美濃の里山・文殊山で忘年会2025年12月07日

 昨日は西三河の遠望峰山、今日は美濃の文殊山と連ちゃんでハイキング。今日は山岳会の年忘れ山行というので山頂の一角で恒例の肉まんあんまんを蒸してくれた。会長が13名分の食材、ガスコンロ、蒸し器などを背負子に荷造りして歩荷してくれた。
 岐阜県の風物を飛山濃水という。飛騨は山の国、美濃は川の国というわけだ。岐阜県のある山屋さんは否飛山濃山だ、と反論していた。なるほど飛騨には高峰が多く低山がないから是とする。
 岐阜県と長野県の奥深くから流れて揖斐川、長良川、木曽川の木曽三川がまるで一つの川にまとまる様に見える。これらの氾濫が濃尾平野になった。木曽三川には濃尾平野との境に口山と呼ばれる低山が数多ある。
 文殊山は口山の一つである。展望台の一角から南を眺めると揖斐川の支流の根尾川の流れと大野地域が俯瞰できる。
 美濃の由来を検索すると「「三つの野」説:大野(揖斐郡大野町)、青野(大垣市青野)、各務野(各務原市)が「三野」を形成し、これが美濃国の一帯を指したとされます。」というので眼下には大野を見おろしている。これが口山ハイキングの良さであろう。
 今日はまたとない冬日和だった。風のない穏やかな一日。口山には珍しい雑木林がふんだんに残されている。山路に堆積する新しい落ち葉を踏みながら冬紅葉をたっぷり楽しんだ。杉の植林の林床には常緑照葉樹林が生えている。伐採して放置して置くと常緑樹の山に戻って行く。これらは黄葉しない。
 並行する隣の山並みは全山杉山だ。ここは何らかの意図があって落葉広葉樹の山に育ててきたと思う。古くはエネルギー源として薪炭林に維持していただろう。そして今は都会に住む一般人が登って楽しめる山にして来たのだ。
 帰路は道の駅織部の里もとすに寄った。そう言えば山中に古田織部の生誕地の石碑があった。名産の富有柿が並んでいたが何時も買うのはお茶葉、ドクダミ茶だ。更に南のぬくい温泉で一風呂浴びた。山仲間との年忘れの一日だった。

