マダニ発見 ― 2025年07月03日
昨夜、お尻に違和感があって触ったらポロっととれたものがあった。よく見るとマダニだった。こいつまだ食いついていたんだ。6/28の山行で噛まれたのだろう。一部廃道を通過したからひどいヤブではなかったがいたんだろう。或いは山頂の笹を刈り払った辺りで坐った際について来たのか。それは夜のうちに気が付いてもう落ちたと思っていたのだった。
夏野菜のカレー煮にニンニクを入れたから血液が変わった。そこから血を吸うからダニにも異変があったかも知れない。
夏野菜のカレー煮にニンニクを入れたから血液が変わった。そこから血を吸うからダニにも異変があったかも知れない。
例会 ― 2025年07月02日
今夜は19時から山岳会の例会。昨夜から連日連続会合ばかり。夏山の予定が続々出てきて何とか山の会らしい気分が保たれる。
新城市へ行く ― 2025年07月01日
今日1日は忙しい。5時起き、R153添いの牛丼屋で朝飯をかき込む。R301から三河山間部を走って作手に行き、巴山白髭神社に参拝。予定では周回したかったが車から降りるともう暑いと感じて最低鞍部からもっとも安易な参道を往復しただけに済ます。
新城市のコメダで時間を過ごす。回転ずしで腹ごしらえして新城市市民文化会館と図書館へ向かう。図書館では郷土資料室で岩瀬忠震の書籍類を物色、けっこう集めてある。
13時20分頃か、新城武都紀の短歌会の歌会に寄らせてもらう。40歳から5年間は文語文法を学ぶために入会していたことがあった。いったん解散して今は継承者がなく、雑誌の発刊は止めたが歌会は有志で続けられている。
13時30分から三遠歴研の会合へ。資金難で遅れていた機関誌が1年ぶりに発刊されて配布。今後をどうするかの話である。短歌、俳句に限らず高齢化、継承者難で結社の解散が続いている。とりあえず、2年毎の研究輯録は資金難で延期するがそれに代わる発表の場は用意される運びである。
帰路はR301に向かったが、パトが火事だからR151へ迂回せよと、いう。やむなく豊川市からR23経由で帰名。この道は遠回りだが信号がないためにまあまあ走る。約2時間で帰宅。シャワーを浴びて、名工大へ。
19時からの理事会に間に合った。会場が突然変更されて右往左往した。出席者は4名。WEBも少ない。うだるように暑いからか、今一盛り上がらず。
新城市のコメダで時間を過ごす。回転ずしで腹ごしらえして新城市市民文化会館と図書館へ向かう。図書館では郷土資料室で岩瀬忠震の書籍類を物色、けっこう集めてある。
13時20分頃か、新城武都紀の短歌会の歌会に寄らせてもらう。40歳から5年間は文語文法を学ぶために入会していたことがあった。いったん解散して今は継承者がなく、雑誌の発刊は止めたが歌会は有志で続けられている。
13時30分から三遠歴研の会合へ。資金難で遅れていた機関誌が1年ぶりに発刊されて配布。今後をどうするかの話である。短歌、俳句に限らず高齢化、継承者難で結社の解散が続いている。とりあえず、2年毎の研究輯録は資金難で延期するがそれに代わる発表の場は用意される運びである。
帰路はR301に向かったが、パトが火事だからR151へ迂回せよと、いう。やむなく豊川市からR23経由で帰名。この道は遠回りだが信号がないためにまあまあ走る。約2時間で帰宅。シャワーを浴びて、名工大へ。
19時からの理事会に間に合った。会場が突然変更されて右往左往した。出席者は4名。WEBも少ない。うだるように暑いからか、今一盛り上がらず。
75歳が長寿分岐点 ― 2025年06月30日
https://www.youtube.com/watch?v=BuyDErzEEeY
から
老化に抗う3つの習慣 – 「75歳を過ぎても元気な人」と「寝たきりになる人」の決定的な差とは?
