奥美濃・倉見山に登る2025年04月05日

 名古屋高速から名神高速一宮ICに入る積りが大渋滞でした。花見シーズンたけなわでどっとお出かけでしたか。名古屋高速の車線にまで溢れていたのでそのまま終点へ行きR22に降りた。R22から一宮木曽川ICからも入れずそのままR156、地方道からR157へ合流、ここはまだ渋滞にはならず。根尾川を左にみながら溝田に来ると真っ白な能郷白山が見えたので思わず写真撮影。うすずみ桜への入り口では誘導員が立ち、出口からは入れさせないように整理していた。6日は見ごろで大渋滞か。
 淡墨桜を過ぎるとガラガラで道の駅「うすずみ桜の里·ねお」に到着。うすずみ温泉は今も休業中。ホテルも休業と寂しい。それでもドライバーはどんどん来る。少し先で左折して上へ行きまた左折すると貯水タンクの施設のP(3台位)とベンチに着く。ここが登山口。
 本巣七名山ということで道標もある。本巣七名山は、本巣市観光協会が能郷白山開山1300年イベントのために選定した。
〇能郷白山
〇雷倉
〇大白木山
〇倉見
〇岩岳
大茂山
〇文殊山
というわけで残りは大茂山のみ残る。
 道標に導かれてネットをくぐり更に植林帯の用水路に沿って歩くと山頂への一本道の入り口に着く。ここからは急登に次ぐ急登を強いられた。溝状になった登山道は落葉で滑りやすく歩きにくい。しばしば脇に反れて登る。標高800m付近から思いがけない残雪が現れた。多分、この付近から尾根の東は植林帯、左は雑木林で且つ北西の季節風の影響で雪が多いのだろう。登山道を部分的に覆っている。ノーマルの登山靴でも踏み抜きはない。山頂手前の850mのコブからは東西とも全面的な雑木林の中の雪の上を歩いた。そんな中に開き始めたマンサクの花が咲いていた。
 やがて山頂へ。三角点は土の上に顔を出してるが80%は雪で覆われる。山頂の端に行くと樹間越しに北西に真っ白な能郷白山が見えた。雷倉は南西の方向に見える。これも大きな山容である。実は雷倉の手前のツルベ岳(1032.3m)の三角点を狙っていた。しかし、減量中で体調不十分なので一ランク落とした。この時期はまだ葉が茂らず樹間越しに何とか見えて良かった。ヤマヒルが出る前に登っておきたい、として登った。1000m未満ながらブナが残り、意外に良かった。残雪期なら岩岳と結んで歩ける。
 下山は転倒転落に注意しながらまっしぐらに下りた。帰路、根尾川谷汲温泉(700円)で一風呂浴びた。体重は72kg台で昨年の今頃から約7kgは減らした。5kgの米袋一つ分余計に背負っていたから昨年は散々だった。後5kg減れば良いペースで登れるようになる。

