本の整理⑧2024年02月15日

 体調が今一というのは春の温かさだけではあるまい。やっぱり宴会続きで胃腸が弱ったと思う。自分では控え目に飲食した積りでも体の方は考える以上に負荷を与えたわけだ。
 そこで古い健康雑誌と料理関係の本を何冊か目に付く物を取り出して枕元に集めた。基本は老化で咀嚼力が弱っているのでスープの作り方などを参考にしていく。
 以前はよく作ったミキサーとジューサーも埃まみれだったのを探し出して洗浄して使えるようにした。型は古いがそんなに酷使はしていないからモーターの機能は衰えていない。ジューサーでレモン、りんご、ニンジン、キャベツなどの野菜ジュースを作ったり、ミキサーで予め茹でておいたかぼちゃ、じゃがいも、牛乳、などでポタージュを作る。
 幸い、現在は石油ストーブで暖をとるので2リットルのやかんをおいておくだけで充分な熱湯が作れる。それを2リットルの魔法瓶に入れておくといつでも粉末スープが作れる。
 高齢になっても肉をむしゃむしゃ食うだけの食欲はあるのだが、胃腸が負担に感じるのである。
 体と相談しながらの健康づくりが大切なんだろう。

スープの作り方の本を買う2024年02月14日

 この前体重計に乗ったら78kgもあって危険領域に入っていた。過去にも78kgを超えた際は体調不良が続き、4日間の緊急入院も経験した。体形的には太りすぎの肥満体質ではない。しかし、久々に有った人からは顔を見てふっくらしていると言われた。
 何とか対策する必要がある。固形物を食わずに栄養は確保するとなればスープである。何だか頼りないが固形物でも胃腸で消化されて栄養分だけを抽出して血液に交じって全身に行きわたる。生きるということはこれの繰り返しである。
 書店の店頭には多数の類似の本が並ぶ。適当に選んだら4冊も買って3500円だった。これで情報を仕入れて賢く食べて行く。

本の整理⑥2024年02月11日

 朝早くから快晴なのでまずは寝室6畳間の布団干しを開始。パジャマ、整理作業で埃まみれになったシャツ、ズボン、シーツなどを洗濯する。その間に隅に残る綿埃をクリーナーで掃除しておく。クリーナーも大いに働いているので分解すると綿埃がいっぱい詰まっているので焼き鳥に刺さっている細い串を残しておいたので隙間からかきだす。昨日はもっとあった。床をみてももう雑誌、本は見当たらない。段ボール箱はまだ少し残すがいずれ処分して行く。
 窓のある書斎の6畳間の整理にかかる。部屋の中央の段ボール箱を見ながら処分方法を決める。結果5ケース位をつぶせた。まだまだあるがこれだけでも視野が広がる。あたまが痛いのは機関誌の類だ。後で見直すことがきっとあるに違いないと思うので取りおく。
 28歳で入会した山岳会の機関誌の印刷は手書き→ワープロ→パソコンのワープロそして10円コピーの袋とじとお粗末な体裁であるが50年誌をまとめるにはこれがないとできなかった。すべてではないが断片的な記憶だけでは心もとないからモノが残っているのはありがたい。正しく歴史の史とはふみであり文書記録の謂いである。
 廃棄処分と整理整頓して行くとようやく中央にスペースが生まれた。ここに電気こたつを置いた。これで広い卓上で新聞を読むスペースになる。或いは本と雑誌の整理スペースになる。これが狙いでもあった。
 4畳半の部屋も廃棄処分と整理整頓で少し片づいてきた。5月後半の暑い時期には寝室6畳間と入れ替わるまでの仮置き場である。ここも整理タンスの不要な衣類を処分してスペースを作れば衣類の収納で段ボールを処分できる。リビングルームの中央部の整理が少し残る。
 紙ごみ、雑紙、資源ごみ、燃えるゴミなどの袋に分けておく。これらは来週月曜日に出せば無くなるのですっきりする。
 3~4年前から考えてきた自宅と丸の内事務所の整理整頓作業はほぼ完了できた。
 次は新しいPCとプリンターのセット、データ移行がある。事務所のネット回線の再開も課題にある。確定申告、相続業務の残りその他まだ雑務は山積している。

