本坂峠から富士見岩ハイキング ― 2025年11月18日
10月3日の坊ケ峰に続いて18日も午後からの所用で新城市へ。午前中をフルに使って先月の心残りの本坂峠から富士見岩の間の部分を歩いた。先月は峠直下の旧トンネルまで車で上がったが今日はR362のトンネル手前にP。しばらく車道を歩くとR362の下をくぐってすぐにトイレがある。ここで左が姫街道、右が嵩山の蛇穴へと行く。
車道を歩くと行き止まりになるので戻って、山側に続く踏み跡をたどると国の史跡に指定された嵩山(すせ)の蛇穴だった。ここには嵩山自然歩道の道標がある。自然歩道は桧の植林で手入れがされて美しい冬木立になっている。歩いて行くと浅間神社への分岐、姫街道への分岐を見送り、頭浅間の古社のある稜線(豊橋自然歩道)に到達した。途端に強い北風が吹きさらされて寒い。
ここまでが1時間弱でベンチで休むと冷えるのですぐ南に向けて歩き出す。愛知県側は桧の人工林だが静岡県側の境内周辺は常緑照葉樹林が覆う。この植生は427.2m(4等三角点:本坂峠)を越えてもしばらくは続く。かつて日本列島の西南はこのような植生が占めていた。樹齢の古そうな太い幹も多い。保全されているのだろうか。
柴田明彦『旗振り山と航空灯台』(ナカニシヤ出版。令和3(2021)年出版)によると米相場の情報伝達の場として嵩山の山上とだけの記載があり、427.2mの本坂峠のピークを推定されている。周囲より20m以上高いのでそうかも知れないが現状は愛知県側は桧の人工林が高く、静岡県側は前述の通り照葉樹の高木が生えている。ただ三角点の先が膝くらいの笹原になっている。そして静岡県側に広い地形は想定通りか。ここ以外に良い場所はない。ここから中山峠の南の旗振山(点名:中山峠。393m)につなげるのは無理がない。
嵩山町側へのバリルート(破線路)の案内もある。常緑照葉樹林から抜け出すとパッと明るくなり、下り気味に歩いて登り返すと富士見岩だった。南側に回って岩に攀じ登り素晴らしい展望を得た。眼下には三ヶ日町の猪鼻湖、広大な浜名湖は冬の太陽に鈍く照り返し光る海に見えた。山の中の山も良いが海の見える山も良い。
冬晴れには違いないが遠方は冬霞ではっきりしない。それでも黒っぽい富士山が見えた。まだ雪が少ない。これで一応の目標は達成できた。
下山時は12時30分。新城市の歴研の会合まで1時間あるが昼食を食べている時間は無さそうだ。ナビを見ると27分とあった。信号が殆どないから早い。途中、次郎柿の露天売り場が続くのでつい一袋買った。200円で6個は入っていた。13時20分に無事会場入りできた。
会議後、100km先の奥大井の山を予定していたが冬型の気圧配置の影響か冷たい雨がぱらついて中止にした。名古屋への帰途はR23に周ったが刈谷市周辺から大渋滞。東名高速も豊田市周辺が大渋滞だったらしい。R301が良かったかな。R23は刈谷で降りて徳重経由で帰った。
車道を歩くと行き止まりになるので戻って、山側に続く踏み跡をたどると国の史跡に指定された嵩山(すせ)の蛇穴だった。ここには嵩山自然歩道の道標がある。自然歩道は桧の植林で手入れがされて美しい冬木立になっている。歩いて行くと浅間神社への分岐、姫街道への分岐を見送り、頭浅間の古社のある稜線(豊橋自然歩道)に到達した。途端に強い北風が吹きさらされて寒い。
ここまでが1時間弱でベンチで休むと冷えるのですぐ南に向けて歩き出す。愛知県側は桧の人工林だが静岡県側の境内周辺は常緑照葉樹林が覆う。この植生は427.2m(4等三角点:本坂峠)を越えてもしばらくは続く。かつて日本列島の西南はこのような植生が占めていた。樹齢の古そうな太い幹も多い。保全されているのだろうか。
柴田明彦『旗振り山と航空灯台』(ナカニシヤ出版。令和3(2021)年出版)によると米相場の情報伝達の場として嵩山の山上とだけの記載があり、427.2mの本坂峠のピークを推定されている。周囲より20m以上高いのでそうかも知れないが現状は愛知県側は桧の人工林が高く、静岡県側は前述の通り照葉樹の高木が生えている。ただ三角点の先が膝くらいの笹原になっている。そして静岡県側に広い地形は想定通りか。ここ以外に良い場所はない。ここから中山峠の南の旗振山(点名:中山峠。393m)につなげるのは無理がない。