寧比曽岳のミツマタの花2025年03月30日

 3/20に来たら川面町で通行止め。何だろうと左折して林道を行くと察しがついた。ところどころ杉の幼木が根っこから倒れているので雪害だろう。上八木町、五反田町と迂回、明川町でR153に出た。伊勢神峠から大多賀まで15センチの積雪路だった。いつも賑わうPには1台だけ。大多賀の里人に聞くと大多賀、稲武、設楽辺りの約7000戸が停電中というのであきらめて帰った。今日はその雪辱戦である。
 名古屋市の自宅を出て登山口の大多賀に着いたのは11時。道路脇のスペースに先着者のクルマが止まっているので後に停めた。林道周辺は全山人工植林の山なので何も変化は見られない。美しい谷川を眺めながら歩くと30分で堰堤のある林道終点。三椏はその少し手前にまだ寒いので白っぽくつぼみが見えた。2~3の花だけが黄色い色で咲く。ちょっと早い気がした。
 三椏は昔は和紙の原料としてたくさん栽培されていた。小原町には「和紙のふるさと工芸館」があり今も植えられている。ここのも昔は大規模に栽培されていたものが谷沿いに残ったのだろう。
 ヤマップで山頂に通じる尾根道をチエックすると少し戻ると赤テープで地形図の破線路につながる尾根道に導いている。踏みこんでみると意外によく歩かれて道になっていた。赤テープのマーキングも多くて特に迷うところはない。しかし傾斜は急で下着の背中が汗で濡れる。登るにつれて風も強くなる。正規の登山道に合流し、山頂を目指す。12時半に登頂。いつもは先着者でにぎわうが休んでいる人は居ない。1人だけ無線通信に夢中で取り組んでいた。東屋の陰に隠れて小休憩。おやつをかじる。ちょっと休んで富士見峠へ行く。電波反射板の台地からは恵那山や南アルプスの山々が大きく見えた。2/15に来た際はすべて雪山だったが今日は黒っぽくなっている。
 ここからが未知のルートなので地形図をチエック。登山道ではなく、防火線(帯)という数メートル幅の切り開きの中を下る。切り開きは真北と北東に分かれる。防火線が977mのコブをからめるので右へ振る。防火線はけっこう急な斜面を下ってゆく。977mから真東へ少し行き過ぎて戻る。登山道ではないので真北へ振る分岐はだだっ広く注意が要る。950mの等高線から900mへゆったり下ると沢ノ入林道につながる。ここは三差路なので地形図をチエック。ここからはほぼ一本道の車道歩きで浄水場辺りで舗装路になる。周辺の山の沢が集まってくるので水量も多い。てくてく下ると標高750mの高原の山里の大多賀に着く。
 大多賀には鍬入れを待つ稲田が水をたたえてあった。ここはミネアサヒだろうか。私はいつも山のまぼろし「ミネアサヒ」をストックしている。令和6年産は2kgしか買えなかった。水がきれいで1日の気温較差が大きい中山間地の特産である。
 ここからは県道33号線に戻りPまで若干の登り返しになる。
ちょっと思い出話
 大多賀の里は年間を通じて冷涼な気候と聞く。大昔、名古屋の気温35℃の暑熱に耐えかねて富士見峠の南にあった開拓の農村を訪ねたことがあった。設楽町になる標高900mの農家を訪ねると「まあ上がれ」と招き入れられて何と炬燵に足を入れた。そして小粒のじゃがいもの煮っころがしをいただいた。その後996mの鞍部を経て寧比曽岳を往復した。2回目は段戸湖から寧比曾岳を往復後、996mで下って921mの林道を越えて段戸湖へ下ったこともある。この一帯は冷涼なので段戸湖で貯めて水を温めて水田耕作を試みたらしいがうまく行かなかったのだろう。921m付近の豚舎もすでに廃屋だった。

雪の寧比曾岳2025年02月15日

 雪山に行きたしされど体力はなし。そんな自分にも寧比曽岳なら近場であり登山の時間もかからない。と言うわけで寧比曽岳に行って来た。天気図は西高東低の気圧配置であり北は悪いが愛知県は天気が良い。しかし明日は悪い。
 名古屋を7時前に出た。県道33号線は大多賀峠の手前からアイスバーンになった。4WDのスイッチを入れておく。氷を踏むような音を立てて坂道を登ると大多賀峠のPに着いた。9時半、すでに10台以上の先着があって身支度中だ。今日も賑わうだろう。
 自分も購入して初めてチェーンスパイクを装着、東海自然歩道の階段道を右から少し回り込んで階段上部に合流。後は杉や桧の木立の中の踏み固められた雪道を淡々と歩く。保安林のところは落葉した雑木林になり林床に雪が明るく反射する。小さなコブをアップダウンしながら着実に標高をかせぐ。
 中間ではチェーンソーの音が聞こえてきた。俳句歳時記で冬に伐採作業する人を冬杣と言う。姿は見えないが仕事をしているのだろう。高みに近づくと明るくなり雪に覆われた山頂が見えた。登頂だ。20日間の間を置いただけだが体が重く感じた。
 山頂は樹林がないから大展望である。名古屋方面の巨大ビル群が霞む。天白区の自宅からも夜明けの山であるから視野には入っているはずだ。御嶽山、恵那山、猿投山、寧比曽岳は自宅の窓越しに見える朝な夕なの親しい山々である。
 伊吹山、白山、御嶽山、隣は乗鞍岳、奥穂高岳の吊尾根も見える。恵那山の根張りが大きい。存在感がある。そして南アルプスの巨峰群。寧比曽岳の人気の根源はこの豪華な大展望だろう。
 富士見峠に移動すると御嶽山の並びが良く見える。恵那山は同じだが南アルプスの合間に富士山が垣間見える。大多賀に通じる登山道はないが防火帯が4mから5m幅で下っている。これだけあればスキーでターンが出来そうだ。下部の林道は滑走できないが歩くだけでも良い。
 山頂に戻って下山開始。健脚者には抜かれるばかりだが満足した。Pに戻った。足助の街の手前にある百年草に寄って入浴した。何と300円。後で飲んだコーヒーが美味い。水が良いんだろう。
 寧比曽岳の足助側には渓流魚の養殖場がある。富士見峠の大多賀側には水線が多数あり湧き水もあるようだ。取水して浄水場もあるらしい。
 寧比曾岳の比曽の由来は『地名の語源』に1針葉樹の茂る地。特に桧の生える所。北向きの日当たりの悪い地。中部から東部の瀬戸内に多く分布。例として寧比曾岳も挙げてある。
 今は人工林と雑木林だが明治以前はきららの森と同様に「「きららの森」は、愛知県内最大級の規模を誇る、太平洋型に属するブナの原生林。樹齢200年を超える巨木がそびえたち、モミ・ツガなどの常緑針葉樹に、ブナ・ミズナラなどの落葉広葉樹を交えながら天然林が広がってい」(設楽町HP)たのではないか。森が育んだ伏流水が湧きだしているのであろう。そんな生まれたばかりの水だからコーヒーが美味い。水だけでも美味い。