遠望峰山から桑谷山へ2025年12月06日

 11/29の岡崎市の帰路、三河湾スカイライン経由で登ろうとしたが日没が迫り、且つ着いた山上のホテルの駐車場の賑わいにモチベーションがだだ下がりになって撤退した。きちんと山路を歩いて登ろうとヤマップで調べた。不動ヶ池公園を起点に幸田町側から周回して見た。
 今日は冬日和で絶好の登山日和になった。名古屋からR23バイパスを辿って東三河へのアクセスは一段と楽になった。
 ナビに指定しておいた貴嶺宮に着く。Pの一角に停めさせてもらう。車道に出ると貴嶺宮の植樹に赤い椿が冬日を浴びて美しい。しばらくはやや傾斜のある車道を歩く。すると水飲み場が整備されている。よほど伏流水が多い山なのだろう。標高250m超の車道の急カーブでよく注意すると踏み跡が奥へと続き、赤テープのマーキングも見えるので車道から離れる。等高線300mの末端に坂野峠の道標が建っている。地元山岳会の活動であろう。ここから蒲郡市と幸田町の境界尾根に取り付く。左は植林、右は常緑樹の混じる雑木林で下にはスカイラインが見える。
 尾根には四角いコンクリートの箱がある。水の流れる音がするので山上ホテルの排水だろうか。上部へ登ると常緑樹の原生林も見えて来る。
 山上に建つ天の丸が近づくと山路は右へやや下り尾根の中心から外れて迂回する。樹林越しにホテルの一角も見えている。天の丸をやり過ごすと等高線がきつくなって落葉で滑りやすい。滑落を注意しながら喘ぐと傾斜が弱まり冬黄葉の見える山頂の一角に着く。
 三差路に着く。左から登って来る天の丸からの登山はセメントで舗装されている。右へ行くと遠望峰山の山頂だった。しかし山名通りとはならず何も展望はない。明治時代はこの辺りに大阪の堂島で行われていた米相場の情報を中継する「旗振り」の岩室があったらしい。ちょっと探ってもそれらしい雰囲気はない。
 お茶を飲んでから展望台へ行ってみた。途中にはやはり常緑樹の大木が残っている。足元には冬苺も群生している。ゆるやかに下るとカヤトの広場で三河湾に開けていた。三河大島が見え、少し右に移動すると渥美半島の田原市の蔵王山から衣笠山も見える。トヨタの田原工場も見える。後ろには椿の大樹の向こうに電波塔が建っている。赤い椿白い椿の花が美しい。
 小春日和でカヤトが微風にそよぐ。ぼーっとするのも良い場所だが先がある。山頂に登り返して天の丸ホテルへの道を辿るが、行き過ぎるのでGPSでチエックすると途中に右の尾根の山路に入る。植林内の道を辿るとスカイラインの三差路に下る。
 しばらくスカイラインを歩いて目印で山路に迂回、最明山は地形図上の遠望峰山という看板のピークを通過。確かに最高点の443mも遠望峰山であるが、地形図の記載は総称としての名称であってピークを命名したものではない。
 またスカイラインに出て、GPSを見ながら桑谷山への入り口を目指す。一番近い接点から斜面を登ると踏み跡に合流した。桑谷山は40年以上前に車で登ってさっさと一等三角点の標石を往復しただけだから山路は歩いていない。若い女性の2人連れとすれ違い、山路を辿ると久々の一等三角点に登頂できた。
 午後3時を回った。冬日はまだ高い。追いかけるように下山路は日の沈む西の方へずっと山道を辿り、最明山のピークを踏んで未舗装の林道に降り立つ。途中で左右に分かれるが左は不動ヶ池公園につながる。右は大井池に下る林道である。急カーブ後の318mの標高点から真西への尾根道に入る。ずっと落葉広葉樹の尾根通しの道を下る。明るい良い道だがフィックスロープのある急斜面もあって滑落しないように注意深くくだった。
 下部では鉄塔巡視路を辿りながら不動ヶ池公園への車道に降りたつとPは近い。午後4時過ぎ、冬日は勢いよく三河湾に落ちて行く。今日の幸田町の日没は16時39分、西側の尾根だからいつまでも明るいとはいえぎりぎりだった。Pには2~3台だけになった。R23で帰名。

三ヶ日町平山からの荒廃した平尾山往復2025年11月22日

 計画では本坂峠の静岡県側にマイカーをデポ。姫街道を峠まで40分歩く。峠からは坊ケ峰を越えて平尾山まで縦走約90分、4等三角点のある中山峠乃至旗振山に登る。①東への尾根を辿って三ヶ日町平山へ下山。②4等三角点から南へ尾根の破線路を辿って三ヶ日町本坂へ下り、マイカーのデポ地へ歩く。の二案を考えていた。
 静岡県へ行く前に嵩山に来たのでR362から左折して姫街道の旧道に寄る。ここには本陣の屋敷がある。姫街道の新しい石標も立っている。
 実際には本坂トンネルを抜けて静岡県に入ると上空は厚い冬雲が北へ流れている。つまり太平洋の湿った空気が北の冷たい空気に混じり雲になったのだ。これでは富士山は見えない。もっと冷えて冬型の気圧配置にならないと富士山は見えないだろう。
 というわけで、平尾山と4等三角点の踏査だけに絞った。一旦はR362を下って左から宇利峠を越えて来たR301と出合うところまで来た。前方にバローが見えたので食料品を買い足した。三ケ日ミカンが豊富に並んでいるので一袋買う。
 店を出て三差路に戻り宇利山川に沿ってR301を走る。途中で平山奥へ行く車道に左折。中山峠の東尾根の末端に来た。周囲はたわわに実った蜜柑山だった。軽自動車も一杯止まっている。標高は110m。その一角に停めさせてもらって蜜柑山の作業道へ入って登る。
 作業道はセメントで舗装されている。見た目以上に急坂ですぐに息が切れる。北東には富幕山がどっしり見えている。地形図の実線の終点で標高200mの等高線の手前に道標が見えた。車道から滑りやすい斜めの道とも言い難い道を登る。蜜柑山側は電線なのでうっかり触れることもできない。
 すぐに左への隙間がある。かつては尾根道があったのに蜜柑山の整地で削られたのであろう。手入れのしていない桧の植林の中の廃道というか荒廃した感じのルートを探りつつ登る。倒木あり、枝も散乱する歩きにくい道である。
 幸い赤テープのマーキングはある。等高線がゆるくなると道もはっきりしてきた。息苦しさも慣れてきて約30分のところで一息入れた。すると人工林の中の尾根にも関わらず大径木が林立する。樹木名は知らないが常緑照葉樹林でブナ科の仲間であろう。母樹として伐らずに残されているのだろう。嵩山の山上にも数多見た樹種だ。
 地形図に実線のある林道と交差した。古い道標が割れて落ちていた。林道を見送ると尾根に取り付くが右へ新たな林道が出来ていた。この林道はすぐに大きく段差が掘ってあり車が通行できないようにしてあった。左の尾根に踏み跡を探すとかすかに続くのが見える。明瞭ではないが何とか歩ける。地形図の中山峠の印刷の「中」に着く。赤テープと薄い踏み跡が北と南に別れるので南に振った。一旦は掘割のような地形の鞍部に降りた。これが本来の中山峠であろう。向こうにも踏み跡が続く。破線路の尾根には赤テープが断続的に見えるので容易に4等三角点にたどり着いた。展望はまったくなし。ここがかつては旗振山と呼ばれた場所だろうか。嵩山の山上からここで旗振りの相場の情報を読み取り、また東の方の中継点へ伝えたという。
 南へはかすかに切り開きもありそうな気がするので下山路に使える。下りきれば三ヶ日町本坂に着く。
 踏み跡を戻るが鞍部から左下へ幅のある山路が下って行く。たどると中山自然歩道と県境縦走路の交差する地点だった。ここも中山峠という。ここから5分県境縦走路を登ると先ほど別れた地点に着く。更に20分で平尾山の山頂だった。13時20分登頂。ここも展望なしで詰まらない山頂だ。13時30分下山開始。分岐点に下って「中」からは元の尾根を下った。
 蜜柑山には多数のミカン狩りの女性らがいた。業者もハサミで切り取りながら積み込んでいた。今がミカンの取入れの最盛期なのだろう。ナビで本坂へ下った。愛知県に戻ってまた国道を帰名した。

