雪とグルメと温泉の釜ヶ谷山2026年01月11日

 気象予報では雨が降るようで芳しくない。今回は久々に2名になったので冬の雨は嫌だな、と思いつつ出かけた。名古屋を5時には出る。すき家で朝定をかき込んで名二環に入り、名古屋高速一宮線で北上、R22に降りてR156へ、岩戸トンネルを抜けてすぐ左折、鵜飼い大橋で長良川を渡ると百々ヶ峰に突き当たる。R256に入って如来ヶ岳山麓を北上、県道79号を西へ行くと伊自良川と交差するので県道91号に右折。集合はてんこもり農産物直売所へ午前7時だがチエーンがあっては入れない。まだ薄暗いが相棒はコンビニで待っていていた。すぐ伊自良湖へ向かった。立ち寄りたいたい所があったが下山後だ。
 下山後に江戸時代の地誌『新撰美濃志』を読んでみた。伊自良郷と呼ばれていたが伊自良村はなく、長瀧村の項目があった。伊自良は十郷あってそれぞれ字があった。・・・『釜嶽』は濃陽志略に「里民呼曰釜溪ト連互數里ニ絶頂有池四時不涸、此山雑樹葱岩石岣最爲奇也」と見えたり。『長瀧山、岸見山』伊自良の高山なり。伊自良川は此の山中より出づ。常は水なく、砂川にて洪雨の時水出づ。略。『甘南美寺』は臨済宗にて白華山と號す。開基は高阿彌、名知阿彌。本尊は千手十一面観音、脇立不動毘沙門なり。當國三十三所十三番に配す。引用は以上。
 長瀧村の名残りは伊自良湖のすぐ下流の里の地名に見る。伊自良湖の湖面が見えると多数のボートが浮かんでいた。恋人同士が朝早くからデート?多分公魚釣りか、疑問のまま登山口の臨時Pに着いた。地形図で116m地点。あいにく小雨模様だ。オーバーヤッケで防寒と小雨対応の身支度を整えて出発。最初は舗装路を分け入ると杉の高木が生える森の中である。番号入りの観音の石仏が立っている。バンガローのような施設は今は冬のもの寂しい雰囲気である。しばらくは車道を歩くと二又に別れる。右は釜ヶ谷に沿う林道で赤谷の出合い迄続く。堰堤記号が三か所連続してあった。我々は釜ヶ谷本流に沿いながら直進。左へ上がって四阿などの施設で舗装路は終わった。ここからは未舗装の林道歩きだが次第に山路になった。途端に谷が立って来て傾斜が強まる。岩がごろごろした歩きにくい山路をこなしてゆくと優しい道になり、山頂からの南東尾根の端に立つ四阿に着いた。残念ながら展望はない。途中から小雨が降雪になった。一種の感動とともに不安も伴う。ここで雪に備えて雨具でザックをカバー。尾根の道からみぞれ谷の枝谷の源流を迂回すると奥の院に着いた。社殿は穴だらけだ。中をのぞくと座禅した板間があった。穴は多分風通しを良くして腐食を避けるためか、人が使わない建物は内にこもった湿気で腐る。雨の時は膨張して外からの湿気を防ぎ、乾燥した時は縮んで隙間風を入れてやる校倉造が理想ですが高額の建設費がかかる。
 さて出発だ。左に丁度33番目の石仏が建っていた。美濃三十三観音霊場の十三番目の霊場だ。ここを後に登るとすぐに神社が建っていた。ここはおそらく明治維新で「仏法を廃し、釈迦の教えを棄却する」という仏教の信仰や施設を否定する運動の影響か。説明を読むと明治3年とある。祖神は皇祖神のアマテラスだった。
 地形図で等高線が密にになり、急登を強いられた。行者岩に到達、上に登ると、最近登った百々ヶ峰と金華山が見えた。ちょっと荒れ気味の登山道を登ると龍神コースへの分岐に着いた。降ったり止んだりしていたが標高640mまで来ると冷気が違う。一面真っ白になった。小さなコブを巻くと待望の山頂だった。千把小屋という避難小屋まである。扉がないので雪が吹き込んで床は白い。小屋の四隅の角は丁度腰掛に良いのがあって少し休めた。
 休憩中にもどんどん降って来る。眺めもなく止みそうにないので往路の下山を決めた。連続的に降雪路を下る。桧の林に下っても断続的に雪がある。滑落しないようにゆっくり慎重に下った。東屋まで下るとやっと落ち葉の道になり安定的に歩ける。車道に着いてほっと一安心。そこから余裕で石仏の番号を見ながら下ってPに戻った。
 帰りは甘南美寺に寄って参拝。池の鯉の大きさに見とれた。もう一ヶ所、「伊自良湖 FISHIG & ADVENTURE PARK」に寄った。公魚(わかさぎ)の天ぷらはあるか、聞いたらフライはあるとの回答。13時だったがラーメンと公魚のフライ(二人で一つ)を注文。朝6時半から釣りボートを営業するから恋人のデートではなかった。疑問が解けた。待っている間にも車にどんどん積もって来た。雪とグルメの冬日和を楽しめた。
 もう一つおまけに帰りがけに約30分の所にある武芸川温泉に寄って入湯した。900円と高くなったにもかかわらず、そして大雪というのに大勢のお客が詰めかけて来た。これには驚いた。

