岩津城址と信光明寺 ― 2025年09月20日
遅めの朝食後、県道56号を東進して矢作川を渡った。9/6の学習で岩津城址はすぐ行けた。岩津天満宮さんのPに置かせてもらって東名高速道路の橋を渡って城址に行く。全体的には竹藪が覆われた中に踏み跡があり左回りに歩いた。ところどころの石仏は何の意味だろうか。土塁などの説明書きの看板がある。ちょっと下がると中央に円座があるがこれは愛好家らのものだろう。
ボックスに「岩津城址の見どころ」のA4のガイド文1枚が束で入っていたので一枚いただいた。「岩津松平輝きの600年」推進懇話会が作成した。
URL
https://www.iwazujo.com/
一回り後は信光明寺へ行く。城址へ来る前に正面から入ったが奥へは入りづらい。ところが車で走っているうちに2ヶ所の裏道があることが分かってきた。天満宮に車をおいたまますぐに裏口が降りて境内をみたが案内板があるわけでもないからどれが松平家のものかは不明だった。何となくここだろうとは分かるものの不案内に終わった。
岩津界隈の目的は一応は果たしたので大給城址へ行ってみることにした。巴川沿いの県道39号を北上。旧道のR301を右折、バイパスと合流する辺りがまだ工事中で分かりにくく、いったんは行き過ぎて戻ってようやくPに着いた。しかし小雨模様で歩いてまでも行く気が失せた。そのまま九久平町まで下った。山中に不似合いな二車線の道路があったりして分かりにくく、巴川に出てほっとした。そのまま帰名。
ボックスに「岩津城址の見どころ」のA4のガイド文1枚が束で入っていたので一枚いただいた。「岩津松平輝きの600年」推進懇話会が作成した。
URL
https://www.iwazujo.com/
一回り後は信光明寺へ行く。城址へ来る前に正面から入ったが奥へは入りづらい。ところが車で走っているうちに2ヶ所の裏道があることが分かってきた。天満宮に車をおいたまますぐに裏口が降りて境内をみたが案内板があるわけでもないからどれが松平家のものかは不明だった。何となくここだろうとは分かるものの不案内に終わった。
岩津界隈の目的は一応は果たしたので大給城址へ行ってみることにした。巴川沿いの県道39号を北上。旧道のR301を右折、バイパスと合流する辺りがまだ工事中で分かりにくく、いったんは行き過ぎて戻ってようやくPに着いた。しかし小雨模様で歩いてまでも行く気が失せた。そのまま九久平町まで下った。山中に不似合いな二車線の道路があったりして分かりにくく、巴川に出てほっとした。そのまま帰名。
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