蛇峠山ファミリーハイキング2024年08月13日

 午前6時50分に尾張旭市のGさん宅に着いた。4歳になる長女Sちゃんは寝起きが悪く泣いている。大荷物を車に積み込んで出発。瀬戸市の市街地を通過して昔の中馬街道を行く。R363を走るだけ走ると恵那市周辺をナビの指示に従うと上矢作町のR418を経由して平谷村だ。R153へ左折すると道の駅でトイレ休憩後治部坂峠へ。ここが登山口だが今日は4歳児と暑いのでズルして馬の背1450mへ車で登った。着くとすぐに虻が飛んできたが1匹だけで済んだ。身支度を整えて出発。
 ゲートの左にある樹林の山路に入る。これの方が直射日光を浴びずに済むからだ。但し風の通りは悪く涼しい感じはない。ゆっくりゆっくり幼児の初山行のペースを探りながら登る。身長がない分大人は一跨ぎの段差でも母親に手を引っ張ってもらって乗り越える。
 30分も登ると車道に出合うので樹林の中で水を飲んだりして休憩。するとすぐに虫が寄ってくる。都会と違い幼児は虫に一々反応するので持ってきた虫除けスプレーを噴霧しておく。
 車道にはホタルブクロの花を見た。マツムシソウの花も見た。すぐに山路に戻る。これを後1回繰り返す。後は車道を歩く。コオニユリの鮮やかなオレンジ色の花に目を引き付けられる。空気のきれいな信州の高原の山だなあと思う。
 電波塔が林立する山頂部に来た。二岐で左へ行くと展望台の草地に着いた。今日はここが山頂である。三角点は割愛した。雲が厚く遠望は利かないが湿気の少ない空気は爽やかだ。
 下山は車道のみを辿った。こっちの方が日陰にならないので花も多い。ウマノアシガタかシナノキンバイか、信州ならではのミニハイキングでした。

美濃・船来山緑陰の小径を歩く2024年06月19日

 朝7時、金山駅前で合流。とはいえ参加者は1名なので2名で出発。たまたま知り合いが信州の山へ行くので集合していた。総勢18名と大勢だった。知り合いも何人かいた。
 高速を乗り継いで、もう1名と瑞穂市役所付近で合流。1台に3名が乗って目指したのは船来山である。標高は116mの超低山ながら2等三角点を置く。道の駅のPに停めて出発。梅雨入りはまだ発表されていないがすでに天候不順は続いている。そんな合間の梅雨晴れの晴天で今日は暑い。
 ヤマップをオンして舗装路から山道に入ると湿り気のあるふわっとした感触が良い。それに里山とはいえ、人工植林ではなく、相当な樹齢の喬木が多い。東海地方の山々は開墾される前はすべてこんな照葉樹林で覆われていたはずだ。以前に登った鶴形山と同様に植生でも保存されたい山である。
 まず最初に見た人工物は次の歌碑だった。

 いかなれば船木の山のもみじ葉の
   秋は 過ぐれどこがれざるらん,

右大弁通俊(後拾遺和歌集)

