かしやげ峠に突き上げて鞍掛山に登頂も悪くない。と大まかな案を立てて出発した。
道の駅からしばらくは車道を歩く。野々瀬川沿いの道を行くと赤松神社を過ぎて郷沢に出合う。適度に踏み込まれた山道を想定していたが、なんだすべて舗装された林道である。橋を渡ると未舗装になる。あそこもここも水田の廃田が続く。
林道の終点で郷沢沿いから離れて境界尾根と西尾根の間の緩斜面に作られた新しい林道を歩く。この林道からは立派な石組みが見えて来た。(下山後、地元の人に聞くと昔は渡邊いっけいさんの母親が住んでいたそうだ。)かつて生活があったという断片は一切なかった。石垣の上に入っても何も見当たらない。
林道は石垣の下で終わった。そのまま散乱した上を行くと土管が見えて小代からの林道に突き当たった。白いガードレールも見える。林道歩きから境界尾根474に合うとかしやげ峠の道標があった。ここを登ると踏み跡があり辿ってゆくと鞍部を越えて左折。そのまま歩くと棒沢の源流部が見下ろせる。植林下、ゴーロはないので歩けるだろう。まもなくでかしやげ峠に着いた。
ものすごく寒い中で一休み。早々休んでも居れず鞍掛山に向かう。ここから坂道が急峻になった。ゆっくりゆっくり高度を上げる。北風がまともに当たって寒い。足元には霜柱が立っている。急登をこなして883mに登頂。三角点が見当たらない。まあ良いか。最高所で一休みするが寒いのですぐに立つ。
びわくぼ峠までも凍結で固い土をやり過ごしながら下る。峠からは荒れた山道を下る。断崖絶壁から氷柱が下がっている。下部に下っても傾斜がゆるくならず、東海自然歩道にしては手強い。やっと塩津の村に出た。あいにく県道、町道とも工事中だったが人間だけなら通れるよ、と地元民のアドバイスで車道を歩く。塩津温泉の宿が二ヶ所ひっそりと営んでいる。
植林に囲まれてた車道歩きに飽きた頃、やっと清崎の外れに来た。棒沢の対岸の家に人が居たので聞いたら「郷沢」との回答。あそこが鞍掛山だよ、というので仰ぐとかぶさるような山容だった。郷沢から上って今、あそこから下って来たんです、と。再び道の駅へ歩み始めた。清崎まではいくらもない。
先週に引き続き、設楽町清崎の山を探って見たくなった。そこで図書館で明治時代、戦後、高度成長期の五万図をチエックして見た。清崎からかしやげ峠に突き上げる郷沢沿いの地形が緩斜面なので水田でもあろうか、記号が破線路なので歩けるならトレースして見たかった。かしやげ峠に突き上げて鞍掛山に登頂も悪くない。と大まかな案を立てて出発した。
道の駅からしばらくは車道を歩く。野々瀬川沿いの道を行くと赤松神社を過ぎて郷沢に出合う。適度に踏み込まれた山道を想定していたが、なんだすべて舗装された林道である。橋を渡ると未舗装になる。あそこもここも水田の廃田が続く。
林道の終点で郷沢沿いから離れて境界尾根と西尾根の間の緩斜面に作られた新しい林道を歩く。この林道からは立派な石組みが見えて来た。(下山後、地元の人に聞くと昔は渡邊いっけいさんの母親が住んでいたそうだ。)かつて生活があったという断片は一切なかった。石垣の上に入っても何も見当たらない。
林道は石垣の下で終わった。そのまま散乱した上を行くと土管が見えて小代からの林道に突き当たった。白いガードレールも見える。林道歩きから境界尾根474に合うとかしやげ峠の道標があった。ここを登ると踏み跡があり辿ってゆくと鞍部を越えて左折。そのまま歩くと棒沢の源流部が見下ろせる。植林下、ゴーロはないので歩けるだろう。まもなくでかしやげ峠に着いた。
ものすごく寒い中で一休み。早々休んでも居れず鞍掛山に向かう。ここから坂道が急峻になった。ゆっくりゆっくり高度を上げる。北風がまともに当たって寒い。足元には霜柱が立っている。急登をこなして883mに登頂。三角点が見当たらない。まあ良いか。最高所で一休みするが寒いのですぐに立つ。
びわくぼ峠までも凍結で固い土をやり過ごしながら下る。峠からは荒れた山道を下る。断崖絶壁から氷柱が下がっている。下部に下っても傾斜がゆるくならず、東海自然歩道にしては手強い。やっと塩津の村に出た。あいにく県道、町道とも工事中だったが人間だけなら通れるよ、と地元民のアドバイスで車道を歩く。塩津温泉の宿が二ヶ所ひっそりと営んでいる。
植林に囲まれてた車道歩きに飽きた頃、やっと清崎の外れに来た。棒沢の対岸の家に人が居たので聞いたら「郷沢」との回答。あそこが鞍掛山だよ、というので仰ぐとかぶさるような山容だった。郷沢から上って今、あそこから下って来たんです、と。再び道の駅へ歩み始めた。清崎まではいくらもない。
奥三河・冬枯れの無名の山を歩く。 ― 2025年12月19日
明日明後日は悪天候というので気になっていた三角点「連合」のピークハントに来た。与良木峠(370m)は伊那街道の古い峠道である。クルマでトンネル迄走って見た。
生成AIの回答(一部編集)は「南設楽郡鳳来町(現新城市)の「与良木(よらぎ)」の地名由来は、「与良木」が元々、鳳来寺の氏子圏だった小野村(現在の連合地区)の別称」だそうです。与良木隧道は「明治27年(1894)に作られた。当時の原形を留めており、愛知県最古のトンネルである。長さ35m、道路幅5m、車幅4m、高さ5m。設楽町側の扁額には、草書体で上段に「北設楽」、下段に「よらき隧道」と記される。新城市側の扁額には、楷書体で上段に「南設楽」、下段に「與良木隧道」と記される。新城市側の坑門は明治の頃の姿を残している。内部はコンクリートで修復されているが、元々は素掘りだった。後略」
