竜ヶ岳の遭難事故 ― 2009年05月19日
名古屋近郊の山では最も遭難の多い鈴鹿山系で遭難事故があった。
17日の沢初めに行く際、時間が早すぎたので大安町の喫茶店でコーヒーを喫していたら地元の人とママさんが宇賀渓の事故を話題にしていて知った。地元の消防団40名が捜索するとか。帰宅後チエックすると17日中には発見できなかったので18日にも再開されたが以下のニュースの結果になった。
ホタガ谷道は一見したところ深い渓谷ではないが入口から流れと合うまでは相当刻み込まれた悪い谷であり、遡行の困難な谷と聞いている。登山道から転落したと想像されている。2人とも同時に転落したというのは不可解である。
三重の山中で不明の男女死亡
5月18日15時10分配信 産経新聞
18日午前9時15分ごろ、三重県いなべ市大安町の宇賀渓登山道ホタガ谷(標高約450メートル)で愛知県北名古屋市西之保、アルバイト、海川将司さん(67)と同県三好町、無職、長沼八重子さん(56)が倒れているのを捜索中の県山岳連盟会員が発見した。ヘリコプターなどで市内の病院に運ばれたが同日午後1時35分、死亡が確認された。
同暑によると、海川さんらは、登山道から約50メートル下の急峻ながけ下の渓流沿いで、うつぶせに倒れていた。同署では、転落したとみて詳しく調べている。
2人は登山仲間で15日早朝、家族に「日帰りで登山に行く」と言ってそれぞれの自宅を出発。海川さんの車が宇賀渓登山道入り口近くの駐車場で見つかり、17日朝から捜索していた。宇賀渓周辺には竜ケ岳(1099メートル)などの山がある。
17日の沢初めに行く際、時間が早すぎたので大安町の喫茶店でコーヒーを喫していたら地元の人とママさんが宇賀渓の事故を話題にしていて知った。地元の消防団40名が捜索するとか。帰宅後チエックすると17日中には発見できなかったので18日にも再開されたが以下のニュースの結果になった。
ホタガ谷道は一見したところ深い渓谷ではないが入口から流れと合うまでは相当刻み込まれた悪い谷であり、遡行の困難な谷と聞いている。登山道から転落したと想像されている。2人とも同時に転落したというのは不可解である。
三重の山中で不明の男女死亡
5月18日15時10分配信 産経新聞
18日午前9時15分ごろ、三重県いなべ市大安町の宇賀渓登山道ホタガ谷(標高約450メートル)で愛知県北名古屋市西之保、アルバイト、海川将司さん(67)と同県三好町、無職、長沼八重子さん(56)が倒れているのを捜索中の県山岳連盟会員が発見した。ヘリコプターなどで市内の病院に運ばれたが同日午後1時35分、死亡が確認された。
同暑によると、海川さんらは、登山道から約50メートル下の急峻ながけ下の渓流沿いで、うつぶせに倒れていた。同署では、転落したとみて詳しく調べている。
2人は登山仲間で15日早朝、家族に「日帰りで登山に行く」と言ってそれぞれの自宅を出発。海川さんの車が宇賀渓登山道入り口近くの駐車場で見つかり、17日朝から捜索していた。宇賀渓周辺には竜ケ岳(1099メートル)などの山がある。
庵座谷からの釈迦ヶ岳 ― 2009年05月19日
午前6時、沢初めのためにW君宅に寄る。今日は5人のメンバーだったが雨もあってか2人になった。さすがに雨では昨年のように滝で引き返すことになるので釈迦に転戦を提案した。
名古屋西IC手前にあるコンビニで久々に特大のおにぎりを買う。大きいだけでなく美味いので山飯にはもってこいである。間欠ワイパーを作動させる程度の降雨がある。昨日職場で雨が半日早まった、というので日曜日も半日早くあがることを期待した。このところ考えることが多くて頭に血が上り気味なので登山は全身に血をめぐらすいい運動になる。
