風薫る御在所岳登山2013年05月03日

 午前6時出発の予定が7時50分になった。起床の遅れである。いっそ順延と思うが今日は良く晴れている。これを見逃すことはできないと尻を叩いて出発した。
 伊勢湾岸道路に入ると、なんと湾岸弥富あたりから混みだし、湾岸桑名でハザードランプを押した。幸いICの手前だったので出て、桑名からいなべ市経由で菰野町に向かった。この道も渋滞気味なので抜け道を試みたがかえって遠回りしてしまった。

 登山口の蒼滝トンネルまででもかなりの路駐のマイカーが並ぶ。上へ上へと追い上げられて、表道登山口のPまで来た。身支度して登山口から登り始めた。
 最初から凝木の階段を登らされる。この急登は一度も緩むことなく続く。風化花崗岩の尾根道である。百間滝が見えるところに来た。水量がないのが惜しい。

 空は青く、そこかしこにアカヤシオの花が咲いている。足元にはハルリンドウの可愛い花が咲いている。アブラチャンの花がまだ咲いている。不安定な足元に注意しながら一歩一歩高度を稼ぐ。

 すると今まで木の枝越しに見えていた鎌ヶ岳がすっきり見える高見に着いた。傍らにはアカヤシオが咲き、絶好のカメラアングルだ。よく掘れた風化花崗岩の道を辿ってゆくと谷川の音が聞こえる。百間滝の源流の東多古知谷である。ここをまたいですぐに右へ風化して脆弱な花崗岩の道を登る。周囲が掘れた道を登りきると樹木の低い緩斜面が素晴らしい見晴らし台になっている。伊勢湾、四日市市街、工場群、鎌ヶ岳などを俯瞰できる。

 背の低い笹の道を行くと遠くから歓声が聞こえてくる。頂上は近い。山上の車道に飛び出す。右に行けばロープウェイ駅、左に行けば山頂である。左に行く。しばらく車道を歩くと伊藤冠峰の詩碑が建つ。その先に道標があり、右に階段を登りきると山頂である。

 もの凄い登山客である。一等三角点を背景に記念写真に納まるハイカー、観光客然とした人、服装から見てたまに登る感じの人らでごった返している。そのはずである。ロープウェイからまたリフトに乗れば訳もなく登ってこれる。
 山口誓子の句碑を見に行くが、座っている人が一杯、東屋も一杯で適当な石に腰掛けて昼食とした。よく見れば恵那山が見える。左は中央アルプス、御岳、乗鞍岳、白山と眺められた。やはり登ってきて良かった。下山はスキー場にルートをとり、ロープウェイの下をくぐって、裏道に入った。

 ここも急な砂礫の道である。沢を横切るとすぐに国見峠に着いた。かろうじて峠の雰囲気を残している。子連れのファミリー登山者、カップルのハイカーなど続々登ってくる。最初は緩やかな山道も段々傾斜がきつくなる。前方には藤内壁の岩場が見える。

 ハイカーの列は絶えまない。やり過ごしながら下る。先年の土石流はどの程度だったのか。明るい河原を見て愕然とした。谷幅一杯に氾濫した跡が残る。北アルプスの登山道で見るような大きな岩が無秩序に散乱している。赤いペイントのマークで岩と岩の間をぬって下る。ようやく藤内小屋の屋根が見えた。
 藤内小屋には自衛隊の若い隊員らが屯していた。訓練の一環だろうか。小屋のオーナーに聞くと恒例のロッククライミングの訓練になっているとか。小屋の再建、周辺の登山道の整理、片付け、モンベルの小屋の建設、など多くを自衛隊員の活躍で成し遂げられたと言われた。

 小屋を後にして、登山道を下るがここまではやられなかったと見える。しかし、かなり下ったところで左岸へ渡渉があり、再び「七の渡し」の渡渉がある。これは登山道を付け替えたようだ。「七の渡し」のすぐ下流に大堰堤を工事中だった。渡りきるとまた右岸の山腹を上下しながら河原の車道に下る。工事中でゲートがある。そのまま下ると蒼滝トンネルの近くに着いた。
 ここからスカイラインをPまで登り返す。途中から表道、三つ口谷の道標に従って山道に入ると百間滝の下流にかかる橋をくぐってスカイラインに出る。Pはすぐそこだった。