三角点の点名の連合も「元々は別の集落や地名だったものが、明治の市町村制施行やその後の合併を経て、この地域一帯の集まり(連合体)のような意味合いで「連合」という名称が使われ、それが大字名として残った」と回答があった。
設楽町側からトンネルを通過して旧鳳来町側の山側に杣道を探して見た。△494.8mの真東まで実線の林道を走ったが無いので設楽町側まで引き返す。
峠まで登る山路は残っておらず、危うい踏み跡をたどった。馬頭観音の碑が確かに古い峠だった証を示す。設楽町と新城市の境界尾根に立った。峠から東へは明瞭な踏み跡が登ってゆくのに「連合」へはない。境界尾根は幸いに植林の疎林であり、ヤブもないのでそろそろ歩いていく。「連合」は南北に長い尾根の南端にあり、境界尾根が北端につながったところの獣道を急登すると460mの等高線に達する。ここで約40分なので水を飲もうとしたらペットボトルを忘れた。
三角点までの約500mの尾根も疎林で多少の低灌木はあるが痩せ尾根のために障害はない。明るいので岩場からの展望を期待したが灌木に囲まれて見えない。東は樹林越しに仏坂峠から宇連山辺りの稜線が見える。西には龍頭山だろう。三角点は土に埋まっていた。地形図では無名なので誰も登って来る人がいないのだろう。しかし、無名であるはずはなく、地元では命名されているだろう。ヤクルトの空容器の分岐まで戻る。登った獣道がこんなに急だったか、と思わせるほどの急斜面を下って鞍部に立つ。峠まで戻っても良いが鞍部から谷を降りてみた。カール状の源流部の急斜面は杉の立木や灌木の根元を支点にゆっくり下る。間伐材が散乱する谷底まで来ると足元は安定する。林道に出て峠まで戻った。
峠から地形図の実線の道を少し歩いて見たら水田の廃田のところで引き返した。峠へ登り返して危うい踏み跡を下った。
実線の道を行けば410mのコブの右の小さな峠を越えたところが与良木だ。水線が複雑に入り組む地形では湧水が豊富なのだろう。だから水田耕作が出来たのだ。又南向きの斜面は作物の生育には良い。米が採れれば建物の記号が固まってあるから結構人が住んでいたのだろう。隣の四谷は棚田で知られる。清崎を流れる豊川の支流の野々瀬川の支谷が境界尾根を越えて四谷の源流部に食い込んでいる。地形図を眺めていると不思議な地形だから再び来てみたい。
帰りは道の駅したらに寄って遅い中食にした。絹サーモンを注文したが売り切れという。一日五食というレアなメニューである。あれは豊邦というところで養殖していた気がする。代わりに鮎のフライ定食にした。3尾の鮎が開かずに丸ごと揚げてある。頭からかぶりつくが骨が硬いので食べにくい。味はまあまあ。たっぷりのキャベツも良い。
生成AIの回答(一部編集)は「南設楽郡鳳来町(現新城市)の「与良木(よらぎ)」の地名由来は、「与良木」が元々、鳳来寺の氏子圏だった小野村(現在の連合地区)の別称」だそうです。与良木隧道は「明治27年(1894)に作られた。当時の原形を留めており、愛知県最古のトンネルである。長さ35m、道路幅5m、車幅4m、高さ5m。設楽町側の扁額には、草書体で上段に「北設楽」、下段に「よらき隧道」と記される。新城市側の扁額には、楷書体で上段に「南設楽」、下段に「與良木隧道」と記される。新城市側の坑門は明治の頃の姿を残している。内部はコンクリートで修復されているが、元々は素掘りだった。後略」
三角点の点名の連合も「元々は別の集落や地名だったものが、明治の市町村制施行やその後の合併を経て、この地域一帯の集まり(連合体)のような意味合いで「連合」という名称が使われ、それが大字名として残った」と回答があった。
設楽町側からトンネルを通過して旧鳳来町側の山側に杣道を探して見た。△494.8mの真東まで実線の林道を走ったが無いので設楽町側まで引き返す。
峠まで登る山路は残っておらず、危うい踏み跡をたどった。馬頭観音の碑が確かに古い峠だった証を示す。設楽町と新城市の境界尾根に立った。峠から東へは明瞭な踏み跡が登ってゆくのに「連合」へはない。境界尾根は幸いに植林の疎林であり、ヤブもないのでそろそろ歩いていく。「連合」は南北に長い尾根の南端にあり、境界尾根が北端につながったところの獣道を急登すると460mの等高線に達する。ここで約40分なので水を飲もうとしたらペットボトルを忘れた。
三角点までの約500mの尾根も疎林で多少の低灌木はあるが痩せ尾根のために障害はない。明るいので岩場からの展望を期待したが灌木に囲まれて見えない。東は樹林越しに仏坂峠から宇連山辺りの稜線が見える。西には龍頭山だろう。三角点は土に埋まっていた。地形図では無名なので誰も登って来る人がいないのだろう。しかし、無名であるはずはなく、地元では命名されているだろう。ヤクルトの空容器の分岐まで戻る。登った獣道がこんなに急だったか、と思わせるほどの急斜面を下って鞍部に立つ。峠まで戻っても良いが鞍部から谷を降りてみた。カール状の源流部の急斜面は杉の立木や灌木の根元を支点にゆっくり下る。間伐材が散乱する谷底まで来ると足元は安定する。林道に出て峠まで戻った。