いくらなんでも6時出発では早いし、雨上がりも期待して大安町の喫茶店「シャルマン」で珍しくコーヒーを啜ることになった。モーニングもついて丁度いい。ママさんたちが宇賀渓での遭難の話をしていた。15日に入山とか、あの日も天気は良くなかったからあんな悪い日に登山するから、と地元らしい。竜は雨を呼ぶ信仰の山である。
田光から県民の森へ右折し、焼合谷川の橋をわたる。遡行体験があると懐かしい気分がする。朝明への道を右折する。従来の道はまだ橋の架け替えの工事が始まったばかりのようだ。朝明のPに着くが8時過ぎでもう早いとは言えない時間帯であるが一台もない。管理人も不在だ。幸い雨があがった。
8時30分、支度して庵座谷へと向う。小さな尾根を越えると庵座谷の流れを徒渉する。閑散とした工事現場へと行く。中尾根登山口らしい入口がある。地形図でチエックしているとW君の太ももを這い回る奴がいた。ヤマビルだ。かなり大きいぞ。血を吸う前でまだ助かった。上から落ちてきたのか。どんより曇った日は蛭が活躍するので蛭日和と思う。それに花崗岩の地質の山で過去に蛭に合ったことはなかった。その常識はもはや覆された。蛭はどこにでも居るようになった。
赤テープに導かれて進む。大きな堰堤工事中で迂回させられる。本来の山道に戻ると落葉が滑りやすい。登山靴が古くなり、靴底のグリップ力が減ったせいもあろうか。落葉の道は最近では歩かれていないような清潔な感じがした。この道は登山者が少ない所為だろう。
登山道は谷から外れていく。中尾根から南へ下る枝尾根を絡んでやがて浅い谷を歩く。登りきるとまた谷に出会う。急峻な崖の上を伝うと庵座の滝が見えてくる。滝に近づく道はガレて危険な箇所である。滝を見るために谷へ慎重に下る。
右岸に渡るとW君は沢装備なのでそのまま小滝を攀じたが私はロープに依って巻いた。今日は水量が多く見ごたえがある。落ち口付近をじっと見ていると滝の岩を垂れるような水は遅く、その上はやや早く、迸る水が一番早い。やや斜めにあるからだろう。
随分滝を堪能した後は登山道に戻る。やがて二股になり、右をとる。するとシロヤシオの花が咲いている。おや、こんな谷の中にも!と思う。木の近くでしばし休憩する。再び前進すると前方に地図にない2段の滝が見えた。左に巻き道がある。滝上には鉄パイプの堰堤があり、空中には架線が見えた。工事用だろうか。
さらに行くと右の尾根からかすかな踏み跡が続いてきた。谷で合流して上手の二股で右の斜面を急登するようになる。二股の左は猫岳から流れる谷であろう。樹林帯を脱し、ガレた斜面から急に視界が開けた。青岳、ハライドの山なみが新鮮に見える。ここで登山靴をチエックすると靴下が血で汚れ、丸まった蛭が転がり落ちた。しまった!いつしかやられていた。左はどうか、左もやられた。やっぱり今日は蛭日和である。
周囲は万緑。若葉が鮮やか。梯子を上る様な急な道を攀じ登ると釈迦ヶ岳の最高点1099.1mと称した看板が立つピークに着いた。ここからの眺めは一層良い。小数点一位までは三角点の表示である。一体どいう方法で測量したのか。従来は松尾尾根の頭だった。
ともあれここは菰野町山麓から見上げると釈迦の寝姿の鼻に当る。猫岳は下唇だろうか。見上げる位置で微妙に変わる。そう思うしかない。釈迦の慰めか、御在所から雨乞いの山なみが見えた。イブネクラシも見えた。但し、雲海のように山麓は雲で閉ざされている。
周囲はシロヤシオだらけでまだ蕾もある。下界は見えず。そのまま進むと焼合谷遡行から這い上がったガレに着いた。ここも懐かしい。すぐに猫岳分岐で三角点は少し先にあった。ここまで誰にも会わない。そんなはずはない。鈴鹿では余程の場所でも人に会う。こんなポピュラーな山でたとえ悪天とはいえ誰にも会わないなんて不思議。
