福井平野を走る2021年05月10日

 石徹白の詩碑を去り、下在所からは石徹白川に沿う県道を走った。小屋谷川を合わせると地形が狭隘になる。福井県境に入るとすぐに俵谷が右から合わさる。かつて遡行した谷である。しばらくで廃村小谷堂である。石徹白ダムを過ぎて、ちょっと明るくなると朝日前坂である。ふたたび峡谷の県道を走る。やや広くなると九頭竜湖駅のある朝日に着く。
 道の駅で、舞茸弁当、栃餅などの食料を仕入れた。国道158号になると道は広がるが、九頭竜の名の通り、くねくねとカーブの多い道路なので緊張を強いられる。
 下山から勝原までは荒島岳の山麓をぐるっと巻いて走ってきた。勝原スキー場付近は道路の付け替え工事の最中だ。やっと大野盆地は小雨模様だった。新しい道の駅ができた。先に知人の家を訪ねるが、不在で、あた道の駅に来た。モンベルがこんな山奥に出店するとはおどろいた。今はコロナ禍で家族で楽しめるキャンプ用品が売れているらしい。そこを当て込んで出したのだろうか。
 大野市を後に、R158は越美北線と並行して福井平野に出る。大野市から北へ行くと勝山市で、九頭竜川と並行してR416があり、後の中部縦貫道も大野ICまでは通じていたんだ。
 ナビは平野に出ないで、山沿いに導き、越前市に入る。越前市は蕎麦どころで、その一つである遊亀庵かめやを目指す。意外に辺鄙なところにあったが、Pは満杯だったから人気の店だろう。おろし蕎麦を注文した。少し固めで歯ごたえがある独特の味わいである。
 昨年の5/9には同店から取り寄せて食べてみて旨かったのでリアル店舗に来てみたが成功だった。しばらくはR8を走った後、R365に分かれた。昔の北国街道である。木之本では雨森芳洲庵に立ち寄った。対馬市の墓に行ってきた話をしたら担当者との芳洲談義が弾んだ。もともと2019年の9月に初めて訪ねて知ったのである。長話を断ち切って帰名した。

野伏ヶ岳の捜索は?2021年05月09日

 早朝5時30分に名古屋を出発。石徹白へは8時30分に着いた。高速道路のおかげで早いものである。石徹白は何年振りかで訪れる。アルペンスキー場はウイングヒルズ白鳥リゾートスキー場に名を変えてやっている。石徹白スキー場は閉鎖し、白山スキー場はスノーウェーブパーク白鳥高原スキー場に名が変わった。
 以前との違いは別荘がとても増えたことである。以前に来た際に石徹白川右岸に別荘が並んでいて驚いたものだった。こんな豪雪地帯なので利用できるのは6カ月くらいだろう。
 白山中居神社に着いてみたが、Pには車2台あるのみ。対岸に渡ると品川ナンバーが1台置いてあった。これが行方不明者のマイカーだろうか。他には誰もいない。時折、釣り人らしいのが通りかかる。捜索本部があり、多数の捜索隊をイメージしていたが、これではどうしようもない。
 中居神社の社務所の人に聞くと5/5に一度ヘリコプターは飛んだがすぐに解散してしてしまったらしい。今は山頂への尾根も藪が出ているので、山菜とりと同じで捜索隊の二次遭難を考慮したとも言われた。どこで聞いても同じだと、自信ありげにいう。これではモチベーションが一気にしぼんだ。
 北陸へのドライブに切り替えた。中在所まで戻ると、鮎川信夫への詩碑への案内板があったので見に行った。

     山を想う          鮎川信夫

 帰るところはそこしかない
 自然の風景の始めであり終りである
 ふるさとの山
 父がうまれた村は山中にあり
 母がうまれた町は山にかこまれていて
 峰から昇り尾根に沈む日月

