梅雨明けへのドラが鳴った2023年07月12日

 雷が鳴った。急に大雨が降ってきてベランダに吹き込んで来た。荒天はいよいよ梅雨が明ける兆しだろう。外は暑いし、中に居ても暑いのっで冷たいものに手が出てしまう。体調が壊れないか留意が必要である。

******************************************
ソース:愛知と三重に熱中症警戒アラート発表 熱中症への対策呼びかけ
https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20230712/3000030429.html

 愛知県と三重県では12日、熱中症の危険性が極めて高くなると予想されています。
 気象台と環境省は熱中症警戒アラートを発表し、熱中症に対するいっそうの対応を求めています。
 外出をなるべく避けることや室内をエアコンなどで涼しくして過ごすこと、運動する場合は医師や看護師を配置するなどの対策を取ったり、涼しい屋内で行ったりするよう呼びかけています。
 日中の最高気温は愛知県では名古屋市で32度、豊橋市で32度、三重県では津市で33度、尾鷲市で34度、四日市市で32度、伊賀市で32度と予想されています。
 環境省が公開している「暑さ指数」も確認し、熱中症を予防する行動を取ってください。
 お年寄りや小さな子どもは特に注意が必要です。
*************************************************
日本気象協会から
 梅雨前線が朝鮮半島から東北地方にのびています。
 東海地方は、曇りまたは雨で、雷を伴って激しく降っている所があります。
 12日の東海地方は、前線や湿った空気の影響で曇りや雨となり、雷を伴って非常に激しく降る所があるでしょう。
 13日の東海地方は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇りや雨となり、雷を伴って非常に激しく降る所がある見込みです。

とうもろこしを茹でる2023年07月13日

 根羽村のミニスーパーで買った4本1080円のとうもろこしのうち2本を塩ゆでした。山で採れたトウモロコシは甘くて美味しい。

通販の本が到着2023年07月14日

 アマゾンで注文してあった本が届いた。平谷村誌で知った吉川英治『隠密七生記』である。湯殿山をどう歩いたのかが知りたくて買った加藤楸邨『芭蕉の山河 おくのほそ道私記』も届いた。

歴研の総会へ2023年07月15日

 今日は午後から開催の歴研の総会へ出席する。三連休の初日で、車の通行量が増えたので少し早めに出て、三好ICから高速に入った。案の定岡崎IC付近でつかまった。
 何とか渋滞を抜け出して豊川ICで出て新城市富岡ふるさと会館へ向かった。周辺は田園地帯で山の庭園のように美しい。12時30分過ぎには着いた。13時30分開催には余裕で臨める。
 総会では新しい役員提案と会計報告があった。会長の交代もあった。その後は14時から設楽原歴史資料館の湯浅氏を招いての講演である。テーマはやはり設楽原合戦における人間ドラマである。16時に解散。
 解散後は治部坂峠に向かう。ナビ任せにしたら豊川左岸を走り、新城市街地を回避してくれた。そして長篠城の手前で右岸に渡ったら鳥居強右衛門の磔のモニュメントを見学できた。それは良いのだが、明日の食料調達を忘れたことに気が付いた。R257のこの先のスーパーは設楽町の田口までない。新城総合公園を経てR151バイパス付近まで戻って買い物を済ませた。
 R151からR257、田口、名倉の大桑から右折して古町高山の南側を走るスーパー林道を経て旧津具村に入った。ナビは行人原から折本峠への旧道を指示する。走ったことはないが結果的に早く越えられた。檜原川沿いに根羽へ。途中ではキャンパーらで賑わうキャンプ場があった。3連休だもんな。
 矢作川の橋を渡って左折すると坂町の中心街に着いた。ここでも煌々と灯りが点いて何やら村のお祭りの雰囲気であった。坂町を右折するとR153へ。道の駅平谷では7時20分頃通過。Pは行楽客で埋まる。温泉を楽しんでいる人も多いだろう。休みたかったがパス。治部坂峠へ。やっと治部坂峠のPへ着いた。8時くらいだった。Pは3台から4台位で閑散としている。端っこに停めてニーモの新品のテントを設営した。封もそのままで慣れないが15分で張れた。食料やシュラフを持ち込んでやっと夕食だ。
 缶酎ハイのロング缶1つですぐに酔いが回りひと眠りした。起きたら12時だった。ここからが長い夜の時間である。おまけに準幹線登路なので結構車が走る音がうるさい。また出入りする車もあるので安眠はできずPを選んだのは失敗だった。
 翌朝起きて峠の登山口の手前に東屋とPがあったことに気が付いた。国道に近いのは同じだが東屋があるのは頼もしい。山やさんしか来ないから安心でもある。