昼飯の残りを食べるともう下山に取り掛かる。庵座谷の源流までは往路を下る。鉄パイプの堰堤の手前から左の中尾根への踏み跡を辿る。尾根に登ると新しい道標が立つ。本来のコースは松尾尾根に向うようでこのポイントは谷の水でも得たい時か。中尾根を下りにとる。流れ谷と庵座谷に挟まれた尾根だから中々急である。切り株も新しい。シャクナゲの名残の花が咲いている。但し、1本しかない。足元はイワカガミが多い。総じて樹林帯で眺めはないがぽっかり景色の広がるポイントもある。やや暗い中尾根道を歩く。・640mを過ぎるとジグザグしながら広い尾根に下る。ここは素晴らしい。木のベンチまである。やがてすとんと安坐谷の登山口に下った。
再び徒渉してPに戻るが1台だけ仲間が居た。雨は再び小降りとなる。こんな悪天でも登る仲間が居たのだがコース上ではないからジンクスは破れた。三休の湯で汗を流した。ヤマビル用の塩が備えられ、ヤマビルスプレーまで販売中である。増えたのだな。
湯上りの岩清水が美味かったのでペットボトルで汲んで帰ることにした。外に出るとホトトギスが啼いた。今年初である。やっと渡ってきてくれたのだ。はるばる海路をお疲れさんです、彼らこそお湯に入れてあげたい。
お湯を後にして菰野山麓を走った。釈迦の水を湛えた水田が絵のように美しい。植えたばかりである。やがて青田となっていく。美しい日本の風景である。街道に出ると目にも鮮やかな麦畑が美しい。山は晩春、山麓は麦の秋であった。
名古屋西IC手前にあるコンビニで久々に特大のおにぎりを買う。大きいだけでなく美味いので山飯にはもってこいである。間欠ワイパーを作動させる程度の降雨がある。昨日職場で雨が半日早まった、というので日曜日も半日早くあがることを期待した。このところ考えることが多くて頭に血が上り気味なので登山は全身に血をめぐらすいい運動になる。
いくらなんでも6時出発では早いし、雨上がりも期待して大安町の喫茶店「シャルマン」で珍しくコーヒーを啜ることになった。モーニングもついて丁度いい。ママさんたちが宇賀渓での遭難の話をしていた。15日に入山とか、あの日も天気は良くなかったからあんな悪い日に登山するから、と地元らしい。竜は雨を呼ぶ信仰の山である。
田光から県民の森へ右折し、焼合谷川の橋をわたる。遡行体験があると懐かしい気分がする。朝明への道を右折する。従来の道はまだ橋の架け替えの工事が始まったばかりのようだ。朝明のPに着くが8時過ぎでもう早いとは言えない時間帯であるが一台もない。管理人も不在だ。幸い雨があがった。
8時30分、支度して庵座谷へと向う。小さな尾根を越えると庵座谷の流れを徒渉する。閑散とした工事現場へと行く。中尾根登山口らしい入口がある。地形図でチエックしているとW君の太ももを這い回る奴がいた。ヤマビルだ。かなり大きいぞ。血を吸う前でまだ助かった。上から落ちてきたのか。どんより曇った日は蛭が活躍するので蛭日和と思う。それに花崗岩の地質の山で過去に蛭に合ったことはなかった。その常識はもはや覆された。蛭はどこにでも居るようになった。
赤テープに導かれて進む。大きな堰堤工事中で迂回させられる。本来の山道に戻ると落葉が滑りやすい。登山靴が古くなり、靴底のグリップ力が減ったせいもあろうか。落葉の道は最近では歩かれていないような清潔な感じがした。この道は登山者が少ない所為だろう。
登山道は谷から外れていく。中尾根から南へ下る枝尾根を絡んでやがて浅い谷を歩く。登りきるとまた谷に出会う。急峻な崖の上を伝うと庵座の滝が見えてくる。滝に近づく道はガレて危険な箇所である。滝を見るために谷へ慎重に下る。