 おーいと呼べば
 精霊の澄んだ答えが返ってくる
 その谺のとどく範囲の明け暮れ
 在りのままに生き
 東洋哲人風の生活が
 現代でも可能であるのかどうか

 時には朝早く釣竿を持ち
 清流をさかのぼって幽谷に魚影を追い
 動かない山懐につつまれて
 残りすくない瞑想の命を楽しむ
 いつかきみが帰るところは
 そこにしかない

 石徹白は父親の出生地らしい。
http://itoshiro.net/map/map0310.html

 詩碑に佇んでいると、ぽつりと冷たいものが降ってきた。今日は雨になるのか。長良川流域では晴れていたが、日本分水嶺を越えると日本海側の気候になり、じめじめと湿った雨が降り、悪いのである。

八曽山を歩く2021年05月03日

 5/2は本州上空に有った低気圧が、東に抜け、5/3は東シナ海の高気圧が、本州をおおってきた。少し寒いが、春の青空が広がるGWの中日になった。そのせいで、大勢の行楽客が入鹿池周辺に集まった。小牧東IC経由の県道49号はやや渋滞気味だった。
 五条川に沿う八曽モミの木キャンプ場への道も周辺も路駐の車で一杯だった。キャンプ場も多分満員と諦めて引き返した。池の喫茶店に入り、スマホで東海自然報道を検索すると、内津峠PAからの道が五条川につながっていた。マイカーを走らせると、リニア送電線の工事中らしい。三差路に路駐して出発。
 後から後からマウンテンバイクの人たちが抜いてゆく。グループや単独もいる。このルートは自転車にはちょうどいい幅がありサイクリストには知られているのだろう。
 五条川に降り立つとすぐに丸山橋を経て、黒平谷橋を渡る。ここは八曽キャンプ場らしい。谷沿いの道から八曽滝に着く。急な尾根を登ると別の尾根道に合流する。後は一本道である。
 頂上直下は大抵は傾斜がきつい。この山も例外ではない。登りきると2等三角点のある八曽山または黒平山(点の記は黒平)である。頂上からは伊吹山の眺めが良かった。濃尾平野の右端に座す金華山も良く見えた。入鹿池の向こうは尾張本宮山、右は尾張富士である。中々の良い眺めに満足する。子供連れの登山客も多かった。
 下り始めると左へ道があるので辿ると、元の道に戻った。この周回道は地形図に表現されている。また一段と下ると二股になり、左へ行ってみた。雑木林と裏白の新緑が美しい小径だ。
 しばらくで分岐に着いた。愛岐県境への道を一ノ門というらしい。八曽山の山頂直下も石垣が築かれていた。何かの建造物、例えば山城か、それなら一ノ門の名称はマッチする。それで一ノ門の小径を歩いた。岐阜県境まで来たがそれらしいものはなかった。そこには防火線と小さな案内看板があった。愛岐県境を南へと歩いた。今は雑木林も新緑で覆われたがつい最近までは見通しがよく御嶽や恵那山、中アなど見えただろう。落葉期に歩く価値はある。
 愛岐県境の防火線は幅1m程度の歩道であるが、地形図では実線なので、軽車道になる。この表現は亀割池付近から始まり、八曽の里キャンプ場の近くで終わる。岐阜県側は東建塩河CCでゴルフ場か、芝生が見えている。
 283mの分岐が明瞭ならば尾根を下る案もあったがそのまま県境をたどった。分れ道で、古い石の道標があった。今井村 左たじみみち、右うつつ道か。すると山岳古道ではないか。ウィキによれば、今井村は犬山市にかつてあった村の名前だった。入鹿池の北に今井の大字として名残りをとどめる。内津峠の下街道とつながる古道であった。良いものを見た。
 再び分れ道になったが、左は明瞭な道だが、尾根から外れる。多分北小木町の神社マークに至るだろう。右の尾根道を取った。落ち葉の堆積する道でほとんど歩かれていないが藪ではない。尾根の地形が無くなると山腹の良い道になり、下から人の声が聞こえてきた。下りきった辺りでは踏み跡も消えて荒れている。赤テープが何本もぶら下がる。しかし、駐車場らしい舗装は見えるが道はないので適当に木につかまって下りた。
 そこは愛知県犬山市の八曽の里キャンプ場だった。古い山里を期待したが残念。地形図の222mの北の三差路を確認した。五条川の流れを渡ると岐阜県だった。愛知県はキャンプ場で行き詰まりと思い、岐阜県側の実線が林道なので歩いてみた。この林道はこのまま行くと愛岐県境の谷間をたどって内津峠付近に行ける。しかし、キャンプ場からは離れる。そこで林道から小さな谷を渡り、更に石が水面に出ている五条川の浅瀬を選んでキャンプ場へ渡渉した。左へ行くと無事、対岸に行ける橋があった。大きく北に蛇行した五条川に沿って林道を歩くが奥もキャンプを楽しむ家族がいた。ここにも八曽山への道標があり、これでつながった。地形図ではつながった実線であるが、実際は壊れた橋があるかに思えたが、廃道みたいな林道の看板に微かに八曽山の字が浮かんでいる。その先は小さな谷に粗末な木の橋が架かっていた。渡って急斜面をよじ登ると立派な林道が伸びていた。
 以前は林道級の橋の残骸でもあればともかく何もないから地形図の間違いである。しばらく歩くと東海自然歩道への入り口に着いた。これで周回は果たせた。後は車まで来た道を戻るだけだ。

