(ビル・パーキンス著・児島修訳)『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』 ― 2025年11月01日
ダイヤモンドオンラインから
本書の目次
【本書のもくじ】
ルール1――「今しかできないこと」に投資する
ルール2――一刻も早く経験に投資する
ルール3――ゼロで死ぬ
ルール4――人生最後の日を意識する
ルール5――子どもには死ぬ「前」に与える
ルール6――金、健康、時間のバランスを最適化する
ルール7――やりたいことの「賞味期限」を意識する
ルール8――40~60歳に資産を取り崩し始める
ルール9――大胆にリスクを取る
「老後への備えすぎ」は、「安心」ではなく「後悔」をもたらす
『DIE WITH ZERO』のなかに、緩和ケアの介護者として数多くの患者を看取ってきた知人から著者が聞いた、余命数週間となった患者たちが語る「人生で後悔していることトップ2」を紹介している一節がある。
後悔の第1位は「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」。他人が望む人生を生きるのではなく、自分の心の赴くままに夢を追い求めればよかったという後悔だ。そして第2位は「働きすぎなかったらよかった」。働きすぎた結果、子どもやパートナーと一緒に時間を過ごせなかったという後悔だ。
「2大後悔」の根っこは、実は同じところにある。
なぜ、自分に忠実に生きられなかったのか。なぜ、働きすぎてしまったのか。それはともに、安定した収入を得続けるためである。なぜ安定した収入を得続ける必要があったのかといえば、それは日々生活をしながら貯蓄をするためである。何のために貯蓄をするのかといえば、それは老後のためだ。
しかし、「老後のため」にあくせく働き、せっせとお金を貯めた結果はどうだろう。満を持して訪れた老後、抱くのは後悔である。こんなに残念なことがあるだろうか。
「今しかできないことに、惜しみなく金を使え」
著者であるパーキンスはこう語っている。
私たちはつい、「老後の安心」を求めるがあまり、「確かに生きている今日」を削りすぎてしまう。その「削りすぎ」が老後、「あんなに削らなければよかった」「もっとあのときを大切にしていればよかった」という後悔をもたらす。
本当に後悔しないのは、「安心して老後を迎えられる人生」より、「今しかできない経験を、そのときそのときで目一杯に積み重ねてきた人生」なのだろう。
引用は以上
・・・洋の東西を問わず、これまでに異口同音に語られてきたことがらではある。著者は「ビル・パーキンス(Bill Perkins)は、アメリカ合衆国のヘッジファンドマネージャー、作家、起業家など多岐に渡る分野で活躍している人物です。
彼は、プリンストン大学で経済学の学位を取得した後、金融業界に入り、ヘッジファンドで働くようになりました。その後、自らのファンドを設立し、成功を収めています。」というから成功者は何とでも言えると言えばそうだ。
他人が敷いたレールを信用し過ぎなのかも知れない。或いはその逆に年金制度もいつしか崩壊するかも知れないと、波乱に備えて、ビジネスや貯蓄に励む。心配したことの90%は起きない、という題名の本もあった。取越し苦労または杞憂である。
日本史の場合は室町時代以後の中世で応仁の乱が起きて、すべての仕組みが一旦は崩壊し、下剋上という時代すなわち戦国時代が150年も続いた。家康は勝ち抜いて天下人になった。いかに人間を丸め込むか、の仕組みとして朱子学を採用した。今もこの残骸の上で生きている人が多い。
本書の目次
【本書のもくじ】
ルール1――「今しかできないこと」に投資する
ルール2――一刻も早く経験に投資する
ルール3――ゼロで死ぬ
ルール4――人生最後の日を意識する
ルール5――子どもには死ぬ「前」に与える
ルール6――金、健康、時間のバランスを最適化する
ルール7――やりたいことの「賞味期限」を意識する
ルール8――40~60歳に資産を取り崩し始める