 スカイラインを一緒に歩いていた夫婦連れから道を聞かれた。「湯ノ山温泉はどちら?これをそのまま登ればいい?」と武平峠に向かうので「いいえ、反対ですよ、どちらから」、湯ノ山から「菰野富士に登った」らしいが帰り道を違えてそのまま登ってきたらしい。そこで、「じゃあ、湯ノ山温泉への登山道まで案内しましょう」、と同乗させて、蒼滝トンネルを出たところで降りて案内した。
 見ると奥さんはハイキングシューズだが、旦那はスニーカーなので滑らないように注意して別れた。そんな靴で歩くところじゃないですよ。車中で言うところは今夏、ツアーで富士山に行くとか、それでトレーニングらしい。夏が近づけば御岳にもトレーニングで行くという。クラブツーリズムっていう会社らしい。

 藤内小屋でも聞いたが、名古屋の著名なバスツアーは4台でどっと来るとか。そのお客は道が悪いと不満を言うらしい。バス会社もちゃんと説明してないようだ。登山道が整備されている、ということを素人でも歩きやすい遊歩道くらいに考えているのだろう。鈴鹿はハイキングやピクニックの山ではない。これじゃあ、山岳遭難、遭難騒ぎは減ることはない。

 しかし、山は最高だった!ウグイス、コマドリも鳴いた。新緑の山肌。山笑う季節の真っ只中だ。北からの乾いた爽やかな風である。

 希望荘で一風呂浴びてR1で帰名した。

訃報・登山家・篠崎純一さん穂高に逝く!2013年05月08日

享年49歳

産婦人科の医師として地域医療に貢献!

折角、ガンも克服したというのに。

かつては
山崎彰人と共に雪蓮南峰に初登頂。

環太平洋一周環境登山で名声を得た。
功績を称えられてロレックス賞を受賞した。

氏のホームページを見て偲ぶ実績の数々!
http://homepage2.nifty.com/gynealp/

若すぎる死に言葉なし!

お悔やみ申し上げる。

WEB版中日新聞から。
高山の医師が滑落死 北ア奥穂高岳、落石当たる

8日午前8時ごろ、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷神坂の北アルプス奥穂高岳(3、190メートル)の山頂から約500メートル下の白出沢で、登山中の高山市松本町の医師篠崎純一さん(49)が落石に当たって200メートルほど滑落した。県警ヘリが市内の病院に搬送したが、死亡が確認された。

 高山署によると、落石は直径20センチほど。同行していた岐阜県飛騨市内の男性会社員(50)が通報した。2人は日帰りで山岳スキーをする予定だった。 (中日新聞)

夏山フェスタ!開催準備2013年05月09日

 少し前、ちょっと手伝え、との仰せで何かも知らずに来たら、中部経済新聞社が主催する「夏山フェスタ」なるイベントの準備のお手伝いであった。中部山岳の白地図に著名な山岳名を記入する仕事を仰せつかった。小学生時代の夏休みの宿題を思い出した。それは楽しいものであった。おかげで社会・地理の成績はトップクラスを保てた。

 中部地区の経済専門紙がなぜ登山との結びつくのか、今一不明ながら、多分人間関係の連鎖で、こんな企画が生まれたんだろう。そして、山岳界は狭いもので、プログラムを見ると、私の旧知の友人も講師陣に入っていると知って、訝しむ気持ちは失せて、俄然楽しみに変った。
 http://www.chukei-news.co.jp/natsuyama-festa/

 その中で、入山届をネット化する案が出ていた。行方不明者の捜索困難の原因の一つに登山届けのないことがあるのを鑑みて浮上してきたのであろう。是とする。
 それならばと、山岳遭難で一番多い行方不明者の捜索もネット化するように提案したのだが暗い話というので却下された。
 家族から警察へ捜索願いが出されると生存可能な1週間ほどは防災ヘリも出動して、捜索してくれるが、長引くと手を引く。その後は家族の資金力と兼ね合いである。地元青年団、消防団などに依存すると、1日1人当たり、今なら1万円の日当として、30名が集れば1日で30万円、日曜日ごとに捜索すると1ヶ月で5回として150万円となる。
 生存を諦めるにしても働き盛りの人ならば、住宅ローンも抱えて残された家族が大変だ。給与は入らないのにローンだけは確実に決済が来る。遺体が発見されないと様々な手続きも進まない。保険金の請求にもまずは死亡届けが必要になろう。
 山岳会の会員なら捜索救助の共済保険加入で賄われるが、無所属で未加入なら家族の負担は如何ばかりか。有志無償のボランティア救助が出動するにはネットの拡散力で安く素早く知らせて行動に移す必要がある。
 行方不明者を捜索するのは家族のためなのである。

