吟詠!三河の杉田久女故地巡礼2011年05月01日

  小原町へ

さながらに芽吹きの国に迷い来し
 
常ならぬ世の里山も笑ふなり

三椏や三河の和紙の小原村

  杉田久女の故地へ

花散りて枝垂るるものは若葉なり

スミレ咲くここぞと自己を示すごと

春深しいにしへ偲ぶ長屋門

満天星の花が見守る句碑と墓碑

手に取りて木偏に風や花楓

行く春や久と宇内の夫婦墓

大欅ひろがる青葉若葉なり

聞くまでは花海棠と知らざりし

水仙と知るゆえ人に語られず

春風や格子戸のある父祖の家

  大福魚苑にて句会

寒がりは春ストーブの傍に座す

蕗味噌にビールが欲しくなりにけり

たらの芽のてんぷらを食ぶ茅屋に

川鱒の刺身のつまのワサビかな

翁草を見に霧訪山へ2011年05月04日

霧訪山の頂上は日本中央分水嶺

頂上のわずかな草地に育つオキナグサ
花が散って白い毛髪に見える。名前の由来かな。


霧訪山2011年05月04日

頂上から見えた蝶ヶ岳と常念岳
頂上から俯瞰した辰野町小野の街。小野神社の例祭で爆竹の煙があがる。



汾陽寺山2011年05月07日

 汾陽寺山へは文字通り、お寺から登った記憶がある。今回は千本桜の公園のPから鉄塔巡視路をへて登った。地形図:岩佐の寺尾ヶ原千本桜の路線名の桜の活字辺りに中電巡視路の案内板が見つかる。登山口が見つかればもう後は登るだけ。
 非常に急な斜面をジグザグに高度を稼ぐと見る見る下界が遠のいて行く。周囲の山肌は新緑の装いにいろどられる。これが「山笑う」風情であろう。やがて枝尾根に入り、尚も急登を喘ぐ。すると寺尾から伸びる北東尾根に合流する。ここからコブをいくつか乗り越すと中電の鉄塔に着く。北への眺望が開けている。低いが立派な山容は相戸岳671mである。その背後には北山、舟伏山、岩岳などが大人しい山容で横たわる。大きな昆虫が飛び交い五月蝿いの退散する。
 山頂へはすぐの一登りだった。三角点の地中に埋まる部分が流されて露出していた。眺望は樹林帯の中でさえない。休み休み登っても約1時間の歩き。それでも下山中に2パーティに会った。
 下ってから根尾東谷川上流に向かった。尾並坂峠を越えて本巣市入り。大須ダムの看板であとは流れに沿う1本道である。昨年購入したあまごの味が忘れられなくて5/8の催事用に買出しに来たのだった。養魚場兼ワサビ畑でキロいくら、尾数でいくら、と勘定した。結局20名に2尾は食べさせたい、という話になり、40尾以上を購入した。
 それでは収まらず、周囲の山菜を許可を得て採らせてもらった。あとは昼食ということになる。折角だからと根尾能郷の源屋で定食を食べた。満腹で2625円也。岩魚の刺身が美味、あまごのフライ、塩焼き2尾、エゴマの味噌を乗せた焼きあまご、小鉢など盛り沢山でした。

ぶな清水を訪ねて-新人歓迎会2011年05月08日

 6時半過ぎ、10名が集い植田駅前を出発。新開通した名二環を大府JCTを経て四日市ICまで走る。快適な高速でした。
 朝明渓谷の朝明山荘で山の会の新人歓迎会となる。8時過ぎ、車を置いて各地から集まった18名の内14名がぶな清水へ向かう。昨年も行ったばかりであるが今日は久しぶりの新入会員を伴いながらのハイキングである。
 遠望すると青岳につながる稜線付近のアカヤシオが綺麗なピンクに彩られている。今日も山笑うの風情であるがもう立夏が過ぎた。今日は母の日であり、夏の季語に切り替わったばかりだ。
 車道から新しく整備された根の平峠の道を辿る。道々の樒の花、アセビの花、山ツツジの花が美しい。青葉にはまだ早く若葉の間をさわやかな風が吹き抜けてゆく。峠の手前を左折して緩やかになったぶな清水へのふみ跡を辿る。
 若葉の雑木林があくまでも美しい。沢沿いの道もよく踏まれている。若干の登りで湧き水のあるぶな清水に着いた。先ほどの無線を持った兄ちゃん風の男が先着していた。
 ここで一休みしたあとすぐに下山した。山荘に戻るとすでにあまごの塩焼きができていた。あまご飯、キャベツのサラダ、山菜のてんぷらなど次々出てくる。何といってもあまごの塩焼きがメインディシュになった。山岳会らしい手作りで野趣に溢れた催事に新人さんたちも感動された。後片付けしながら山荘の清掃も済まして解散となった。