本の整理⑤2024年02月09日

 午後から本の整理に取り掛かる。まず、様子見していた天井の高さまである本棚の耐震金具の右側を取り付けた。左は傾きがあったので早く取り付けて変形の様子見をしていたが安定した。右は穴開けドリルと電動ドライバーがあるので早い。揺さぶって見たが堅固になったので本の収納を開始した。文庫本と新書版を中心にほぼ満杯になった。
 次は整理整頓をしながらスチールラックにも本を収納して行く。ベランダに干しておいた木製の古い本棚も活用するために書斎(窓側6畳間)に隅に置いた。これも段ボール箱の中身を出しながら収納する。ひとまず収まってきたので寝室(窓の無い6畳間)の整理整頓に入る。
 掃除機で綿埃を吸い取りながらも燃えるゴミ、資源ごみ、紙ごみ、雑誌、新聞、機関紙、週刊誌などに分類しながら整理。本と雑誌は書斎に移動して隙間に収納する。木製の本棚の地図はばらばらになるのですべて廃棄した。地図のスペースに週刊誌、アルバム、大型の雑誌などがうまく収まった。
 これで枕元に山積していた本はすべて片づいた。就寝中に地震がきて本に埋まることは無くなる。寝室の大型の本棚は耐震対策してある。スチールラックの本棚が右に傾き加減になっているのでボルトの締め直しが必要だ。これは大掛かりなのでまた時間を作って整理する。
 段ボール箱も3つ減らせた。オイルヒーターもついでに雑巾で拭き掃除をしておく。結構綿ほこりが溜まっている。古新聞も取りおきする他は整理する。雑誌は捨てない。
 午後から開始して休みなしで時計を見たら19時を回っていた。寝室はとりあえずは片付いた。書斎は50%の仕事が残る。4畳半は冬から5月頃までは物置にしてある。
 今後は山岳雑誌、一般雑誌、機関紙、衣類を捨てる。などでスペースを広げて余裕を持たせたい。

公益法人のガバナンスと危機2024年02月06日

 山岳会の上部団体が財政危機と報告された。昨年末に初めて公表されたがここにきて詳細が明らかになってきた。一体何があったのだろうか。
 『失敗の本質』は日本軍の敗戦に至る原因を失敗と見立てて原因を究明した書籍でベストセラー且つロングセラーになっている。 本書では6つに要約された。
ソース:https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6997
『失敗の本質』の
ポイント1:6つの失敗から学ぶ日本軍の特徴
日本軍は、全体として戦いの
①目的が不明瞭でした。各作戦において、行き当たりばったりに戦闘したり、目的が二重性を持つ(2つの戦略目的を持つ)ことになってしまったりと曖昧な目的だったため、統一性のない戦闘がおこなわれてしまったのです。

一方の米軍は、仲間内で議論を重ねて検討を進めた後に、目的をはっきりさせて動いていました。

ポイント2:異端・偶然を排除した結果の硬直化
日本軍には、「異端や偶然を排除する」という性格がありました。
②すべて人を同じ方向へ向かせ、異なるものは刑罰を与えたり排除する。当時の日本が「戦争一色」だったことを考えると、確かに、とうなずいてしまえる特徴です。

しかし「異端や偶然」は、自分たちの方向性を見直すためのものでもあります。自分たちの向いているもの、目的が果たして正常なものなのか。それを考えるきっかけが「異端と偶然」です。

しかし、日本軍はそれを徹底的に排除してしまっていたために、盲目的に組織が目指す目的を疑わずに行動してしまっていました。これは、組織の方向性の修正だけでなく、新しい考えも生まれない、つまり組織のイノベーションが起きないといった問題をも生み出してしまう考え方なのです。

ポイント3:環境の変化に適応できるかが勝敗を分ける!
日本軍と米軍は、環境の変化に対応したかどうかでも、違いが表れます。

③日本は初期の成功体験を信じ続け、また上層部の硬直した考え方で、戦略らしい戦略をとらず、戦術を重視した戦法を取り続けました。その結果、ガダルカナルの戦いで戦力を大幅に喪失した日本軍は、その後は負け続けてしまいます。

一方米軍はというと、日本軍の戦法を常に研究し続け、学習し、それを加味した対策・作戦で日本軍を圧倒していきました。新しい戦法を生み出し、トライ&エラーを続ける彼らの変化に、日本軍はついていけません。

日露戦争で勝利を収め、近代国家の仲間入りを果たした日本は、当時の勝利をひきずっていたのです。「白兵銃剣主義」「艦隊決戦主義」を過信し、新たな武器や兵器、戦闘機の発達に遅れをとりました。実際にこの戦争の決戦では、必ずしも白兵戦や艦隊戦が重要ではなかったのです。