ルール9――大胆にリスクを取る
「老後への備えすぎ」は、「安心」ではなく「後悔」をもたらす
『DIE WITH ZERO』のなかに、緩和ケアの介護者として数多くの患者を看取ってきた知人から著者が聞いた、余命数週間となった患者たちが語る「人生で後悔していることトップ2」を紹介している一節がある。
後悔の第1位は「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」。他人が望む人生を生きるのではなく、自分の心の赴くままに夢を追い求めればよかったという後悔だ。そして第2位は「働きすぎなかったらよかった」。働きすぎた結果、子どもやパートナーと一緒に時間を過ごせなかったという後悔だ。
「2大後悔」の根っこは、実は同じところにある。
なぜ、自分に忠実に生きられなかったのか。なぜ、働きすぎてしまったのか。それはともに、安定した収入を得続けるためである。なぜ安定した収入を得続ける必要があったのかといえば、それは日々生活をしながら貯蓄をするためである。何のために貯蓄をするのかといえば、それは老後のためだ。
しかし、「老後のため」にあくせく働き、せっせとお金を貯めた結果はどうだろう。満を持して訪れた老後、抱くのは後悔である。こんなに残念なことがあるだろうか。
「今しかできないことに、惜しみなく金を使え」
著者であるパーキンスはこう語っている。
私たちはつい、「老後の安心」を求めるがあまり、「確かに生きている今日」を削りすぎてしまう。その「削りすぎ」が老後、「あんなに削らなければよかった」「もっとあのときを大切にしていればよかった」という後悔をもたらす。
本当に後悔しないのは、「安心して老後を迎えられる人生」より、「今しかできない経験を、そのときそのときで目一杯に積み重ねてきた人生」なのだろう。
引用は以上
・・・洋の東西を問わず、これまでに異口同音に語られてきたことがらではある。著者は「ビル・パーキンス(Bill Perkins)は、アメリカ合衆国のヘッジファンドマネージャー、作家、起業家など多岐に渡る分野で活躍している人物です。
彼は、プリンストン大学で経済学の学位を取得した後、金融業界に入り、ヘッジファンドで働くようになりました。その後、自らのファンドを設立し、成功を収めています。」というから成功者は何とでも言えると言えばそうだ。
他人が敷いたレールを信用し過ぎなのかも知れない。或いはその逆に年金制度もいつしか崩壊するかも知れないと、波乱に備えて、ビジネスや貯蓄に励む。心配したことの90%は起きない、という題名の本もあった。取越し苦労または杞憂である。
日本史の場合は室町時代以後の中世で応仁の乱が起きて、すべての仕組みが一旦は崩壊し、下剋上という時代すなわち戦国時代が150年も続いた。家康は勝ち抜いて天下人になった。いかに人間を丸め込むか、の仕組みとして朱子学を採用した。今もこの残骸の上で生きている人が多い。
地の塩となりて逝くなり年の暮 拙作 ― 2025年10月29日
午後5時から次号の編集会議でルームに赴く。連載も滞りがちだが、会の功労者として逝ったNさんの列伝を書くことにした。テーマはクリスチャンらしく「地の塩」とした。
岳人を読む ― 2025年10月15日
10月15日発売の『岳人』11月号を買った。今月の特集は京都・奈良の山。
10日に山上ヶ岳に登った際洞川の商店街の店頭に岳人が置いてあった。付箋がしてあった箇所は馬上寛さんが執筆した洞川のガイド文だった。山上ヶ岳がなぜ女人禁制になったのかの経緯が理解できた。日本三百名山の一つなのにヤマップのアプリはカウントしていない理由もこれだ。「※ 山上ヶ岳については宗教上の理由で女人禁制である(女性が立ち入ることができない)ため対象から外しています。」とあった。地元の精通者の増谷英樹氏に取材して「女性差別」ではなく、母の遭難を心配して登らせなかったと断っている。
女性の三百名山志向の人は代わりに隣の稲村ヶ岳を女人大峰として登られているそうな。稲村ヶ岳はガイドされるが山上ヶ岳は書いていない。