 何はともあれ白地図を埋めなばなるまい。

お祝い返し2013年05月10日

 昨日、大阪府警に勤務する甥から出産祝いのお祝い返しを贈ってきた。名前を見ると女の子らしい。嫁さんの在所は岡山県津山市という。

 1等三角点を追いかけていたころ、泉ヶ山、星ヶ山など中国山地の登山で津山市を訪れたことがある。中国山地の小さなまとまりのある盆地で、人口10万人余りの城下町である。

 昔は美作国といった。若い頃、美作高校の生徒たちは陸上競技で活躍した。それで読みにくい「みまさか」という地名を覚えた。

 津山市で思い出すのは俳人の西東三鬼である。津山城に句碑がある。”花冷えの城の石崖手で叩く”。三鬼は歯科医でシンガポールで開業していたらしい。山口誓子とも親交があった。

http://koyaban.asablo.jp/blog/2011/12/03/6232187

詳細は
津山市の顕彰
http://www.city.tsuyama.lg.jp/index.cfm/23,9331,131,401,html
WIKIPEDHIA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%B1%E4%B8%89%E9%AC%BC
写真集
http://tsuyama-city.musicfactor.jp/saitousanki/

 私が好きな句は”おそるべき君等の乳房夏来る”。薄着の季節になると若い女性の大胆な服装が話題になる。新聞の声蘭にも挑発的と眉を顰める御仁の投稿を見ることもある。もっとも西東三鬼の句は戦後の神戸市の外人女性の風俗らしい。

 今頃、姫路駅から姫新線で中国山地の盆地を走れば車窓からなまこ壁の旧家らしい家が見えて美しい山村風景が素晴らしい。

 ◎○美ちゃん健やかに育てよ!

新緑の太尾から竜ヶ岳へ(南のコブでUターン)2013年05月12日

 減少傾向の続いたわが会にも40歳代の新人の入会を得た。久しぶりに歓迎会の宴をもうけた。場所は計画では奥美濃の冠山峠であったが、雨の予報で急遽変更し、鈴鹿の朝明山荘を貸切で利用させてもらった。

 5/11(土)は朝から雨で出発も12時に延期した。R1でトロトロ走って午後3時に会場へ着いたが、もう準備は大方終わりかけていた。生鮮食品が安いことで知られるTスーパーでしっかり買い込んでいる。今までにない分厚いブリの刺身はてんこ盛りだった。他にも野菜の天ぷらなど食べきれないほどの量が用意されていた。
 それで一杯やりながら自己紹介を相互にやる。ところが今の若い人は仕事で大変忙しい。また、他のしがらみも多いので夜の内に帰っていった。明日の山行も旧人だけでやることになった。

 5/12(日)、午前5時誰かの目覚ましがなる。外を見ると昨日と打って変わって快晴である。山の間から水蒸気がまっすぐに上がってゆく。時折、乾燥した爽やかな風が吹く。昨夜の残り物を片付けながら朝食を済ます。

 それぞれのマイカーで登山口に向かう。R306からR421へ左折。石榑トンネルをくぐると右へ茨川林道の入り口を見落とさないように曲がる。最初は舗装路も橋を渡ると未舗装路になり、昨日の雨で水溜りができている。そこをロデオよろしく走る。