嵩山町側へのバリルート(破線路)の案内もある。常緑照葉樹林から抜け出すとパッと明るくなり、下り気味に歩いて登り返すと富士見岩だった。南側に回って岩に攀じ登り素晴らしい展望を得た。眼下には三ヶ日町の猪鼻湖、広大な浜名湖は冬の太陽に鈍く照り返し光る海に見えた。山の中の山も良いが海の見える山も良い。
冬晴れには違いないが遠方は冬霞ではっきりしない。それでも黒っぽい富士山が見えた。まだ雪が少ない。これで一応の目標は達成できた。
下山時は12時30分。新城市の歴研の会合まで1時間あるが昼食を食べている時間は無さそうだ。ナビを見ると27分とあった。信号が殆どないから早い。途中、次郎柿の露天売り場が続くのでつい一袋買った。200円で6個は入っていた。13時20分に無事会場入りできた。
会議後、100km先の奥大井の山を予定していたが冬型の気圧配置の影響か冷たい雨がぱらついて中止にした。名古屋への帰途はR23に周ったが刈谷市周辺から大渋滞。東名高速も豊田市周辺が大渋滞だったらしい。R301が良かったかな。R23は刈谷で降りて徳重経由で帰った。
能郷の猿楽を鑑賞 ― 2025年04月13日
先週に能郷の手前の倉見山へ登った際、来週の13日の日曜日は能狂言の奉納の日だな、また行ってみようと急に思い立った。
前は2014年4月13日に初見だった。この時は天気が良くて多くの来場者があり、地べたに座って鑑賞した記憶がある。
https://koyaban.asablo.jp/blog/2014/04/13/7274185
今日は朝から雨の予報だった。能郷白山神社の能狂言の奉納は毎年4月13日と決まっているので雨天決行です。能狂言保存会の人らも半年前から仕事が終わった後、一定の場所に集まって練習をして来たわけです。所作、セリフ、間合いに乱れがあっては芸にならないので真摯に練習されてきたと思います。
予定の7時半には出発できず8時半になってしまった。名古屋高速から名神・一宮ICを経由して東海北陸道から美濃関JCTから東海環状の山県ICで降りた。地方道を走って金坂峠を越えると金原である。ここからはR157を一本道になる。雨のせいか、根尾川も濁流と化した。薄墨桜の公園付近も車は少ない。
出発して約2時間後の10時30分過ぎに白山神社に到着。高速道路をフルに利用して片道95km。地道だけなら3時間だが、そんなに急ぐことも無かった。開演までの待つ時間も実は面白い。
関係者らが集まって準備中だった。指定のPに案内してもらって簡単な服装で神社に戻る。10時から予定の神事はすでに終わっていたのでカッパを着て本殿に参拝。非常階段みたいな急な石段を登って参拝を済ませる。また車に戻って羽毛ジャケット、雨合羽上下、登山靴姿で戻った。
開演前に神社脇の受付に係りが着席したので金五千円を寄進。お返しに小さな羊羹をくれた。これには「撤饌」と印刷されている。撤饌とは本来ならお米、清酒、お餅などの神饌(供物)に対するお下がりの意味。神社の方から手渡される際の箱に『撤饌(てっせん)』と書かれてある。神様にお供えされたものを食べる=神様の力を体の中に取り込むということになります。神社から、神様から分けていただいたありがたいお下がりです。美味しく食べることにします。前は落雁という粉菓子でしたが今回は井村屋の羊羹でした。
12時前後、根尾谷最奥の村となった能郷付近にコンビニや飲食店はないので予め用意したパンとミルク、バナナを車内で昼食は済ませた。
本当は屋台でも出ると良いのだが。
開演13時が近づくと、参加者らのクルマが続々着いた。Pには岐阜ナンバーに交じって神戸ナンバーもあったからファンがいるのだろう。参加者は120人と中日新聞は伝える。
定刻通り上演される。
1.能:式三番(露払い・翁・三番叟)
2.狂言:丹波淡路
3.能:高砂
4.狂言:宝槌
5.能:田村
6.狂言:鐘引き
7.能:羅生門
以上の演技を順次鑑賞。やっぱり能は厳かであり、狂言は諧謔的な面があって違いを楽しんだ。特に能は後半になるに従い動きが派手になり、衣装も彩色されて華麗な雰囲気がある。
