木曽川水系岩倉川をさかのぼる2017年09月04日

 9/2から9/3の久々の沢登りです。しっかり水を浴びてきました。
 中アの沢は何本か遡行してきましたが、木曽川右岸の支流ははじめてでした。岩倉川ももちろん初めてですが、支度中に、関東ナンバー2台、8人くらいのパーティがきました。知る人ぞ知る沢なんでしょう。
 私達4人は本流を遡行しましたが、もたついていても追いつかれず、別の沢に入ったようです。本流の沢のグレードは1級から2級らしいです。適度な滝が次々現れ、なめもあって楽しめる沢でした。懸垂は無くほとんど直登できました。特に本流の滝に支流が2本滝となって落ちている所はなかなかの見所です。ここは支流2本滝上を巻いて本流に出ました。堰堤が2か所あること以外は自然のまんまです。平流になって遡行を打ち切り、林道を歩いて下れました。登頂できないのはちょっと寂しい。
 帰路は柿其温泉に入湯しました。冷泉の加温です。湯船に浸かっていると汗がでてきます。泉質は単純弱放射能冷鉱泉です。メンバーの1人が湯あたりするほどですから効能があったのでしょう。放射能泉は湯あたりしやすいそうです。翌朝の私の膝痛もなんともなく歩行や自転車も痛みなく過ごせています。温泉の効能かも知れません。
 気になったのは沢の浅瀬で岩魚が弱弱しく泳いでいたことです。警戒心の強い岩魚ですからすぐ逃げるはずです。多分、産卵後で体力を使い果たしでいたのだろう。岩魚は水面が凍るくらいになると孵化するそうです。それとどの稲田も穂を垂れて美しい山村の風景でした。これも秋ならではの風景です。
 R19に出る手前、大きなドーム型の山が見えました。最初は糸瀬山か、と思いましたが南木曽岳でした。方向によって大きく違うんですね。山口村まで来ると秋空にくっきりと恵那山がそびえていました。いい1日でした。

渡渉の失敗による遭難が増えている2017年08月31日

 北海道の幌尻岳で川を下山中に3人が渡渉に失敗、流されてロープに繋がれたまま溺死という痛ましい遭難事故があった。流された仲間を助けるために2人も命を亡くした。
 日本山岳会広島支部ということで驚いた。
 なぜこんなことになったのか、一つは準備不足であっただろう。増水した川の渡渉についての心得と技術の知識が不足していた。さらに突っ込めば、現代人の都会生まれの都会育ちが増えて、渡渉が日常から消えたことがあるように思う。
 私などは子供のころは夏休みの間は近くの川で遊ぶのが日常だった。ゴム草履をはいてパンツ1枚はいて川の上流へ、渡渉したり、ある時は泳ぎ、またある時は魚をとったりした。深い淵にもぐったり、川の中に居座る大きな岩へ攀じ登って飛び込んだりした。
 そんな遊びのための川が台風や大雨になると濁流になり一変する姿も眺めた。だから川の怖さをよく知っている。ところが同年代でも都会育ちはそんな体験を持たないから想像すらできない。知らないということを知らない。
 自然への怖れを持ってほしいと思う。登山技術だけではだめで自然への畏敬の念を抱いて欲しいものである。

