排水溝のメンテナンス ― 2024年03月22日
ネギ油を作ったその粕を水切りのネットに入れて置いたら油分が台所の排水溝に流れ込んでいる。後々詰まりの原因になるので、洗剤でぬめりを洗った上で、重曹を上からかけて、お湯で温めて、しばらく後でクエン酸を注ぎ込んで排水パイプ内の油汚れがいくらかでもクリーンになるとの期待を込めて清掃した。
健脚で登るしあわせ九山忌 拙作 ― 2024年03月22日
3月21日は深田久弥の忌日でした。
北畠八穂との不幸な結婚。自分の想いを貫いて、八穂と別れ、既に子をなしていたしげ子と再婚はしたが鎌倉文壇は冷たかった。山の文を書いて稼ぐしか無かった。名著となった『日本百名山』は苦労の中から生まれた。
2019年のGWに青森県の山を経巡った際に青森近代文学館を訪ねた。そこで八穂は「北のメルヘン作家」の地歩を得ていた。甥の世話で晩年を送ったという。
ここからは小説である。後醍醐天皇に仕えた北畠家の祖神の北畠親房は三重県の美杉村の北畠神社に祀られている。鎌倉幕府との戦い、みちのくのまつろわぬ人々との戦いを追いながら北へと移動していった。八穂の血につながっているような気がする。
北畠八穂との不幸な結婚。自分の想いを貫いて、八穂と別れ、既に子をなしていたしげ子と再婚はしたが鎌倉文壇は冷たかった。山の文を書いて稼ぐしか無かった。名著となった『日本百名山』は苦労の中から生まれた。
2019年のGWに青森県の山を経巡った際に青森近代文学館を訪ねた。そこで八穂は「北のメルヘン作家」の地歩を得ていた。甥の世話で晩年を送ったという。
ここからは小説である。後醍醐天皇に仕えた北畠家の祖神の北畠親房は三重県の美杉村の北畠神社に祀られている。鎌倉幕府との戦い、みちのくのまつろわぬ人々との戦いを追いながら北へと移動していった。八穂の血につながっているような気がする。
奥飛騨の山へ ― 2024年03月22日
15時30分。金山駅前の集合場所を出発。美濃市でメンバー1名をピックアップ。東海北陸道を経て飛騨清見から1年ぶりに神岡町山之村へ。伊西トンネルを抜けると降ったばかりの新雪で埋まっていた。昨年も泊ったりょうしの家で夕食の猪の焼肉に舌鼓を打った。
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