 何でこんなものがあるのか不思議であった。検索してみたが経緯は良く分からない。違和感があるので、できれば撤去して欲しい。この無雑作なよく言えば多様性のある森の保存に努めるべきで、古代の遺構や遺跡の保存は必要であるが後世の人工的なものは無用である。
 船来山に登頂したが森の中故に展望はない。2等三角点が埋まっている。ということは明治初期の五万図のための測量時代は高い櫓を建てて測量していただろう。
 下り始めるとウォーキングの人に会った。近くに住む人らしい。こんな山が散歩圏にある人がうらやましい。立ち話するとこの辺は私有林とのことで一部舗装路があった。昔は平地は水田で柿のような果樹園は山の斜面にあったのだ。今でも実は成るが肥料をやらないから渋柿化しているだろう。人間も捨てられると甘くは無くなる。
 どんどん下って登り返すと群部山に着いた。ここで引き返すつもりが南端まで歩いてしまった。南端にこそ船木山古墳があった。竹林の中にあったからあやうく開発を逃れたんだろう。先に会った人の話ではD土木が買い占めてゴルフ場を企画したが倒産、別の会社が買いたたいたとか。生臭い話になった。
 歩道を下ってゆくと寺院に出た。山麓の車道を歩き始めると猛暑である。炎天下の道をとぼとぼ歩いた。すると目の前の高速道路の工事現場を通った。東海環状道であろう。郡府山の下をトンネルで抜ける。なんとも無粋な風景だ。
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郡上・水晶山からナカザコを経て縦走2024年04月28日

 登山計画書では
2 行程
名古屋天白自宅5時~高速~美濃IC7:00~R156~母野駅前P8:00
・・・P・・・上河和9:00・・・水晶山12:30・・・ナガザコ三角点13:00・・・尾根通し又は林道歩き約2km・・・馬越峠14:00・・・県道325号約5km~長良川鉄道・大矢駅
大矢駅15:32~長良川鉄道乗車6.3km~15:43母野駅・・・P

 実際は1時間程度早く名古屋を出たので母野駅(はんのえき)に着いたのは7時前。近くの空き地にPして出発したのが7時でした。なので三等三角点州原から山稜歩きに変化の無さに冗長さを感じた。
 水晶山登頂は11時12分はかなり早かった。何となく早足になっていたのだろう。ナガザコは13時登頂でしたが実際は12時30分とここでも30分早い。ところが馬越峠到着は13時57分。ナガザコからの下りが、尾根は岩場が大きなギャップとなっていて、道の無い谷を下った。しかも間伐材を水平に配置してボサを作ろうとしてあった。なので乗り越しに手間取り、これまでの貯金を食いつぶしてしまった。
 県道325号も長いし、暑いしでペースダウンした。大矢駅に着いたのは15時26分ですが列車の発車時刻は15時32分なので5分前となりギリギリだった。しかし、偶然に観光列車に乗れたのはラッキーだった。大矢駅はホームが別々になり、昭和の風景を思う。
 今日は気温が日本各地で30℃と予想されていたように暑かった。このために後半はピッチが鈍った。周回ではなく、縦走の形式で遊んでみた。列車を下山口と登山口で結んで完成させたわけである。前回の大野三山縦走に続く2弾目である。