岩津天神初詣と村積山ハイキング2026年01月05日

 岩津天神は四神相応の地に勧請されたと謂れにある。
四神相応の理想的な地形
東(青龍:せいりゅう): 清らかな流れのある川や小高い山。
矢作川、巴川
西(白虎:びゃっこ): 大きな道や小高い山。
東海道、今なら東名高速道路と新東名高速道路
南(朱雀:すじゃく): 開けた平地や大きな池・湖。
岡崎平野
北(玄武:げんぶ): 高くそびえる山(背後)。
村積山
 今日は四神相応の地におはす岩津天神への初詣をした後に村積山に登った。メンバーは姪夫婦の娘のSちゃんと4人だった。Sちゃんは6歳になり入学する。岩津天神は学問の神様でもあり意義深い一日になった。
 下山後はスシローで昼食、Sちゃんはサーモンが大好きな子だった。来月始めで6歳になり、4月には小学校へ入学する記念の年になった。丸々した赤ちゃんが四肢が伸びて一緒に山を歩けるまでに成長した。

御嶽スキー行2~三笠山の三角点を探す2025年12月29日

 29日も宿を出て御嶽スキー場で遊ぶ。昼食を食べるレストランでまったりとくつろぐ。もう今以上にスキーをうまくなろうという意欲はない。そんな雰囲気の中でゲレンデスキーに飽きた1人が三笠山に登ろうと言いだした。山やだけにすぐ決まった。
 最終の第七リフトを降りてすぐ田の原に滑走。ここに三笠山への歩道の入り口がある。雪に埋まっているが山スキー専用靴でラッセルしながら登った。やがて山頂の神社に登拝できた。
 ヤマップのGPSを見ると三角点は別の場所に埋設されている。そこでラッセルしながら倒木を跨いだりして三角点の埋まる場所に着いた。雪に埋もれているので盛り上がりを蹴って保護石に当たった。三角点は直ぐ発見できた。思いがけない登山の喜びを味わった。
 三角点探しで約1時間も三笠山でさまよっている内にスキー場の終了時間も迫って来た。車道を滑ってゲレンデをゆっくり滑走。終点でスキーを終えた。帰り支度をしていると雪がパラついてきた。
 帰名の途についた。同行の人が木曽の銘酒を買っていきたいというので牧尾ダムの下流の土産物店に寄る。木曽の銘酒といえば七笑、中乗さん、御嶽山、杣酒など結構ある。水田はないので伊那谷から米を取り寄せて豊富にある水で酒を造るのだろう。木曽には中山道も通っている。旅人も多かったから米の需要もあった。旅人に飲ませる酒も必要だった。
 私は木曽の醤油と味噌を買った。酒とともに醸造、発酵食品である。他の客は百草丸を買っていた。薬も土産になるのだ。
 日没が早い時期は高い山に囲まれた木曽谷はすっかり暗くなった。R19へ戻っても交通量は少なく、店も開いていない。どこか飲食店はないか、大桑に目当ての店を検索したが閉店後だった。近くに台湾料理の店があったので空腹を満たせた。道の駅大桑で1名と別れた。後は中央道を走って休み休みしながら春日井ICで降りた。勝川駅南のコインパーキング(1泊で1000円)でマイカーに荷物を積み替えて友人と別れた。