奥三河・鷹ノ巣山を歩く2021年04月21日

 鷹ノ巣山の登山口はかつては裏谷がメインだった。新ハイキングの昭和56年4月号に段戸山のガイド紀行があり、それを購入して、すぐ登りに行った。あの時は森林の中の踏み跡程度の道だったと記憶している。人工植林が優勢する山ではあるが、秘境を訪れた感動があった。
 設楽町は今、ダム建設の真っ最中だ。加えて、道路改良も盛んになった。岩古谷山にトンネルが穿たれ、段戸山周辺にも広域農道が延びた。
 私が40年前に未舗装の駒ヶ原宇連林道をノロノロ通行したのもはるか昔になった。広域農道に寸断された駒ヶ原林道にマイカーを置いて、出発。スマホの軌跡を見ながら、澄川橋から返り水林道に入る。
 澄川は760m地点から沢登りしたことがある。水がきれいだった。滝もあり、変化に富む。滝の後は延々続く滑が良い。溯行価値はある。その終了点が澄川橋だ。

http://koyaban.asablo.jp/blog/2019/06/17/9088190

 澄川の滑を横目に見て楽しみながら歩く。登山口らしい 道標を発見し、鹿避けネットを開けて歩き出す。1124mに突き上げる浅い谷沿いに踏み跡が続く。やがて、二股になり、左に振って尾根に上がると、ネット越しに鷹ノ巣山の全貌が見えた。内側は植栽が終わり、外側は皆伐されて殺風景な谷の風景をさらけ出す。登る途中では奥三河一円の大展望が広がる。一見の価値はある。
 1124mに登って左折し、一旦下り登り返すと良い道にあう。この道は急に確りするので振り返って見ると、少し下で白いテープが張ってあり、通行止めの意味だろう。つまり、皆伐の中に行くので踏み跡が不明瞭になるのだ。かつての裏谷ルートは消失したのも同然だろう。
 山頂が近付くに連れて付近だけは自然林が増えて雰囲気が良くなる。イヌブナががあり、赤っぽい木肌の樹木名を忘れたが、そうそう、ヒメシャラも見えた。今時は葉っぱも茂っていないので遠方の白い山も見える。石標は岡崎高校のもの。
 『日本風景論』を書いた岡崎市出身のジャーナリストの草分け的な志賀重昂の歌「三河男児の歌」に段戸山の山名が謳われている。明治政府は薩長人が重んじられて、徳川幕府の一翼を担った愛知県とりわけ三河人は意気消沈していたから激励したのだろう。名古屋帝国大学は日本で一番遅く設立され、医学と工学系しかなかった。
 しばらく休んで引き返し、東への道を下る。作業道路が2段階で寸断しており、赤テープで確認しながら広域農道に着いた。