もう一つ気になる記事は服部文祥さんの台高山脈縦走記である。記事は一気に縦走しているが私は2回にわたって縦走した。1回目は高見山からハッピのタワを往復。2回目は50歳の体力試験としてクルマで大又へ行って伊勢辻山を起点に縦走した。ツエルト2泊で迷走しながら大台のpに着いた時は傘がハッタケになる風雨で大荒れになった。バスで上市駅へ戻りバスを乗換て大又へ周回した。ハッピのタワと伊勢辻山の間が空白なので登りに行く予定だ。
2023年5月1日には大台ヶ原の駐車場からコブシ嶺(マブシ嶺)でツエルトビバーク、尾鷲古道を下って県道へ着いた。これで高見山から尾鷲市の県道までつながった。
大台に比べて大峰山脈は玉置山、釈迦ヶ岳、山上ヶ岳をピストンしただけの登山で終わっている。未踏の八経ヶ岳につながる縦走もしてみたい。大峰奥駈道の踏破も視野に入れて。
10日に山上ヶ岳に登った際洞川の商店街の店頭に岳人が置いてあった。付箋がしてあった箇所は馬上寛さんが執筆した洞川のガイド文だった。山上ヶ岳がなぜ女人禁制になったのかの経緯が理解できた。日本三百名山の一つなのにヤマップのアプリはカウントしていない理由もこれだ。「※ 山上ヶ岳については宗教上の理由で女人禁制である(女性が立ち入ることができない)ため対象から外しています。」とあった。地元の精通者の増谷英樹氏に取材して「女性差別」ではなく、母の遭難を心配して登らせなかったと断っている。
女性の三百名山志向の人は代わりに隣の稲村ヶ岳を女人大峰として登られているそうな。稲村ヶ岳はガイドされるが山上ヶ岳は書いていない。
もう一つ気になる記事は服部文祥さんの台高山脈縦走記である。記事は一気に縦走しているが私は2回にわたって縦走した。1回目は高見山からハッピのタワを往復。2回目は50歳の体力試験としてクルマで大又へ行って伊勢辻山を起点に縦走した。ツエルト2泊で迷走しながら大台のpに着いた時は傘がハッタケになる風雨で大荒れになった。バスで上市駅へ戻りバスを乗換て大又へ周回した。ハッピのタワと伊勢辻山の間が空白なので登りに行く予定だ。
2023年5月1日には大台ヶ原の駐車場からコブシ嶺(マブシ嶺)でツエルトビバーク、尾鷲古道を下って県道へ着いた。これで高見山から尾鷲市の県道までつながった。
大台に比べて大峰山脈は玉置山、釈迦ヶ岳、山上ヶ岳をピストンしただけの登山で終わっている。未踏の八経ヶ岳につながる縦走もしてみたい。大峰奥駈道の踏破も視野に入れて。
保坂正康『なぜ日本人は間違えたのか』(新潮新書) ― 2025年10月13日
こんなテーマの本が以前から出版される傾向にある。戦後80年の切の良さでまたまた反省をさせられる。
今日の中共の喧しさはR・F・ジョンストン『紫禁城の黄昏』を読んでいないことで歴史認識の違いからくるものであろう。1945年の敗戦まで中国大陸の国家は
1 満州国
2 中華民国
3 チベット
4 モンゴル
5 ウイグル
に分かれていた。
1949年10月1日にこれらを包含した中華人民共和国が成立した。以後我々の認識は統一中国に従う。さらに1972年の日中国交正常化で中華民国は無くなった。一つの中国の言い分に従った結果だ。
日本がこうだから中国もこうだろうとの認識の違いでずれていく。日本は侵略戦争で中国大陸を奪ったなどと批判を真に受けてしまう。満州国は中華民国とは違う国だったのである。
中華民国は毛沢東と蒋介石の戦争の結果として負けた蒋介石は台湾に逃げた。台湾は中華民国を名乗り、本土は毛沢東が支配する中華人民共和国になった。満州国は日本の敗戦で中華民国に引き継がれて、更に中華民国との内戦で敗れて中華人民共和国の領土になった。
歴史認識としては日本はシナ保全の理念で大陸に行った。すなわち欧米列強を中国大陸から追放する狙いである。大東亜戦争という。ところが現代の中国はこれを認めない。
今日の中共の喧しさはR・F・ジョンストン『紫禁城の黄昏』を読んでいないことで歴史認識の違いからくるものであろう。1945年の敗戦まで中国大陸の国家は