登山家・尾崎隆さんがエベレストで急死!?2011年05月14日

 本日のネット上を含めて日刊各紙が登山家で登山ガイドの尾崎隆さん(三重県亀山市出身 58歳)の死を報じた。中日新聞では日本山岳会の尾上昇会長のコメントも添えた。
 エベレスト登山の最中に不調を訴え下山中の急死だったというが尾上会長は高山病で死ぬような男ではないと断じた。世界的にも知られたアルピニストだった。
 日本山岳会会員だったらしいが最近の名簿にも籍はない。要するに天才的なアルピニストだったのだろう。組織には馴染まず単独か気を許した仲間だけで登山を実践する求道者タイプと思われる。
 面識はないが本を通じて名前だけは知っていた。中公文庫『果てしなき山行』(1986年)を読んだ記憶がある。目次を見ると以下のようにヒマラヤを目指すアルピニストならみなが憧れる山に挑んでいる。33歳で一書を成しているのだからエベレストの山頂付近で死ぬことはこの人らしい死に際だったと思う。
  <目次>
アンナプルナの衝撃
海外の山をめざして
憬れのドリュ・ボナッティ稜
7月のプチジョラス西壁
グランドジョラスはのんびりと
怪峰ムスターグタワーに挑む
友情の山ブロードピーク
恐怖のマッキンリー
チョモランマ北壁登攀
鶴が越える山マナスル
チョゴリ(K2)は夕映え
 フランス人女性と結婚して子供がいると報道で知っていた。一家で外国の登山をテーマに出版されたが最近では亀山で一人暮らしだったと消息を伝える知人のコメントもあった。晩年は登山ガイドで生計を立てていたようだ。
 誰の人生にも果てはある。
 彼の見た夢は登っても登っても果てしなく次々に登高意欲を刺激する高所登山であった。シェルパ以上の体力を自負し、群を抜く登山技術をもってすれば登れない山はなかった。自分本位の面白い登山家人生を送られたと思う。
 尾上昇会長のコメント「山で死ぬことは登山家の宿命」と言った。繰り返すがエベレスト山頂が命の果てだなんて尾崎隆さんらしい。私なら奥美濃の沢の奥で薮に埋もれて果ててしまうのだろうか。みっともなくて何と落差の大きいことだ。

タイヤ交換2011年05月15日

 キャラバンは便利な車である。視座が高く、両脇の車両感覚も把握し易い。たまに乗るプリウスのバックは恐くて仕方ない。セダンタイプを卒業してから20年以上は経過。
 ところが唯一つのネックは年2回のタイヤ交換だ。冬はスタッドレスに交換し春には夏タイヤに履き替える。ベランダに保管してあるがこれが最近は大変重く感じるようになった。4本を換えると冬でも汗が出る。
 今回はタイヤのホイールをアルミ製に更新した。8年前にある量販店で購入したスタッドレスタイヤがホイールのみハイエースの適合品と分かった。ほんのわずか車幅をはみ出すのだ。
 最近はピットをもつカー用品店も厳しくなって少しでも車幅からはみ出すとオイル交換、バッテリー交換もしてくれなくなった。聞くと当局の指導らしい。以前はどんどん宣伝して売っていたくせに掌を返すごとき態度。どこへ行っても断られるので適法なサイズのホイールに一新したわけだ。
 違法を認識して販売したなら損害賠償を請求したいくらいだが当時の伝票などあるわけもなく泣き寝入りだ。どうせ更新するならとおしゃれなアルミ製にした。見た目にはランクアップしているから不思議。
 3.11以来、試みにネットでマイカーの市場価格をチエックすると12万キロも走った車が最高で50万の査定が付いた。ディーラーのセールス氏は査定ゼロだったから中古車市場は品薄で逼迫しているのだろう。更にランクアップするだろう。
 加えて前車の時代に買って継続していたソニー製カーオーディオも更新した。オートチエンジャー付のタイプももう13年経過して液晶画面が全く見えない。それでもソニー製の音質のよさでひっぱって来た。
 今回はカロッツェリアというメーカーである。聞くと若い頃トリオと称していた。トリオのステレオならまだある。もうレコードは過去の遺産だし、針は買えないし、テ-ンテーブルのゴムが働くかどうか。
 前回と同じものはソニーの撤退で不可。実は他のメーカーで売っているが60000円もする。今回は12000円。実に安い。近頃はPCに音楽CDをコピーしてそれをアイポッドマナとかUSBフラッシュメモリにコピーするという説明だった。それならレンタル店で借りてPCに入れても同じである。ものを大事に使うのはいいがその間に私自身は化石人間になっていたのだ。
 アイポッドをネットで調べるともはやシェア50%と世界標準になっていた。ソニーのウォークマンは接続できないがアイポッドは接続できる。自宅で、電車内で聴く携帯音楽のチューナーを車でイヤホンなしで聴けるのだから凄い。ソニーはTV,ビデオでも世界標準になり得なかった。独創的な製品はかえって普及を阻むのだろう。ただ個人的にはソニーの音質は好きである。世界標準の製品だから買うのではなく多分に感覚的な違いである。高くても良い物はいい。

