雑誌・会報届く2026年04月27日

 2つの山岳会の会報や機関誌や俳句結社からどさっと雑誌が届いた。東京に本部のある山岳会は電子化へ誘導することが多くなった。郵送費が馬鹿にならないくらいに高騰したからだろう。しかし、紙に執着があるからなあ。

あたりネギを作る2026年04月26日

 5年前だった。チャイナウイルスの蔓延で行動が制限された。そこで街歩きでお茶を濁した。途中で喫茶店に入るとあの頃は体温計が入り口にあって低体温であると知った時は驚いた。以来、体内から代謝を促すために生姜、ニンニクを使う料理を自炊に取り入れた。
 体温は一時35.8℃まで下がって免疫力の低下を恐れたが36.5℃の平熱に戻ってホッとした。高齢で代謝が減ったこともある。運動と栄養に知恵と工夫が大切だと思う。
 ネギは嫌いで納豆に添えるものくらいしか口にしたことはない。しかし健康を考えると何とか工夫して食生活に取り入れたい。
 今夜はあたりネギを作ってみた。青物の魚(いわし、さば、アジ等)の刺身に添える薬味である。東京の小笹寿司が開発して寿司屋に広がったらしい。
 材料のあさつきは売っていないかったので九条ネギの青い部分を切り取って擂鉢で摺った。そこへ生姜のすりおろしを混ぜて擂るとねっとりしたペースト状の練り餌みたいな薬味が出来る。これを買って来たアジの刺身に添えて食べてみた。ネギ特有の匂いとショウガで相殺されてむっとくる嘔吐感はなかった。
 薬味とは特別美味いものではない。しかし傷みやすい青魚の臭みに対抗している感じだ。腐りかかった肉にスパイスを使うのと同じだ。

天ぷらを自製2026年04月25日

 スーパーにアジやイワシの開きが売っていた。ふといわしの天ぷらを揚げて見たくなった。いわしの天ぷらはスーパーでもあまり見たことがない。ほとんどは海老、アジフライや野菜が多い。
 新しいてんぷら粉といわしの開き数枚を混ぜて鍋で揚げた。他に人参、ジャガイモ、ピーマン等も揚げた。次は玉ねぎ、人参などを絡めた天ぷらにも挑戦したい。

盛本昌広『家康家臣の戦と日常』を買う2026年04月24日

 4/18の三遠研の講演会で知った深溝松平の話から18松平家に関心を持った。岡崎城は家康が江戸へ行ってしまうと家臣が守った。すると松平往還は廃道になるかに思った。この講演会で松平信光の子は48人もいてその子孫が三河南部へと進出して行ったのである。
 三河湾に到達してもうこれ以上はないという所迄出て行った。その後は全国規模で各地の松平に散在している。多数の子孫がいたということは折に触れて歩かれたであろう。松平往還の案内書にはそんな話は載っていないが誰かが書いている気がする。

落とし物デー2026年04月23日

 昨日は所用を済ませて事務所に戻った後、栄で遅めの昼食をとりにセントラルパークへ行った。 
 日本経済が下り坂だからというわけではないがうつむき加減に歩いていたら、食堂が並ぶ地下街で今日は財布を拾った。B2の地下駐車場からEVで昇ってきてB1の食堂街との出合いだった。
 財布を開けて電話番号が分かるモノがないか見たらカネはわずかだが免許証等貴重品が入っていた。しかも県外の女姓だった。落としたことに気がついたらすぐ交番にその旨問い合わせるだろうとわざわざ中区役所前の南久屋交番まで行って届けて一安心した。お巡りさんがあなたには200円もらう権利があります。本人が取りに来るまで待機してくれ、というのだ。一応名前と電話番号は届出人として記名したが謝礼は要らないとと断って交番を出た。
 昨日は事務所のエレベーター内で床に一円玉を見た。同乗の女姓が降りる寸前にポケットから何か出した際に落ちたと見てお宅のじゃないの、と言うと嬉しそうに笑って拾って降りて行った。一円を笑う者は一円に泣く。

名古屋法務局春日井支局へ行く2026年04月22日

 昨年5月以来だから1年ぶりに相続の仕事が来た。取り急ぎ、すでに取得した戸籍謄本と昨日取得した自分の職印証明書等を添えて、法定相続情報一覧図作成のことで名古屋法務局春日井支局に申出の手続きで来た。受理だけで書類のチェックはなくすぐ終わった。事務所へ帰る。