峠から地形図の実線の道を少し歩いて見たら水田の廃田のところで引き返した。峠へ登り返して危うい踏み跡を下った。
実線の道を行けば410mのコブの右の小さな峠を越えたところが与良木だ。水線が複雑に入り組む地形では湧水が豊富なのだろう。だから水田耕作が出来たのだ。又南向きの斜面は作物の生育には良い。米が採れれば建物の記号が固まってあるから結構人が住んでいたのだろう。隣の四谷は棚田で知られる。清崎を流れる豊川の支流の野々瀬川の支谷が境界尾根を越えて四谷の源流部に食い込んでいる。地形図を眺めていると不思議な地形だから再び来てみたい。
帰りは道の駅したらに寄って遅い中食にした。絹サーモンを注文したが売り切れという。一日五食というレアなメニューである。あれは豊邦というところで養殖していた気がする。代わりに鮎のフライ定食にした。3尾の鮎が開かずに丸ごと揚げてある。頭からかぶりつくが骨が硬いので食べにくい。味はまあまあ。たっぷりのキャベツも良い。
遠望峰山から桑谷山へ ― 2025年12月06日
11/29の岡崎市の帰路、三河湾スカイライン経由で登ろうとしたが日没が迫り、且つ着いた山上のホテルの駐車場の賑わいにモチベーションがだだ下がりになって撤退した。きちんと山路を歩いて登ろうとヤマップで調べた。不動ヶ池公園を起点に幸田町側から周回して見た。
今日は冬日和で絶好の登山日和になった。名古屋からR23バイパスを辿って東三河へのアクセスは一段と楽になった。
ナビに指定しておいた貴嶺宮に着く。Pの一角に停めさせてもらう。車道に出ると貴嶺宮の植樹に赤い椿が冬日を浴びて美しい。しばらくはやや傾斜のある車道を歩く。すると水飲み場が整備されている。よほど伏流水が多い山なのだろう。標高250m超の車道の急カーブでよく注意すると踏み跡が奥へと続き、赤テープのマーキングも見えるので車道から離れる。等高線300mの末端に坂野峠の道標が建っている。地元山岳会の活動であろう。ここから蒲郡市と幸田町の境界尾根に取り付く。左は植林、右は常緑樹の混じる雑木林で下にはスカイラインが見える。
尾根には四角いコンクリートの箱がある。水の流れる音がするので山上ホテルの排水だろうか。上部へ登ると常緑樹の原生林も見えて来る。
山上に建つ天の丸が近づくと山路は右へやや下り尾根の中心から外れて迂回する。樹林越しにホテルの一角も見えている。天の丸をやり過ごすと等高線がきつくなって落葉で滑りやすい。滑落を注意しながら喘ぐと傾斜が弱まり冬黄葉の見える山頂の一角に着く。
三差路に着く。左から登って来る天の丸からの登山はセメントで舗装されている。右へ行くと遠望峰山の山頂だった。しかし山名通りとはならず何も展望はない。明治時代はこの辺りに大阪の堂島で行われていた米相場の情報を中継する「旗振り」の岩室があったらしい。ちょっと探ってもそれらしい雰囲気はない。
お茶を飲んでから展望台へ行ってみた。途中にはやはり常緑樹の大木が残っている。足元には冬苺も群生している。ゆるやかに下るとカヤトの広場で三河湾に開けていた。三河大島が見え、少し右に移動すると渥美半島の田原市の蔵王山から衣笠山も見える。トヨタの田原工場も見える。後ろには椿の大樹の向こうに電波塔が建っている。赤い椿白い椿の花が美しい。
小春日和でカヤトが微風にそよぐ。ぼーっとするのも良い場所だが先がある。山頂に登り返して天の丸ホテルへの道を辿るが、行き過ぎるのでGPSでチエックすると途中に右の尾根の山路に入る。植林内の道を辿るとスカイラインの三差路に下る。
しばらくスカイラインを歩いて目印で山路に迂回、最明山は地形図上の遠望峰山という看板のピークを通過。確かに最高点の443mも遠望峰山であるが、地形図の記載は総称としての名称であってピークを命名したものではない。
またスカイラインに出て、GPSを見ながら桑谷山への入り口を目指す。一番近い接点から斜面を登ると踏み跡に合流した。桑谷山は40年以上前に車で登ってさっさと一等三角点の標石を往復しただけだから山路は歩いていない。若い女性の2人連れとすれ違い、山路を辿ると久々の一等三角点に登頂できた。
午後3時を回った。冬日はまだ高い。追いかけるように下山路は日の沈む西の方へずっと山道を辿り、最明山のピークを踏んで未舗装の林道に降り立つ。途中で左右に分かれるが左は不動ヶ池公園につながる。右は大井池に下る林道である。急カーブ後の318mの標高点から真西への尾根道に入る。ずっと落葉広葉樹の尾根通しの道を下る。明るい良い道だがフィックスロープのある急斜面もあって滑落しないように注意深くくだった。
下部では鉄塔巡視路を辿りながら不動ヶ池公園への車道に降りたつとPは近い。午後4時過ぎ、冬日は勢いよく三河湾に落ちて行く。今日の幸田町の日没は16時39分、西側の尾根だからいつまでも明るいとはいえぎりぎりだった。Pには2~3台だけになった。R23で帰名。
今日は冬日和で絶好の登山日和になった。名古屋からR23バイパスを辿って東三河へのアクセスは一段と楽になった。