膝に回復の兆し2017年08月29日

 緊急入院の退院後、5/22以来、健康回復のために始めたポタリングも回数を重ねて30回近くになった。近場の所要でもなるたけ自転車を使うので実質はもっと多い。
 顕著な変化は大腿筋がついてきたせいか、地下鉄の急でしかも長い階段の下りで手すりにたよらず、下れるようになったことだ。登山でも登りは良いが下りに自信がなかったのに、何とか無難に下れるようになった。かといって、膝痛が完全に癒えたわけではない。但し、下山の翌日でも痛みを引きずらないことが大きい。
 そこでこれまでの反省である。
 大腿筋の復活で痛みが癒えつつある。ということは登山の回数が減った代わりにポタリングで復活したのだ。
 しかも食べる量が減らないから体重増になった。膝の痛みがでてからも、(それは押入れにしまってあったけい皮鎮痛剤の箱を見ると数年から10年に及ぶが)けい皮鎮痛剤で痛みをごまかしていた。代表的なインドメタシン配合剤は実は貼付した部分から薬剤が浸透して血液の流れを止めるという形で痛みを鎮めていたのだ。
 血液の正常な流れに自己治癒作用があると考えると薬で遠ざけていたことになる。患部が治癒しないまま重くなった体で登山を続ければ膝の軟骨の損傷は大きくなるばかりだろう。加齢で登山の回数は減るばかりだったから大腿筋も退化するわけだ。
 膝の痛みで登山の回数を減らし、スキーも今シーズンは初めてゼロになった。運動量は激減した。体重は80kg近くまで増えた。そこで減量のために減食を心掛けた。60歳以降、増えるばかりだった宴会の回数を半減した。4月には4kg減った。これが体に負担となったようで、5月に発病してしまった。病気は栄養分の何かが不足して起きる。体に必要な栄養分が不足したのだ。
 こうした悪循環が重なって現在がある。結果、3度3度食事をする、運動量を増やすことに思いを致す。膝痛については緊急以外は対象療法的な治療は避けることとする。インドメタシンの常用が中々治癒しない原因を招いているように思う。
 今後もポタリングで発汗を促す。猿投山をトレーニングの山に位置付けて通う。目指すは28歳ころの体重63kgだ。徳川家康が言ったという「人の一生は重き荷を負うて行くがごとし」の言葉。楽をすると駄目なんだなと。

みよし市の福谷(うきがい)4等三角点へポタリング2017年08月27日

 朝5時50分、ベランダに出るとちょっと涼しい。とりあえず自転車に乗った。行く先はみよし市の福谷の三角点106.8mだ。
 天白川左岸のサイクリングロードを走り、日進市に入ると心なしかひんやりする。半袖では少し寒いくらいだ。空を見上げると東は雲が高く、西は掃いたような白い雲が浮かんでいる。北からの冷気が流れてきたんだろう。自転車で走る限りは新涼の季節になった。
 帰宅後、天気図を見ると
「本州付近は、朝鮮半島に中心を持つ高気圧に覆われています。また、前線が本州の南海上に停滞しています。東海地方は、晴れまたは薄曇りとなっています。以下略」とあった。
 県道58号を回避して、田園地帯の農道を行く。「まほろばや日進の田に余り苗」と詠んだ初夏のころから今はもう初秋になり、早い品種のイネは色づいて頭を垂れている。コシヒカリ系のミネアサヒだろうか。天白川の川瀬には白鷺がたたずみ、何やら餌をとっている。
 宮前からも田園地帯を突き抜けて、米野木丸山の交差点で県道58号を横切り、東名高速の下をくぐる。信号で左折して愛知用水の側道まで行き、管理道路を走り、県道231号に出合、黒笹まで走る。駅を左に見て、長い坂を登り、地形図で分れ道を探る。
 ゴルフ場への道に入り、道なりに走ると三角点に直行のはずだがそうは問屋が卸さない。何と未舗装になり、浅い谷間に入り込んだ。道を直進すると草深くなり会社のもの置き場で行き止まりだ。引き返して左折、今度は舗装になり、左折すると一軒家でまた行き止まりだ。戻って直進するとまとまった家並みが現れた。県道231号に出て県道54号に左折、ゆったり登る。
 左へ細道を走る。黒笹27号窯跡なる遺跡があった。半周してみたが明瞭な踏み跡はない。三角点の北のコブとの間が谷になっているので探ると果たして踏み跡があった。途中で怪しくなり、適当に高見を目指した。地形図通り平坦な山頂を歩き回って三角点を見出した。展望はない。
 帰路も適当に下って自転車に戻った。次は福谷御嶽神社を目指したが参道入り口が分からず、福谷城跡に変更。急坂をこぎながら城跡まで走った。ちょっとてこずったために既に9時になった。
 帰路は東海学園まで走り、往きに入り込んだ道で一周したことになった。愛知牧場ログテラスにより美味しいモーニングコーヒーを飲む。濃厚なクリームミルク、カスピ海ヨーグルトなどを平らげて帰途についた。