天白小橋2026年04月21日

 天白小橋の橋脚の強化工事は今日渡ったら工事現場は完成済。橋脚はもう水没していた。これで耐震性は増すだろう。上流からの水圧にも強くなった気がする。上流部分の現場への導入路も片付けられる最中だった。

三河国の東西の比較2026年04月20日

      西三河        対          東三河

流域:    矢作川                 豊川
        乙川                  大千勢川
        巴川                  (天竜川水系)
 
宗教:    浄土真宗                曹洞宗
        道教(家康)

精神風土: 儒教                   

歴史的事件: 三河一向一揆         設楽原の戦い
          加茂一揆            ええじゃないか
                

英雄:    徳川家康                無し

偉人:                          岩瀬忠震
 
東照宮: 松平東照宮               鳳来山東照宮
      滝山東照宮
      名古屋東照宮
      岡崎東照宮
      法蔵寺山内 東照宮 
      三州大濱東照宮

大給城址から岩谷山を歩く2026年04月19日

 4月になった。天白川堤防沿いの桜が満開から葉桜、そして散ったというのに中々出掛ける機会がなかった。やっと豊田市郊外の里山を歩けた。
  春更けて山奥深く浸りけり

  ウグイスのしきりに鳴くや城の跡

  廃田を無心に耕す老農夫 

と詩心のおもむくままに作った。
 まず小さな峠から大給城址に登城した。松平家の初期の武家。ここから岡崎平野へと領地を広げていったのだ。城趾の一角からは豊田市街を見下ろせる。道は整備されて険しくなくぶらっと散策に良い。
 地図を見て岩谷山へミニ縦走した。山道は俄然悪くなりコース外れで行きつ戻りつを繰り返した。岩谷山の山名通り山頂付近は大岩が屹立する険路になった。御嶽教の様な山岳宗教の雰囲気がある。修行僧がいたのだろうか。危うく無理して下りかかったがおかしいと気がついて引き返すと普通の山道に戻れた。岩谷山は専用の登山口から登らないとけっこう骨が折れる。
 一旦林道に出て山里につながる車道を戻った。その後九久平の県道39号線に出てお菓子屋で柏餅を購入。
 主目的の松平辰蔵の墓に詣でた。お菓子屋の北のセメントの階段を登って行くと植林内に着く。右行くとヤブ気味で建物がある。何となく左に行けば良さそうだが階段まで戻った。直進すると薄い踏み跡があり奥に墓石が見えて来た。無秩序な感じで墓が建っている。松平辰蔵の墓は上の方にあった。
 1836年の加茂一揆の頭取だった男だ。1万人以上の農民が動員された。松平一体の農民が米価高騰に怒って立ち上がった。挙母藩、岡崎藩に抑え込まれた。1840年のアヘン戦争敗北から植民地化を恐れた幕府は開国に踏み切った。幕末は騒然とするが世直しのきっかけになった一揆だった。取り調べに対して上が腐れば下は猶も腐ると言った。松平の名をいただいた男の気概だろう。
 松平往還を歩いた際に豊田市滝脇町の小学校付近にあった岩御堂が一揆のモニュメントである。
 下山後は豊田市中央図書館に寄って加茂一揆の史料に当たって見た。辰蔵の家は焼かれた。早くに死んだ。取り調べの記録もある。藩は治安のために処分せざるを得なかった。原因はインフレだった。戦が無いと人口は増える。モノが足りない。
 幕府、藩は給与を米で払った。米価は高い方が良い。今も消費税増減税でもめる。公務員の給与は税金だから増税を維持したい。
こうして昔も今も税金を巡る争いの種は尽きない。