 折戸トンネルの手前まで偵察に走るが顕著な道筋はなく、少し戻って適当に植林内を登り・533mに着く。そこからは尾根通しにあるかないかの踏み跡を追って登った。赤テープなどのマーキングも乏しいので地形図で確認しながら歩く。主尾根に合流後は・770mまで新緑の尾根を彷徨しながらの探索行であった。特に段々尾根が広がり、等高線も緩むところから「太尾」の名称もなるほどと合点がいく。池というには水深がないが、山上の池は神秘が漂う。
 また地形図で見る想像以上に広い枝尾根が又川に下っている。ツエルトを張って一夜を過ごせば、シカの物悲しい鳴き声に寂しさを感じる孤独な自分を発見するだろう。
 ・770mは過ぎたのかどうか分からないうちに通過した。何せ登山道はない、踏み跡もかすかではRFに神経を尖らすだけで精一杯だ。やがて地形図でも込み入った等高線の箇所、白谷越えに着いた。ここからが最後の登り返しになり、しかもキレット、ザレ場の通過が待っている。ザレ場では恐がるメンバーもいたのでWさんがザイルを出した。ザイルを手にするだけでも転落の恐怖感が後退するものである。
 少しヤブっぽい尾根の獣道を追いながらの登高を続ける。尾根の形が崩れてからは山腹の獣道を拾う。いくらかは歩きやすいからだ。登りきると・962mに着いた。後標高差で130m、40分くらいで山頂と思ったが、メンバーに足の痙攣が起きて、石榑峠へ下る希望者がでてきた。単独じゃ危険なので全員で下ろうと言う希望もでてきたので、「パーティを割るな」という基本のキに従って、標高1000mの等高線辺りで全員が引き返すことを決断。見ると登り30分も掛からない距離にあるが、リーダーの決定に従う。ここを「前竜ヶ岳」ということにした。
 下山はKさんとWさんが付けて来た赤い布を確認しながら下るから早い。登るときはRFをともなうので遅々とした登りになるが、赤布の威力である。ザレ場ではまたザイルを出して下った。白谷越えまでは早いこと。・770mへの登りかえしも問題ない。
 登山道なき新緑の太尾を彷徨う。広い尾根から狭まって、次の課題は・533mの枝尾根への分岐である。ここを注意しながら歩いたのであるが、分岐点のコブを巻いて・684mの主尾根に迷い込んでしまった。いつまでも右手に静ヶ岳が見えるのはおかしい。地形図とコンパスでも北進するのでおかしいと気づく。
 しかし、赤テープやマーキングは頻繁にあるので疑いながらも直進してしまった。茨川林道へ突っ込む尾根になってから、登りかえしのないはずの尾根が軽く登る。途中から急になり、ヤブっぽいので引き返し、基本のキである確信の持てるところまで戻ることにした。それでもメンバーの中には見覚えがあるというので困惑する。それが道迷いの恐さである。リーダーがしっかりしないと全員がパニックになる。楽しい登山が悪いほうへ悪いほうへと暗転する。
 これまでに数多い遭難を見聞してきた。例えば、道迷いでは必要以上に行動し、体力を消耗する。食べ物、飲み水がなくなる。暗くなってもビバークの決断ができず、ヘッドランプをつけての下山で転落死。RFのために木に登ってみたが枯れ木だったために折れて転落死など。
 主尾根から枝尾根をチエックしながら戻ると赤テープの多い箇所に着いた。ここだ。左を見下ろしたが下の赤いテープを見落としたようだ。踏み跡は薄いが先ほどの主尾根と違い、踏まれている。記憶のある太巻きのテープも発見。地形図と実際の方向感覚が一致してきた。
 太尾でメンバーの痙攣のために先発後発の2パーティに別れ、急ぐメンバーは先発としたが結果的には後発に先を越された。我々だけのパーティならばそのまま林道へ下る判断もできたが、別パーティが今度はどうしたかと心配をするので戻ることにしたのであった。
 ・533mに着いた。登るときはバラバラに適当に登ったが、下りでは踏み跡に忠実に従った。下に茨川林道が見え、後発グループと呼び声も交わした。後発に25分遅れて、無事帰還した。
 今回は新人をともなうことは適わなかったが、バリエーションルートを登ることで、登山の基本を確認できた。
・リーダーはしっかり自分の方針を伝え導く
・パーティを割るな
・道のない尾根では赤い布で帰路を確保し回収する
・ザレ場ではザイルを出す
・登山計画書のコースは変えない
・事前の地形図の確認で地理感覚を養う
  地形図、コンパス、高度計でチエック
  肉眼で見える山を同定する
・道に迷ったら確信の持てるところまで戻る
  古い赤テープに惑わされない

富士山頂わが手の甲に蝿とまる 誓子2013年05月14日

 去る5/12、近江鈴鹿の未知の尾根・太尾を歩いた。竜ヶ岳登頂はならなかったが、程ほどの緊張感、総勢11名のメンバーの多彩さで楽しく過ごした。

 太尾の一角で、昨夜の残り物のはんぺんなど食べつつ、一休みしていたら、何ともう蝿が飛んできた。たんぱく質系の匂いをかいでどこからか飛んで来たのだ。五月の蝿と書いて、五月蝿い=うるさい、と読ませるが、もうそんな時節になったのである。