日本軍は航空機や燃料の発達により、壊滅的な被害を受けました。空軍より海軍を重要視したため、米軍に遅れを取ったのです。

このように、日々進化していく科学技術や、相手の戦略に柔軟に対応することが、勝利の分かれ目となっていました。

ポイント4:成功体験にとらわれないイノベーションの重要性!
過去の成功体験にとらわれていては、イノベーションは起こりません。

先ほども説明したように、日本軍は日露戦争の勝利を、この戦争でも引きずっていました。また、最初の半年の勝利によって、それらの成功体験はやはり正しいのだと、過信を助長させてしまったといえるでしょう。

④そのため敵の戦力を過小評価し、一度失敗しても「過去に成功したのだから、運が悪かっただけだ」のように思ってしまうことが多かったのです。その間にも、米軍は日本軍の戦術を着々と研究し、自分たちの失敗も成功も改良し、次の戦いに備えていきました。

そもそも日本軍は、すでに模範解答が用意されており、それに向かっていく教育がなされていたのです。そのために、従来どおりの行動をし続けてしまうという弱さがありました。

過去に成功したからといって、それに甘んじているのではなく、相手が成長してくることも見据えての戦術や科学技術の開発、さらには組織としてのあり方を疑問視するようなイノベーションが起こらなかったというのも、日本軍の敗北要因のひとつでしょう。

ポイント5:学習スタイルの違いから学ぶ自己革新力の鍛え方!
では、成功体験を引きずらずにイノベーションを起こし続けるには、どうしたらいいのでしょうか?

⑤組織や自己が変わって進化し続けるには、自己革新力が必要です。これを身につけるには、まず「自己否定」をすることから始まります。そもそも成功にとらわれていては、自分を否定することはできませんよね。

本作では、日本軍と米軍の学習スタイルが異なることを例に挙げて説明しています。日本軍は「シングルループ」、米軍は「ダブルループ」といったスタイルです。

シングルループは、目標、問題構造が変わらないという認識を持ったうえで進める学習プロセスです。一方ダブルループは、学習の目標、問題そのものが本当に変わらないか?という疑問を持ったうえで、再びその問題を再定義したり、変更することもいとわない学習となります。

環境は、常に変わっていくもの。それを念頭において絶えず変化する現実、現状を見つつ、どんどんと見直していくスタイルが、ダブルループなのです。これだけの説明でも、米軍の学習スタイルが日本を上回っていたのだ、と理解できるのではないでしょうか。

人間活動でも自然活動でも、環境は常に変化していきます。特定のコト・モノに固執せず、柔軟に物事を考えなければ、自己革新はままなりません。どんなときもダブルループの考え方で取り組むことで、イノベーションは起こっていくのです。

ポイント6:現場を知らない指揮官の危険性!
⑥職場で、現場で営業している部下と上司の見方が食い違う。そんなこともあるのではないでしょうか。現実はこうなのに、上司はわかってくれない……そんな体験はありませんか?実はこの太平洋戦争のときも、そういった剥離が起こっていたのです。

先に説明した山本五十六は、新しい作戦を提案して実行するなど、確かに革新的な指揮官でした。しかし、個人の知識に頼ってしまった彼は、現場から帰還してきた部下と対話などせず、現場がどういうことになっているのかをあまり理解せずにいたのです。

それはつまり、結局は彼の頭の中だけでの計算にしかすぎないということ。そのなかでうまくいっても、実際に動く兵たちがどのように感じ、どのように行動し、また相手がどのように反応するかということを、報告を受けたうえでブラッシュアップするなどは、おこなわれませんでした。

上官が絶対だった日本的組織は、上官が現場を知らないにも関わらず、盲目的に上からの言葉を信じるのみだったのです。現場とそれが剥離している状況にも関わらず、です。

対話のままならない指揮官では、状況を好転させることは難しいといえるでしょう。

ポイント7:「空気」に左右される日本人気質の罠
今の日常でも、「空気を読む」という言葉は頻繁に使われますよね。旧日本軍も、そういった「空気」に左右されていたのです。

沖縄戦への戦艦大和出撃は、当初反対されていました。それは作戦を検討した際、大和が出撃しても意味がないという結論に至っていたからです。

しかし、それは参謀の一言で、出撃決定、とひっくり返されてしまいました。冷静に考えれば、兵員の犠牲や成功率などを重視しなければいけない場面であったにも関わらず。

なぜ、このような「空気」に左右されてしまうのでしょうか?