75歳を過ぎても、背筋が伸び、頭脳明晰で肌に艶がある人と、同じ年齢でも記憶が薄れ、体が衰える人の違い。その秘密を、誰も教えてくれなかった理由とは?遺伝でも運でもない、たった3つの小さな習慣が、10年の命の差を生む。見逃すと、後悔では済まされない真実がここに。
1 第一の習慣:見落とされがちな「食事の変化」…それが死のサインかもしれない
2 第二の習慣:記憶力の低下を「年齢のせい」にしてはいけない科学的理由
3 第三の習慣:脳が「生きる意欲」を失い始める瞬間とその予兆
高齢になっても自分らしく、自立して生きるためには「健康寿命」が何よりも重要です。そのために欠かせないのが、日々繰り返す3つの習慣。何気ない「食事」「記憶への無関心」「新しいことへの無関心」が、ゆっくりとあなたの命を削っていくかもしれません。動画では、科学的根拠に基づいた高齢者の栄養、脳の活性化、好奇心を取り戻すための実践方法を紹介します。認知症予防、サルコペニア対策、高齢者の社会的つながりなど、家族や自分自身に必要な情報を、ぜひ今知ってください。自立した老後、自分らしい生き方を守るヒントがここにあります。
なぜ「同じ年齢」でもここまで差が出るのか?
00:44 – あなたがまだ気づいていない“死の兆候”
01:47 – 習慣①:間違った「少食」の危険性
03:03 – 食欲不振がもたらす命のリスク
04:54 – 習慣②:「ちょっとした物忘れ」は始まりに過ぎない
06:02 – 軽度認知障害の見逃されがちなサイン
08:04 – 習慣③:好奇心の消失=生きる意欲の喪失
10:06 – 「もう外のことは関係ない」と言った祖母の真実
11:05 – まだ間に合う、希望の3つの習慣とは?
12:01 – 明日の朝、あなたができる最初の一歩
から
老化に抗う3つの習慣 – 「75歳を過ぎても元気な人」と「寝たきりになる人」の決定的な差とは?
75歳を過ぎても、背筋が伸び、頭脳明晰で肌に艶がある人と、同じ年齢でも記憶が薄れ、体が衰える人の違い。その秘密を、誰も教えてくれなかった理由とは?遺伝でも運でもない、たった3つの小さな習慣が、10年の命の差を生む。見逃すと、後悔では済まされない真実がここに。
1 第一の習慣:見落とされがちな「食事の変化」…それが死のサインかもしれない
2 第二の習慣:記憶力の低下を「年齢のせい」にしてはいけない科学的理由
3 第三の習慣:脳が「生きる意欲」を失い始める瞬間とその予兆
高齢になっても自分らしく、自立して生きるためには「健康寿命」が何よりも重要です。そのために欠かせないのが、日々繰り返す3つの習慣。何気ない「食事」「記憶への無関心」「新しいことへの無関心」が、ゆっくりとあなたの命を削っていくかもしれません。動画では、科学的根拠に基づいた高齢者の栄養、脳の活性化、好奇心を取り戻すための実践方法を紹介します。認知症予防、サルコペニア対策、高齢者の社会的つながりなど、家族や自分自身に必要な情報を、ぜひ今知ってください。自立した老後、自分らしい生き方を守るヒントがここにあります。
なぜ「同じ年齢」でもここまで差が出るのか?
00:44 – あなたがまだ気づいていない“死の兆候”
01:47 – 習慣①:間違った「少食」の危険性
03:03 – 食欲不振がもたらす命のリスク
04:54 – 習慣②:「ちょっとした物忘れ」は始まりに過ぎない
06:02 – 軽度認知障害の見逃されがちなサイン
08:04 – 習慣③:好奇心の消失=生きる意欲の喪失
10:06 – 「もう外のことは関係ない」と言った祖母の真実
11:05 – まだ間に合う、希望の3つの習慣とは?