 表題の句は大御所の1人、朝日俳壇、中日俳壇選者を長く勤められた山口誓子の作品である。あんな高い所まで蝿が飛んでいくのか、そしてそれを五月蝿いといって払いのけたりせずに一句をモノにした。今すぐに思い出せないが、誓子は小さな虫の句をいくつか残している。
 誓子は三重県四日市市で療養生活する病もちだったが、40歳ごろだったか、御在所岳に登って健康に自信を得て以来、あちこちの山に登るようになった。ふらんす堂から『山嶽』の句集まででている。若い頃を知っている人には信じられないだろう。元気になった誓子を象徴するような俳句である。そして小さな生物をいとおしむ詩心はそのままに。

夏山フェスタ!開催準備②2013年05月16日

 先週、引き受けた夏山フェスタの来場者に配布するという地図の下書きは昨夜ほぼ終えた。
 山岳は大抵の場合、国境や県境に位置する。下書きの白地図が実は県境や国境が明確に表現されていない。このために資料にする正確な地図が必要と知った。
 会議では50万分の1の地図を用意したが社の人らは乗ってこなかった。コンパクトな大きさにこだわった。こりゃあ、大変なことになったぞ、と思ったが、これまでに使った20万分の1の地勢図を活用することにした。出版社の地図には、著作権保護のために、地名、山名、道路などに故意にミスを潜ませてあることを思い出した。地勢図ならばそれはない。

 まず、日本三百名山をググると多くのサイトがヒットしたが、よく整理されたあるサイトの中部地方の山岳のみをプリントした。200名山、100名山は印で区分されている。これと地勢図を元に書き込んだ。最初は三重県からにした。何しろ、東海地方は名山の過疎地域であるから明示しやすい。

 地勢図の「伊勢」は台高山脈、鈴鹿山脈は「名古屋」から、「岐阜」からは能郷白山、冠山、荒島岳と続けてゆくと興に乗ってきた。「長野」「甲府」「高田」「静岡」「山梨」「金沢」「富山」「高山」と夢中で書き込む。ある地域がすっぽり抜けている。「飯田」「豊橋」である。自宅にとりに行くのも面倒なので丸善に走って買いなおす。

 「飯田」を見て、改めて思ったのは岐阜県と長野県の行政移管のことである。昭和30年代に石徹白は福井県から岐阜県へ編入された。大日ヶ岳と毘沙門岳間は国境が残り、県境は毘沙門岳から西へ曲がり、野伏ヶ岳の周辺に移った。すでに地勢図「岐阜」に反映されている。

 国境と県境は重なることが多い。岐阜県のように飛騨と美濃が合わさった場合は乖離するが、編入によっても乖離するのである。

 最新の変化は長野県山口村が中津川市に編入されたことだ。この地域は以前に馬篭が中津川市に編入している。恵那山から大文字のIを連鎖した国境の表示のみが馬篭はかつては信濃国であった歴史を示す。誇り高い信州人の葛藤を思う。

 道草から戻る。中央アルプス、南アルプス南部などを書き込む。「横須賀」は元々持っていなかった。天城山が特定できないのでググって見当を付けた。三頭山なども「東京」なので検索で調べる。
 出来上がった地図を眺めると信州一帯に偏っている。日本の屋根だから仕方がない。名山の混みあった信州のある山の東に位置するA峰がやや北東か真東か、南東かにまで配慮した。その筋に見られた場合、アバウト過ぎると恥をかく。
 おお、もう10時を過ぎた。事務所を出ると、居酒屋がドアを開け放ち、話し声が聞こえ、いい匂いが漂う。閑散としていた冬場を思うとお客の入りも良いようです。

  居酒屋の入りも盛んに夏めいて     拙作

五月来る!吟2013年05月18日

信州の土の味するこごみ食う

残雪の山にとどろくヘリの音

恐ろしきデブリ出てゐし春の山

春スキー白馬乗鞍から滑る

行雲のごと春山に逝くべしや


風薫る御在所山のいただきに

鎌ヶ岳背景にアカヤシオ咲く

山清水手に戯れる夫婦かな

春深し夫婦で道に迷い坂


憲法記念日父祖の誇りを取り戻せ

こどもの日三味線三昧歌三昧(藤秋会 2013夢舞台)