本坂峠から富士見岩ハイキング2025年11月18日

 10月3日の坊ケ峰に続いて18日も午後からの所用で新城市へ。午前中をフルに使って先月の心残りの本坂峠から富士見岩の間の部分を歩いた。先月は峠直下の旧トンネルまで車で上がったが今日はR362のトンネル手前にP。しばらく車道を歩くとR362の下をくぐってすぐにトイレがある。ここで左が姫街道、右が嵩山の蛇穴へと行く。
 車道を歩くと行き止まりになるので戻って、山側に続く踏み跡をたどると国の史跡に指定された嵩山(すせ)の蛇穴だった。ここには嵩山自然歩道の道標がある。自然歩道は桧の植林で手入れがされて美しい冬木立になっている。歩いて行くと浅間神社への分岐、姫街道への分岐を見送り、頭浅間の古社のある稜線(豊橋自然歩道)に到達した。途端に強い北風が吹きさらされて寒い。
 ここまでが1時間弱でベンチで休むと冷えるのですぐ南に向けて歩き出す。愛知県側は桧の人工林だが静岡県側の境内周辺は常緑照葉樹林が覆う。この植生は427.2m(4等三角点:本坂峠)を越えてもしばらくは続く。かつて日本列島の西南はこのような植生が占めていた。樹齢の古そうな太い幹も多い。保全されているのだろうか。
 柴田明彦『旗振り山と航空灯台』(ナカニシヤ出版。令和3(2021)年出版)によると米相場の情報伝達の場として嵩山の山上とだけの記載があり、427.2mの本坂峠のピークを推定されている。周囲より20m以上高いのでそうかも知れないが現状は愛知県側は桧の人工林が高く、静岡県側は前述の通り照葉樹の高木が生えている。ただ三角点の先が膝くらいの笹原になっている。そして静岡県側に広い地形は想定通りか。ここ以外に良い場所はない。ここから中山峠の南の旗振山(点名:中山峠。393m)につなげるのは無理がない。
 嵩山町側へのバリルート(破線路)の案内もある。常緑照葉樹林から抜け出すとパッと明るくなり、下り気味に歩いて登り返すと富士見岩だった。南側に回って岩に攀じ登り素晴らしい展望を得た。眼下には三ヶ日町の猪鼻湖、広大な浜名湖は冬の太陽に鈍く照り返し光る海に見えた。山の中の山も良いが海の見える山も良い。
 冬晴れには違いないが遠方は冬霞ではっきりしない。それでも黒っぽい富士山が見えた。まだ雪が少ない。これで一応の目標は達成できた。
 下山時は12時30分。新城市の歴研の会合まで1時間あるが昼食を食べている時間は無さそうだ。ナビを見ると27分とあった。信号が殆どないから早い。途中、次郎柿の露天売り場が続くのでつい一袋買った。200円で6個は入っていた。13時20分に無事会場入りできた。
 会議後、100km先の奥大井の山を予定していたが冬型の気圧配置の影響か冷たい雨がぱらついて中止にした。名古屋への帰途はR23に周ったが刈谷市周辺から大渋滞。東名高速も豊田市周辺が大渋滞だったらしい。R301が良かったかな。R23は刈谷で降りて徳重経由で帰った。