大峰山脈・山上ヶ岳に登る。2025年10月10日

 10/9の夜は大淀町の道の駅吉野路大淀センターで仮眠。軽自動車なので窮屈だったが丸まって寝た。
 10/10の午前5時に出発、R169からR370,R309とナビ任せで泥川温泉に導かれた。ごろごろ茶屋駐車場に着いたがまだ奥があると走ると913.1mの三角点のあるPが広がっていた。店舗はあったが無人、封筒に1日1000円を入れて投函する仕組みだった。支度を整えておにぎり1個をお茶で流し込んで出発。橋を渡ると女人結界の石柱が建っている。1300年の歴史があるから前近代的とは言うなかれ。
 登山道はゆるやかに整備されている。一の世茶屋はすぐに着く。一本松茶屋までは山腹を縫う道で歩き易い。更に先の洞辻茶屋で稜線に上がる。谷間から尾根上に登って明るい。吉野方面から大峰奥駈け道が合わさる。この道は熊のへ続き世界遺産ともなった奥駈け道である。小屋で休んでいたら一人東京から来て奥駈け道を目指したが雨で引き返す途中だった。世間話に花を咲かせていると1時間の長休みになった。
 稜線になると自然も豊になる。左右二手に分かれた道は左へ。先の人が慎重に、とアドバイスしてくれたが、重装備だから慎重になったのだろう。我々は日帰りで軽いから心配はいらない。
 鐘掛岩には鎖場まで立ち寄ったが霧で引き返す。登山道は平坦になった。西ノ覗岩も霧でパス。平坦ながら岩場の通過があるので捗らない。その内宿坊の立ち並ぶ一角に着いた。大峰山寺の手前まで来たのだ。古い宿坊の軒先にザックを置いて空身で山上に登った。境内に着くと左が本堂だった。右の高まりがあるので細道を行くと背の低い笹原の中にお花畑と山頂の看板が立つ。左折して笹の小径を歩くと一等三角点のある山頂だった。その奥は聖蹟、右は湧出岩の石柱が建つ。どうやらこれがシンボルらしい。
 登山者としては一等三角点の大峰山上に関心がある。1887(明治20)年埋設。補点である。奈良県の一等三角点は8座あり、これで6座登った。大峰山系では釈迦ヶ岳、玉置山に次ぐ三座目になる。釈迦ヶ岳は東のコブシ嶺から眺めると三角錐の立派な山容だがこの山は望岳した覚えがない。それも今になった理由である。
 釈迦ヶ岳は三十代に登った。西行法師が小夜の中山で詠んだ和歌
   年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山
 私もまた後期高齢者になってから登りに来れるとは。命があればこそこうして霧を突いて登山出来た。
 霧の中で長居は出来ない。霧しょんべんといってずぶぬれになりそうだ。先の宿坊へ戻ってザックからおにぎりを出して食う。冷涼な自然の中では喉の渇きもないからお茶もまだある。来た道を戻った。二手の道は板の階段道で滑りやすいので慎重に下る。洞辻茶屋で休憩。ここで稜線から谷筋の道へ入る。雰囲気が随分変わる。水飲み場にはソーメンが落ちている。これが不潔感を誘うので手を洗うにとどめた。きれいに使って欲しい。
 歩き易い道になるが先は長い。そんな倦んだ気分を変えてくれたのは鹿の啼き声だった。
    遠くよりな滑りそと啼く鹿の声    拙作
 ※な~その間に連用形、未然形の動詞を入れると軽い禁止になる。
 足もとに気を付けて滑らないように下りなさい、と山の主のような鹿が導いてくれるかに聞こえる。最後の茶屋を見て一段と歩き易い山路まで来るとPに出た。やっぱり我々の車だけあった。支度して動き始めると軽自動車のパトカーが来て我々を見るとUターンしていった。誰かが6時頃から15時30分ごろまで動かない車があうるよ、と警察に通報したんだろうか。ごろごろ茶屋には多数の観光客が居た。さらにくだると昭和レトロな洞川の商店街に出て帰りたくなくなった。結果、柿の葉寿司を購入、洞川温泉に入湯したりとミニ観光で余韻を楽しんだ。
 R309に戻ると奈良の複雑な道路網を抜けてようやく名阪道路に入れた。