明易し鈴鹿朝明の静けさよ

彷徨いし青葉若葉の未知の尾根

青葉山彷徨えばみなけものめく

初夏の山に獣の臭いする

弁当を待ちかね蝿が飛んで来た

段々に鈴鹿山麓田水張る

総会今昔2013年05月19日

 5/18(土)は山岳会の総会だった。17時前、会場の高砂殿に着いた。自宅を早目にでたので一駅手前の鶴舞駅で下車し、古書店街をぶらつきながら徒歩で来たのである。

 山星書店で山葵会編『奥美濃』が出ていたので購入した。奥美濃も徳山ダム建設で様変わりした。前文を書いた今西錦司もこのざまに嘆くであろう。氏の書いた文にはうっそうとしたブナの森を彷徨する時代から各地で皆伐されてきた時代への変遷を見てきた思いがある。

 特別寄稿「50年前の奥美濃」の最後に”奥美濃には、京都北山にも日本アルプスにもないよさのあることを知って、われわれは大満悦で帰路についた”と結ぶ。然り。私が赤谷に入ったのは道谷ともども皆伐された後だった。源流も滝もことごく埋まった後だった。川浦溪谷だけがかつての森と谷を彷彿させる。

 息子に武奈太郎と名付けた。娘には京都府最高峰の山名をとって皆子を与えた。「わしは好きなことしかせん」と周囲に語ったそうである。「日本に生まれて、日本の自然を楽しみつつ、長いあいだ山登りをつづけてきたことは、思えば仕合せなことであった。」(講談社学術文庫『自然学の提唱』から)

 日本山岳会に入会を申し込んだ先は岐阜支部であったが、手続きの遅れから東海支部へと入会してしまった。入会の動機は今西錦司への尊敬の念からであった。こんな偉い先生が低い山も万遍無く登っている点である。

 入会の縁を取り持ってくれた故U先生から「あんたも好きなことしかやれん人だなあ」と言われた。この先生も東大文学部を落ちてやむなく名大医学部に受かって医師になった変人であった。頭のレベルが違うが面白い交流が長く続いた。

 何冊もの山書を生み出したのも交流で飲む酒の勢いばかりではなかった。頭の中身が濃かった。思いつきで終わった話はなく、皆、結実した。U先生と交流するようになって、頭の中に1ページ丸ごと浮かぶような読み方をするようになった。あいまいさなままでは終わらなかったのだ。

 凡百の人間と才人との違いはとことんまでやる、できるまでやる、知的忍耐力と創造性だと確信した。山岳会へは奉仕することのみ多く、得ることはないが、こうした人物に出会うことで刺激を得ることが唯一の利益である。

 1984年の入会当時の東海支部は海外遠征一辺倒であった。当時の支部長であった尾上昇氏にあいさつに行くと「東海支部は国内山行は一切やりません」ときた。その彼も今は本部の会長に登りつめた。そして、組織図を眺めると、彼の思いとは裏腹に国内山行のみになって、一般社会人山岳会並みになってしまった。

 今日の総会は事実上、一般化し、公益社団法人としての日本山岳会の出発点になろうか。尾上氏は来月で任期一杯で会長を降りて、整理された支部友委員会の再建に乗り出す。出来上がった、手垢のついた会員よりも自分の、或いは東海支部の思想を伝えやすいのは初心者に限ると踏んでいるフシがある。事実、ヒマラヤを目指した連中は雲散霧消してそれぞれ勝手に居場所をつくって活動している。支部に居つかないのである。500名といわれた総会員数も390名に減った。

 新しい芽吹きもある。中日登山教室で始めた山ガール講座のOGがバリエーションにも意欲的という。自ら登山計画書を作成して取り組めるまでになったともきいた。中高年の与えられないと動けない会員とは違うようだ。沢の中で寝て、沢の水を呑み、焚き火を楽しむ登山者こそが本来の登山者だろう。少し頼りないが、学生連盟の有志、なども台頭し始めている。自らの殻を破って成長していけるでしょうか。

山岳有情!2013年05月20日

 今年もすごい勢いで山岳遭難が増えている。反省し過ぎることはない。まとまった休暇のあるGWは特に多い。これから夏の登山が本番になる季節である。事故を検証しながら心得を考えた。