錦秋の勢和国境の山を歩く~気になっていた台高山脈北部の空白を歩く2025年11月08日

 まだ伊勢道も開通していなかった頃、名古屋市から延々R23からR166を走って、50歳の前に高見大峠から高見山に登った。Pから高見山を往復するだけならお散歩程度だったから行ける所まで行ってみようと台高山脈縦走路を南下してみた。するとハッピのタワでちょうど良い時間になった。
 後日台高山脈縦走を企てたが乗って来る人はいないので50歳のGWに体力試験として実施した。この時はマイカーで大又へ行って、大台ケ原へ下山後は近鉄吉野駅から大又までバスを利用した。これで周回できる。
 当日は大又のバス停付近の空き地にデポ。伊勢辻山に向かった。予定通りとは行かなかったが何とか大台ヶ原へはたどり着けた。そして無事マイカーも回収できて帰宅した。
 以来気になっていたのがハッピのタワから伊勢辻山間の空白部分である。2021年11月20日には木梶山をからめて念願の空白部分を埋める山行をしたが木梶林道への入り口が廃道に見えてパスしたために大幅にロスしてしまい、木梶山往復だけになった。だから4年ぶりの台高山脈ということになる。
 名古屋は朝5時過ぎに出発。伊勢湾岸道は東海ICからいせ川越ICまで利用、あとはR23から中勢バイパスで松阪市までスムーズに南下。R166へ入って約65kmの道を走る。
 先回の学習効果で木梶林道のPにはスムーズに着いた。以前は無かった簡易舗装までしてある。先着は4台あった。朝飯、用足しなどで道草を食ったせいで9時40分過ぎに出発。足早に飛ばすがちょうど紅葉、黄葉の盛りで美し過ぎて撮影に忙しく先へ進めない。全山人工林のイメージしかなかったが来る時が良いと素晴らしい景色に当たる。
 ハッピのタワの入り口の標示で谷筋の道に入るが不明瞭で行きつ戻りつしながら短いスパンのジグザグの踏み跡に入る。しかも急峻な斜面である。GPSを見ても忠実には辿れていない。いつしか無意識のうちに破線路のトラバース道を辿る。小さな谷の入り口にハッピのタワへの標示があったのだが見落としてトラバースの道を辿り、倒木でやっとおかしいと気づいた。GPSを見ると外していることが分かって引き返した。約150mのロスだった。
 正しいルートは水の無い谷を辿る。やっとの思いでハッピのタワに着いた。タワは峠の意味であるが見た目には地形的にはたわんでいる。辿り着いてすぐに乗り越すイメージではなく、結構広い。
 さあ、いよいよ空白部分の縦走路の山路を歩く。右は針葉樹林で埋め尽くされた奈良県、左は針葉樹林のはげたところにススキの穂が揺れる。ハンシ山にさしかかるころから黄葉、紅葉した太平洋型の混交林の落葉広葉樹林が目立つようになる。
 国地院の地形図を改めて眺めて見る。すると櫛田川は源流になると木梶川、蓮川に大きく分かれる。その中の木梶川が高見山から木梶山をカバーする。どの源流部もみな落葉広葉樹林の記号で埋まっているではないか。〇の下にバーがある記号。
 蓮川は源流部で菅田川と木屋谷川に分かれて、木梶川源流部の山塊を抱き込んでいる。中央構造線の周辺には変わった地形が多いがそれは別に置く。
 次々に現れてくる紅黄葉を眺めては足を止めて撮影に余念がない。  
 これを古人は錦秋といった。
 今日はうまく当たったのだ。ハンシ山を下って伊勢辻山に登り返すところが正にブナの原生林になっている。大又からの登山道に合流する。ここまでが空白だった。記憶にはないがゆったりした気持ちのいい尾根道が伊勢辻山まで続いた。最後は冬のアセビの群落に阻まれる。何となく過ぎてしまいそうな山頂だった。ここで腰を下ろして休憩する。
 若干のアセビ群落をやり過ごすと急な斜面になりゆっくり遠景を見ながら降りる。一旦は鞍部に下って登り返すと赤ゾレ山の山頂である。その手前に黄葉の美しい木があり撮影に夢中になった。1303mあり今日の最高点になった。ハンシ山、伊勢辻山、赤ゾレ山はともに地形図に三角点も山名もない。ここから南部の山々を眺めた。遥かなる大台ヶ原を目指した自分を思い出す。ツエルトビバーク2泊でたどり着いた。2023年5月1には大台ヶ原山上を正午に出発し、松浦武四郎らが歩いた尾鷲道をツエルトビバーク1泊(マブシ嶺山頂)で尾鷲市県道まで下った。
 これで高見山から尾鷲市県道迄赤線がつながった。予定では木梶山を絡んで下りたかったがこれで満足、且つ出発の遅れで時間切れと判断し、赤ゾレからの尾根を下降。この領域もブナの原生林で尾根はほぼ黄葉で埋め尽くされていた。古びた道標のテープは少ないがブナの疎林なので見通しやすい。源流に下るところが急峻だが約1時間でと渡渉地点に下った。後は林道を歩けばPに着く。県境のすぐ東側にある谷なのですでに日没している。林道歩きの最中、浮遊する虫を見た。これは綿虫だろう。雪虫とも言い、台高山脈にも初雪が近いことの前触れか。
 ハッピのタワの出合いを過ぎて林道を飛ばした。ほとんど平坦で落石や倒木もないから歩き易い。P着くと自分の車だけがあった。先着の登山者らは帰って行った後だった。
 R166へ戻る。飯高の道の駅で少々のお買い物をする。柿が6個400円とお買い得、名産の茶葉、しいたけ、葉に包んだ生菓子など1790円。松阪市に出てからはホルモン焼きの一升瓶で焼肉を食う。2380円。これで秋の一日を堪能できた。また中勢バイパスで帰名。