継子岳敗退2025年07月20日

濁河温泉の登山口から1時間半程度登った所で体調不良で敢え無く撤退した。登る途中でも数パーティにおいぬかれた。7合目の手前で引き返したが続々登って来る登山者とすれ違った。たまたま一宮市から来た登山者が下山中に一緒になって歩いた。
減量後初めての本格的登山だったが、片道180kmの山岳路を含むドライブで疲れたこと。車中泊も深夜までクルマの放射熱で暑く、朝方は逆に10℃位まで下がってサマーシュラフでは寒くツエルトを布団代わりに掛けた。その対応で熟睡は4時過ぎから2時間ほど。絶好の登山日和を活かせなかった。
帰路は飛騨小坂経由で帰名した。途中飛騨萩原の簗で鮎料理を食いたかったが廃業して今はトラック置き場になってしまった。木曽から飛騨を横断する365kmのロングドライブに終わった。下呂市でも33℃をマーク。猛暑を一時的に忘れる効果はあった。

継子岳登山ー濁河温泉まで2025年07月19日

7月19〜20日にかけて来月の北アのトレーニング山行として御嶽山の一角にそびえる継子岳の登山を計画した。日和田富士とも言う。昔はあったチャオ御嶽山スキーリゾートも今は廃業で建物は残っているが廃墟と化した。

能郷白山開山祭2025年05月17日

 名古屋市を朝5時に出発。8時からの能郷白山開山祭に行くためだ。R418から尾並坂峠経由で根尾谷入りした。4月29日に歩いたヤマボウシ街道を走るとやっぱり長かった。
 樽見駅には7時過ぎ到着。大垣行が出発していった。緑の海に埋まる山の駅は良いものです。竜鉄也の『山の駅』をオーディオに流した。
会場のうすずみ公園に行くが未だ誰もいない。その内スタッフがどんどん上がって来て準備が始まった。降雨率90%だったので登山は中止、開山祭の式のみは実施されて良かった。
 岐阜県岳連の理事長さんや全体を取り仕切っていたS氏とも名刺交換できて知遇を得た。こういう交流が楽しい。雨なので山やさんは来ていない。
終わった後は教えてもらった猪垣の見学だったが大雨でヒルが手ぐすね引いて待っていると警戒して中止。結果揖斐川町へ転戦した。池田山の山麓だった。江戸時代に猪の害から作物を守るためだ。今は金属のフェンスになった。今も昔も自然との戦いは続く。知多半島出身の女流作家・澤田ふじ子の小説『けもの谷』は武士らが猪垣を建設する話。知っている地名を追いながら読んだ。

奥秩父の山岳ドライブと寺社巡り2024年07月07日

 奥秩父で車中泊。昨夜の道の駅 両神温泉薬師の湯は温泉はグッドだった。ところが標高は約300mで寝ていると暑いだけでなく、蚊もブーンと襲ってくる。

   就寝の我を襲うや蚊一つ

 これはたまらんと撤退。標高の高い道の駅 大滝温泉に移動した。ここは標高400mと大した違いはないようだが蚊が来ない。敷地も広大でその割に車は少ない。
 バックドアに棒を挟んで少しは外気を取り入れて見た。疲れもあってか、夜11時に目が覚めたが後は午前5時までぐっすりだった。
 顔を洗ってすぐ出発。目的地は三峰神社である。両神山登山は暑さと帰路の疲労を考慮して断念したので観光寺社巡りに変えた。