奥美濃・舟伏山の沢2011年05月19日

 5/17の定例会で急遽参加を決めた。自由業は不自由業でもある。しかし、自分の意思次第で決められるのはいい。会社員でも休めるのだが中々休暇の取得は難しかったものだ。
 5/18、朝3時の目覚まし時刻前に起床。気合が入っていたのだろう。W君宅へは4時過ぎに着。ちょっと買い物を済ませて高速へ。美濃ICからR418を経て上大須のダムへと向かう。昨年も同じ時期行った初鹿谷(はじか)への橋を渡る。昨年は朝から小雨の上に初鹿谷林道が途中で土砂崩れで追い返された。今回はリベンジであり、やっぱり沢はじめになる。
 昨年土砂崩れでUターンした廃屋はきれいに撤去されて林道は落石もなくスムーズに通過できた。終点手前では新しく造成された堰堤の道路がとてつもなく大きく高く急なカーブで登っていくので不安だったがエンジンをフル回転して登りきった。雨ならいやらしいところである。
 更に進むと平坦になり、山頂直下から下る沢の合流地は未だ崩壊して土石流の跡が生々しい。6時過ぎに着いたが準備やらカメラを取りに戻ったりで出発は6時40分過ぎになる。
 初鹿谷は平凡でこれといった特色はない。むしろ人間が入った後はかなり散見される。左岸の山道の跡、ペットボトルのゴミの多さなど。それはどうやら地形図にも印刷のある天然記念物の菊花石目当ての入山者のせいとおもわれる。沢には魚影も見当たらない。
 ゴルジュの中の滝はあったがなぜかアルミ梯子があり難なく抜ける。我々は舟伏山に向かうので初鹿谷本流から離れる分岐までも簡単に着いた。時間に余裕があるので三段の滝を見学に往復した。
 右に振っていくと菊花石の印刷のある谷に向かう。これも途中から右へ振って山頂へ登る。ここからも谷は荒れて明らかに山抜けの跡が痛々しいほどだった。困難な箇所はないまま山頂の平坦な一角に登った。
 この谷は石灰岩の地質のせいか植物が豊富だった。シャガは路傍に多いし、木本のヤマブキは珍しくないが草本のヤマブキソウは珍しい。ニリンソウ、イチリンソウの仄かにピンクの色が綺麗だ。他にヒトリシズカ、ハルリンドウ、スミレも見た。それらをW君に撮影してもらった。
 山頂の一角に出てからがRFの難しいところだ。しかし目前に山頂の盛り上がりが見えるのでそこを目指す。バイケイソウの群落、池沼もある。遅くまで雪があっただろう。そんな光景を横目にしながら地形図と首っ引きで高みに向かった。道も踏み跡も無いが薮はないので楽であった。
 やがてフナクボ地形(二重山稜)を経て登山道に合流した。すぐに山頂だった。11時20分着。5時間弱。山頂には平日にも関わらず10名近いハイカーがいて女性はみな山菜(わらび)に忙しそうだ。木の間からは残雪のシマウマ模様の能郷白山が見えた。いつ観ても立派な山である。南の方へは見晴らしがいいが気温の上昇で霞んでいた。
 昼食後休憩して下山する。元のルートを探りながらいくがやや南よりに降ったせいか反対側の谷の源流部に下ってしまった。目で稜線が見えたので修正して北へ下った。
 最初こそニリンソウの群落を踏みつけながら夢のような下降をしたが地形が急になり、尾根も多分谷も急なので行き詰まるところまで下った地点で懸垂Wで2回を実施して谷に下った。
 ところが災難はそれだけでは済まない。荒れた谷をソロソロ下ると新しい堰堤が次々現れてきた。一つ一つをクリアしながら下ると左から水流のある谷と並行した。これは地形図で確認できた。ここからは足場のいい尾根を下った。もういい加減にしてよ、と思う頃見覚えのある荒れた広い河原が見えた。林道終点のある合流地点だった。14時半。
 下山は意外に苦戦したがピッタシの行動であり、沢はじめとしては真摯に懸垂も試みてまずまずの成果は得られた。
 テーブルマウンテン(平頂峰)にかかる沢は急というが実際危険といってもいいほどであった。

山吟!2011年05月20日

何でこの黄金の深き山吹草

道のなき山の中なる一人静

二輪草一輪草も咲きにけり

二輪草薄紅色の頬染めて

春竜胆光を浴びるために咲く

雪残る根尾能郷のお岳山(能郷白山)

頂上やみな腰曲げて蕨採り

業務用ホームページ公開2011年05月21日

 昨年秋とりあえずブログでスタートしてみたが反応なし。地元密着の広告も効果はなく今の時代を考えると本格的なホームページを構築するしかないと判断。そう考えていたところへたまたまプロから売り込みの電話があり、即決で依頼してこのほど開設した。コンテンツはブログを流用したが文字の大きさ、レイアウトなど一段と違いが分かる。
       http://www.nygs-office.com/