ナビに指定しておいた貴嶺宮に着く。Pの一角に停めさせてもらう。車道に出ると貴嶺宮の植樹に赤い椿が冬日を浴びて美しい。しばらくはやや傾斜のある車道を歩く。すると水飲み場が整備されている。よほど伏流水が多い山なのだろう。標高250m超の車道の急カーブでよく注意すると踏み跡が奥へと続き、赤テープのマーキングも見えるので車道から離れる。等高線300mの末端に坂野峠の道標が建っている。地元山岳会の活動であろう。ここから蒲郡市と幸田町の境界尾根に取り付く。左は植林、右は常緑樹の混じる雑木林で下にはスカイラインが見える。
尾根には四角いコンクリートの箱がある。水の流れる音がするので山上ホテルの排水だろうか。上部へ登ると常緑樹の原生林も見えて来る。
山上に建つ天の丸が近づくと山路は右へやや下り尾根の中心から外れて迂回する。樹林越しにホテルの一角も見えている。天の丸をやり過ごすと等高線がきつくなって落葉で滑りやすい。滑落を注意しながら喘ぐと傾斜が弱まり冬黄葉の見える山頂の一角に着く。
三差路に着く。左から登って来る天の丸からの登山はセメントで舗装されている。右へ行くと遠望峰山の山頂だった。しかし山名通りとはならず何も展望はない。明治時代はこの辺りに大阪の堂島で行われていた米相場の情報を中継する「旗振り」の岩室があったらしい。ちょっと探ってもそれらしい雰囲気はない。
お茶を飲んでから展望台へ行ってみた。途中にはやはり常緑樹の大木が残っている。足元には冬苺も群生している。ゆるやかに下るとカヤトの広場で三河湾に開けていた。三河大島が見え、少し右に移動すると渥美半島の田原市の蔵王山から衣笠山も見える。トヨタの田原工場も見える。後ろには椿の大樹の向こうに電波塔が建っている。赤い椿白い椿の花が美しい。
小春日和でカヤトが微風にそよぐ。ぼーっとするのも良い場所だが先がある。山頂に登り返して天の丸ホテルへの道を辿るが、行き過ぎるのでGPSでチエックすると途中に右の尾根の山路に入る。植林内の道を辿るとスカイラインの三差路に下る。
しばらくスカイラインを歩いて目印で山路に迂回、最明山は地形図上の遠望峰山という看板のピークを通過。確かに最高点の443mも遠望峰山であるが、地形図の記載は総称としての名称であってピークを命名したものではない。
またスカイラインに出て、GPSを見ながら桑谷山への入り口を目指す。一番近い接点から斜面を登ると踏み跡に合流した。桑谷山は40年以上前に車で登ってさっさと一等三角点の標石を往復しただけだから山路は歩いていない。若い女性の2人連れとすれ違い、山路を辿ると久々の一等三角点に登頂できた。
午後3時を回った。冬日はまだ高い。追いかけるように下山路は日の沈む西の方へずっと山道を辿り、最明山のピークを踏んで未舗装の林道に降り立つ。途中で左右に分かれるが左は不動ヶ池公園につながる。右は大井池に下る林道である。急カーブ後の318mの標高点から真西への尾根道に入る。ずっと落葉広葉樹の尾根通しの道を下る。明るい良い道だがフィックスロープのある急斜面もあって滑落しないように注意深くくだった。
下部では鉄塔巡視路を辿りながら不動ヶ池公園への車道に降りたつとPは近い。午後4時過ぎ、冬日は勢いよく三河湾に落ちて行く。今日の幸田町の日没は16時39分、西側の尾根だからいつまでも明るいとはいえぎりぎりだった。Pには2~3台だけになった。R23で帰名。
遠望峰山へ ― 2025年11月30日
11/29の研修後は旗振り山の踏査行。前日の帰路、蒲郡市と幸田町にまたがる遠望峰山へ行った。ほとんど車で登れる山だからと行くには行ったが山上にはホテルがあって多数の車が止まっていた。さらにPからはみ出して路駐の車も多くて違和感がある。ちょっと寄るだけのつもりだったがモチベーションがだだ下がりで撤退。
三河湾スカイラインをドライブするだけに終わった。隣の桑谷山は40年位前に車で山頂をかすめた記憶がある。改めて登り直すことにした。JRで幸田駅まで行って、山頂へ向かい、続いて桑谷山へミニ縦走。そして岡崎市側へ尾根伝いに下って名鉄で帰名というプランを立ててみた。
12月下旬になれば落葉樹も落ち尽くすので遠望が利くようになる。三ヶ日町の旗振り山を認識できれば良い。
三河湾スカイラインをドライブするだけに終わった。隣の桑谷山は40年位前に車で山頂をかすめた記憶がある。改めて登り直すことにした。JRで幸田駅まで行って、山頂へ向かい、続いて桑谷山へミニ縦走。そして岡崎市側へ尾根伝いに下って名鉄で帰名というプランを立ててみた。
12月下旬になれば落葉樹も落ち尽くすので遠望が利くようになる。三ヶ日町の旗振り山を認識できれば良い。
三ヶ日町平山からの荒廃した平尾山往復 ― 2025年11月22日
計画では本坂峠の静岡県側にマイカーをデポ。姫街道を峠まで40分歩く。峠からは坊ケ峰を越えて平尾山まで縦走約90分、4等三角点のある中山峠乃至旗振山に登る。①東への尾根を辿って三ヶ日町平山へ下山。②4等三角点から南へ尾根の破線路を辿って三ヶ日町本坂へ下り、マイカーのデポ地へ歩く。の二案を考えていた。
静岡県へ行く前に嵩山に来たのでR362から左折して姫街道の旧道に寄る。ここには本陣の屋敷がある。姫街道の新しい石標も立っている。
実際には本坂トンネルを抜けて静岡県に入ると上空は厚い冬雲が北へ流れている。つまり太平洋の湿った空気が北の冷たい空気に混じり雲になったのだ。これでは富士山は見えない。もっと冷えて冬型の気圧配置にならないと富士山は見えないだろう。