1 満州国
2 中華民国
3 チベット
4 モンゴル
5 ウイグル
に分かれていた。
1949年10月1日にこれらを包含した中華人民共和国が成立した。以後我々の認識は統一中国に従う。さらに1972年の日中国交正常化で中華民国は無くなった。一つの中国の言い分に従った結果だ。
日本がこうだから中国もこうだろうとの認識の違いでずれていく。日本は侵略戦争で中国大陸を奪ったなどと批判を真に受けてしまう。満州国は中華民国とは違う国だったのである。
中華民国は毛沢東と蒋介石の戦争の結果として負けた蒋介石は台湾に逃げた。台湾は中華民国を名乗り、本土は毛沢東が支配する中華人民共和国になった。満州国は日本の敗戦で中華民国に引き継がれて、更に中華民国との内戦で敗れて中華人民共和国の領土になった。
歴史認識としては日本はシナ保全の理念で大陸に行った。すなわち欧米列強を中国大陸から追放する狙いである。大東亜戦争という。ところが現代の中国はこれを認めない。
疲労回復 ― 2025年10月11日
10/9から10/10の大峰山への登山でさすがに疲れてしまった。10日の夜遅く帰った。泥川で温泉に入っているので体は清潔だ。手土産に買ったあ柿の葉寿司を夜食に食べた。10日作ったばかりなので少し酸味がある。衣類を着替えてすぐに布団に潜り込んだ。枕元には『修験の世界』を置いたが疲労で寝てしまった。
今朝は遅くに起きた。昨日の登山に着たズボン、シャツ、下着などを洗濯した。あいにく外は小雨模様で出かける気にはならない。生乾きの衣類を取り込んで新たな洗濯物を干した。
泥川の商店の店頭で見た『岳人11号』が奈良の山の特集号で泥川のことが書いてあった。名古屋でも販売しているのか、と書店に行ったが15日発売になっていた。泥川の取材先で特別に早く届いたのだろうか。
今朝は遅くに起きた。昨日の登山に着たズボン、シャツ、下着などを洗濯した。あいにく外は小雨模様で出かける気にはならない。生乾きの衣類を取り込んで新たな洗濯物を干した。
泥川の商店の店頭で見た『岳人11号』が奈良の山の特集号で泥川のことが書いてあった。名古屋でも販売しているのか、と書店に行ったが15日発売になっていた。泥川の取材先で特別に早く届いたのだろうか。
広告を拒否された本 ― 2025年09月29日
2016年発刊の本書は『名著で読む世界史』の最後に紹介されていたことで知って2022年アマゾンで取り寄せた。目からうろこの内容だった。
メールに本書の紹介が舞い込んで来た。紹介文の以下をコピペしておく。ユダヤ人は迫害の歴史から常に被害者ポジションに立った上で各国の中枢に関与している。金融、政治経済、芸能、司法など多岐に亘る。なぜ嫌われるのかの答えが書いてある。
ところが日本は昔からユダヤ人を差別するどころか救済してきたのである。杉原千畝、樋口李一郎などはユダヤ人を救済して多数の命を救った。それなのにユダヤ人は忘恩の民族なのか、平気で日本人を裏切る。
多分、旧約聖書の教えに問題があるのだろう。現代を生きるためには知っておかねばならないユダヤ人に関する歴史の知識である。
本書をダイレクト出版から再版されることになり、少しばかり複雑な心境です。というのも、今まで大小あわせて40冊ほど翻訳を手掛けてきましたが、その中で、本書ほど思い出に残る一冊はありません。
2016年、事件は起きました...
私が『ユダヤ人』を日本で初めて翻訳し、新聞広告で全国に広めようとした時のことです。
日本中の新聞社から、まさかの返事がきました。
「このタイトルは掲載できません」
なんと、すべての新聞社が、広告掲載を拒否したのです。
言論の自由があるはずの日本で、まるでGHQの焚書のような “検閲” を受け非常に強い違和感を覚えました。
この本には、ユダヤ人を差別するような内容が書かれていたわけではありません。
むしろ、ユダヤ人と非ユダヤ人の関係を中立的・学術的に論じた良書です。
それなのになぜ、戦前の検閲のようなことが起きてしまったのか…?
