吉田悦之『宣長にまねぶー志を貫徹する生き方』を読む2021年06月25日

致知出版社。平成29年刊。

 アマゾンのキャッチコピー
「35年もの歳月をかけ、『古事記伝』44巻を著した知の巨人・本居宣長。幻の書を千年の眠りから目覚めさせた学問的功績は広く知られていますが、本書では、宣長を一人の生活人としても捉え、志を成し遂げるための条件を学びます。
著者は宣長研究40年、本居宣長記念館館長を務める吉田悦之氏。「宣長に学ぶことは尽きることがない」という氏が、膨大な研究資料を丹念に読み込み、その学問的姿勢や、昼間は医師として生計を立てた生活姿勢を浮き彫りにします。
生まれた地や系図を徹底的に調べ上げ、自分の誕生の日まで遡って日記を書く。師・賀茂真淵との千載一遇のチャンスを逃さぬ情報分析など、その歩みには志を成し遂げるための強い意志や工夫が満ち溢れています。
学ぶとは真似ること。本書はその具体的ヒントを示して余りあります。宣長入門としても最適の書。」

 6/19に三度、松坂城址の本居宣長記念館を訪ねた。1度目の見学は12歳のころ、母親に連れられて、まだ街中にあった頃だった。鈴の屋の鈴を振った記憶がある。二度目は奥つ城を訪ねた時に帰路、立ち寄ったと思う。宣長には先祖伝来の墓地の墓と自分が遺言で作らせた奥つ城の2か所ある。三度目が6/19に企画展「もののあはれ」で学芸員による展示物の説明会があるという記事をWEB伊勢新聞で読んで知った。
 あいにく雨の伊勢路ドライブになった。来館者は約10名はいただろう。うち女性は1名だった。過去に来た際、館内を一応は見て回った。だが予備知識や説明もないから見に来ただけで終わった。未消化のままである。今日は学芸員の説明があるという。11時から12時きっかりで早口で展示物の説明を聞き終わった。
 本書はその余韻が買わせたのである。「宣長に関心を持つ人は、間違いなく一流の人である。」と宣長学の泰斗・岩田隆の言葉があとがきに引用されている。

 宣長に関心を持つ人はみな一流である。だが時に全く逆の者の口を借りその真実を伝えることもある。歴史というものは不思議である。

「必ず人を以て言を捨つることなかれ。文章書き様は甚だ乱りなり・・これまた言を以て人を捨つることなからん事を仰ぐ」

・・・書いたもので評価してくれという。
https://aokmas.exblog.jp/9751844/
「宣長の言葉・その意味
9・20
 本居宣長が、自著の『紫文要領』の後書きで、、この著作について、こんなことをいっている。

 年頃、丸が心に思ひ寄りて、此の物語を繰り返し心ひそめて読みつつ考へ出せる所にして、全く師伝の趣にあらず、又諸抄の説と雲泥の相違也。見む人怪しむ事なかれ。よくよく心をつけて物語の本意をあぢわひ、此の草子と引き合せ考へて、丸が言ふ所の是非を定むべし。必ず人をもて言を捨つる事なかれ。かつ文章書きざまはなはだ乱り也。草稿なる故に省みざる故なり。重ねて繕写するを待つべし。これまた言をもて人を捨つることなからんことを仰ぐ。

 独自に心を潜めて読みこむ者の言葉になっている。けれども、いってみれば、言い訳めいていて、余計なことなのだ。その弱さがこっちに共鳴してくるのは、せつない。「師伝の趣にあらず、諸抄の説と雲泥の相違」を読みだしてしまう者は、自説の孤絶さにおどろき、つい心弱くなるのだろう。そしてこれを読む者もまた、「丸が言ふ所の是非を定むべし。必ず人をもて言を捨つる事なかれ」とつづく。書いた者の人柄で判断せず、書かれたものの是非で評価してくれ、と念をおしているのが、オカシイ。やはり昔もまた、人はなかなか「読む」ことをしなかったのである。代わりにその人の噂で、書かれたものを評価していたのだと納得する。