というわけで、平尾山と4等三角点の踏査だけに絞った。一旦はR362を下って左から宇利峠を越えて来たR301と出合うところまで来た。前方にバローが見えたので食料品を買い足した。三ケ日ミカンが豊富に並んでいるので一袋買う。
店を出て三差路に戻り宇利山川に沿ってR301を走る。途中で平山奥へ行く車道に左折。中山峠の東尾根の末端に来た。周囲はたわわに実った蜜柑山だった。軽自動車も一杯止まっている。標高は110m。その一角に停めさせてもらって蜜柑山の作業道へ入って登る。
作業道はセメントで舗装されている。見た目以上に急坂ですぐに息が切れる。北東には富幕山がどっしり見えている。地形図の実線の終点で標高200mの等高線の手前に道標が見えた。車道から滑りやすい斜めの道とも言い難い道を登る。蜜柑山側は電線なのでうっかり触れることもできない。
すぐに左への隙間がある。かつては尾根道があったのに蜜柑山の整地で削られたのであろう。手入れのしていない桧の植林の中の廃道というか荒廃した感じのルートを探りつつ登る。倒木あり、枝も散乱する歩きにくい道である。
幸い赤テープのマーキングはある。等高線がゆるくなると道もはっきりしてきた。息苦しさも慣れてきて約30分のところで一息入れた。すると人工林の中の尾根にも関わらず大径木が林立する。樹木名は知らないが常緑照葉樹林でブナ科の仲間であろう。母樹として伐らずに残されているのだろう。嵩山の山上にも数多見た樹種だ。
地形図に実線のある林道と交差した。古い道標が割れて落ちていた。林道を見送ると尾根に取り付くが右へ新たな林道が出来ていた。この林道はすぐに大きく段差が掘ってあり車が通行できないようにしてあった。左の尾根に踏み跡を探すとかすかに続くのが見える。明瞭ではないが何とか歩ける。地形図の中山峠の印刷の「中」に着く。赤テープと薄い踏み跡が北と南に別れるので南に振った。一旦は掘割のような地形の鞍部に降りた。これが本来の中山峠であろう。向こうにも踏み跡が続く。破線路の尾根には赤テープが断続的に見えるので容易に4等三角点にたどり着いた。展望はまったくなし。ここがかつては旗振山と呼ばれた場所だろうか。嵩山の山上からここで旗振りの相場の情報を読み取り、また東の方の中継点へ伝えたという。
南へはかすかに切り開きもありそうな気がするので下山路に使える。下りきれば三ヶ日町本坂に着く。
踏み跡を戻るが鞍部から左下へ幅のある山路が下って行く。たどると中山自然歩道と県境縦走路の交差する地点だった。ここも中山峠という。ここから5分県境縦走路を登ると先ほど別れた地点に着く。更に20分で平尾山の山頂だった。13時20分登頂。ここも展望なしで詰まらない山頂だ。13時30分下山開始。分岐点に下って「中」からは元の尾根を下った。
蜜柑山には多数のミカン狩りの女性らがいた。業者もハサミで切り取りながら積み込んでいた。今がミカンの取入れの最盛期なのだろう。ナビで本坂へ下った。愛知県に戻ってまた国道を帰名した。
静岡県へ行く前に嵩山に来たのでR362から左折して姫街道の旧道に寄る。ここには本陣の屋敷がある。姫街道の新しい石標も立っている。
実際には本坂トンネルを抜けて静岡県に入ると上空は厚い冬雲が北へ流れている。つまり太平洋の湿った空気が北の冷たい空気に混じり雲になったのだ。これでは富士山は見えない。もっと冷えて冬型の気圧配置にならないと富士山は見えないだろう。
というわけで、平尾山と4等三角点の踏査だけに絞った。一旦はR362を下って左から宇利峠を越えて来たR301と出合うところまで来た。前方にバローが見えたので食料品を買い足した。三ケ日ミカンが豊富に並んでいるので一袋買う。
店を出て三差路に戻り宇利山川に沿ってR301を走る。途中で平山奥へ行く車道に左折。中山峠の東尾根の末端に来た。周囲はたわわに実った蜜柑山だった。軽自動車も一杯止まっている。標高は110m。その一角に停めさせてもらって蜜柑山の作業道へ入って登る。
作業道はセメントで舗装されている。見た目以上に急坂ですぐに息が切れる。北東には富幕山がどっしり見えている。地形図の実線の終点で標高200mの等高線の手前に道標が見えた。車道から滑りやすい斜めの道とも言い難い道を登る。蜜柑山側は電線なのでうっかり触れることもできない。
すぐに左への隙間がある。かつては尾根道があったのに蜜柑山の整地で削られたのであろう。手入れのしていない桧の植林の中の廃道というか荒廃した感じのルートを探りつつ登る。倒木あり、枝も散乱する歩きにくい道である。
幸い赤テープのマーキングはある。等高線がゆるくなると道もはっきりしてきた。息苦しさも慣れてきて約30分のところで一息入れた。すると人工林の中の尾根にも関わらず大径木が林立する。樹木名は知らないが常緑照葉樹林でブナ科の仲間であろう。母樹として伐らずに残されているのだろう。嵩山の山上にも数多見た樹種だ。
地形図に実線のある林道と交差した。古い道標が割れて落ちていた。林道を見送ると尾根に取り付くが右へ新たな林道が出来ていた。この林道はすぐに大きく段差が掘ってあり車が通行できないようにしてあった。左の尾根に踏み跡を探すとかすかに続くのが見える。明瞭ではないが何とか歩ける。地形図の中山峠の印刷の「中」に着く。赤テープと薄い踏み跡が北と南に別れるので南に振った。一旦は掘割のような地形の鞍部に降りた。これが本来の中山峠であろう。向こうにも踏み跡が続く。破線路の尾根には赤テープが断続的に見えるので容易に4等三角点にたどり着いた。展望はまったくなし。ここがかつては旗振山と呼ばれた場所だろうか。嵩山の山上からここで旗振りの相場の情報を読み取り、また東の方の中継点へ伝えたという。