移動性高気圧2021年04月12日

 仏庫裡の標高は地形図に標高1072.2mとある。山頂でのアネロイドの高度計は935m,ヤマップは1070mと近似値なのは岩岳と同じだが、今日は135mも低く計測するので強い高気圧圏内だ。風も冷たい。
 4/3ごろからのWEBの天気図を連続的に見ると中国大陸の上空にあった高気圧が東へ移動してゆきます。ゴビ砂漠で温められた空気の塊です。典型的な移動性高気圧と言います。
 シベリア高気圧も寒気を伴いますが移動性高気圧は防寒着を着るほど寒くもないから少しは温かいんでしょう。こんな快適な気候も5月中旬辺りまで。

白やピンクの彩り、シデコブシの花が見頃 愛知・田原市の藤七原湿地2021年03月22日

白やピンクの彩り、シデコブシの花が見頃 愛知・田原市の藤七原湿地
https://news.yahoo.co.jp/articles/28c02a61f8c1c70861561ca3ee6e41090706cbcf
 愛知、岐阜、三重県内にしか自生していないといわれるシデコブシが例年より早く、白やピンクの花が咲き始めました。

 シデコブシは例年、3月中旬ごろから花が咲き始めますが、愛知県田原市によると、同市田原町の藤七原湿地(とうしちばらしっち)では今年、春先の気温が高かった影響か、今月4日に咲き始めたということです。

 シデコブシの花は、来月上旬まで楽しめるということで、田原市は開花状況を市のホームページで案内しています。
以上

・・・いよいよ開花したようです。東濃のどこかの山へ見に行こうと思います。
1多治見市虎渓山町 虎渓山のシデコブシ群生地

2ー1瑞浪市大湫633m:開発の手が入っておらず、自然状態のシデコブシが観察できる。

2-2瑞浪市釜戸町「竜吟の森」:シデコブシ自生地。竜吟湖の周囲には移植されたシデコブシやタムシバがある。

3恵那市大根山751mの北麓:標高500~600mのところに自生するシデコブシの群落が見られる。比較的自然に近い状態で生育している。

4中津川市千旦林の岩屋堂シデコブシ群生地:モクレン属の落葉低木性植物であるシデコブシ(Magnoliastellata)は、伊勢湾を取り囲む丘陵帯の限られた地域に分布する地域固有種(東海丘陵要素)で、湿地周辺に生育している。しかし、近年、開発等により自生地の消失や分断化が急速に進み、絶滅危惧種に指定されている。
岐阜県の東濃地方は、「土岐砂礫層」の特性から、湿地群が連続し、これら湿地群を中心にシデコブシが生育し、他の分布域にはみられない大きな分布面積の自生地がある。
この群生地も、周囲の段丘部から染み出した地下水によって形成された湿地で、426本(154株)のシデコブシがあり、東濃地方を代表するシデコブシ自生地となっている。

5土岐市泉町:7,500本の県下随一の群落を形成している。

小笠山ノート③2021年01月14日

小笠山の直下に立っていた案内板
NPO 静岡県自然史博物館ネットワークのホームページから

1.小笠山の地形と地質

 小笠山丘陵は約100万~数10万年前の大井川系礫層を主とする小笠層群(岩井寺累層・小笠山累層)で構成される。小笠山層群の下位にあたる掛川層群の堆積物(約400万~100万年前の海底堆積物)が低営力・静穏な陸棚環境に堆積した砂泥互層や泥層であることと対照的に、小笠山層群の堆積物は礫層を主体とし、高営力・動的なデルタ環境の堆積物である。この小笠層群の堆積開始時における急激な堆積環境の変化の背景には、当時の海水準の変動や東海地方の構造的変動が関わっており、小笠層群の形成は東海地方の地史を語る上で重要な事件のひとつである。