三遠研の総会2026年04月18日

 午後からの三遠研の総会まえに岡崎市日影町の松平往還の寸断された現地を三度訪れた。前回は気が付かなかったが、セメントの山路を登って少し周囲を探ると、左の谷側は山田があったと思われる。石垣でパイプがあるので昔は水田耕作をしていた。右の尾根側は狭い平地になって山家が建っていたと思われた。意味不明の3m位の空の穴があった。これはきれいなので井戸の跡か、池か。竹が枯れて踏みしだく。
 道路側を覘くとセメントの溝があった。登り口からセメントはすぐ終わる。右へセメントは続いていたが急で滑りやすいので先へ行くのは止めた。想像すると道路拡張工事で削り取った断面は崩壊しやすいので上部にセメントで固めた溝を作り、排水溝にしたのではないか。そして、真ん中辺りに流れるように傾斜をつけて、道路側へ排水路を作ってある。垂直に近い排水路の意味が分かった。また松平往還の上にあって移設された馬頭観音というものは実は普通の観音の石仏だった。
 午後は新城市で総会の後、深溝松平家の歴史話の講演を拝聴。内容は予備知識がないので半値半壊で終わった。しかし深溝松平の日記は一般に文庫本になって売っているのでそんなにとっつきにくいことではない。講演者もまだ若いのでこれからだろう。地域史を深めると面白い。
 総会後、豊川ICから岡崎ICまで高速を飛ばし、岡崎市図書館で松平往還と加茂一揆の史料に当たった。特に集められていることでもない。というのも徳川家康が政権をとると江戸に移って岡崎城の城主は徳川以外が守った。但し松平家の分家は三河一円に多く存在したから折々歩かれたであろう。
 ネットから主要な松平分家(十八松平)の一覧
「十八松平」の数え方には諸説ありますが、代表的な分家は以下の通りです。
1 岩津松平家(いわづ):松平信光の長男・親長が祖。初期は一族の中で最も勢力があったとされる 。
2 竹谷松平家(たけや):信光の子・守家が祖。宝飯郡竹谷(蒲郡市)を拠点とした 。
3 形原松平家(かたのはら):信光の子・与副が祖。形原城(蒲郡市)を拠点とした。
4 大草松平家(おおくさ):信光の子・光重が祖。額田郡大草(幸田町)を拠点とした。
5 五井松平家(ごい):信光の子・元心が祖。宝飯郡五井(蒲郡市)を拠点とした。
6 深溝松平家(ふこうず):光重の子・忠定が祖。額田郡深溝(幸田町)を拠点とした。
7 能見松平家(のみ):信光の子・光親が祖。岡崎市能見付近を拠点とした。
8 長沢松平家(ながさわ):親忠(安祥家)の子・親則が祖。豊川市長沢付近を拠点とした。
9 大給松平家(おぎゅう):親忠の子・乗元が祖。豊田市大給城を拠点とした。
10 滝脇松平家(たきわき):親忠の子・乗清が祖。豊田市滝脇を拠点とした。
11 福釜松平家(ふかま):親忠の子・親盛が祖。安城市福釜を拠点とした。
12 桜井松平家(さくらい):親忠の子・信定が祖。安城市桜井を拠点とし、一時宗家と対立した。
13 藤井松平家(ふじい):親忠の子・利長が祖。安城市藤井を拠点とした。
その他の主な松平家
14 松平郷松平家:松平氏発祥の地(豊田市松平郷)を守り続けた家系 。
15 大河内松平家:名知恵・松平信綱を祖とする。三河吉田藩(豊橋市)などを治めた 。
16 久松松平家:家康の異父弟・定勝を祖とする家系(伊予松山藩や桑名藩など)

 AIの概要は「岡崎城の歴代城主は、西郷氏の築城(1455年頃)から廃城(1871年)までに、主に松平・徳川氏や格式の高い譜代大名など26人が務めました。最大の特徴は徳川家康の生誕地であることで、家康以降は江戸幕府の神聖な場所として、本多氏、水野氏、松平氏の有力譜代大名が入れ替わりで城主を務めました。

主な歴代城主・関係者
西郷頼嗣(稠頼):初期の築城者
松平清康:1530年頃、城主となり松平氏の本拠地とする
徳川家康:1542年誕生、桶狭間の戦い後に独立し本拠とした
松平信康:1570年~(家康の長男)

 ここから後は必ずしも先祖の墓参りの道としての意味は無くなった。(筆者注)
田中吉政:1590年~(家康の関東移封後)
本多康重:1601年~(本多氏系、譜代)
水野氏:1645年~(水野忠善など、譜代)

江戸時代は、本多氏や水野氏、松平(松井)氏など、徳川家に近い大名が転封を繰り返しながら守りました。」以上

 当時は塩の道として発展した足助街道(現在の県道39号線)に重きが移ったと思われる。