南へはかすかに切り開きもありそうな気がするので下山路に使える。下りきれば三ヶ日町本坂に着く。
踏み跡を戻るが鞍部から左下へ幅のある山路が下って行く。たどると中山自然歩道と県境縦走路の交差する地点だった。ここも中山峠という。ここから5分県境縦走路を登ると先ほど別れた地点に着く。更に20分で平尾山の山頂だった。13時20分登頂。ここも展望なしで詰まらない山頂だ。13時30分下山開始。分岐点に下って「中」からは元の尾根を下った。
蜜柑山には多数のミカン狩りの女性らがいた。業者もハサミで切り取りながら積み込んでいた。今がミカンの取入れの最盛期なのだろう。ナビで本坂へ下った。愛知県に戻ってまた国道を帰名した。
大多賀2をめぐるワンダリング ― 2025年11月16日
以前から気になっていた大多賀の地形図では無名の三角点930.3m。設楽町と豊田市足助町との境界にまたがる。点名は大多賀2。伊勢神トンネルから上に登った889.4mが大多賀1,寧比曽岳は大多賀3になる。今回は大多賀2をめぐってミニワンダリングを試みた。
大多賀2は寧比曽岳から北東に3.5kmの位置に坐す。出発地点は大多賀の山里の500m東、県道33号線から一軒の山家の入り口にP。左の山側は石垣が積まれ、セメントで固められた車道を歩いて登る。周りはかつては水田だったが廃田に穂ススキのゆれる晩秋の風情がただよう。少しばかりの楓の紅葉も見られる。登りきると一軒の廃屋があるがまだ十分住めそうだ。セメント道はここで終わり後は草茫々の車道を奥へ行く。ここで標高750m。比高180mほどを登る。
ルートはここから破線路に沿いながらP903の北の鞍部に登り尾根から三角点に到達。一旦バックして左の実線の林道を下る周回を描いた。右にあるはずの破線路は廃道であった。
まずは流れのある谷の右岸に登り、GPSでチエックしながら杣道を拾って破線路に近づけていく。上に上がるほどに作業道も交差していて歩き易くなった。
峠は中々良い地形であるが無名なのが惜しい。峠の北に上がって見るとすぐに尾根を登らず右側に感じの良い踏み跡が続いていた。松の大木がある辺りから尾根に取り付く。踏み跡はないが落葉樹林の疎林なので見通しがよく迷うことはない。黄葉もあるし、紅葉は落葉になっていた。山頂の一角は自然林が残されていたのだ。尾根は広いのでGPSでチエックしたが三差路の地形に誘われてうっかり行き過ぎて戻った。一旦下って登り返すと山頂だった。広々としてテーブルマウンテンの風情がある。
まず目についたのは陸地測量部の地形図測量に先行して宮内省御料局三角点の8。宮の中の呂をデザイン化して彫ってあるのだろう。すぐ先に三等三角点が落葉に埋もれていた。少し掘り返して撮影。周囲は樹林で展望が得られないのが残念だった。
先ほどの三差路のコブに戻って右折。小さなコブを越える。P891との鞍部に下りたかったが利き足が右足のせいか、左へ左へ方向が行くので真下が急斜面になる。GPSで右へ右へ意識的に振りながら鞍部へ向かうと林道の先端につながる尾根に出た。薄い踏み跡を順調に下ると林道に下れた。後は往路を戻る。約2時間30分ほどかかった。
下山後はR153に出て、稲武のどんぐりの湯に入った。JAF割引で500円とお値打ちでした。足助はもみじ祭で渋滞傾向なので矢作川沿いの県道を走って帰名した。
大多賀2は寧比曽岳から北東に3.5kmの位置に坐す。出発地点は大多賀の山里の500m東、県道33号線から一軒の山家の入り口にP。左の山側は石垣が積まれ、セメントで固められた車道を歩いて登る。周りはかつては水田だったが廃田に穂ススキのゆれる晩秋の風情がただよう。少しばかりの楓の紅葉も見られる。登りきると一軒の廃屋があるがまだ十分住めそうだ。セメント道はここで終わり後は草茫々の車道を奥へ行く。ここで標高750m。比高180mほどを登る。
ルートはここから破線路に沿いながらP903の北の鞍部に登り尾根から三角点に到達。一旦バックして左の実線の林道を下る周回を描いた。右にあるはずの破線路は廃道であった。
まずは流れのある谷の右岸に登り、GPSでチエックしながら杣道を拾って破線路に近づけていく。上に上がるほどに作業道も交差していて歩き易くなった。
峠は中々良い地形であるが無名なのが惜しい。峠の北に上がって見るとすぐに尾根を登らず右側に感じの良い踏み跡が続いていた。松の大木がある辺りから尾根に取り付く。踏み跡はないが落葉樹林の疎林なので見通しがよく迷うことはない。黄葉もあるし、紅葉は落葉になっていた。山頂の一角は自然林が残されていたのだ。尾根は広いのでGPSでチエックしたが三差路の地形に誘われてうっかり行き過ぎて戻った。一旦下って登り返すと山頂だった。広々としてテーブルマウンテンの風情がある。
まず目についたのは陸地測量部の地形図測量に先行して宮内省御料局三角点の8。宮の中の呂をデザイン化して彫ってあるのだろう。すぐ先に三等三角点が落葉に埋もれていた。少し掘り返して撮影。周囲は樹林で展望が得られないのが残念だった。