三信塩の道調査行2023年07月16日

 昨日は夜8時に治部坂峠に着いて新しいテントを張ってみた。テント自体は快適だったがいかんせん国道沿いのPでは往来が結構あってうるさい。おまけに大川入山の登山口でもあって未明から到着した登山者のクルマが多かった。こちらもぐっすりとは眠れなかったのである。
 5時に起きて朝ごはん用の弁当を食べてテントを片付けて出発。治部坂峠登山口に自転車をデポする予定だったが、黒雲にすっぽり覆われた山にモチベーションが萎えるので取りやめた。古道調査に切り替えた。とりあえず、アララギスキー場跡でも行って見るかとなった。
 まず下り坂のカーブの橋の手前で林道のような草の道が目に付いた。車を停めて見てみると正しく中馬街道の跡であった。奥まで歩くと阿智村の石碑」「史跡 中馬街道」も建っていた。是が第一の発見だった。帰りがけに入り口を探したが何も目印はない。
 次は深沢の関所跡の破線路と国道との接点を探した。すると2軒の家に挟まれた空き地の奥にやはり「史跡 中馬街道」が建っていた。車で流すだけだと見落とす。階段を下ると橋が架かっていて関所跡に続く道があった。途中で引き返した。
 浪合トンネルをくぐってその先は何も発見はない。寒原峠を左折、恩田川に沿ってしばらくでスキー場に左折。スキー場跡に着いたがかつての駐車場は3箇所あるが物置に再利用、センターハウスの駐車場に入る手前でチエーンがあっては入れなかった。右に林道があるので徒歩で入って見た。登山口まで約400m位なので歩いても良かったが、これだけ閑散とした様子に登山道も荒れているだろう、笹が伸びているだろうと思うとモチベ―ションは上がらず、引き返す。
 とりあえず、中野まで下って大野まで戻る。草刈りの村民に塩の道の情報を聴く。地形図の実線の道まで下って右折。民家を抜けると林道のような地道になった。民家の傍に車を置いて歩いたら早速路傍の石仏が安置されていてここが塩の道と確認できた。更に奥に行くと大沢川と同じ高さになった。地形図通り終点になった。作業小屋が建っている。地図にない木の橋が右岸渡れるように掛かっているが中馬街道かどうかは不明。洪水で消失したものか。
 帰りに899m地点を探ると簡易舗装の道が下っている。下に下ると傍にはミツバチの飼育箱が捨ててある。蜂が飛び回っていたのですぐに退散した。想像では左岸に塩の道があったが二岐の下流の堰堤工事で埋まった可能性が高い。
 日の入峠への道を右に見送り、大沢川沿いの塩の道を行くと大沢集落に着いてすぐに石仏群があった。すぐ下には塩の道の案内板も建っている。中央道の高架橋をくぐって左岸のR153に合流。しかしこの時、阿智川の橋の手前で右折して曽山を走るべきだった。中央道と並行する長い実線が気になる。阿智村役場に着いてUターン。途中では899m地点をチエック。
 R153を治部坂峠まで戻った後平谷村の気になっていた1163mをチエック。徒歩で別荘地を下ってみた。両側に別荘が建っていてほぼ直線の車道が下っている。行きついた際には何と高圧電線の保守路が下からあがってきている。その先へも刈払いが続くが馬の通る道ではない。引き返して峠付近を見てみる。平坦地は一部あるが道らしい連続性がない。
 そこで『平谷村誌』のP347に示された地図を地形図に落とす。1163mの3の部分の沢は峠川とある。治部坂峠への旧道につながる沢は清水沢とある。もう一つ西に栄太沢がある。清水沢と栄太沢に挟まれた緩斜面とはいえ、結構急な別荘地になっている。村誌の記述を読み直すと「まず治部坂峠を南へ越して清水という地籍へ出る。ここから峠川と呼ばれる小川が南へ流れ、この川に沿って中馬街道がある。小下りに曲折した道が峠川の西沿いに現在もところどころ残っている。
 約1k下るとやや平坦な南面した原野がある。ここが「中の土山」で江戸時代から明治六年までは、旅籠とお茶屋のあった所で、この旅籠のことは伊賀良村誌にも記されている。また吉川英治『隠密七生記』の椿茶屋のあった所でもあり、近くの岩の上に二基の馬頭観音の石像があって、中馬時代の面影を残している」
 地図では清水沢とルビがふってあるが実は峠川だった。すると、別荘地から下りきった歩道をもう少し先へ進めば街道の痕跡に出会えたかも知れません。先述したように峠のスノーシェルター近くまで歩いて右へ上がる踏み跡を探して1mほど登った。そこで見た平坦な道形ももっと丁寧に下流まで下れば得られただろう。そして峠川だけは国道の橋の下をくぐって行ける。先には峠道がある。
 一方で栄太沢、清水沢は橋はないからトンネルで水を流しているのか。栄太沢の方は山側に古い橋の痕跡が見えたが、地形図の櫛型の記号で示すように工事で原形を失ったのだろう。
 次の機会には旧国道(廃道)を下って「中の土山」を探りたい。そして別荘地の下部に上がってくる道を下から登って見る。今度は奥まで進み、渡渉して1163mの3を目指して登ればある程度の発見は見込める。
 峠付近の探索後は柳川橋の手前から旧道に右折。Pには湧き水もありテント場に良い。靭へ下り、2軒の旅館の廃屋を撮影しておく。R153へ戻り道の駅へ行って休憩。売店でトウモロコシとトマトを購入。根羽村の信玄塚を拝観。稲武では道の駅パスして、喫茶店で昼食。小田木へ下って痕跡を探すが無し。R153に戻り足助町へ。明川町の舞台などもパスして萩野の旧道を通るが痕跡はない。足助町の資料館によると学芸員に相談して文献3冊を紹介してくれた。その後、牛馬水飲み場や馬頭観音も見れた。街場ではなく右岸側の道があったとは知らなかった。追分からは力石峠を走った。ここは東海自然歩道も通過している。これですべて完了した。