小泉武夫『猟師の肉は腐らない』を読む2017年08月25日

 書店をのぞいてふと見つけた新潮文庫である。2014年に単行本が出て2017年4月に文庫化された。日経新聞連載で知った『食あれば楽あり』は読んだ。この本も文庫化された。掲載の本は最初は発酵学の蘊蓄を傾けたエッセイかと思ったが何と小説であった。この著者は小説も手がけているんだ。
 山岳文学というと深田久弥、新田次郎、田中澄江辺りが有名だ。山に登ったり下ったりで中々文学にはなりにくい。新田文学はなんでも気象学に収れんされてしまうので飽きた。
 さて、お得意の発酵学からはどんな文学を?
 舞台の設定の八溝山地というのが気になっていた。以前から八溝山には登山したいと思っていた。そこを舞台にどんな物語を展開しているのか興味津々で読み進めた。 
 登場人物は八溝山地に生れの猟師の義っしゃんと猟犬のクマ1頭、それに小泉さん自身らしい東京の先生である。一人称である。
 とにかく出てくるのは山暮らしの猟師の創り出す食べ物がテーマであった。実は私も農家の生まれなので子供時分から蜂の子、川魚などは自分で捕って食べていた。鶏も飼い、年末、葬儀などのイベントがあれば1羽つぶしたものだった。うなぎも祖父に連れられて仕掛けに行った。大きなミミズを隣家の畑に断ってとり集め、それをすぐに仕掛けて川に沈めた。朝4時ころ、子供の時分にはそんな早起きはできず、祖父が回収に行き、何匹か仕掛けに入っていた。それをためてひと夏に何度か天然ウナギを食したものである。
 そんな田舎暮らしの食い物のネタがいっぱい詰め込まれた「小説」だから楽しく読み、またサバイバルなどと声高に云わなくとも自然の中でカネ要らずのグルメを堪能する夢や可能性を抱かせるのである。
 実際、読んでいる最中に買い置きした豚肉の調理を思いついた。猪肉の燻製とまではいかないが、豚肉に天然塩を振り、おろしにんにくを合わせた。しばらく置くと水分がしみ出して、終わったころで天火で焼くと実にやわらかくおいしい味になった。燻製ならなお美味であろう。マンション暮らしでは煙は御法度なのである。
 水郡線の矢祭山駅で降車する件までは事実であろう。その先からフィクションの小泉発酵学ワールドの世界に入る。
 先生が山奥に住む義っしゃんへの手土産に背負うものとしては
1 粕取焼酎・・・いまだ飲んだことがない。アマゾンでぐぐると高いがワンクリックで買える。
2 飛魚のくさや・・・これも未食である。ただし、飛魚のだしは、冷麦、ソーメンの汁として、何種類かアマゾンで買った。スーパーの有名メーカーの均一で甘めの出しには飽きがきているからだ。
 飛魚の出しを使ったら抜群にうまい。焼そばや卵焼きの出しにも使っている。ペットボトルの残り少なくなって見えてきた飛魚はカレーの隠し味にする予定だ。
 とこれだけだが義っしゃんの大好物なのだ。
 一方で文中の山のメニューに素材は
1 赤蛙
2 岩魚  甘露煮、燻製
3 山女
4 鮠
5 蝮
・・・・これは血を飲む。焼酎に漬け、まむし酒にすることもあるようだ。三重県の田舎の叔父はマムシを見つけると捕まえて首をはね、生き血を飲んだ。但し、昨今の農山村では田畑や農道にも農薬をまく。それに汚染された蛙、蜥蜴などの小動物を蛇が飲み込むと食物連鎖で、農薬の濃度が高くなる。そのマムシ酒を飲んだ息子が急死、そんなはずはないと老父が試飲したらやはり死んだニュースが奥三河であった。今は注意が要る。
6 縞蛇
7 鶫
8 山鳩
9 鶉
10 猪肉の燻製
・・・愛知県足助町の山奥では今でも猪が大活躍するらしい。この前行った山の伊熊神社の麓の山家では2日に1回は巡回してくるそうだ。そこで罠を仕掛けてある。捕獲すると埋設するとか。足助町ではジビエとして「山恵」なる解体会社をつくって猪肉の販売に乗り出した。私も購入したことがある。そんなに美味いものならここでも燻製を売ってくれないだろうか。
11 じゃがいもとニンジン
12 キューリ、トマト、
13 蝗 佃煮
14 地蜂の子の甘煮、炊き込みご飯
・・・・これは奥三河や東濃の山村で食える。先だって、新城市のゆーゆーアリーナの食堂のメニューにもあった。須山御嶽山に行く際、地蜂の採集禁止の警告板を見た。いまや、珍味ゆえに希少性のある財産になった。
15 野兎
16 納豆
17 山ブドウとあけび
18 どじょうの蒲焼・・・・これは豊橋の松葉公園の近くの小さなうなぎ屋で食えたが今もあるかな。うなぎ養殖の池にどじょうを放しておく。うなぎよりあっさりした味でしかも安かったからちょくちょく食べた。蒲焼、柳川鍋ともに美味かった。
19 かぶと虫の蛹・・・これもクヌギの丸太を割った際に蛹(白っぽい幼虫)が出てきた。祖父の話で焼いて食った記憶がある。ヘコキムシ、クワガタムシ、カミキリムシもある。
20 山羊の乳・・・・日進市の田園地帯をポタリングしたていたら、山羊を飼っている家を発見した。都市近郊ではいまどき珍しい。富山県立山町の道の駅みたいな土産物センターでも山羊を飼い、山羊の乳のソフトクリームを売っている。
21 その他の植物の根や実の話
以上は第1部の長閑なること宇宙のごとしに出てきた食味である。梅雨明け近い、というから7月初旬の八溝の夏の四泊五日の山暮らし体験記であった。
 第2部は八溝の初冬の候である。あれから2年5ヶ月後の12月初旬、三泊四日の山暮らしに出かける。そこの食生活は如何。今度も粕取焼酎は無論、魚の缶詰、くさや、カレールー、塩鮭、を持参。
1 猪肉の味噌漬け
2 渓流魚のカレー・・・イセエビのカレーは聞いたことがある。魚は出しが良く出るのでカレーには良い。鮎が安くなれば鮎カレーを作るか。鮎をカラカラに焼いて出しにすると美味いかもしれない。鮪缶、アサリ缶、鮭缶などのストックは欠かさない。