先ほどの三差路のコブに戻って右折。小さなコブを越える。P891との鞍部に下りたかったが利き足が右足のせいか、左へ左へ方向が行くので真下が急斜面になる。GPSで右へ右へ意識的に振りながら鞍部へ向かうと林道の先端につながる尾根に出た。薄い踏み跡を順調に下ると林道に下れた。後は往路を戻る。約2時間30分ほどかかった。
下山後はR153に出て、稲武のどんぐりの湯に入った。JAF割引で500円とお値打ちでした。足助はもみじ祭で渋滞傾向なので矢作川沿いの県道を走って帰名した。
坊ケ峰ミニハイキング ― 2025年10月03日
新城市に4日午後に急用ができた。明日は雨模様、今日は辛うじて曇天、坊ヶ峰なら午前中に登れそう。と東三河に来たが金曜日なので交通量が多く更に東名高速道路の工事渋滞に冷や冷やしながら豊川ICを出て本坂峠に向かった。
八名弓張山地は北へ行くほど登山者の数が少ない。一等三角点を置く富幕山を除くと人と会うことが稀だった。未踏峰としてストックしてあった坊ヶ峰も姫街道と絡めて歩きたかった。
R362のトンネル付近から左折しそこねて遠州側に出てしまったのでUターンして旧道に入る。つづら折れの狭い車道を行くと旧トンネルまで来てしまった。幸い姫街道につなぐ歩道があったので今日はここが登山口になる。
周囲の植生は檜の人工林で照葉樹の灌木が混じる。途中弘法大師様の湧水があった。コンコンと湧くイメージではない。夏ならひと掬いでも重宝する。峠にはあっと言う間に着いた。
峠からは急登が待っていた。岩が混じるのでちょっと大変だ。やがて祠が見えてきた。北へ回り込むと2等三角点が埋まる坊ヶ峰頂上だ。但し樹林の中で展望はない。歩道は北へ続いていてここが目標とされる山頂ではない感じ。祠前で水を飲んで下山した。
峠からは足元の地質が気になる。チャートの様な褶曲が露頭して居る。滑落しない様に下った。あっと言う間にPに着いた。
往復1時間弱のミニハイキングでした。443mと低いがさわやかな秋の空気のお陰で汗をかくこともなかった。
冒頭の八名はかつてあった八名郡の名残りだ。弓張山地は地殻変動で東側に弓状に湾曲させられたと想像する。赤石山脈の南部というがもっと北の佐久間町で天竜川も東へ流路を変える。秋葉街道に沿って南流する不思議。大井川も平野部まで南流しながら小笠山で東に折れ曲がって居る。何故か法多山がある。地殻変動は想像力を掻き立てる。
豊川沿いには中央構造線が走り豊橋で西に折れて渥美半島につながる。古道歩きで気付いたことは地殻変動のあった辺りには古刹名刹が多いと思った。中央構造線では三河は本宮山奥宮砥鹿神社、豊川稲荷、伊勢は伊勢神宮、遠州では秋葉山、法多山。信州では諏訪四社。今日の帰りには豊川の国分寺尼寺跡に寄った。壮大な寺院跡が発掘、一部が再現されていた。
八名弓張山地は北へ行くほど登山者の数が少ない。一等三角点を置く富幕山を除くと人と会うことが稀だった。未踏峰としてストックしてあった坊ヶ峰も姫街道と絡めて歩きたかった。
R362のトンネル付近から左折しそこねて遠州側に出てしまったのでUターンして旧道に入る。つづら折れの狭い車道を行くと旧トンネルまで来てしまった。幸い姫街道につなぐ歩道があったので今日はここが登山口になる。
周囲の植生は檜の人工林で照葉樹の灌木が混じる。途中弘法大師様の湧水があった。コンコンと湧くイメージではない。夏ならひと掬いでも重宝する。峠にはあっと言う間に着いた。
峠からは急登が待っていた。岩が混じるのでちょっと大変だ。やがて祠が見えてきた。北へ回り込むと2等三角点が埋まる坊ヶ峰頂上だ。但し樹林の中で展望はない。歩道は北へ続いていてここが目標とされる山頂ではない感じ。祠前で水を飲んで下山した。
峠からは足元の地質が気になる。チャートの様な褶曲が露頭して居る。滑落しない様に下った。あっと言う間にPに着いた。
往復1時間弱のミニハイキングでした。443mと低いがさわやかな秋の空気のお陰で汗をかくこともなかった。
冒頭の八名はかつてあった八名郡の名残りだ。弓張山地は地殻変動で東側に弓状に湾曲させられたと想像する。赤石山脈の南部というがもっと北の佐久間町で天竜川も東へ流路を変える。秋葉街道に沿って南流する不思議。大井川も平野部まで南流しながら小笠山で東に折れ曲がって居る。何故か法多山がある。地殻変動は想像力を掻き立てる。
豊川沿いには中央構造線が走り豊橋で西に折れて渥美半島につながる。古道歩きで気付いたことは地殻変動のあった辺りには古刹名刹が多いと思った。中央構造線では三河は本宮山奥宮砥鹿神社、豊川稲荷、伊勢は伊勢神宮、遠州では秋葉山、法多山。信州では諏訪四社。今日の帰りには豊川の国分寺尼寺跡に寄った。壮大な寺院跡が発掘、一部が再現されていた。
寧比曽岳の自然を求めて ― 2025年08月23日
今冬から寧比曾岳の登山が続く。今回は怒田沢川の奥の金蔵連峠から登った。予定より20分遅れで峠に着いた。筈ヶ岳までは東海自然歩道を歩く。今日は筈ヶ岳へは登らず、少し下った辺りの西洞林道を椹木谷に下ってみた。
椹木谷は足助川の支流で山中で右へ分かれている。左の本流が大多賀峠まで通じている。山中で橋を渡って右へ分かれると林道山中線が深くまで通じているが更に奥は安城農林の演習林になって車はゲートで入れない。先月はここまで来ていながら外へ出た途端に虻に襲われて撤退した。今日は上から下って見た。
