山岳会OBの集い2024年11月30日

 昭和31(1956)年に日本山岳会隊は世界で初めてマナスル(8163m)に初登頂した。以来、日本には記録映画が放映され、街の山岳会が雨後のたけのこのように誕生した。
 私が28歳から所属する東海白樺山岳会もそんな時代に産声を挙げた一つだった。昭和37(1962)年に名古屋市交通局の市電、市バスの運転士と車掌が数名集まって結成した街の山岳会が2022年に60周年を迎えた。
 2年前はコロナ禍で集会は自粛、定例会も中止していた。せめて、記念文集くらいは作ろうと2023年秋ごろに原稿を募った。現役はもちろん、連絡のつくOBにも呼び掛けて今年の春できあがり配布、送付できた。
 しかし、宴会はなかったのでOBの1人が自主企画してくれた。案内と場所の設定なども引き受けてくれて15名が集まることになった。しかし、1名は病死、1名は都合で来れなくなり、差し引き13名の宴会が実現した。
 OB11名と現役2名が、名駅前のミッドランド4階にある「ねのひ」という蔵元の酒場に一堂に集い、酒とごちそうを食べながら60周年を祝った。2年前にも一度は集まりがあったから顔は覚えている。それにしても紅顔の美少年、黒髪ふさふさの青年が今やスキンヘッドになって、同じような鳥打ち帽を被るようになった。白髪、シルバーグレーも多い。
     光陰矢の如し
 生ビール、ねのひの冷の原酒、熱燗と知らず知らずに盃を重ねた。特に原酒は甘く、口当たりが良いのでクイクイ飲んでしまう。腰が抜けるほど酔い痴れる。最後は名駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで解散した。

中締めの三本締めや中締め年忘れ 拙作2024年11月27日

 11/26の夜はクラブ愛知と言う同窓会の忘年会でした。場所は名駅前の名古屋ルーセントタワーの40階にあるメゾンエイトと言う展望レストラン。名古屋駅のモグラの巣のような地下通路を歩いてたどり着いた。
 ルーセントとは光を放つと言う意味。
 40階と言うと1階が縦4mとすると160m。手元の高度計は165mでした。レストランの従業員は180mと言ってた。あいにくの天気ですが晴れれば明るい夜景が見えたはずです。
 18時から20時までフランス料理風のご馳走とワインやハイボールなど酒等を楽しみながら年忘れの宴会でした。色んな報告があり、令和6年度の愛知大法科大学院の司法試験合格者が7名、合格率は全国2位の55、56%だった。
 戦後すぐに中部地方で初めて旧制大学で創立し法律学を教育してきた。法科大学院も存在意義が薄れつつある。受験塾や独学では法曹になっても人間性の幅が狭いからやっぱり教授について学んで欲しいものです。
 先の衆院選で落選した同窓が2名で1名は立憲の人で比例で当選だった。終盤はカラオケでにぎやかだった。中森明菜とか郷ひろみと同世代が歌った。もう自分の時代は終わったな、と思った。
 ビルを出て地下鉄で丸の内迄移動。外は結構な雨降りだった。折り畳み傘ではやや濡れるので丸の内の事務所で大き目の傘に換えて帰宅した。

酢キャベツを作る2024年11月13日

 久々に酢キャベツを作った。歯肉の痛みを抑えるために抗生物質を飲んでいることが原因だろう。少々便秘気味である。

大型の秋刀魚2024年10月09日

 スーパーの店頭でなるだけ大きな秋刀魚を買おうと物色する。久々に大き目の秋刀魚を見たので買った。大きいのは脂が乗っていて旨い。細いのは傷みやすく、焼いても腹が崩れてしまう。大きいのは身も締まってしっかり焼ける。
 2022年から2023年は不漁ということで10匹も食わない内にスーパーの店頭から消えてしまった。今年は8月以来、9月も過ぎ、10月中旬になっても出て来る。
 買っても2匹は冷凍室で保存してあり、店頭から無くなってから食うことにする。冬の寒さに備える栄養源としては秋刀魚はもっともふさわしい気がする。
 北海道出身の友人も盆過ぎから秋刀魚とジンギスカンで脂肪を蓄えて冬の寒さに備えるんだと言っていた。たまたま糖質ダイエット中で減量を図っているが、脂肪は採って良いと指南書にある。せっせと食べなきゃ。