西濃・本巣駅から雁又山~大谷山下山後揖斐駅へ2024年03月30日

 名古屋駅7時発の電車は区間快速であるが通勤電車並みに混んでいた。行楽シーズン入りしてお客が増えたんだろう。33分で大垣駅着。大垣駅で樽見鉄道に乗り換え本巣駅下車。
 田園地帯の中でのんびりした田舎の風景を歩いた。喫茶店が営業している。2つ目の喫茶店では1日中モーニングサービスありと謳う。3つ目の喫茶店のモーニングサービスが気に成り、入店。朝飯を抜いたので、トースト、サラダ、茶碗蒸し、が美味しかった。30分のロスが出てしまった。
 大野町寺内の西外れの山麓の家並みを抜けて山腹奥深くに歩く。三差路で左は大谷スカイライン、右は金尾滝の案内があり、右へ。舗装路から砂利道に変わり奥まで行くと金尾滝に着いた。ここでも左は滝谷山、右の送電鉄塔の道標に従えば雁又山に行く。どちらも指導票はないので地図での判断である。GPSを見ると右側の道を歩いたから滝谷山への道標は見落としたかも知れない。
 鉄塔巡視路を登り始める。最初の鉄塔は眺めが良い。尾根の切り分けを行くと木に結び付けた布切れ、テープの類が左右にあるから迷わされる。尾根に忠実に行くと滝谷山へ直登するので右のやや下り気味の踏み跡を下る。すると谷にまで下ってしまうが数メートル下ってから横へ行くと再び鉄塔巡視路の道標があった。ここからは浅い水の無い谷の地形をゆっくり登った。すると又明るい尾根に出て、又谷を横切ることを繰り返しながら雁又山の鉄塔に着いた。ここで2人連れに出会った。
 左折してけっこう急な町界尾根を喘いで登ると430mの雁又山だった。三角点はない。新聞で見た展望台があった。ベンチもある。田園風景を見下ろす良い山である。土曜日というのに静寂な雰囲気は意外な気もする。
 自家製の弁当を食う。卵焼きとハムの焼いたもの数切れ。しかし腹筋に負荷をかけているために半分も食べきれなかった。お茶だけはがぶがぶ飲める。
 山頂を後にしてゆっくり下る。350mの鞍部迄下って登り返すと400mの展望丘に着く。北への見晴らしが良い。三角点398、1mは少し下って登り返すとあった。南から遠望すると双耳峰に見えるだろう。ここからは南に少し開けるが見えない。途中にはコブがいくつもありアップダウンする。350mの大谷山に着いたが城跡でもあった。ここからも大野町を俯瞰する展望台が設けられていた。
 大谷山からはやや急な尾根を下った。途中で二岐に分かれるが右は花立峠というのでパスしてしまった。地形図では野村坂としか認識が無かった。ここからは主要道に見える南尾根を下って分岐に着いた。このまま下ると運動公園に行く。間違ったと気が付いた。ハイキングが終わるので大谷スカイライン経由で花立峠に迂回することにした。
 地形図を見ると野村坂の印刷はあるが花立峠はない。しかし立派な花立峠の石碑がある。検索して見ると昔は谷汲山への参詣道だったらしい。揖斐川町へ下ると華厳寺へまっすぐの道だった。時間が迫るので権現山への縦走は牛洞坂で前途中止にした。
 野村山の頂上もパスしてう回路を歩いた。出合いで合流、少し下へ下ってまた別の道と合流するがヘアピンカーブのように右折。そのまま歩くと牛洞坂に降り立った。
 鳥坂から南へまっすぐな車道をひたすら歩くと仲之元でR303と出合う。更に南へ行く。右折すると真西へ三町大橋へ直進。途中で名鉄揖斐線の線路址があった。昔は2001(平成13)年に廃止されるまで終点本揖斐駅があった。他に谷汲線もあった。今朝通過した稲富にも駅があったはずである。マイカーでの参拝が凌駕したわけである。
 揖斐川町、大野町、池田町の三町大橋を渡ると揖斐川をまたぐ。東瀬古、溝口を経て揖斐駅到着。足が棒になるくらい歩いた。18時直前になった。いっぱいやりたかったが駅前には飲食店はなし。
 18時16分に乗車。大垣駅までは上下に跳ねるような乗り心地の養老線の旅でした。