 さて、あれだけの食材をあてに飲んでは食い、食っては飲んでいる場面ばかりである。しかし、それではいくら発酵学の蘊蓄が盛りだくさんでも物語性がない。
 事実上は猟師の山暮らしなので猟犬の「クマ」の話と猟銃の村田銃の話も出てくる。なかでも「クマ」は高安犬と秋田犬のハイブリッド(優性遺伝)の設定になっている。 
 ここまで読んではたと思い出したのは戸川幸夫『高安犬物語』(新潮文庫)の本だった。動物文学の嚆矢とされる名作である。作者は直木賞も受賞した。この小説は高安犬物語、熊犬物語、北へ帰るなど5編の中短編からなり、1から3編が高安犬がテーマになっている。
 熊犬物語には希少種であり、秋田またぎ犬と掛け合わす話がでてくる。また病気で手術する話もあり、もちろん村田銃の話も出てくる。小泉氏もこの本を下敷きにしているな、と感じさせる。この知識の挿入が本書を発酵学の蘊蓄を傾けた食道楽三昧に堕落させないスパイスの役目になっている。

 ただし、時代の設定が不明な点が消化不良を起こしている。というのも早川孝太郎全集Ⅳの「常陸八溝山麓の狩詞」に語彙がまとめられている。前文のみ引用してみよう。

<太子町を立ちて八溝山麓黒沢村に一泊、翌日は矢祭山を見、国境を踰え磐城の平原に入る。水の流れ依然南に向うが不思議なり。あたかも秋の盛りにて遥かにみる東白川郡の山々一様に染まり、低き丘の次々に続きし様印象深し。東館に一泊、翌朝立ちて塙に向う。徒に家のみ大なる者並びたり。知る人も無く町を一巡して、またもや道を田に出で、そこに働く人をとらえてモンペの話を聞く。モンペは近年の輸入なり。
塙、花輪、鼻輪。阿武隈川のほとり武隈の塙の松。
有名なる賽の神。
磐城の塙も似た地形なり。秋田県と岩手の境の花輪、これも同じ地形なり。山形県にもあり。喬木村に稲荷神社あり。そこの祭特色あり。人の名もききたれどついにたずね行かず終わりたり。著者の欄外書き込み>

