継子岳登山ー濁河温泉まで2025年07月19日

7月19〜20日にかけて来月の北アのトレーニング山行として御嶽山の一角にそびえる継子岳の登山を計画した。日和田富士とも言う。昔はあったチャオ御嶽山スキーリゾートも今は廃業で建物は残っているが廃墟と化した。

パッキング2025年07月17日

 7/19から7/21の連休は天気も安定しそうなので噴火以後、近づけなかった御嶽山へ行ってみようか、と思案中である。ヤマップの記録を見ると盛んに登られている。五ノ池小屋も営業している。但し料金は2食付き15000円と非常に高い。日帰りで行こう。
 御嶽山の剣ヶ峰は混むだろうから継子岳が良いかも知れない。すると濁河温泉から登ってチャオ御嶽スキーリゾートへ下山、自転車でクルマに戻ろうか、と計画。天気が悪ければ奥三河の近場の山の沢登りでもやろうか。

疲労回復2024年12月30日

 昨日のスキー行の疲れでぐっすり眠れた。天然温泉のお陰もあって筋肉痛は少ない。好きなことを気の合った仲間同士で楽しんだことでコロナ禍の間に溜まったストレスも解消できた気分がある。
 今日は年内最後のゴミ出しの日。朝8時には起きて可燃ごみと資源ごみビン、缶を出しに出た。管理組合の小屋も12/31から1/6までは施錠するという。不心得者が居るからだ。
 昼間は今年最後の株式相場を見た。386円安の39894円で終わった。それでも年間の終値としては「6430円値上がりした。2年連続で前年を上回り、年末の株価としては、バブル期の1989年に付けた3万8915円を超え、35年ぶりに史上最高値を更新した。」と記事にある。
 夕方には新聞代の集金人が来た。新聞を取ろうか止めようか迷うが取ることにした。夜になってから買い物に出かけた。ついでに喫茶店に寄る。520円に値上げ後は行かなかった。久々に入ったら500円に戻っていた。さすがに高いと見て客足が遠のいたのだろう。

パッキング2024年08月12日

 明日のミニハイキングのパッキングを整えた。暑いのでペットボトルに水を半分強入れて冷凍を4本仕込んだ。明日の朝はこれを取り出してクーラーボックスに入れるとお茶の冷温を保つのに良い。他に足の痙攣に備えてシャクヤクカンゾウトウ、虫除けスプレー、携帯用蚊取り線香、麦わら帽子の少し破れかかった部分をビニールテープで補修した。また下山後の着替えのTシャツ、半ズボン、タオルなども準備した。

道の駅木曽福島で車中泊2024年07月05日

 埼玉県の中古車販売業者のQに実車を見に行くことになった。100万円以上の大きな買い物をするのにインターネット上の写真や情報だけで判断するには心もとない。
 メールでのやり取りで7/6の午後1時に訪問の予定を告げた。片道約400kmあるので覚悟がいる。せっかくだから埼玉県皆野町も訪問したい。俳人金子兜太のふるさとである。インターネットで見ると約350kmある。皆野町から埼玉県の業者まえでは約65kmあるから合計で415kmある。逆算すると前夜発で出発する必要がある。
 午後10時半に出発。スマホのナビは瀬戸市上品野町を経由する。かつて荷馬に塩を載せて運んだ塩の道であり、中馬街道である。山岳道路をひたすら走って恵那でR19号に合流。午前2になり御岳山への入り口の手前にある道の駅で車中泊とした。ここも標高が高い割には少し暑いのでバックドアに棒を挟んで隙間を確保した。幸い蚊は居ないので仮眠は安らかだ。7/6の午前4時に再度出発。

沢始め・旧坂内村の沢を歩く①2024年05月25日

 25日夕方発。奥美濃の山も久しぶりのことだ。旧坂内村の中心地の手前の坂本を左折。白川に沿う県道を走る。かつては揖斐高原スキー場へ走った道である。諸家で新穂谷に行くと新穂峠を越えて近江に行ける。言わば山岳古道であった。通りで路傍に石仏があったはずだ。
 今日はその手前の323m付近で白川をまたぐ橋を渡って殿又林道に入った。
 殿又林道で突然野生のシカが横切る。一応最終的なテンア場を探すために堰堤まで行って見たが少し戻って空き地に幕営。久々にテントで仮眠。