八草駅から猿投山へ縦走2024年01月04日

白山連峰
 電車とバスで山々を跋渉したい。日照時間の短い時期なので猿投山の縦走を企てて見た。三角点「西広見」を経由して物見山に行き、猿投山へ縦走する計画である。
 リニモ終点の八草駅を8時40分ごろ下車。8時50分、身支度して駅から愛工大の南をなぞると椀貸池に着く。日本のあちこちにある椀貸伝説の池である。今は水を抜いて池さらえの最中。俳句歳時記に池普請という冬の季語がある。
 胸形神社への参道を登ると終点に本殿があった。道迷いも含めて約1時間ちょっとかかった。せっかくなので参拝させてもらった。
 右端にトイレがあり、脇から尾根に取り付く。ヤブこぎというほどの密植ではない。尾根の分岐には篤志家の付けたテープがある。あるかないかの踏み跡をたどるとやがて二等三角点「西広見」に着く。瀬戸市と豊田市の市界には破線があり微かな踏み跡が続く。
 里山の常で小さなコブには四方に枝道がありどれにもテープがある。その度にヤマップで方向を確認。しかし時には濃厚なテープにだまされてしまい、下がり過ぎて戻ること2回あった。海上の森からの道と合流するとハイカーに出会った。さすがに海上の森である。高速道路のようにアクセルを踏むだけで何の迷いもなく、快適に移動できる。最初のピークである物見山に登頂。麓や山中で迷ったのでロスタイムがあり予定より1時間遅れになった。
 先が長いので12時に出発。この先の道も昔は難路だった記憶がある。今は快適な高速道路である。猿投方面から続々ハイカーやトレランのランナーが丸腰か軽装で走ってくる。小休止しておにぎり1個とお茶を飲む。赤猿峠がエスケープルート選択の分岐点になる。延々続く稜線の道をたどってようやく赤猿峠に着いた。ここでアンパンを半分、ミルクでエネルギーを補給。時計を見ると15時前なので1時間で着けば日没の16時50分までに猿投神社に下れる。
 13時50分赤猿峠着、14時過ぎ出発。猿投山へは14時45分に着いた。単独のハイカーが一人居ただけだった。冠雪した伊吹山、能郷白山、白山、御嶽山と名峰が並ぶ。カメラに収めるとまた4人組の若者らが来た。入れ替わるように多数のハイカーが遅めの登頂を目指す。東の宮の入り口で15時40分になった。日没を考慮して車道コースを下った。16時53分に日没。猿投神社には17時ジャスト。薄暗い中、結構多くの善男全女が居る。おみくじには行列していた。私も参拝を済ませた。参道にはたこ焼きなどの多数の露店が並ぶ。そこをを通って山門を出た先にバス停がある。17時10分にバス停を見ると17時34分のバスがあった。たこ焼きを食べながら時間を過ごす。バスに乗ると西の空が赤く焼けて見える。名鉄豊田線上豊田南バス停を降りるともう真っ暗だった。道行くおばさんに駅を聴くと今から行くというのでついて行った。いわゆる駅前らしくない田舎駅だった。地下鉄の階段を下りるような感じである。18時11分の上小田井行に乗車すると植田駅までは意外に近かった。

忘年山行2023年12月03日

 忘年山行の企画で参加者12名で実施。継鹿尾山への12時集合の集中登山でした。天気は今一で、少雨決行の通りに少しだけ降った。山頂ではW会長が本格的な蒸し器とガスコンロを持ち上げて肉まんと餡まんを蒸して待っていた。早速熱々の肉まんをいただいた。寒い中では旨いですね。
 天白区の自宅を7時30分に出て8時5分の地下鉄で鶴舞線終点の上小田井駅へ行く。名鉄急行に乗換で犬山駅へ。運賃は510円。犬山駅東口を出て喫茶店で時間調整後出発。平地から丘陵地へ歩いた。富岡前駅からの道を見送り、次の交差点で左折すると坂道に入る。民家の庭先の南天の実が冬日に鈍く輝いて初冬の弱弱しさを見せている。喫茶店の親父が言った通り、冬紅葉、冬黄葉はしっかり色づいている。
舗装された山路は京大霊長類研究所と日本モンキーセンターをなぞるように登ってゆく。公園内の125mの四等三角点に寄った。多くのハイカーはこの公園までマイカーで来て山に登る。ここからだとほとんど登りではない。その為に駅から歩いたわけだ。
 公園を過ぎると尾張パークウェイをまたぐ橋を渡り、すぐに山路に入る。雑木林の中の明瞭な山路である。登山道はかなりな急傾斜になった。露岩が胸骨のように張り出している。これは地学の本によると中生代のチャートという。犬山の地質図によれば栗栖辺りは砂岩・頁岩で周囲はチャートが分布する。足元にはヤマエンゴサクが咲いている。本来は春の花だが暖冬のせいで狂い咲きしているのだ。
 少しばかりで外からギャーギャー鳴き声が聞こえる。これは多分日本モンキーセンターの園舎の猿の鳴き声だろう。高いところに来るとかえってよく聞こえる。
 左からの道と合うと傾斜も緩み、山頂が近い。
 山上は子供たちで大いに賑わっている。ボーイスカウト風な子供も多数いた。母子のハイカーも微笑ましい。聞けば3歳未満で登ってきた幼児がいた。体重が軽いせいか、飛ぶように動き回る。
 我々おじんおばんのグループは一つのテーブルに陣取って蒸し器で蒸された肉まん餡まんをほおばりながらダベリングする。約二時間の滞在でまたそれぞれのルートに散っていった。私は寂光院は行ったことがないので東海自然歩道を下った。この辺りも栗栖と同じ地質なのか、頁岩の露頭が目に付いた。開花期が4月から6月のツツジの花が咲いている。これも帰り花である。
 下るにつれて継鹿尾山は寂光院の山号と分かった。まだ登ってくるハイカーが多数いる。寂光院は多数の参拝客で賑わっていた。紅葉に彩られてなるほど古刹といわれるだけはあると思った。
賑わいの中をすり抜けて木曽川沿いに出て車道を犬山遊園駅まで歩いた。登りは犬山駅から1時間半、下りは1時間20分程度。軽いハイキングでした。
 西に夕暮富士という伊木山が素晴らしい。木曽川のこの辺りを日本ラインと命名し、犬山城を白帝城とたたえたのは岡崎の志賀重昂だった。15版も売った『日本風景論』を著し、日本の若者を登山ブームに導いた偉人である。灯台下暗し、低山ながら楽しい一日でした。

