まぼろしの名門校2024年10月06日

 左翼の俳人だった金子兜太の父元春は東亜同文書院大学の校医として上海の病院に勤務していた。子供だった兜太も一時期を上海で過ごしたが学齢期になるので引き揚げて日本に戻った。
 このことは7/6の埼玉県皆野町へのドライブ紀行で書き、まとめて所属の結社誌に投稿したところ、誌友の中に夫の父親が東亜同文書院大学の卒業生だった、との手紙が舞い込んできた。
 所属の結社誌はホトトギス系なので、兜太の師系(水原秋櫻子→加藤楸邨→金子兜太)とは相いれない。投稿はしたものの掲載されるか否かは不明だった。
 先月末に所属誌を見ると一部割愛して掲載されていたのでまずは一安心した。そして間を置かずに先述の様な手紙が来たのであった。本人も埼玉県生まれで秩父音頭は子どもの頃から親しんでいたし、母親も皆野町に近い所に生まれたという。
 拙稿が思わぬ波紋を呼んだ。会員は北日本中心なので縁のある人は少なかろうと思っていたが意外な反響に感動とともに喜んだ。今夜は返信の手紙をしたためた。