八溝山   茨城、栃木、福島の三県に跨り、久慈郡の北端を占める常磐一の高山である。頂上に八溝神社を祀り、代々の神主を磯神の高階氏と言って、遠く紀伊の鈴木氏の末である。ここ三、四〇年前までは、附近一帯に猪鹿が多かったので、今の黒沢村のうち、蛇穴、磯神、上の宮、上郷等部落はほとんど狩を渡世にしていたのである。現今では猪はほとんど影を絶ち、僅少の鹿が頂上付近に棲息するというが、それもあるいは疑問とするくらいである。したがって狩りの生計は跡を絶って、狩詞ばかりがわずかに遺っている。
以上
 昭和3年11月「民族」に初出した文の時点でさえ、狩はもう廃れていたのだった。したがって小説が成立するのは少なくとも大正時代以前というのが私の推測である。
 文中の住所には東白川郡矢祭町とある。これは昭和38年に合併後の地名だ。
 水郡線が開通したのは明治30年であるから結構早い。矢祭山駅は昭和12年3月開業である。
 アマゾンの本書のコメント欄にはかすみ網猟禁止とか現代の基準からみて違法性を指摘する。鳥獣保護法は明治初期から制定されているが、かすみ網の禁止そのものは1947年以後である。
 時代考証するととてもでたらめの小説と突っ込まれている。私もそう思う。しかし、ここは小泉発酵学の蘊蓄を吐露する場所として八溝山が選ばれたのだ。小説たるゆえんである。読後感としては悪くないのである。

藤前干潟へポタリング2017年08月24日

 朝から天気が良い。久々の一面青空だ。今日は暑いぞ、と覚悟して6時50分に自転車にまたがる。行く先は藤前干潟である。
 天白川右岸のサイクリングロードで助走開始、平子橋で一般道に出て、東海通りに通じる道を走る。R247で左折する。右折のタイミングを間違えて南へ行きすぎ、山崎川を渡り、大江まで走った。東レや三菱重工・名古屋航空宇宙システムの前を走った。通勤時間帯でごった返している。
 簡単な地図を持っているが、地理勘がないと迷走するばかりだ。すでに名古屋港の東に着いたのだが稲永までは遠い。
 ファミマ木場町店に入り、飲み物とパンを買い、休憩を兼ねて地図をチエックした。港湾沿いの道を木場町まで戻り、堀川は名古屋高速高架橋の下の橋を渡る。R154にぶつかったら左折して県道227号(金城埠頭線))に右折して走れば、中川橋、名古屋臨海高速鉄道・稲永駅前へと行く。やっと稲永の地名が出てきた。野跡を右折しると藤前干潟の地名も出てきた。
 藤前干潟に着いたのは8時40分。野鳥観察館やビジターセンターの建物もある。海岸線の細道を走ってみたが、今は満潮で海面しか見えない。かつては名古屋市のごみの埋め立てでメディアの紙面を騒がした所だが、反対運動で野生動物保護に落ち着いた。午後には干潮になり、干潟が現れるそうだ。すると野鳥も飛来してくるが、待っておれないので帰宅の途に着いた。また冬に再来する。
 9時10分、帰路はR154に出て、白鳥橋西に出て地理勘を得た。ここからは気の向くままに路地を走り抜けて天白区に戻る。
 ネットでの計算値は片道15.8kmだったが少し多くなった。往復30kmを越えたからか、暑さも手伝ってちょっと疲れを感じた。