八草駅から猿投山へ縦走2024年01月04日

白山連峰
 電車とバスで山々を跋渉したい。日照時間の短い時期なので猿投山の縦走を企てて見た。三角点「西広見」を経由して物見山に行き、猿投山へ縦走する計画である。
 リニモ終点の八草駅を8時40分ごろ下車。8時50分、身支度して駅から愛工大の南をなぞると椀貸池に着く。日本のあちこちにある椀貸伝説の池である。今は水を抜いて池さらえの最中。俳句歳時記に池普請という冬の季語がある。
 胸形神社への参道を登ると終点に本殿があった。道迷いも含めて約1時間ちょっとかかった。せっかくなので参拝させてもらった。
 右端にトイレがあり、脇から尾根に取り付く。ヤブこぎというほどの密植ではない。尾根の分岐には篤志家の付けたテープがある。あるかないかの踏み跡をたどるとやがて二等三角点「西広見」に着く。瀬戸市と豊田市の市界には破線があり微かな踏み跡が続く。
 里山の常で小さなコブには四方に枝道がありどれにもテープがある。その度にヤマップで方向を確認。しかし時には濃厚なテープにだまされてしまい、下がり過ぎて戻ること2回あった。海上の森からの道と合流するとハイカーに出会った。さすがに海上の森である。高速道路のようにアクセルを踏むだけで何の迷いもなく、快適に移動できる。最初のピークである物見山に登頂。麓や山中で迷ったのでロスタイムがあり予定より1時間遅れになった。
 先が長いので12時に出発。この先の道も昔は難路だった記憶がある。今は快適な高速道路である。猿投方面から続々ハイカーやトレランのランナーが丸腰か軽装で走ってくる。小休止しておにぎり1個とお茶を飲む。赤猿峠がエスケープルート選択の分岐点になる。延々続く稜線の道をたどってようやく赤猿峠に着いた。ここでアンパンを半分、ミルクでエネルギーを補給。時計を見ると15時前なので1時間で着けば日没の16時50分までに猿投神社に下れる。
 13時50分赤猿峠着、14時過ぎ出発。猿投山へは14時45分に着いた。単独のハイカーが一人居ただけだった。冠雪した伊吹山、能郷白山、白山、御嶽山と名峰が並ぶ。カメラに収めるとまた4人組の若者らが来た。入れ替わるように多数のハイカーが遅めの登頂を目指す。東の宮の入り口で15時40分になった。日没を考慮して車道コースを下った。16時53分に日没。猿投神社には17時ジャスト。薄暗い中、結構多くの善男全女が居る。おみくじには行列していた。私も参拝を済ませた。参道にはたこ焼きなどの多数の露店が並ぶ。そこをを通って山門を出た先にバス停がある。17時10分にバス停を見ると17時34分のバスがあった。たこ焼きを食べながら時間を過ごす。バスに乗ると西の空が赤く焼けて見える。名鉄豊田線上豊田南バス停を降りるともう真っ暗だった。道行くおばさんに駅を聴くと今から行くというのでついて行った。いわゆる駅前らしくない田舎駅だった。地下鉄の階段を下りるような感じである。18時11分の上小田井行に乗車すると植田駅までは意外に近かった。

90歳の三浦雄一郎さん、車いす使い富士山登頂「素晴らしい情景は生涯忘れない」2023年09月03日

 プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さん(90)が31日朝、富士山(3776メートル)の登頂を果たした。病気で手足にしびれが残り自力で長い距離を歩けない中、山岳用車いすを使って自身のスキー学校の関係者や家族らに支えられながら達成した。
 登山隊約40人は29日に静岡県富士宮市の富士宮口5合目を出発。7合目と9合目で宿泊し、31日午前7時半頃、山頂に到着した。三浦さんは「何回登っても感動する。孫や仲間たちと見たこの素晴らしい情景は生涯忘れない」と話した。

・・・・・山岳用車いすで仲間に引っ張ってもらって富士山に登った。賛否両論はあるが、ベッドで寝た切りよりはずっと健全です。あやかりたいニュースでした。

熊鈴を注文2023年07月27日

 予備に熊鈴を注文した。塩の道の古道は山里に隣り合うことが多いが、平谷村最奥の靭の奥は人家もなく、熊の生息域と思われる。ので常に熊鈴を鳴らしながら歩く。紛失しやすいのでもう一個持つことにした。

夏の夜や同窓集う暑気払い 拙作2023年07月25日

 大学の同窓会の恒例行事の暑気払いが復活した。地下鉄伏見駅と名駅の中間で堀川沿いのビルの13階だった。美味しい料理とビールで交歓した。Nさんとは富山市で行う山の行事に参加する旨話すことができた。司法書士のY君には協力してもらった相続の仕事が一段落することで謝礼をのべておいた。