その背景には、日本の出版社にとっての“トラウマ的出来事” が関係していました。
その出来事とは、1995年におきた“マルコポーロ事件” です。
雑誌『マルコポーロ』(文藝春秋)が「ホロコーストの通説を否定する記事」を掲載。
すると、ユダヤ人団体や駐日イスラエル大使館から強い抗議を受け、
最終的に雑誌は “自主廃刊” に追い込まれたのでした。
この事件以来、大手出版社は過敏になり、この『ユダヤ人』という本も、
まるで “語ってはいけない書物” のように扱われてしまったのです。
******
このような事件から、『ユダヤ人』は世界的名著であるにもかかわらず
日本ではあまり知られてきませんでした。
しかし、「今こそ読んでほしい」と、中山先生は言います。
というのも、この一冊には、現代のパレスチナ紛争を読み解くための
秘密が記されているからです。
いったい、何が書かれてたのか?
内容説明
金融支配、国家主義とグローバリズムの相克、移民問題、ホロコーストを予言。待望の本邦初訳。
目次
本書のテーゼ―難題にいかに対処するか
問題の否認―ユダヤ人問題は存在しないとする態度
問題の現局面―ボルシェヴィキ主義とユダヤ人
摩擦の一般的原因―ユダヤ人の特質と流儀
摩擦の特別の原因―敵意に油を注ぐもの
私たちの側の摩擦の原因―不誠実と無知
反ユダヤ主義者―増殖する敵意と憎悪
ボルシェヴィキ主義―ロシア革命とユダヤ人
世界全体での立ち位置―その支配の実態
イングランドにおける立ち位置―その特殊な関係〔ほか〕
メールに本書の紹介が舞い込んで来た。紹介文の以下をコピペしておく。ユダヤ人は迫害の歴史から常に被害者ポジションに立った上で各国の中枢に関与している。金融、政治経済、芸能、司法など多岐に亘る。なぜ嫌われるのかの答えが書いてある。
ところが日本は昔からユダヤ人を差別するどころか救済してきたのである。杉原千畝、樋口李一郎などはユダヤ人を救済して多数の命を救った。それなのにユダヤ人は忘恩の民族なのか、平気で日本人を裏切る。
多分、旧約聖書の教えに問題があるのだろう。現代を生きるためには知っておかねばならないユダヤ人に関する歴史の知識である。
本書をダイレクト出版から再版されることになり、少しばかり複雑な心境です。というのも、今まで大小あわせて40冊ほど翻訳を手掛けてきましたが、その中で、本書ほど思い出に残る一冊はありません。
2016年、事件は起きました...
私が『ユダヤ人』を日本で初めて翻訳し、新聞広告で全国に広めようとした時のことです。
日本中の新聞社から、まさかの返事がきました。
「このタイトルは掲載できません」
なんと、すべての新聞社が、広告掲載を拒否したのです。
言論の自由があるはずの日本で、まるでGHQの焚書のような “検閲” を受け非常に強い違和感を覚えました。
この本には、ユダヤ人を差別するような内容が書かれていたわけではありません。
むしろ、ユダヤ人と非ユダヤ人の関係を中立的・学術的に論じた良書です。
それなのになぜ、戦前の検閲のようなことが起きてしまったのか…?
その背景には、日本の出版社にとっての“トラウマ的出来事” が関係していました。
その出来事とは、1995年におきた“マルコポーロ事件” です。
雑誌『マルコポーロ』(文藝春秋)が「ホロコーストの通説を否定する記事」を掲載。
すると、ユダヤ人団体や駐日イスラエル大使館から強い抗議を受け、
最終的に雑誌は “自主廃刊” に追い込まれたのでした。
この事件以来、大手出版社は過敏になり、この『ユダヤ人』という本も、
まるで “語ってはいけない書物” のように扱われてしまったのです。
******
このような事件から、『ユダヤ人』は世界的名著であるにもかかわらず
日本ではあまり知られてきませんでした。
しかし、「今こそ読んでほしい」と、中山先生は言います。
というのも、この一冊には、現代のパレスチナ紛争を読み解くための
秘密が記されているからです。
いったい、何が書かれてたのか?
