奥三河・冬枯れの無名の山を歩く。2025年12月19日

 明日明後日は悪天候というので気になっていた三角点「連合」のピークハントに来た。与良木峠(370m)は伊那街道の古い峠道である。クルマでトンネル迄走って見た。
 生成AIの回答(一部編集)は「南設楽郡鳳来町(現新城市)の「与良木(よらぎ)」の地名由来は、「与良木」が元々、鳳来寺の氏子圏だった小野村(現在の連合地区)の別称」だそうです。与良木隧道は「明治27年(1894)に作られた。当時の原形を留めており、愛知県最古のトンネルである。長さ35m、道路幅5m、車幅4m、高さ5m。設楽町側の扁額には、草書体で上段に「北設楽」、下段に「よらき隧道」と記される。新城市側の扁額には、楷書体で上段に「南設楽」、下段に「與良木隧道」と記される。新城市側の坑門は明治の頃の姿を残している。内部はコンクリートで修復されているが、元々は素掘りだった。後略」
 三角点の点名の連合も「元々は別の集落や地名だったものが、明治の市町村制施行やその後の合併を経て、この地域一帯の集まり(連合体)のような意味合いで「連合」という名称が使われ、それが大字名として残った」と回答があった。
 設楽町側からトンネルを通過して旧鳳来町側の山側に杣道を探して見た。△494.8mの真東まで実線の林道を走ったが無いので設楽町側まで引き返す。
 峠まで登る山路は残っておらず、危うい踏み跡をたどった。馬頭観音の碑が確かに古い峠だった証を示す。設楽町と新城市の境界尾根に立った。峠から東へは明瞭な踏み跡が登ってゆくのに「連合」へはない。境界尾根は幸いに植林の疎林であり、ヤブもないのでそろそろ歩いていく。「連合」は南北に長い尾根の南端にあり、境界尾根が北端につながったところの獣道を急登すると460mの等高線に達する。ここで約40分なので水を飲もうとしたらペットボトルを忘れた。
 三角点までの約500mの尾根も疎林で多少の低灌木はあるが痩せ尾根のために障害はない。明るいので岩場からの展望を期待したが灌木に囲まれて見えない。東は樹林越しに仏坂峠から宇連山辺りの稜線が見える。西には龍頭山だろう。三角点は土に埋まっていた。地形図では無名なので誰も登って来る人がいないのだろう。しかし、無名であるはずはなく、地元では命名されているだろう。ヤクルトの空容器の分岐まで戻る。登った獣道がこんなに急だったか、と思わせるほどの急斜面を下って鞍部に立つ。峠まで戻っても良いが鞍部から谷を降りてみた。カール状の源流部の急斜面は杉の立木や灌木の根元を支点にゆっくり下る。間伐材が散乱する谷底まで来ると足元は安定する。林道に出て峠まで戻った。
 峠から地形図の実線の道を少し歩いて見たら水田の廃田のところで引き返した。峠へ登り返して危うい踏み跡を下った。
 実線の道を行けば410mのコブの右の小さな峠を越えたところが与良木だ。水線が複雑に入り組む地形では湧水が豊富なのだろう。だから水田耕作が出来たのだ。又南向きの斜面は作物の生育には良い。米が採れれば建物の記号が固まってあるから結構人が住んでいたのだろう。隣の四谷は棚田で知られる。清崎を流れる豊川の支流の野々瀬川の支谷が境界尾根を越えて四谷の源流部に食い込んでいる。地形図を眺めていると不思議な地形だから再び来てみたい。 
 帰りは道の駅したらに寄って遅い中食にした。絹サーモンを注文したが売り切れという。一日五食というレアなメニューである。あれは豊邦というところで養殖していた気がする。代わりに鮎のフライ定食にした。3尾の鮎が開かずに丸ごと揚げてある。頭からかぶりつくが骨が硬いので食べにくい。味はまあまあ。たっぷりのキャベツも良い。

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