12:01 – 明日の朝、あなたができる最初の一歩
音波山余聞 ― 2025年06月29日
音波山を下山後、地蔵堂のPへR365を歩く際にここに住んでいた元住民に会って話を聞いた。
〇熊の話。
熊の糞を見たので熊鈴を鳴らして警戒しながら歩いた話をしたら熊には腰にぶら下げるタイプの香取線香が良いと教えてくれた。昔木曽谷でも猟師から休む度にタバコを吸うと聞いた。熊は嗅覚が良いのでタバコの煙に敏感だそうだ。
〇高時川の洪水の話
約3年前に高時川が氾濫した。原因は風力発電の工事だろうと思っていたが実は無許可で開発したスキー場でした。(間違って下った所)豪雨で豪雪地帯の山域を無許可で開発すると下流は洪水に見舞われるという見本です。伐採した木は谷底に埋めていたらしい。
しかも途中にダムを建設する計画があったが女性の嘉田由紀子(当時は知事、現在は参院議員で災害対策特別委員会、維新)が中止させた。しかもここらの地質は赤土の山という。これじゃあ濁流になる。
検索すると「赤土は水はけが良く、保水力が低いため、中略。一方で、風化しやすく、強い雨によって土砂崩れの原因となる場合もあるため、注意が必要で」とある。「令和4年8月4日から5日にかけて、長浜市と福井県境を中心に発生した時間雨量約90mm、累計雨量305mmの豪雨が、高時川流域に大きな被害をもたらし、現在に至るまで濁りが続いています。この長期の濁りの原因の究明と、濁りの軽減につながる対策を進めるため、今年度有識者を委員とする高時川濁水問題検討会議や地元の皆様への報告会を開催してきました。」
つまり濁流は赤土の山を風力発電と無許可でスキー場開発のためにブナ林を伐採して保水力が無くなった山に大雨が降った結果でした。許可を得れば砂防堰堤を建設して対策が打てるのだが。今は外国人が買うという話もある。
〇熊の話。
熊の糞を見たので熊鈴を鳴らして警戒しながら歩いた話をしたら熊には腰にぶら下げるタイプの香取線香が良いと教えてくれた。昔木曽谷でも猟師から休む度にタバコを吸うと聞いた。熊は嗅覚が良いのでタバコの煙に敏感だそうだ。
〇高時川の洪水の話
約3年前に高時川が氾濫した。原因は風力発電の工事だろうと思っていたが実は無許可で開発したスキー場でした。(間違って下った所)豪雨で豪雪地帯の山域を無許可で開発すると下流は洪水に見舞われるという見本です。伐採した木は谷底に埋めていたらしい。
しかも途中にダムを建設する計画があったが女性の嘉田由紀子(当時は知事、現在は参院議員で災害対策特別委員会、維新)が中止させた。しかもここらの地質は赤土の山という。これじゃあ濁流になる。
検索すると「赤土は水はけが良く、保水力が低いため、中略。一方で、風化しやすく、強い雨によって土砂崩れの原因となる場合もあるため、注意が必要で」とある。「令和4年8月4日から5日にかけて、長浜市と福井県境を中心に発生した時間雨量約90mm、累計雨量305mmの豪雨が、高時川流域に大きな被害をもたらし、現在に至るまで濁りが続いています。この長期の濁りの原因の究明と、濁りの軽減につながる対策を進めるため、今年度有識者を委員とする高時川濁水問題検討会議や地元の皆様への報告会を開催してきました。」
つまり濁流は赤土の山を風力発電と無許可でスキー場開発のためにブナ林を伐採して保水力が無くなった山に大雨が降った結果でした。許可を得れば砂防堰堤を建設して対策が打てるのだが。今は外国人が買うという話もある。
万緑の湖北・音波山を歩く ― 2025年06月28日
5月31日以来一ヶ月ぶりの登山でした。体は軽く感じるが心肺機能がなまけているうちに劣化した。予定では下谷山も往復でしたが暑さで音波山だけで引き返した。
ヤマップの記録では栃ノ木峠の手前の工事現場付近に入り口があるはずですが、ゲートには立入山禁止とあった。それで峠の地蔵堂のあるPに停めて、ふみあと程度の山路を登るうちに古い登山道がでてきた。周囲は背の高いブナの原生林でした。予期しないブナの森を眺めながら登れて良かった。うっかり撮影し忘れた。
急登でしたが50センチ程度深い溝になっているので昔は良く歩かれたんでしょう。30分くらいで工事現場からの道と合流。しばらくは山路ですが途中から林道と合流。これは廃止されたスキー場から上がってくる道でした。しかしそんなに荒れてもいないのでずっと車道を歩き、時々ブナの森の中も歩いた。結果的には最初の地蔵堂からの尾根のぶなの森が一番です。