右岸に渡るとW君は沢装備なのでそのまま小滝を攀じたが私はロープに依って巻いた。今日は水量が多く見ごたえがある。落ち口付近をじっと見ていると滝の岩を垂れるような水は遅く、その上はやや早く、迸る水が一番早い。やや斜めにあるからだろう。
随分滝を堪能した後は登山道に戻る。やがて二股になり、右をとる。するとシロヤシオの花が咲いている。おや、こんな谷の中にも!と思う。木の近くでしばし休憩する。再び前進すると前方に地図にない2段の滝が見えた。左に巻き道がある。滝上には鉄パイプの堰堤があり、空中には架線が見えた。工事用だろうか。
さらに行くと右の尾根からかすかな踏み跡が続いてきた。谷で合流して上手の二股で右の斜面を急登するようになる。二股の左は猫岳から流れる谷であろう。樹林帯を脱し、ガレた斜面から急に視界が開けた。青岳、ハライドの山なみが新鮮に見える。ここで登山靴をチエックすると靴下が血で汚れ、丸まった蛭が転がり落ちた。しまった!いつしかやられていた。左はどうか、左もやられた。やっぱり今日は蛭日和である。
周囲は万緑。若葉が鮮やか。梯子を上る様な急な道を攀じ登ると釈迦ヶ岳の最高点1099.1mと称した看板が立つピークに着いた。ここからの眺めは一層良い。小数点一位までは三角点の表示である。一体どいう方法で測量したのか。従来は松尾尾根の頭だった。
ともあれここは菰野町山麓から見上げると釈迦の寝姿の鼻に当る。猫岳は下唇だろうか。見上げる位置で微妙に変わる。そう思うしかない。釈迦の慰めか、御在所から雨乞いの山なみが見えた。イブネクラシも見えた。但し、雲海のように山麓は雲で閉ざされている。
周囲はシロヤシオだらけでまだ蕾もある。下界は見えず。そのまま進むと焼合谷遡行から這い上がったガレに着いた。ここも懐かしい。すぐに猫岳分岐で三角点は少し先にあった。ここまで誰にも会わない。そんなはずはない。鈴鹿では余程の場所でも人に会う。こんなポピュラーな山でたとえ悪天とはいえ誰にも会わないなんて不思議。
昼飯の残りを食べるともう下山に取り掛かる。庵座谷の源流までは往路を下る。鉄パイプの堰堤の手前から左の中尾根への踏み跡を辿る。尾根に登ると新しい道標が立つ。本来のコースは松尾尾根に向うようでこのポイントは谷の水でも得たい時か。中尾根を下りにとる。流れ谷と庵座谷に挟まれた尾根だから中々急である。切り株も新しい。シャクナゲの名残の花が咲いている。但し、1本しかない。足元はイワカガミが多い。総じて樹林帯で眺めはないがぽっかり景色の広がるポイントもある。やや暗い中尾根道を歩く。・640mを過ぎるとジグザグしながら広い尾根に下る。ここは素晴らしい。木のベンチまである。やがてすとんと安坐谷の登山口に下った。
再び徒渉してPに戻るが1台だけ仲間が居た。雨は再び小降りとなる。こんな悪天でも登る仲間が居たのだがコース上ではないからジンクスは破れた。三休の湯で汗を流した。ヤマビル用の塩が備えられ、ヤマビルスプレーまで販売中である。増えたのだな。
湯上りの岩清水が美味かったのでペットボトルで汲んで帰ることにした。外に出るとホトトギスが啼いた。今年初である。やっと渡ってきてくれたのだ。はるばる海路をお疲れさんです、彼らこそお湯に入れてあげたい。
お湯を後にして菰野山麓を走った。釈迦の水を湛えた水田が絵のように美しい。植えたばかりである。やがて青田となっていく。美しい日本の風景である。街道に出ると目にも鮮やかな麦畑が美しい。山は晩春、山麓は麦の秋であった。
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