 奥秩父の中心地に三峰神社があった。両神山の真南、甲武信岳の真東、雲取山の真北に位置する。R140を走って左折。ダムの堰堤上の細い道をそろそろ走って広大な駐車場に着く。ここは標高1000m以上あり、親子連れが車中泊していたが寒かったという。半袖では寒いだろう。理論値は平地が35℃あると、6℃低いので29℃。夜は30℃に下がるだろうから24℃になる。
 雲取山の登山口にもなっている。三峰神社の境内は神杉に覆われた荘厳な雰囲気がある。朝6時台なので空気もひんやりと気持ち良い。本殿に参拝、大杉にも祈念。ヤマトタケルの立像も仰ぎ見る。東征と称して東国へ遠征した。
 Pへ戻る。7時を回ると続々登ってくる。R140まで戻ると甲府へのドライブである。調べがしてなかったので二瀬ダムから旧道のR140へ左折すると栃本へ行ける。荒川を堰き止めた秩父湖を見る湖岸道路である。
 栃本は昔十文字小屋に泊まった際にオーナーが栃本と言われた。今回は右折して有料トンネルがある新道を走った。
 奥秩父もみじ湖と名付けられたダム湖は中津川で荒川の支流になる。ひたすら山岳路を走るのみだった。カーブ、アップダウンなど変化に富む山岳ドライブの醍醐味がある。
 栃本への旧R140への分岐を見送ると合流する。有料(740円)の雁坂トンネルをくぐると山梨県側に出る。R140自体は秩父往還という山岳古道である。後は笛吹川に沿って下ると甲府に着く。R20を走り諏訪の諏訪大社上社本宮に参拝した。これで念願叶った。後は天竜川の主に左岸の地道を走って飯田へ。飯田からはR153で稲武、足助から帰名。
 途中で給油したが二日間の走行距離は851km÷(33㍑+51㍑)=10km/㍑。約11800円。

梅雨空に千木誇らしき奥の院(日野山) 拙作2024年06月26日

 名古屋出発は上小田井駅で6時半合流。地道をナビ任せでR303に導かれて、揖斐川上流の横山ダムからR417へ。徳山ダムを経て冠山トンネルを通過すると福井県だ。足羽川沿いに下り、池田町から越前市へ。
 目指す登山口は北陸道日野山トンネルの北側の荒谷ルートの日野神社である。着いた時刻は11時30分。名古屋から5時間135kmかかった。日の長い時期なのでまあ良いか。
 11時40分出発。日野神社は無人だが、樹齢300年以上はありそうな高い杉木立の境内に立派な構えの本殿が建っている。新しい案内板があり迷うことなく境内の右寄りに流れる荒谷沿いのルートに入って行ける。木立が高いせいで日光が入らず藪はない。よく整備されている。
谷道または尾根道は樹脂製の階段があり鉄塔巡視路がそのまま登山道(登拝道)として利用されている。階段も段差が少ないので高齢で大腿筋の衰えた自分には助かる。大汗をかいたころに山清水が湧いている。魔法瓶の蓋がコップ代わりに置いてあり、ありがたく一杯飲ませてもらう。流れている水はきれいそうでも獣の糞などに汚染されている可能性があるがここは湧いているので安心して飲める。
 尚も続く急登に耐えながら約1時間で北西からの尾根に合流。涼しい風に安らぐ。ここまでが一区切りだが、地形図には表現されない岩尾根の急登が続く。山頂直下で萱谷からの尾根道に合流すると一段と尾根が立ってきてフィックスロープが張ってある。こりゃあ、下りに難儀しそうだ。喘ぐように登りきると最初の社屋が建っていた。ここで休もう、とザックを置いて尚も奥へ行き、山頂の奥の院、三角点、社務所などを経めぐりながら戻って長い滞在時間を楽しんだ。
 展望も良く、梅雨空で白山は雲に閉ざされているが、部子山(へこやま)は見えた。東には冠山と思しき三角錐の山容が目を引く。左は能郷白山と磯倉、右は金草岳だろう。冠山の下をくぐってここに来たんだ。
近くの樹木に鶯が鳴いている。鳥語は口笛で参加したが飛んで行った。嫌われたか。この時期のうぐいすは老鶯という。すでに雌雄が合体して産卵するころである。そのウグイスの巣の卵を放り出してホトトギスやカッコウが産卵する。これを托卵という。そうと知らずに孵化しても育雛する。外国からの長旅で疲れたカッコウやホトトギスはウグイスなどに子育てを託すわけである。
 越前市につながるR417は”良いな”と読める。
 越前市から鯖江市、福井市を流れる日野川の氾濫が作った沖積平野が青々とした田園風景も美しい。日野川は越美山地(三国岳など)の豪雪地帯の水を集めて今庄に流れ、東西の里山級の山地の水が流れ込む。日本海に直接流れ込むのではなく九頭竜川に合流するために北に流れている。流域の山の位置が良く分かる。
 出発が遅れた。昼時も登って一服しておにぎり1個をお茶で流し込んだ。充分な山頂滞在を楽しんだ後はまた急降下するように下山した。フィックスロープは下りにこそ有用だった。滑落を警戒しながら慎重に下ったがビブラム底と岩の食いつきはしっかりしている。遠くにホトトギスの鳴き声を聞きながら無事に日野神社に下山できた。
 帰路はまたR417を選んだ。高速かR365で木之本経由でも距離は変わらない。それでも復路にしたのは交通量の圧倒的な少なさだ。R417,R303で濃尾平野の北端の揖斐川町に来るまでは信号ストップはなし。
 結局JR瑞穂駅で降ろしてもらった。瑞穂駅から金山駅、鶴舞駅はJRで行ける。地下鉄鶴舞線には22時台に乗車できた。疲労したが高速を使わなくても福井の山を堪能できたのである。