貧しさを定めに生くるシラヒゲソウ 拙作2025年10月18日

 18日は近場の山へ、と考えたが台風の影響で不順な天候。矢並湿地のシラタマホシクサを見逃したのでシラヒゲソウの御船湿地に行った。開花期の盛りは過ぎていたが若干の花が見られて良かった。
 栽培植物は施肥で作物を育てる。このシラヒゲソウは湿地帯と言う貧栄養の環境でないと生きられない。乾燥化するとライバルの種に負けて消滅する。微妙なバランスの中で保たれている。
 奥へ登ると御船石に到達。その上には三河線の廃線があってちょっとサプライズだった。鉄路も敷設されたままだ。西中金駅と猿投駅間は2004年に廃線。
 足助の街は紅葉期の間は最も賑やかで猿投グリーンロードは大渋滞する。名古屋と足助には直通のアクセスは無いが地下鉄から豊田線梅坪駅乗換で西中金駅まで行けたはずですがバス乗換では利用者は無い。やっぱり足助まで鉄路をのばすべきでした。或いはリニモ八草駅からモノレールを延伸できないかと夢想する。
 狭いのですぐ巡回してしまった。稲武のタカヤド湿地の様子見に行ったが未だ青かった。帰りにはパラパラと雨も降って来た。飲食店に入るためにクルマから降りると座席にマダニが見えた。さては湿地帯でやられたか。廃線から下る際に伐採地を通過した。嫌な予感が当たった。

矢作新報10/17号から2025年10月17日

 四面の右下の御船湿地の記事に注目。10/9から10/12の矢波湿地のシラタマホシクサの見学させる開放期間がうっかり過ぎて観察に行く機会を逸してしまった。入れ替わるように御船湿地のシラヒゲソウの観察を思いついた。