内容説明
金融支配、国家主義とグローバリズムの相克、移民問題、ホロコーストを予言。待望の本邦初訳。
目次
本書のテーゼ―難題にいかに対処するか
問題の否認―ユダヤ人問題は存在しないとする態度
問題の現局面―ボルシェヴィキ主義とユダヤ人
摩擦の一般的原因―ユダヤ人の特質と流儀
摩擦の特別の原因―敵意に油を注ぐもの
私たちの側の摩擦の原因―不誠実と無知
反ユダヤ主義者―増殖する敵意と憎悪
ボルシェヴィキ主義―ロシア革命とユダヤ人
世界全体での立ち位置―その支配の実態
イングランドにおける立ち位置―その特殊な関係〔ほか〕
渡部昇一『決定版 日本史』 ― 2025年09月28日
目次の中の中世の理解に役立つ。
宮城谷昌光『古城の風景』Ⅰ ― 2025年09月27日
愛知県にある古城を40ヶ所取り上げてある。松平の城跡もあるのでリアルな歴史の学びになる。本書を手にある時はルーツの松平町の親氏を訪ねて天下峰に登ったり高月院を訪ねて見る。岡崎市の岩津城址の松平信光と信光明寺にお参りする。安城市の安祥城址を訪ねて松平清康、広忠を偲ぶ。良い本である。
1467年の応仁の乱から地方へと波及していった。天正三河の大乱もそのひとつ。松平家も戦乱の中から生まれた新興勢力だった。中世は約150年で貴族化して既得権は戦国時代に焼き払われてしまった。新たな政治勢力が台頭したターニングポイントになった時代だった。松平は波乱の中から天下を取ったのである。
1467年の応仁の乱から地方へと波及していった。天正三河の大乱もそのひとつ。松平家も戦乱の中から生まれた新興勢力だった。中世は約150年で貴族化して既得権は戦国時代に焼き払われてしまった。新たな政治勢力が台頭したターニングポイントになった時代だった。松平は波乱の中から天下を取ったのである。
嶋津義忠『小説 松平三代記 清康・広忠・家康、三河から天下へ』 ― 2025年09月27日
戦国乱世を完全に終わらせ、天下泰平の時代を切り開いた徳川家康。その偉業の陰には、祖父・松平清康、父・松平広忠の二代にわたって続いた悲劇の歴史があった。
松平清康はわずか十三歳で宗家の家督を継ぐと、疾風のごとく大地を駆け巡り、三河全域の統一をなしとげた英傑だった。しかし、戦陣で家来に襲われて思いがけない最期を遂げ、三十五歳にして天下を目指す覇業は挫折してしまった。
清康の突然の死は嫡男・広忠に命の危険と苦難の人生をもたらした。その不遇に耐え、自立を模索して苦闘した広忠もまた家来の手にかかって若い命を落とした。
人質の境遇から戦国の世に人生の第一歩を踏み出した家康は、二代続いた負の連鎖を断ち切り、戦国大名として飛翔する。そして、祖父、父が示した二つの生き方を我が身のうちで一つにまとめあげ、「戦のない時代」の礎を築いた。
乱世の波に翻弄されながら、戦い続けた松平三代の男たちを描き出した力作長編小説。
松平清康はわずか十三歳で宗家の家督を継ぐと、疾風のごとく大地を駆け巡り、三河全域の統一をなしとげた英傑だった。しかし、戦陣で家来に襲われて思いがけない最期を遂げ、三十五歳にして天下を目指す覇業は挫折してしまった。
清康の突然の死は嫡男・広忠に命の危険と苦難の人生をもたらした。その不遇に耐え、自立を模索して苦闘した広忠もまた家来の手にかかって若い命を落とした。
人質の境遇から戦国の世に人生の第一歩を踏み出した家康は、二代続いた負の連鎖を断ち切り、戦国大名として飛翔する。そして、祖父、父が示した二つの生き方を我が身のうちで一つにまとめあげ、「戦のない時代」の礎を築いた。
乱世の波に翻弄されながら、戦い続けた松平三代の男たちを描き出した力作長編小説。
司馬遼太郎『覇王の家』上 ― 2025年09月26日
徳川家康のルーツとなった松平親氏からの八代を描いた小説である。小説だけに矢作川を三河と尾張の国境に見立てたり、そこかしこに事実ではない記述もある。ネガティブな書き方も気になる。
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