山頂は笹が刈られて憩いのある風情はない。暑いので日陰に入って休んだ後下山開始。往復なのでずっと車道を戻ったが山路との分岐を見落として廃業されたスキー場へ下ってしまい、戻った。下山は地蔵堂の尾根ではなく、工事現場のゲートへ下って見た。傾斜は最初はゆるかったが下の方できつくなり、階段が続いた。下りたところは水たまりのあるところで小さな沢を渡渉するとすぐにゲートでした。ゲートの奥は立入禁止なのでこの入口が見つけられないために地蔵堂の尾根へ回って良かった。
〇熊の話。
熊の糞を見たので熊鈴を鳴らして警戒しながら歩いた話をしたら熊には腰にぶら下げるタイプの香下山後、地蔵堂のPへR365を歩く際にここに住んでいた元住民に会って話を聞いた。
取線香が良いと教えてくれた。昔木曽谷でも猟師から休む度にタバコを吸うと聞いた。熊は嗅覚が良いのでタバコの煙に敏感だそうだ。
〇高時川の洪水の話
約3年前に高時川が氾濫した。原因は風力発電の工事だろうと思っていたが実は無許可で開発したスキー場でした。(間違って下った所)豪雨で豪雪地帯の山域を無許可で開発すると下流は洪水に見舞われるという見本です。伐採した木は谷底に埋めていたらしい。
しかも途中にダムを建設する計画があったが女性の嘉田由紀子(当時は知事、現在は参院議員で災害対策特別委員会、維新)が中止させた。しかもここらの地質は赤土の山という。これじゃあ濁流になる。
検索すると「赤土は水はけが良く、保水力が低いため、中略。一方で、風化しやすく、強い雨によって土砂崩れの原因となる場合もあるため、注意が必要で」とある。「令和4年8月4日から5日にかけて、長浜市と福井県境を中心に発生した時間雨量約90mm、累計雨量305mmの豪雨が、高時川流域に大きな被害をもたらし、現在に至るまで濁りが続いています。この長期の濁りの原因の究明と、濁りの軽減につながる対策を進めるため、今年度有識者を委員とする高時川濁水問題検討会議や地元の皆様への報告会を開催してきました。」
つまり濁流は赤土の山を風力発電と無許可でスキー場開発のためにブナ林を伐採して保水力が無くなった山に大雨が降った結果でした。許可を得れば砂防堰堤を建設して対策が打てるのだが。今は外国人が買うという話もある。
ヤマップの記録では栃ノ木峠の手前の工事現場付近に入り口があるはずですが、ゲートには立入山禁止とあった。それで峠の地蔵堂のあるPに停めて、ふみあと程度の山路を登るうちに古い登山道がでてきた。周囲は背の高いブナの原生林でした。予期しないブナの森を眺めながら登れて良かった。うっかり撮影し忘れた。
急登でしたが50センチ程度深い溝になっているので昔は良く歩かれたんでしょう。30分くらいで工事現場からの道と合流。しばらくは山路ですが途中から林道と合流。これは廃止されたスキー場から上がってくる道でした。しかしそんなに荒れてもいないのでずっと車道を歩き、時々ブナの森の中も歩いた。結果的には最初の地蔵堂からの尾根のぶなの森が一番です。
山頂は笹が刈られて憩いのある風情はない。暑いので日陰に入って休んだ後下山開始。往復なのでずっと車道を戻ったが山路との分岐を見落として廃業されたスキー場へ下ってしまい、戻った。下山は地蔵堂の尾根ではなく、工事現場のゲートへ下って見た。傾斜は最初はゆるかったが下の方できつくなり、階段が続いた。下りたところは水たまりのあるところで小さな沢を渡渉するとすぐにゲートでした。ゲートの奥は立入禁止なのでこの入口が見つけられないために地蔵堂の尾根へ回って良かった。
〇熊の話。
熊の糞を見たので熊鈴を鳴らして警戒しながら歩いた話をしたら熊には腰にぶら下げるタイプの香下山後、地蔵堂のPへR365を歩く際にここに住んでいた元住民に会って話を聞いた。
取線香が良いと教えてくれた。昔木曽谷でも猟師から休む度にタバコを吸うと聞いた。熊は嗅覚が良いのでタバコの煙に敏感だそうだ。
〇高時川の洪水の話
約3年前に高時川が氾濫した。原因は風力発電の工事だろうと思っていたが実は無許可で開発したスキー場でした。(間違って下った所)豪雨で豪雪地帯の山域を無許可で開発すると下流は洪水に見舞われるという見本です。伐採した木は谷底に埋めていたらしい。