奥三河・須山御岳山2017年08月19日

山頂の石碑群
 朝起きると久々に天気がいい。デゴランドへポタリングに行こう、と地図を用意しておいたが、気になっていた宇連山の撮影に出かけた。
 須山の場所はかつては鳳来町と呼び、今は新城市になった海老。海老の下町から海老川を渡り、山間部へ走る。二股で右へ行くと須山である。村落の手前に須山御岳山の立派な石碑が建立されている。
 9時10分、手前にマイカーを置き、鉄線の網で囲まれた山中へ登り、簡単なカギを開けてネットの中へ入る。下草が生え、低灌木で緑っぽいので鬱蒼としている。植林の山だが落ち着いた感じがする。やがて山猿の声が聞こえる。集団で山道の前方に見える。警戒心の心を表す短い声は彼らのテリトリーに入ったからだろう。
 そこは役の行者様が祀ってあったが、飛ばして進むと山道の傾斜が急になった。爪先上がりで登ると多数の石碑の建つ山頂の一角に着いた。ほぼ12分くらいか。さらに左手に薄い踏み跡を踏みしめて登ると489.6mの4等三角点のある山頂だった。山頂にも御岳信仰、八海山神社、風神社、天照皇大神、三笠山神社、の文字が彫られた石碑が建っていた。
 山頂からの眺望も良い。すぐ近くに鞍掛山と前景の四谷千枚田が見下ろせる。宇連山の山並遥かと言う感じでそびえる。落葉期ならばもっと鮮明だろう。ネットで知った岩場にも下ってみた。かなり急な尾根を南下20分で着く。ここからの方が鞍掛山も宇連山もすっきりと見渡せる。これで満足と時計をみると10時10分だ。登山口からまだ1時間しか経過していないのだが、山頂へ戻り一服する。暑くてボトルの冷茶を飲み干した。下山して、役の行者にも寄った。古い石像が壊れたので平成になって新しく造られた。登山口へ戻ると11時10分だった。2時間ほどの霊峰散歩だった。
 須山の里にも寄った。狭い盆地状の地形ながら米がとれたのだ。周囲の山から湧水があり、水田耕作ができるのだ。洲は「どろや砂が堆積(たいせき)して水面に現れ出た土地」の意味で須は当て字だろう。
 いわゆる中山間地といわれる地形と思う。狭いながらも水田を耕作して命をつないで来れた。それがこの信仰の篤さに現れる。

南区の牛毛神社へポタリング2017年08月18日

 昨夜は暑くはないがむしむしとした感じでエアコンをつけて寝た。寝汗をかかないので快適だが体の代謝は止まったままだ。どれひと汗かくか、と西の空を見ると曇っていて今にも一降り来そうな空模様である。
 昨日はいざ出発と言う段になって前輪がパンクして、修理に行けたのは午後遅くになってからだ。パンパンに空気圧を高めてもらったのでよく跳ねるが、植田川と天白川の出合からスタートする。川には珍しく釣り人が立ちこんでいた。
 河川敷のサイクリングロードは風を切って気持ちよく走る。堤防上に上がったり下りたりして、名鉄名古屋本線を迂回して、R1号の大慶橋も迂回する。ここからはサイクリングロード専用ではなく、自動車との併用である。新幹線の橋にぶつかると牛毛神社に着いた。約7.7kmの道程である。
 いつもは新幹線橋の下をくぐるが今日は天候不順もありここで打ち止めだ。気になっていた神社でもあった。
 ググると名古屋市南区のHPには以下に紹介されている。
 「牛毛神社

 牛毛は、本地(ほんじ)、南野(みなみの)、荒井(あらい)などとともに、天白川の砂州が発達し、その上にできた集落です。

 神社は堤防上にあり、創建は太閤検地(1582年から95年)より以前と推定されます。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)です。境内には、明和6年(1769年)に奉納された手洗い鉢、庚申塚(こうしんづか)の碑、ムクノキの大木があります。」
 HP名古屋神社ガイドによると
 「村名の由来が牛の毛かといえばそうでもないようで、津田正生『尾張国地名考』にこうある。
「牛毛は正字 海潮池の釣るなるべし」
 海潮池は「うしおいけ」か「うみしおいけ」だろうけど、それを略したものだという説だ。現在の神社名は「うしげ」となっているけど、江戸期の村名は「うしけ」だったようだ。
 それにしても、何故、牛毛などという字を当てたのだろう。」
がヒットした。
 天白川もこのあたりはほとんど流れがない。かつては牛毛海岸だったというのも分かる。
 帰路は大慶橋まで戻り左岸に渡る。県道59を走るが途中で降雨が始まった。雨宿りをかねて野並の喫茶店でモーニングコーヒーを楽しむ。それでも止まないのでずぶぬれになって帰宅した。