猛暑にぐったり2023年07月17日

 暑い一日で自宅にこもり切りとなった。塩の道の写真の整理に向かったのは夜になってからだ。

すだれの出番遅かりし2023年07月18日

 朝から猛暑。洗濯ものを取り込むと直射日光ががんがん照り付ける。そうだ、眼に入っていても取り付けるのを忘れていた。すだれを取り付けた。厳しい暑さにはエアコンだがこれでも気休めにはなる。昔はエアコンというものは無かった。扇風機からクーラーへ、そして1年中使うエアコンになった。これには電気が要る。石油が暴騰しているから電気代が上がる。節電すると体が参る。ちょっとでも省エネになれと思う。

俳句談義2023年07月19日

 俳句の話で一杯やろうというのでお誘いに乗って知合いの居酒屋へ行った。ところが世間話の方に話が飛んでしまうこと度々で肝心の俳句の奥義にまでは及ばなかった。素より素人に毛の生えた段階故に深まらないのは当然か。それでもあっという間に3時間が過ぎてしまった。何だかまとまりの無い談話に終わったがアルコールが入れば発散する。今度は素面でやることにしたい。

岳連会計相談2023年07月20日

 午後から岳連の法人化に伴う会計の細目の打ち合わせをやった。16時を過ぎてしまった。担当者には会計ソフトを使い倒せ、というしかない。一応、銀行の記帳は絶対に間違いはないので入力画面と照合してもらった。入力ミスがあればその訂正とチエックの方法である。
P プラン
D 実行
C チエック
A アクション
の繰り返しになる。QCの概念もこんな場面で生きる。

業界団体支部で暑気払い2023年07月21日

 夕方から栄都心部の横文字のレストランで久々に暑気払いが行われた。地下鉄伏見駅から徒歩で5分も歩いただろうか。入口が狭いので通り過ぎるところだった。ALLY`S NAGOYAという。何の店か分からない。2Fに上がると、今夜の会費を支払って、客室に入り着席したがまだ誰も見なかった。それでも続々集まりだして立錐の余地がないほどの盛会で終わった。司会者、支部長挨拶、会長挨拶のあと前支部長(女性)が乾杯の音頭を取った。
 同じテーブルには同期入会のIさんも座った。隣席には司法書士、行政書士の兼業の若手、漫画家兼行政書士の異色の人材が同席した。こちらは70歳過ぎの高齢者でもあり大人しく飲んで食べるしか能がない。業務歴は隣の若手が圧倒するからだ。自ずと業務の深いところでの談義となった。難しい仕事が回って来たんですね、と言われたからちゃんと分かっているわけだ。信頼関係の築ける人しか受任しないのでそうなる。
 最初はビールだった。久々にのむビールは美味しい。次は芋焼酎と来た。料理はそんなに種類がでたわけではない。この店は雰囲気で売っているんだろう。訳が分からないほど酔うわけにも行かないからほどほどにして散会となった。