 小笠山丘陵が位置する東海地域は日本列島周辺でもっとも激しく変動している地域の一つであり、東海沖ではフィリピン海プレートが西南日本を含むプレートの下に沈み込んでおり、海底堆積物が次々と付加し、衝上断層を介してのし上げている。赤石山脈の隆起も、相良-掛川地域に分布する相良層群(約1000万~400万年前の海底堆積物)~掛川層群(約400万~100万年前の海底堆積物)に認められる北東-南西方向に軸を持った波曲構造や小笠山面(小笠層群の推定堆積面)に認められるドーム状曲隆もこうした構造運動によるものである。

 小笠層群が西南西から南南西に緩く傾斜するのも、これらの礫層堆積後に北東側が隆起したためで、現在でもその隆起は継続している。掛川層群から小笠層群への堆積環境(堆積システム)の急変も、このような構造的な変動が後背地の隆起、堆積盆の傾動を引き起こした結果といえる。

 なお、小笠山丘陵の地形の特徴として、丘陵斜面の傾斜が北東側で急で、南西側が緩やかなケスタ様地形を示していることにも触れられ、このような地形の成因は、小笠山一帯に西南西~南南西へ緩く傾いて分布する小笠層群(主に礫層)の方が浸食されにくく、丘陵の北東~東方に広がる掛川層群(主に泥層)の方が浸食されやすいために生じたものと説明されました。

2.小笠山の植物

ウバメガシの林(杉野孝雄氏提供) 小笠山の植物は、種子植物1100種以上(1977年)、シダ植物200種以上(1974年)という植物の宝庫であったが、現在ではその多く(約1/3)が失われている。植物相の特徴として、以下のことが挙げられる。

(a) 山地性のアカガシと海岸性のウバメガシが共存している。

(b) 暖地性種子植物が主に分布しているが、分布の限界地に近い種として、ヤマモガシ、キダチニンドウ、トキワガキ、ヤマビワ、ナナミノキ、トラノオスズカケ、ルリミノキなどがある。

(c) シダ植物は暖地性の種類が豊富である。
(d) ヘビノネゴザ、ツヤナシイノデ、キヨタキシダなど、温帯性シダ植物が分布するが、種類、産量ともに少ない。

アカガシの大木(杉野孝雄氏提供)(e) スジヒトツバ、タカサゴキジノオ、リュウビンタイ、タカノハウラボシ、ナチクジャクなど、亜熱帯性シダ植物が分布している(分布の北縁)。

(f) コバノキフジ、コリンモチツツジ、オガサホトトギスなどの矮小植物が分布している。

 なお、参考資料として配布されたリーフレット「小笠山総合運動公園」のなかには、杉野氏ほかが静岡県に提供された「小笠山の自然」(動植物のカラー写真20点)が掲載されており、小笠山周辺の生物相を理解するのに役立ちます(口絵参照)。
以上
 ①②を総合的にまとめた記事になります。小笠山は標高こそ低いが自然史の学習の場として有益な地域でした。今、大井川源流のトンネルの掘削の許可が下りず、工期が延びるとしてJR東海と静岡県がもめています。確かに源流の水脈を断ち切ることになります。するとこの地域の伏流水も減水する可能性はあるでしょう。その影響はまずは微妙な地下水にささえられた自然の植物群落から枯れてゆくことになる。
 伏流水はサイフォンのような流れ方もありうる。例えば、愛知、岐阜、長野の山県境の三国山は池の平という地名があるように標高1100mの山上でありながら湧水があり、牧畜、養鶏が成り立っている。人も住んでいるのだ。地元で聞くと恵那山の湧き水というのである。確かめようがないのだが、富士山だってあちこちに湧水群がある。
 だからリニアトンネルの掘削は慎重を要する。地元民が不安がるのも無理はない。