根の上高原の保古山、餅穴、血洗の三角点を訪ねる!2017年08月13日

 朝7時、会員2名を同乗して、金山駅前を出発。今日は東濃の根の上高原の三角点探しを名目に避暑ドライブとなった。
 8時50分ころ、根の上高原に着く。あいにくの曇天にがっかりするが、まずは保古山を目指す。池の周辺道路をのろのろ走る。秋はさぞや紅葉がきれいだろうと思わせる落葉樹の林の中を走る。林道の状況がよろしくて山頂まで着いてしまった。直下に車を止めて三角点がありそうな場所へ行くと2等三角点があった。北の方は青空も見えたが見晴らしはゼロ。
 戻って、林道分岐のところにあった展望台の看板に従う。車を置き、約200mゆったりと歩く。笹が刈ってあり歩きやすい。鉄骨製の展望台にはすぐに着いたが何も見えず。続いて本命の3等三角点の餅穴を探しながら笹藪の高原を歩く。直感的には高見を目指すが何も手がかりはなかったので、根の上体育館に通じる別の道を下って車に戻った。過日の下見のおかげである。
 さらに、R363まで走り、旧キャンプ場の中にある3等三角点の血洗を目指す。車はゲートがあるため、入口に置き、ゲートの横から車道に入る。登りきった辺りから左へ細道が登っている。それを辿るとすぐに三角点が埋まっていた。これで2つ目をゲットした。
 餅穴が気になるが、国民宿舎恵那山荘へ行ってコーヒーを注文。水が良いせいか、コーヒーの味が美味しい。スタッフに根の上高原のウォーキングマップをコピーしてもらう。地形図をベースに地元ならでは地名や施設名、建物名などを表現してある。これに935.8mの三角点の位置も判明したので参考になる。
 先程は下山に使った林道を逆に登って、根の上体育館の近くに車を置いた。登り返すと地図と首っ引きで地形の特徴を把握に努めた。等高線が大きくゆるみ、その北が急な斜面になるところまで下った。すると桧の植林の中なのにぽっかりと空間があり、薄が生えているところがあった。メンバーがそこじゃないかと指摘するので探すと笹に埋もれた三角点を見出した。標柱には漂泊したテープが巻いてあり、好事家が来ていることを示す。
 どの山もほぼ10分以内でゲットした。帰路は中津川市の車屋の蕎麦でしめた。