西洞は筈ヶ岳の水を集めている。水量はそれほど多くはない。中洞で出合う。中洞は水量も豊富だ。寧比曽岳の源流域には北西面に落葉樹林の森が広がっている。これが真夏でも一定の水量を確保している。
中洞を橋で渡って、寧比曽岳から西へ延びる尾根の末端の760m付近を横切ると椹木谷の本流に出合う。ここも水量は豊富である。やがて安城農林の建物があり、前を通過すると緩やかな登りになる。本流の右岸は100%人工林、左岸は緑濃い自然林になっている。但し水量はせせらぎ程度で渓相は貧弱に思える。
標高900m付近まで登ってからジグザグに林道と杣道を辿って大多賀からの東海自然歩道の1020m付近に登った。ここから15分の道標に励まされて登頂。男女3人の先着が居た。13時半ごろなので大半は下山したのだろう。20分ほど休んで下山。右の源流域の落葉樹林の森を眺めながら下る。990m付近に下ると周囲は人工林だけの殺風景な林相になった。
筈ヶ岳直下の西洞林道出合いまで来て一周できた。後は金蔵連峠まで東海自然歩道をあるく。下山後は神越川に下った。
椹木谷は足助川の支流で山中で右へ分かれている。左の本流が大多賀峠まで通じている。山中で橋を渡って右へ分かれると林道山中線が深くまで通じているが更に奥は安城農林の演習林になって車はゲートで入れない。先月はここまで来ていながら外へ出た途端に虻に襲われて撤退した。今日は上から下って見た。
西洞は筈ヶ岳の水を集めている。水量はそれほど多くはない。中洞で出合う。中洞は水量も豊富だ。寧比曽岳の源流域には北西面に落葉樹林の森が広がっている。これが真夏でも一定の水量を確保している。
中洞を橋で渡って、寧比曽岳から西へ延びる尾根の末端の760m付近を横切ると椹木谷の本流に出合う。ここも水量は豊富である。やがて安城農林の建物があり、前を通過すると緩やかな登りになる。本流の右岸は100%人工林、左岸は緑濃い自然林になっている。但し水量はせせらぎ程度で渓相は貧弱に思える。
標高900m付近まで登ってからジグザグに林道と杣道を辿って大多賀からの東海自然歩道の1020m付近に登った。ここから15分の道標に励まされて登頂。男女3人の先着が居た。13時半ごろなので大半は下山したのだろう。20分ほど休んで下山。右の源流域の落葉樹林の森を眺めながら下る。990m付近に下ると周囲は人工林だけの殺風景な林相になった。
筈ヶ岳直下の西洞林道出合いまで来て一周できた。後は金蔵連峠まで東海自然歩道をあるく。下山後は神越川に下った。
藪蚊に襲われながら菅田山を歩く ― 2025年08月13日
外気温は若干は涼しい。徒歩で名古屋銀行で通帳記入後、入金を確認、山岳会の封書を天白郵便局前のポストへ投函に行った。
ついでに足を伸ばして相生山緑地のオアシスの森の中の菅田山を散策してきた。市道から菅田山の山裾の民家の奥へ踏みいれる。整然とした新興の住宅地と違い無秩序な民家群は昔からの農家であろう。狭い路地を挟んで軒を寄せ合う。
菅田から地形図に描かれた実線をゆったり登ると山根口に通じる。立ち止って撮影すると藪蚊が襲ってくる。竹林を過ぎて右旋回して歩くと迂回するように菅田山へ導かれた。43mの高さから遠望すると伊吹山が見え前景は名駅の巨大ビル群等の意外なほどの眺めに癒される。勤務先が野並にあった頃は昼休みに此処に来たことがあった。すっかり忘れていた。
次はB29の爆弾穴を目指す。道標はあったが薄暗がりで見落してしまった。一旦は谷に下って登り返しまた同じ道をたどって反対側から来た人に尋ねたらすぐ近くと分かった。一度は通過したが見落した。今度は目的地の爆弾穴に着いた。想像したよりも割と小さい。80年の歴史遺産である。今でも千種区でB29の不発弾が出ることがある。
また元へ戻り山根口へ出た。蒸し暑いので結構汗をかいた。水筒の水も飲み干し珈琲屋らんぷ 天白店に駆け込んでアイスコーヒーで喉を潤す。
ついでに足を伸ばして相生山緑地のオアシスの森の中の菅田山を散策してきた。市道から菅田山の山裾の民家の奥へ踏みいれる。整然とした新興の住宅地と違い無秩序な民家群は昔からの農家であろう。狭い路地を挟んで軒を寄せ合う。
菅田から地形図に描かれた実線をゆったり登ると山根口に通じる。立ち止って撮影すると藪蚊が襲ってくる。竹林を過ぎて右旋回して歩くと迂回するように菅田山へ導かれた。43mの高さから遠望すると伊吹山が見え前景は名駅の巨大ビル群等の意外なほどの眺めに癒される。勤務先が野並にあった頃は昼休みに此処に来たことがあった。すっかり忘れていた。
次はB29の爆弾穴を目指す。道標はあったが薄暗がりで見落してしまった。一旦は谷に下って登り返しまた同じ道をたどって反対側から来た人に尋ねたらすぐ近くと分かった。一度は通過したが見落した。今度は目的地の爆弾穴に着いた。想像したよりも割と小さい。80年の歴史遺産である。今でも千種区でB29の不発弾が出ることがある。
また元へ戻り山根口へ出た。蒸し暑いので結構汗をかいた。水筒の水も飲み干し珈琲屋らんぷ 天白店に駆け込んでアイスコーヒーで喉を潤す。
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