寧比曽岳の自然を求めて2025年08月23日

 今冬から寧比曾岳の登山が続く。今回は怒田沢川の奥の金蔵連峠から登った。予定より20分遅れで峠に着いた。筈ヶ岳までは東海自然歩道を歩く。今日は筈ヶ岳へは登らず、少し下った辺りの西洞林道を椹木谷に下ってみた。
 椹木谷は足助川の支流で山中で右へ分かれている。左の本流が大多賀峠まで通じている。山中で橋を渡って右へ分かれると林道山中線が深くまで通じているが更に奥は安城農林の演習林になって車はゲートで入れない。先月はここまで来ていながら外へ出た途端に虻に襲われて撤退した。今日は上から下って見た。
 西洞は筈ヶ岳の水を集めている。水量はそれほど多くはない。中洞で出合う。中洞は水量も豊富だ。寧比曽岳の源流域には北西面に落葉樹林の森が広がっている。これが真夏でも一定の水量を確保している。
 中洞を橋で渡って、寧比曽岳から西へ延びる尾根の末端の760m付近を横切ると椹木谷の本流に出合う。ここも水量は豊富である。やがて安城農林の建物があり、前を通過すると緩やかな登りになる。本流の右岸は100%人工林、左岸は緑濃い自然林になっている。但し水量はせせらぎ程度で渓相は貧弱に思える。
 標高900m付近まで登ってからジグザグに林道と杣道を辿って大多賀からの東海自然歩道の1020m付近に登った。ここから15分の道標に励まされて登頂。男女3人の先着が居た。13時半ごろなので大半は下山したのだろう。20分ほど休んで下山。右の源流域の落葉樹林の森を眺めながら下る。990m付近に下ると周囲は人工林だけの殺風景な林相になった。
 筈ヶ岳直下の西洞林道出合いまで来て一周できた。後は金蔵連峠まで東海自然歩道をあるく。下山後は神越川に下った。

土地利用の基礎知識の研修2025年08月21日

 今回は過去2回目の受講か。開業当時も受講した記憶はあるがすっかり忘れたので再度受講した。というのも江越国境の音波山に登った後、麓に住んでいる人と話をしたらスキー場が無許可だったことを知った。
 北海道でも無許可で源流域の森林内に建物を建築していた中国人がいた。このところ勝手な開発業者がよくニュースになる。これ以外にも定光寺の境内の森林も無許可で伐採されたこともあった。
 そこで土地利用に関係する法律知識をかじっておこうと受講したわけである。基本的に愛知県はほとんど線引きされていると解説があった。要は無秩序な開発をされると自然が守られない。勝手に道路を造ったり、建物を建てたりと枚挙に暇がない。それを規制する趣旨である。

風越山に登る2025年08月14日

 中津川市から木曽谷へは小雨でしたが上松では徐々に雲があがって晴れそうな天気模様でした。
 R19の萩原から懐かしさもあって東野の山里経由で風越山登山口まで走りました。(上松町は禁止。)枯れ枝、小石はあったが土砂崩れ等の障害はなく無事に通行できた。以前はちょくちょく来たが今は東野の集落は廃屋化が進んでいる感じでちょっと寂しい雰囲気です。
登山口には先着が5台あった。けっこう来ています。
 9時5分前、出発。Aコースはほぼ直線的に等高線の詰まった斜面を急登させられる。落葉樹林の中ではヤマジノホトトギス、フシグロセンノウ、カワラナデシコ等の折々の花が咲いていて癒された。
 御料局三角点と避難小屋もどきの仮小屋が建つ合流点に着くと草地から来るBコースと交わる。眺めも良くなり、木曽谷の様子が見える。御岳山は五合目以上は雲の中でした。
 花はコオニユリ、フジバカマ、アザミが咲いている。風越の頭を越えて鞍部に下ると先行の登山者が何やら撮影中だった。何と木の根っ子の部分にレンゲショウマが咲いていた。群生地は比高200m下ってまた登り返すが今日はここで見られたから山頂だけで良しとした。カニコウモリを見るのも久しい。山頂は樹林の中で何も見えない。展望所もあるが雲が厚いのでパス。パンを食べてBコースを下山した。
 下山後はねざめホテルに寄ったが日帰り入浴は盆休みで営業していなかった。久々に寝覚めの床の越前屋という蕎麦屋に寄った。R19はお盆帰りのクルマで渋滞中。クルマの量が多いだけではなく南木曽町の交通事故も原因か、車輪が外れるくらいの衝撃があったようだ。