 それにしても餅穴は珍名だ。福井県大野市には持穴がある。岐阜県には鼠餅(ねずもち)の地名がある。笠ヶ岳に突き上げる穴毛谷なる地名もある。血洗は下流の血洗池に由来することは違いない。
 ところで、餅穴でぐぐると
http://www.windsnet.ne.jp/column_n/colum.php?day=20170314812
がヒットした。以下に引用すると
 「今のところ、郡上で「餅穴」は那比でしか確認していない。小字として二、通称地名として一、「焼-餅穴(やき-もちあな)」と句の一部として使われる例が一、計四か所である。まだその内、一か所しか踏査していない。これに関わる伝承や、民話などは聞こえてこない。
 四か所もあるわけだから、面白半分につけられたはずはないので、ほとほと困った。
 そこで、けっこう前から福井県和泉村にあった「持穴村」との関連を考えてきたが、なかなか繋がらない。
 また岐阜県の中津川にも「餅穴」という字があるものの、大蛇の住む穴へ餅を供えるというような話になっており、那比の分布と符合しないように思われる。というようなわけで、糸口すら掴めず月日が経ってしまった。
 この間、友人に那比四か所のうち通称地名で「餅穴」と呼ばれるところへ案内してもらった。全体として大きく窪んだ地形になっており、周囲の一部にうず高く割石が積み上げられていた。中に赤茶けた石があり、薄い褐鉄鉱らしきものが付着しているだけなので確信を持てないけれども、これに着目すれば製鉄と関連するかなあという印象がある。褐鉄鉱の良質な部分をとった後の欠片とすれば、タタラの遺跡かもしれない。
 それからもう一つ。五六十年ほど前、餅穴の川向いに水路を掘るため発破した時にけっこう黄銅鉱が出たそうである。岩盤が続いているようなので、この穴は黄銅鉱を露天で掘り、石を細かく割った残骸を積み上げた結果と考えれば、つじつまが合うような気がしてきた。この場合、「餅穴」の「餅」は銅ないし鉄が溶けたもの。「穴」には解釈が二つあり、一つは鉱物を掘った穴、一つは炉としての穴である。」
以上
 郡上に点在しているのだから普遍性はあるのだろう。
 もうひとつ粘って、鏡味完二・鏡味明克の『地名の語源』を引くと、モチには
(1)菱餅形の土地
(2)小さい盆地、谷
(3)平坦地
 地名の例が紹介してあり、北海道以外の全国に分布とある。
 展望台から三角点一帯は等高線がゆるみ、(3)の平坦地であることは確かである。
 三河の宇連山の別称のガンゾモチフデはガンゾ(設楽町誌の絵図ではガンドゥ)は鋸歯の意味。これは何本かある岩脈をイメージする。
 モチフデが分からなかった。川合国有林の看板の地名にはモチフデの記載があった。モチは平坦地というなら棚山の地形に合う。フデは筆で土地の単位であるがしっくりしない。

高根山1等三角点55.1mへポタリング2017年08月11日

 8/11は山の日。山に感謝する日という。山は山でも高根山なんて誰も知らんだろう。体を絞るために始めたポタリングだが、新規の行く先がないので、かつて登った名古屋市緑区の高根山55.1mへ行った。
 昨夜はむっとするような湿気と熱気に包まれて雷雨に見舞われた。久々にエアコンをつけて寝た。今朝はやや体が重いので発汗するためにもポタリングに行く。7時過ぎに自転車にまたがる。天白川右岸のサイクリングロードを走る。名古屋高速の高架橋が見えたら川を渡る。以前に行った氷上姉子神社に向かう。神社で参拝を済まし、地形図を眺めて道路をチエックする。
 住宅地をぬうように走ると知多半島道路にぶつかり、道路をくぐる。定納山という住宅地に着いた。宅地を抜けると池に出たがその先は道がふさがるのでまた道路の西に戻り、南下を探るが農地で行き詰まる。戻って定納山からR23を右折。
 巨大な名古屋南ICの周辺の側道を探りながら走ってみたが、それらしい場所に出ない。大府市の公園まで行きすぎてしまい、側道を戻りつつ探す。そのうち黒い雲が上空を覆い雨が降って来た。南ICのランプウェイが縦横にあって、現在地が分からず、とりあえず、イオンの店に飛び込んで雨宿り。イオン内の書店の道路地図で確かめると、ちょうど南にあると分かった。朝食代わりに鉄火丼を食べて腹ごしらえした。
 小止みになったので再度出発。名二環の下をくぐり、水主ヶ池の西をからみながら登り、名四道路の下をくぐる。右へ曲がり、軽く登ると、愛知用水のサイホンの吹きあがっている所へ来た。ここだここだと確認。用水路の左手がこんもり緑が盛り上がっている。またしても小雨が来たが、どこかに踏み跡がないか探すが見つからず、藪の隙間を狙って侵入。蜘蛛の巣を払いながら2分ほど急斜面を攀じ登ると1等三角点標石が鎮座していた。周囲は樹木で何も見えず。そのまま下った。さらに大雨になったので、またイオンに逃げ込んだ。
 かつて30歳代にも自転車で来た。まだ家などなかったころだ。そして、愛知用水の管理道路を走ったり、農道を走って知多半島の先まで行った。そして遅くに帰宅したものだ。今はそんな元気はない。
 イオンでお茶して帰ろうとするとまた雨が来た。中々しつこい雨だ。県道50号に出て下汐田から県道59号で帰宅した。喫茶店で休んでいる最中にもスコールのような雨が来た。12時を回ってしまった。