小川路峠へ2023年11月19日

 遠山谷も昨夜は凍て雲が山にまとわりついて寒かったが朝から快晴でした。6時50分に和田の宿を出発。7時30分に清水地区にある秋葉街道登山口を出発。野生のシカの頭蓋骨が落ちていた。人工林の中の道は不明瞭でしばしばRFで渋滞気味になる。それでも石の地蔵があるのでかつての街道には違いない。一旦皆伐してしまうとイバラ、タラなどが繁茂し、いわゆるヤブ道になる。植林すると日陰になって雑草は枯れてしまう。この間に人が歩かないと廃道になる。現在は森林は密植されており、間伐を待っている。道も廃道状態に近い。一旦は林道に上がって横切る。再び人工林の中を登るがやはり不明瞭である。最終的に林道に上がった。1062.8mの三等三角点上村の尾根の先に地蔵などが設置されている。昔は建物でもあった跡である。
 ここから本格的な秋葉街道になった。15番の観音から始まる。しばらくは人工林だが疎林になっただけ、見通しが良く明るくなった。遠くに白い山も見える。観音様の番号が増えることで着実に登っていく実感がある。雪も出てきた。29番を過ぎると山抜けの沢の渡渉が待っていた。かつては桟橋もあったが朽ちている。虎ロープも切れて巻いてあった。リーダーがロープを出して女性らを確保して渡渉した。三点支持の基本技術があれば怖くない。そこから地蔵がずらっと並んだところにきてすぐ先に茶屋址と熊の檻があった。地形図では急な尾根だが九十九折れで優しく登って行ける。
 12時45分にうっすらと雪のある小川路峠に到着した。昼食後、体が冷えない内に1人で13時30分に来た道を引き返す。途中、4回足に痙攣が走った。都度68を飲んで対応した。下山後約2時間の15時25分に林道に着く。太陽は隣の山にかかってすぐに日没しそうだ。帰路は樹林帯は薄暗いので林道を歩き通した。約1時間でクルマのおいてある入口に着いた。
 小川路峠は上久堅からは5回も往復しているが遠山谷側は初見でしたので満足できた。秋葉街道は南西面に付けられているので西日が当たり午後も明るい。林道に下りた地点で3時30分位でしたが日が伊那山脈に沈んだ。山の中は飯田市の日没4時40分よりも1時間以上早い。
 残照があるので4時半までマイカーまでは明るかくヘッデンは点けずに済んだ。
 マイカーで矢筈トンネルを通過、下氏乗から中宮でR256に合流、左折して富士山之神社(スマホのナビの目標)へ向かうと5時20分ちょうど東京組と合流できた。後は飯田駅へ送って別れた。飯田から園原まで地道。20kmほど。中央道園原ICから帰名。2000円。102km。
 名古屋から周回の距離は約380km位でした。山間ドライブは正味150km位。極端なタイトなカーブが多いので山よりもドライブに疲れた。3ヶ月のブランクがあったので足腰が久々に痛んだ。
※すでに完成している矢筈トンネルと青崩トンネルが高規格の道路に生まれ変わると鳳来峡ICにつながる。観光客も増えて秘境のイメージも無くなるかも知れません。