それは、まず1つ目にサンクコスト、つまり今までの犠牲を取り戻すために、さらに損害を重ねてしまうことが原因と考えられます。さらに説明すると、ずさんな計画を立てて多くの犠牲が出て、もう取り戻すのは不可能と思えても、それでも固執してしまうという状況です。

たとえば「次の台で出るかもしれない」とパチンコを続けてしまう考えと同じといえるでしょう。

さらに戦況が苦しく、打開する策が見つからない、何をしてもうまくいかないときは、現実を認められずにむきになってしまいます。冷静に考えることができなくなるのです。

そして、それは日本の「精神論」的な考えにもつながり、「やる気」「積極性」といった目に見えないもので評価される人事制度を助長したのです。

⑦上下関係が絶対だった日本軍では、部下の意見などを取り入れられることは、ほとんどありませんでした。そして上層部からの命令に、盲目的に従ってしまいます。

このような「空気」が日本軍を支配し、無謀ともいえる戦いに大きな犠牲を払ったのです。この「空気」は、現代社会にも少なからず存在するものといえるでしょう。

ポイント8:現代の日本とも共通する!?権威主義のリスク!
日本人的気質は、今も昔も共通しているのではないでしょうか。

目的が抽象化して具体案でないこと、何のための会議なのかわからないけれど上層部の判断に任せておこなわれること、人間関係や場の空気が尊重されること、結果よりも上司へのやる気の見せ方やプロセスなどが過剰に評価されること、声の大きい人の意見がとおってしまうこと……。

⑧現場との意思疎通が難しく、上層部が現実を見ず、過去のデータや成功体験に固執してしまい、変化に対応できないことなど、どこをとっても現代の組織の問題点にも通じます。

つまり、ここで書かれている失敗の本質は、「日本軍の組織的研究」でありながら、日本人の現代の組織の失敗の本質を説いているともいえるのではないでしょうか。

組織として上層部に権威を与え、そこを重要視していく日本的組織は、以前の日本軍のような失敗をする可能性をはらんでいるといえるのです。

・・・・・とてつもない巨額の赤字が出てから問題視される。予算統制が出来ていない。あるカネでしか執行できないはずが借金してまでやっている。どこかに無理がある。日本軍の敗戦と同様である。

本の整理④2024年02月05日

 今朝は早起きしてプラごみ、空き缶類、燃えるゴミ類を出した。このところよく溜まるのは自炊が増えたこともある。朝食後はやや重いメニューだったせいか眠くなったので仮眠。
 午後はいつもの喫茶店で新聞を読む。その足で日進のコーナンに行く。昨夜にジャンボエンチョ-を物色したが良いものはなかったので規模の大きいコーナンへというわけである。やはり品ぞろえが豊富で充電式電動ドライバーは4000円前後であった。合わせて穴あけドリル、ドライバー、耐震金具などを購入した。
 自宅で電動ドライバーを2時間充電してから部屋の鴨居と本棚にL字形の金具をねじ止めした。とりあえず1ヶ所のみとした。後は天井と書棚のすき間を埋めるプラスチックの板も埋めた。これは天井のコンクリートが重量で垂れてきているのだろう。左右で約1センチの誤差がある。これもとりあえず、一番すき間が少ないところだけ埋めて見た。
 そして細紐に錘を垂らして約1mほど垂らすと左右前後の傾きが分かる。左右はOK,前後もOKでした。後は今まで書棚をセットしていた場所を変えた。レイアウトを考えながら少しづつ蔵書を整理して行く。

「吉村芳弘「80歳の壁」を超える食事術」(幻冬舎)の話2024年01月16日

 著者の吉村 芳弘氏は 先日まで学んだ石原結実氏とは真逆の考え方の本です。食わないとサルコペニア、フレイルになるというのです。そして高齢者は太り気味が良いと言います。石原氏はそんなに食わなくても生きていけるという。どっちも真実なんでしょうが読者は迷います。

参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=_oqiF8YpOLk

 コメントから

・後期高齢者までに体幹と筋肉をしっかり付けておく事が大切だと思います、運動していれば食事も自然と進みます、私は75で1ヶ月入院し退院して翌日から日常生活が出来ました、体幹と筋肉を付けていたお陰だと思っています。