中濃の里山歩き2024年03月10日

 3月10日 今までR156を往来する度に気になっていた美濃市の鶴形山にようやく登れた。
 車を停めた洲原神社からは見上げるような岩壁が見える。登山道は道標があり整備されていた。植生は鬱蒼とした常緑照葉樹林が占める。冬でも青々としている。
 長良川の水を引いた用水路があり、しばらくは樹林の中を岩壁を避けるようにジグザクに登る。下からはR156の騒音が聞こえてくる。
 急登もあり思いのほか難コースだった。神社跡の二ヶ所を経て、鶴形山へは道も未整備となる。少し雪の残る山頂からの展望は樹林に囲まれて皆無。足元にはヒカゲノカズラが繁茂している。周囲の植生は植林の下に照葉樹の灌木が生えて青い。
 そこから高山への縦走路に行く。今までと違い未整備な踏み跡で赤テープをチエックしながら歩く。鉄塔の周辺のみ樹林が伐採されて見通しが良い。一旦鞍部迄下がって登り返す。高山へはかなりな急登でフィックスロープもあったからまったく整備されていないこともない。ここで親子連れにあった。ちょっと家族連れには不向きな気がするが山慣れしているんだろう。
 高山は三山の中で唯一展望があった。濃尾平野に前山が立ち並び、彼方には名古屋駅前の巨大ビル群が見えた。御岳山は樹林に邪魔されるが真っ白にかがやき、白い。恵那山は良く見えた。恵那山の左側の白い山なみは南アルプスだろう。
 高山を下山し、母野洞の分岐点は明瞭ではないが、GPSで確認して左折。地形図で破線のある397mの鞍部迄一気に下る。野田洞という村への古道は明瞭に残って見える。ここからも明瞭な尾根歩きになった。この道はところどころにある高圧電線の鉄塔巡視路だろう。長い尾根の登りに耐えて母野洞三角点に登頂。しかし樹林の中で展望は皆無。
 一休みした後、急な落葉と雪にまみれた踏み跡をたどった。鉄塔巡視路へ行く踏み跡へ引き込まれそうになり、GPSで確認して引き返す。この踏み跡は明瞭だが南へ垂れ下がるように曲がる尾根に引き込まれそうになった。GPSで確認して引き返す。その後も簡単には歩かせてくれない山路でした。
 昨年の2月から登り残した中濃の山のピークハントをしていますが、里山といえども侮れない山々です。