第13回おばら杉田久女俳句大会に参加2024年09月14日

 ミニコミ誌の矢作新報は矢作川流域の市町の出来事を取材。地域密着型の毎週金曜日発刊の週報である。先週6日号でこの催事を知っていく事にした。というのも来賓の1人に杉田久女の孫の石太郎氏の名前があったからだ。母は杉田久女の一人娘の石昌子(旧姓は杉田)、父は石一郎。石一郎は戦前の日本山岳会会員で、ウインパーの『アルプス登攀記』の翻訳者だった。
 杉田久女も山歩きが大好きで「岳人」(中部日本新聞)に家族連れの随筆を寄稿した記憶がある。その中に石太郎氏も入っていたのではないか。
 又小島健氏の「杉田久女の俳句と時代」の講演も楽しみだった。主催者側、来賓の挨拶後に講演が始まった。久女の句を鑑賞しつつ時代の変遷も合わせて解説された。大体は頭に入っているが専門俳人だけに深掘りされて詳しい。
 質疑応答では私も挙手して、″あじさいに秋冷いたる信濃かな″の段で、句碑のある松本市の丘と父の赤堀家の分骨の事が省略されたので質した。小島氏は分骨の墓地は行けなかったらしい。確かに迷路の様な道をたどり着いた。
 後で石太郎氏は母の分骨の儀の際は一緒に行ったそうだ。くだんの俳句は父の分骨の際に久女が詠んだ。久女らしい骨太な大景である。その目には常念岳があったはずだ。句碑を訪ねたその奥に常念岳を見た。しかし山は詠まず足元のあじさいを詠んだ。
午後は句会になった。名古屋市から県道58、R419を走った。419は良い句と読める。9時過ぎ、会場の小原交流館に入って、即興の2句を投句、事前の募集句も2句を書いて投函した。即興だけに自信はないが腕試しのいい機会だ。
 参加者のほとんどは女性であった。勉強熱心な上に繊細な感性は文芸向きであろう。受賞も女性がさらっていかれた。山本主宰と石氏の講評を拝聴。これが参考になる。俳句は1人で詠むが発表して、全員で選句され、選者の句評を聞き、客観的に評価されて俳句になる。
すべてが終わって帰名した。
 豊田市小原町松名は旧小原村だった。杉田家に嫁いで来て地縁が生まれた。久女が病死、夫の宇内も死んで旧家跡に埋葬された。評伝も3冊発刊された。特に田辺聖子『花衣 脱ぐやまつわるーわが愛の杉田久女』で全国的に知名度が上がり、松名は女性俳人のメッカになりつつある。