・st様 今日は👋😃 私の友達100才迄一人暮らしでした 一人で自然食品に電車に乗って買い物 勿論自炊生活 100才過ぎてから 近所に住む息子さんが心配して老人ホームに入りました 今100才半 97才の時に外出先で転び 3か月入院 リハビリして退院 背中 腰は全く曲がって居ません 杖を付いて普通に歩いて居ました ぽっちりゃでは有りません 主のお話しは当てはまら無いですね 但し友達は食べられる事には感謝して居ます 一番大事な事だと思いますよ 参考迄に

・『サルコペニア』や『フレイル』予防には【タンパク質】が良いとのこと、記憶にしっかり留めておきます。
タケミさん、良い本を紹介して頂き有難うございました。_o_

・とうとう80歳に来ましたね よく耳にしてきた二千万円より大切なお話しを有り難うございます母に長生きして欲しいです😊

・いつもありがとうございます❗今日の話はとても驚いた反面、すごく勉強になりました‼️肥満になりたくなく、1日1~2食にしてから、体調はよいですが、筋肉が落ちすぎてしまい、またささいな事でもイライラするようになり、やせるのも問題ですね。
65歳まではもう少し先ですが、気にしすぎずに楽しく食べます😃

・基礎代謝が減ると体温が下がりやすい。
それをカバーするのが脂肪w
体温が下がらないよう住環境を見直すのが長生きの秘訣。

・・・・ある高名な学者が医師の指導で断食、野菜ジュースなどで痩せる治療をしていたがまもなく死亡した。ある女優、女性美容トレーナーの某も痩せて死亡している。
 美空ひばりは「センナ」という漢方薬でダイエットして痩せて死亡したという。痩せることとの因果関係は医学的には難しい。しかし、痩せることで体温が下がり、抵抗力、免疫力が落ちたというなら理解できる。癌患者の体温はすべて低体温だという。

 高齢になってから体を絞ると寿命を縮めることは確かに思う。一方で小太りを推奨する案は結構支持を得てきた。体内に蓄積された脂肪は手術後の余裕だろう。
 高所医学の原理を利用してある美容外科医が標高6000m級の高所に連れて行ってダイエットをさせたが死亡した。空気の薄いところでは心肺機能がフルに働く。いつも走っている状態と同じで居るだけで負荷をかけている。体内脂肪迄使い切ってついに死んだのだろう。つまり理論倒れである。

司馬遼太郎『街道をゆく 愛欄土紀行』30と31受領2023年12月11日

 俳句の鑑賞文や先住民族の参考書として購入した。キリスト教徒に追われたというが、キリストはそんな指示まではしていないはずである。何がケルト民族をイギリス諸島へと追いやったのかへの疑問があった。

瀬川拓郎『アイヌと縄文』を買う2023年12月10日

 副題は「もうひとつの日本の歴史」とある。アイヌが日本の先民族説があったが今は払拭された。アイヌは細部にわたって分析されて統一された人種ではないことも分かってきた。
 アイヌは日本人に土地を奪われたという。言葉を奪われたという。これは朝鮮併合で日本になった朝鮮人と同じ語り口である。それはそのはずで首謀者は北朝鮮系の人らしい。あの手口で日本から公金を奪おうということである。しかも菅元総理らは法律を成立させてしまった。今は一部の市民が反対運動をしている。この努力が報われるのは何時だろう。

四国や諭鶴羽山の投稿を掲載した「聳嶺」届く2023年12月04日

 12月3日山から帰宅したらポストに届いていた。『聳嶺』はしょうれいと読む。投稿は25本以上、121ページとけっこうな文量がある。会員数は約200名といつの間にか増えた。コロナ明けで全国へ活動を活発化したことがうかがえる。
 私も昨年11月19日から11月22日の四国と淡路島の一等三角点の山旅の報告を投稿させてもらった。四国では小島烏水祭に参加して交流した。淡路島では最高峰の諭鶴羽山ハイキングと淡路島出身の軍人・樋口季一郎の銅像を拝見するために時間をつくった。終戦後でもソ連は日ソ中立条約を破棄して北海道をとりに攻めてきた。そこを守った軍人であり、ユダヤ人の難民を救済した人道の偉人でもあった。こんな日本人が居たのか、との思いを満たした。
 ”たまきはるユダヤの命救いたる樋口李一郎像建つ見ゆ”