しかも途中にダムを建設する計画があったが女性の嘉田由紀子(当時は知事、現在は参院議員で災害対策特別委員会、維新)が中止させた。しかもここらの地質は赤土の山という。これじゃあ濁流になる。
検索すると「赤土は水はけが良く、保水力が低いため、中略。一方で、風化しやすく、強い雨によって土砂崩れの原因となる場合もあるため、注意が必要で」とある。「令和4年8月4日から5日にかけて、長浜市と福井県境を中心に発生した時間雨量約90mm、累計雨量305mmの豪雨が、高時川流域に大きな被害をもたらし、現在に至るまで濁りが続いています。この長期の濁りの原因の究明と、濁りの軽減につながる対策を進めるため、今年度有識者を委員とする高時川濁水問題検討会議や地元の皆様への報告会を開催してきました。」
つまり濁流は赤土の山を風力発電と無許可でスキー場開発のためにブナ林を伐採して保水力が無くなった山に大雨が降った結果でした。許可を得れば砂防堰堤を建設して対策が打てるのだが。今は外国人が買うという話もある。
果物を買う ― 2025年06月27日
排便は順調になってきた。森永のヨーグルトのせいだろう。しかし、するっと息まずに出るが少し血が混じる。野菜の摂取が少ないためだろう。今日からビタミンCを意識的に獲って行くことにした。
銀行から回答 ― 2025年06月26日
残高が沢山あった通帳だったが実際に記帳してもらうと2000円だという。送金料が8月1日からは990円と新たな必要書類を整えると経費倒れになりそう。
鶴舞図書館へ返却 ― 2025年06月25日
先々週借りた4冊の幕末史の本を返却する。2週間では読み切れない。その前に気になった漢詩の箇所をスマホに撮っておいた。
アヘン戦争の小見出しがある。清国がアヘン戦争に負けた事実を知った。その事実を漢詩に書き留めた。
〇読罷めて悠然夕扉に坐す。千古を睨看すれば、計、多く違う。
近頃聞く、元靼の逼警を傳うと。世上豈に一岳飛無からんや。
〇蛮瘴、秋、腥(なまぐさ)し、閩厦門。浩洋、波黒くして城船を漾わす。
将軍、力尽き兵威挫く。晝も昏し阿片の煙。(弘化三年)
岩瀬忠震は1818年~1861年。弘化3年は1846年。なので28歳の時。アヘン戦争は1839年~1860年。
1855年 38歳 ロシアプウチャーチンと応接
1856年 39歳 ハリスと応接
1857年 40歳 オランダ・ロシアとの和親追加条約締結
老中に横浜開港建白書提出
日米修好通商条約でハリスと談判、条約終了。
1858年 41歳 条約を勅許を得るために京都へ出張。
オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも調印
外国奉行になるが調印後作事奉行に左遷。
1859年 42歳 14代将軍継嗣問題で井伊直弼大老の怒りを受け、永
蟄居。
1861年 44歳 7月11日岐雲園で死去。
アヘン戦争の小見出しがある。清国がアヘン戦争に負けた事実を知った。その事実を漢詩に書き留めた。
〇読罷めて悠然夕扉に坐す。千古を睨看すれば、計、多く違う。
近頃聞く、元靼の逼警を傳うと。世上豈に一岳飛無からんや。
〇蛮瘴、秋、腥(なまぐさ)し、閩厦門。浩洋、波黒くして城船を漾わす。
将軍、力尽き兵威挫く。晝も昏し阿片の煙。(弘化三年)
岩瀬忠震は1818年~1861年。弘化3年は1846年。なので28歳の時。アヘン戦争は1839年~1860年。
1855年 38歳 ロシアプウチャーチンと応接
1856年 39歳 ハリスと応接
1857年 40歳 オランダ・ロシアとの和親追加条約締結
老中に横浜開港建白書提出
日米修好通商条約でハリスと談判、条約終了。
1858年 41歳 条約を勅許を得るために京都へ出張。
オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも調印
外国奉行になるが調印後作事奉行に左遷。
1859年 42歳 14代将軍継嗣問題で井伊直弼大老の怒りを受け、永
蟄居。
1861年 44歳 7月11日岐雲園で死去。
さんぱつ ― 2025年06月24日
蒸し暑い日々、寝る際に後頭部の毛が気になる。久々に調髪してもらった。1400円になった。
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