巻機山の米子沢に挑む②2024年09月08日

 夜6時から12時頃までは缶ビールの酔いと疲労でぐっすり眠れた。トイレに起きると深夜を回る。蚊取り線香を一本燃え切ったのでつぎ足す。実際に蚊が居ることと熊除けでもある。いったん起きるともう眠れない。午前3時にはトタン屋根を叩くような降雨があった。しばらく続いて沢登りはどうなるやらと気をもんだが雨は止んだ。うとうとしていると午前5時にコンコンとノックがあった。
 今回の米子沢は研究すると単独で行くのはリスクが高そうだった。過去には死亡事故もあったので関東圏の沢の精通者にガイドを依頼してあった。
 ハーネスなどを付けて4人パーティで実施。若いスタッフ2名も居るので心強い。
 最初は砂防堰堤工事用の車道を歩き、水の流れのない氾濫河原の米子沢に入渓。しばらくは岩伝いに遡行、やっと水が流れているところへ来た。右岸を高巻き、景観が良くなってきた辺りで又、連瀑帯の右岸の大高巻きがあった。これで体力の消耗させられた。滝の連ちゃんを巻くのだから木の根、草の根、枝をつかんで必死で登る。沢も立ってきて登攀の要素が多くなる。スタッフらはザックが大きいのにスイスイ遡行してゆく。結局、ガイドの判断で中途で撤退することとした。私のペースでは日帰りは無理との判断である。エスケープルートがないこともある。頑張って良い所まで行ってしまうとそこで体力尽きてヘリを救助要請ということになりかねない。そうならないようにプロガイドを依頼したわけだ。過去の記録には沢中ビバーク後遭難した例もある。
私が地形図やガイドブックで研究した以上に沢が立ってきてきた。この上は等高線が詰まっているのでもっと厳しくなる。朝は青空も見えていたがいつしか雲が厚くなった。モチベーションは低下するばかりだ。現在の自分の体力では無理だった。下降は遡行よりも危険なことがある。登りに掛かった時間以上に掛かる。そろそろ下り無事駐車場に帰還した。
    清水の民宿で山の蕎麦を食う
 昼時でもあり、帰り支度を整えると蕎麦を一緒に食って行こうと誘われた。もちろん同行させてもらった。清水で登山客相手の民宿である。山菜が山盛りになった蕎麦である。大変美味しかった。
 名刺を出して改めてあいさつする。日本山岳会東海支部の名前を見て、とっさに世界第二位の高峰のK2へ登った会だね、と返ってきた。隊員のTさんなら知っているよ、と。T氏は北アルプスの山荘の経営の仕事をしていることもご存じだったから世間は狭い。一気に親しみが湧いてきた。木曽山脈の沢の話から名古屋ACCの某の名前も出てきた。行ったことがないというのでまた中央の沢で合流できたら良いな、と話が弾んだ。
 自分も若い時は木曽駒の細尾沢を遡行し、宝剣岳を越え、三の沢岳のコルに下り、伊奈川を下降して八丁峠を登り返した沢中2泊の昔話をした。或いは上の廊下の遡行の話も出た。しかし、肝心なことは今、どんだけ体が動くか、であろう。リベンジを約して別れた。
     帰路は大沢山のトンネル経由
 南魚沼市街に戻りナビでは大沢山経由でR117へ越えるルートが示された。R253より高いが行ってみた。合流地点は津南の近くだったからかなり近道である。信州中野ICから上信越道に入ったがETCカードを間違えてバーが上がらない。チケットで入るが塩尻、飯田付近で渋滞というので松本で出てR19で帰名した。
 軽油を給油すると44リットル。現地と合計で64リットル。773km走っての燃費は満タン法で12km/リットルと高燃費だった。ファンベルトを交換した効果が出ている。