 宣長の論敵、上田秋成は、自分の著作は自分でも杜撰だと思うし、もとより読む人は信ずるはずもないものだといって、だからもう私にバチが当たっているじゃないか、とサインしている。これもまた、ひねりのきいた言い訳だから、こういう自己弁護は、孤独な自立者にとっても、不可避なのだろう。

 大野晋は「私のような名もない人間が言ったからとて、この言葉を捨てないでほしい」と読みとっている。つまり人柄や名声ではなく、書かれたことの是非で評価してほしい、と正しく理解しているにもかかわらず、宣長の学問のリアリテイを、彼の隠れた恋愛体験を掘り起こして、そこで動機づけをしているのは、不審だ。他人から見て、どんなつまらないことでも、動機づけになりうるからである。ましてもっともらしい動機づけほど怪しいものはない。動機は作品そのものに換えることはできないし。理解にもならない。

 やはり書物は書かれたことのリアリテイしか、その価値を保証しない、著者をめぐる噂は、どこまでも作品のナマの言葉にかなわない。つまり宣長のいうとおり、「繰り返し心をひそめて読みつつ、考え出だせる所」しか信ずべきものはない。

 宣長が源氏「物語」も「歌」とおなじく、「歌ノ本体、政治ヲタスクルタメニモアラズ、身ヲオサムル為ニモアラズ、タダ心ニ思フ事ヲイフヨリ外ナシ」といって、文学のような自己表現の本質論を展開したことはよくしられている。

 だが、その「心に思ふ事をいふ」というのは、なんのことなのか。「コレガ歌ノ本然ノヲノヅカラアラハルル所也。スベテ好色ノ事ホド人情ノフカキモノハナキ也」 として「心に思う事」を、恋心・好色に限定したことが、今日まで深い禍根を残している。性的な自意識に限定してしまったのだ。近代個人主義なのである。
 「心に思う事」の普遍的な根は、自分自身の意識をこえたところにある。狭い自意識をはるかに越えた類的なものなのだ。恋心の本源は、男女の恋愛といった、個体間の性的な意識像という近代の共同観念を越えている。なのに、心も歌・物語も、そして『源氏物語』じたいも、近代主義の狭い恋愛観念に閉じこめられてしまった。

 「千人万人ミナ欲スルトコロナルユヘニ、コヒノ歌ハ多キ也」と宣長はいう。政治や道徳よりも好色が「人情」だったからだというのだが、そうではない。「心ニ思フ事をイフヨリ外ナシ」というのは、人類の実存であり、ただたんに歌や物語のことではない。人類史とともに根底的なのだ。人心はすべて自己表出であり、我らは原始・アジア的な、母界幻想をもって「千人万人ミナ欲スルトコロ」としてきた。だからそれが後の時代からみると、恋心の表現のように観念されてきただけなのだ。「恋の歌」には、自己表現すべてがこめられていた。政治や道徳といった観念は、国家やその自己意識ととも古代以後に現れたのだから、それより古くからある心や歌は恋の歌が多い、というだけなのだ。

 だから「恋の歌」というのは、今日いうところの個人どうしの性的な意識をさすのではない。もっと深く広い、【自己】意識以前の自己の表現だった。安息する場に溶けている心や自分、を表していた。「ふるさとになりにし奈良の都にも 色はかはらず花は咲きけり」。人はいざ知らず、花は古里に安息して色も変わらずに咲いている。いま人にとって古里となったところは、花にとって古里ではないことが感じとられている。つまり自分が生きてある場、【母界】そのものなのだ。生命場の像。

 「恋」、「好色」「色欲」などの限定された漢語観念で、性的な「人情」を指そうとすれば、このような前自己の、場に生きる心を意味するところへいきつく。そこでまさしく「歌ハオモフ事ヲ程ヨクイヒ出る物也」になる。そこではじめて「程ヨクイヒ出た」とおもえるものになるのだ。

 「我心ニモ心ハ制シガタキハ世の常なり。されば克己トイフコト昔ヨリナリガタキ事也」という宣長の指摘は、自己意識の土台には、深い心・「母界」像があり、それはとうてい限られた観念的な自己意識で抑止したりできるはずのない、根底的な類的自己なのだという根拠からきている。
「千人万人ミナ欲スルトコロ」は、自己意識や自己抑制をこえた、【母界】にある。そこで花は色も変わらずに咲くことができる。」