 4/16に栂池から雪倉岳方面へ山スキーの目的で入山した52歳の男性は5/15、白馬大池から新潟県側に滑降したらしく蓮華温泉附近の沢で遺体で発見された。ヒマラヤ8000m峰の登山経験者だった。

 4/27、白馬大雪渓で雪崩に遭って、行方不明のままだった山口県の男性も捜索の結果、先日遺体で発見された。組織された山岳会のようである。

 今年、正月に穂高明神の山で雪崩に遭って行方不明になっていた名古屋山岳会の2名は昨日、同会の会員の捜索で遺体で発見された。

 5/8には高山市の医師Sが奥穂高岳の白出沢で落石で亡くなった。山スキーで入山していた。
 過去、その反対側(長野県側)のアズキ沢では同志のアルピニストTが雪庇の崩落に当たって首の骨を骨折し死亡した。両氏とも国内屈指のアルピニストだった。

以上の皆さんは技術、経験、知識も充分なはずであったが、雪崩、落石を避けられなかった。不運としか言いようがない。生きて登山するわれわれは偶然避けられているのであろうか。

 亡くなった人はみな都市部から来たひとばかりだ。与えられた休暇を目一杯使って山を楽しむのである。そこにちょっとしたズレがある。入山日に、或いは直前に降雪があればどう考えるか。判断一つで運命が変わる。

 降雪中、直後は入山しない。という大原則がある。雪が不安定だからだ。しかし、是を守れる登山者は殆どいないだろう。休暇にあわせて行動する。その結果運がよければ難所を突破し稜線に上がれる。悪いと雪崩にやられる。

 雪崩に遭うのを避けるには降雪中、直後は入らないことしかない。当局の指導があれば従うことだ。判断一つである。メンバーに新人がいたりすると、折角の春山だから遠方から来たんだからと情が混じって客観的になれない。自分達に限って都合の悪いことはおきないと考えがちである。雪崩はその虚をついて起きる。

 5/18には御在所岳の本谷の滝附近で転落死が報じられた。半田市の男性で単独で入山したようだ。この谷では昨年にも死亡事故があったばかりである。

http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/06/24/6491189

http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/06/30/6496649

 死亡した登山者はみな単独行ばかりである。グループならば危険なところではリーダーが声を掛け合って、確保、支点、ルートなど意識しあって乗り越す。単独だと技量があれば凌げるが、何かに気をとられて足場の確保がおろそかになるとバランスを崩し、転落もありうる。例えばすぐ後に続く人がいる場合は気をとられやすい。私などはなるだけ追いつかないように心がけている。

 自分は危険なルートを登っていると自覚する。妄想をすてて、登山に集中することだろう。何かに気をとられると集中できないからだ。
 登山の前に簡単な体操をしてウォーミングアップをする。甘いものを食べて脳内に糖分を補給する。アリナミンのビタミンB1B2も筋力に作用するので動く前に補給するといい。筋力は手足だけではない。目の毛様体に作用し、視力を確保すると薬剤師から聞いたことがある。胃腸も筋肉の一種であろう。

 事故るのは、睡眠不足で頭が充分覚醒していないことと、筋力の反応が鈍いことが原因と思われる。複数ならば会話によっても覚醒が早くなるが、自宅を出たら電話でもしない限りは会話なしで行動する。脳への刺激が少ないと危険察知への反応も鈍ると思われる。

 旧知の外科医で脳性マヒ治療を手がけておられた先輩は、脳が手足に命令するのではなく、手足が脳に伝えるのだ云々と聞いたことがある。つまり脳性マヒというといかにも脳がダメージを負っているように聞こえるが手足と脳の間に異常があるのでそこを手術で治療する方法を確立された。

 このことから考えられるのは準備運動の大切さである。ウォーミングアップである。陸上競技をやっていた頃は必ずジョギングから入って、柔軟体操を入念にやったものだ。痙攣や捻挫の防止であった。登山ではそこまではやらない。手足を動かして脳を覚醒するのも一法であろう。

 登山は陸上競技よりかなり危険なスポーツであり、ましてやバリエーションに近い谷歩きは危険領域を行く。ふらっと単独で行くのもいいものだが体、頭を目覚めさせて入山したいものである。

 心したい。