東海地方に27日線状降水帯発生のおそれ2024年08月26日

 午前中はスーパーで新秋刀魚を探して購入。鮮魚の品ぞろえが豊富な食品スーパーは期待を裏切らない。ウオダイは一尾220円で昨日より140ほど安いので3尾購入した。隣のアピタでは仕入れにまだ熱が入らないのか品数が少ない。仕入量が少ないと価格も割高になる。
 自宅に戻った後は台風前に洗濯して夜までには取り込んで置いた。段ボール箱の整理整頓もある。車に置いておく山の道具類も整理できたので移動する。
 パソコンの調子がいよいよ悪いのでそろそろ別に買って保管してあるPCに交代させるか。
 新刊の原稿使用料の使途についての了解が固まってきた。すでに固まっている3名と昨日今日と2名が了承して5名。後2名に承諾を得れば寄付の条件が整う。
 夜遅く、動画を見ていたら台風の余波か、東海4県に線状降雨帯のおそれがあると発表された。明日は相当な降雨がある。用事は午後4時なのでピークが過ぎれば助かる。

新秋刀魚を買う2024年08月25日

 今日も朝から暑い。日進市のコメダでモーニング後、アオキスーパーの開店時刻を見計らって行った。目当ては新秋刀魚である。あることはあったがやや小ぶりだった。パスしても良いが価格は360円/一尾とこなれている。割高だが旬の魚なのでエイっと買った。
 自宅に戻って昼ご飯に焼て見た。塩をまぶし天火で焼くと良い匂いである。あっという間に二尾平らげてしまった。やっぱり体が求めていたのだろう。
 2022年、2023年は秋刀魚の不漁が伝えられてあっという間に店頭から消えたと記憶している。今年は豊漁が伝えられるのは幸いだが台風が来ている。たくさん食べて晩夏の体力消耗と冬の体力作りに備えたい。
 2年続いた虚血性大腸炎も今年は再発させないようにしたい。その為にも秋刀魚はビタミンAやBの豊富な大切な栄養源である。

鮎飯を炊く2024年08月24日

 新秋刀魚の出物を見てまわったが価格が高い。それで鮎を買った。鮎3尾で鮎飯を炊いた。先ずはお米2合を研ぐ。ビニール袋に入ったまま鮎に塩をしてしばらく置く。天火で焼く。浸水した電気釜の米の上に焼いた鮎を並べる。調味料には醤油+みりん+酒を調合。しょうがのみじん切り10gを入れる。電気釜のスイッチオン。
 炊き上がったら、鮎の頭ごとしゃもじで混ぜる。鮎の骨は軟らかいので骨ごと食える。鮎から頭と骨を外して身だけを入れても良い。しばらく置いてからすぐに食う場合は小さなおひつに入れる。冷凍保存する分はパックに詰めて荒熱を取る。しょうがのピリッとした香味が新鮮な感覚を与える。

芥川賞受賞作品松永K三蔵『バリ山行』を買う2024年08月21日

 文芸春秋9月号に芥川賞受賞作品が掲載されている。それはそうとして単行本も久々に購入した。『バリ山行』は面白そうだ。

納涼会2024年07月16日

 午前から午後にかけては関与先の事業年度終了届の作成に勤しむ。毎年の事とは言え、数字は大きく変化する。こられらの分析結果を事業報告書に書く。着手はこの報告書から始まるといっても良いだろう。普段から世界の日本の社会経済を観察していないと書けない。
 雨の降る午後遅くなってから栄の中心部へ向かい、同窓会の納涼会に参加。瀟洒なビルの奥にあるためにスマホで行っても道迷いしてしまった。スマホの方向感覚も間違うこともあるのだろうか。或いは設定が悪いのか。15分ほど遅れた。
 帰路も梅雨の夜らしくしくしく降る中を家路に着いた。全部脱いでシャワーを浴びて布団の上になるとあっという間に睡魔に襲われた。