書いている途中で白洲正子の『かくれ里』や『お能/老木の花』『世阿弥』などを手にしてみた。しかし、能郷の能は芸として確立させる前の素朴な形式なんだそうです。そのままに味わう方が良いようです。世阿弥の能はまた機会があれば鑑賞してみたい。
約2時間たっぷり中世以前の古式ゆたかな世界に浸った。
目の前は依然として大雨である。世俗の垢を洗い落とせたんではないか。一斉に能郷を後にして帰る車が列をなした。その中に私もまじって帰名した。冷えた体を温めに一週間ぶりに根尾川谷汲温泉に立ち寄り入湯した。R157を南進、R21に左折し忘れたのでそのまま南進し、安八スマートICから名神に入った。大降りであった。
前は2014年4月13日に初見だった。この時は天気が良くて多くの来場者があり、地べたに座って鑑賞した記憶がある。
https://koyaban.asablo.jp/blog/2014/04/13/7274185
今日は朝から雨の予報だった。能郷白山神社の能狂言の奉納は毎年4月13日と決まっているので雨天決行です。能狂言保存会の人らも半年前から仕事が終わった後、一定の場所に集まって練習をして来たわけです。所作、セリフ、間合いに乱れがあっては芸にならないので真摯に練習されてきたと思います。
予定の7時半には出発できず8時半になってしまった。名古屋高速から名神・一宮ICを経由して東海北陸道から美濃関JCTから東海環状の山県ICで降りた。地方道を走って金坂峠を越えると金原である。ここからはR157を一本道になる。雨のせいか、根尾川も濁流と化した。薄墨桜の公園付近も車は少ない。
出発して約2時間後の10時30分過ぎに白山神社に到着。高速道路をフルに利用して片道95km。地道だけなら3時間だが、そんなに急ぐことも無かった。開演までの待つ時間も実は面白い。
関係者らが集まって準備中だった。指定のPに案内してもらって簡単な服装で神社に戻る。10時から予定の神事はすでに終わっていたのでカッパを着て本殿に参拝。非常階段みたいな急な石段を登って参拝を済ませる。また車に戻って羽毛ジャケット、雨合羽上下、登山靴姿で戻った。
開演前に神社脇の受付に係りが着席したので金五千円を寄進。お返しに小さな羊羹をくれた。これには「撤饌」と印刷されている。撤饌とは本来ならお米、清酒、お餅などの神饌(供物)に対するお下がりの意味。神社の方から手渡される際の箱に『撤饌(てっせん)』と書かれてある。神様にお供えされたものを食べる=神様の力を体の中に取り込むということになります。神社から、神様から分けていただいたありがたいお下がりです。美味しく食べることにします。前は落雁という粉菓子でしたが今回は井村屋の羊羹でした。
12時前後、根尾谷最奥の村となった能郷付近にコンビニや飲食店はないので予め用意したパンとミルク、バナナを車内で昼食は済ませた。
本当は屋台でも出ると良いのだが。
開演13時が近づくと、参加者らのクルマが続々着いた。Pには岐阜ナンバーに交じって神戸ナンバーもあったからファンがいるのだろう。参加者は120人と中日新聞は伝える。
定刻通り上演される。
1.能:式三番(露払い・翁・三番叟)
2.狂言:丹波淡路
3.能:高砂
4.狂言:宝槌
5.能:田村
6.狂言:鐘引き
7.能:羅生門
以上の演技を順次鑑賞。やっぱり能は厳かであり、狂言は諧謔的な面があって違いを楽しんだ。特に能は後半になるに従い動きが派手になり、衣装も彩色されて華麗な雰囲気がある。
書いている途中で白洲正子の『かくれ里』や『お能/老木の花』『世阿弥』などを手にしてみた。しかし、能郷の能は芸として確立させる前の素朴な形式なんだそうです。そのままに味わう方が良いようです。世阿弥の能はまた機会があれば鑑賞してみたい。
約2時間たっぷり中世以前の古式ゆたかな世界に浸った。
目の前は依然として大雨である。世俗の垢を洗い落とせたんではないか。一斉に能郷を後にして帰る車が列をなした。その中に私もまじって帰名した。冷えた体を温めに一週間ぶりに根尾川谷汲温泉に立ち寄り入湯した。R157を南進、R21に左折し忘れたのでそのまま南進し、安八スマートICから名神に入った。大降りであった。

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