小笠山ノート②2021年01月13日

小笠山の原始性のある植生
小 笠 山 の現 存 植生 の成 立史 と植 物 相 の考 察
                           杉 野 孝 雄
1.は じめに
 小笠山は遠州南部にあり,東西約14km ,南北約12km,周囲約40km,最高峰264mの丘陵である。北緯約34°40′ から34° 46′ ,東経約137° 55′ から138° 05′ に位置し,西は太 田川,東 と北は逆川 と菊川で境され、南は遠州灘 に達 している。
 地形は山頂から四方にのびる屋根の間は谷を形成 し,多数の小河川lを生ずる。西から南はゆるやかな斜面で乾燥する。東から北は切立つた崖で谷が特に深い。
  地質的には,西から南側は第四紀洪積世に堆積した小笠礫層で構成されている。地層の下位は第二紀鮮新世の掛川層 群で,砂 岩,泥岩からなり,東から北麓にその露頭がみられる。
 ここでは,小笠山の現存植生の成立史 と植物相の特徴を述べ,現存植生について,植物地理学的,生態的考察を加えたい。尚小笠山の自然保護の重要性についても言及したい。

2.現 存植生 の成 立史
 加藤 (1968),土 (1974)に よれば,小 笠 山を構成する下位の地層は,第二紀鮮新世の掛川層群に属する曽我累層,掛川累層,土方泥層である。その上部を覆い、小笠山の大部分を占める小笠礫層は,第 四紀洪積
世 と推定される上半部の河床堆積物と,下半部の河口堆積物からできでいることから,大井り||に よる堆積物が隆起してできた山地 とされている。
 古大井川の河口は,第 四紀洪積世の頃は掛川附 近にあり,遠州半島を盛 り上げた。この半島は次第に東に移動 し,西方の堆積物が隆起し,小笠山を築いた。また,こ の時期には氷河期のおとずれと共に海面が下が り,間氷期には海面が上昇 し,小笠山地域は海から遠 ざかる時期 と,海水に浸蝕 される時期の繰返しがあり,現在の山容が形成 されたとのことである。
 この地殻変動が小笠山の植生に影響を与えたことはもちろんであるが,気候の変動が植生に与える影響をみのがすことはできない。中村 (1952)及 び塚田 (1967)は ,花粉分析の結果から, 日本における年平均気温の変動 と植生の変遷 を推定 している。それによれば,ヴ ユルム氷期の最盛期 (2.5~ 1.5万年前)に は,現在より年平均気温で約 8℃低かつたとしている。このことから,こ の氷期の頃,小笠山一帯はブナのような夏緑樹林で覆われていたと考えられる。
 小笠山の現在の植生が完成 したのはそのあこの気温の変動により,小笠山の植生 は9,500~ 4,500な いし4,000年 前 頃は照葉樹林で覆われていたと思われる。その後,気 温 が寒冷化 したので4,500年 前頃には山地性,ま たは温帯の 植物が侵入 し分布したであろう。小笠山でその頃からの残存植物 と考えられるものには,モミ,アカガシ,ヒカゲツツジ,ツ クパネ,バイカツツジ,ダ イモンジソウなどの種子植物や,温帯性シダのコケシノブ,オ サシダ,ナ ライシダ,ヘビノネコザ,ハ クモウイノデなどが挙げられる。現在の小笠山の植生 を構成 している暖帯性の植物 は,気温の寒冷化 した時代を生きのびた植物や,気温が上昇 したあと侵入 し、勢力を広げた植物 と考えられる。
 小笠山附近の気温が寒冷化 し,温帯性の植物が分布していたことは,亘理 (1951)も 述べていることである。彼は,小笠山に近い菊川流域の菊川町で弥生式住居址や土器 と共に埋木 を採集 したがその中に,照葉樹のシイ,カ シ類 と共に トチノキの埋木が発見 されている。 トチノキは,「寒冷な気候を指示」するものであり,現在は静 岡県 内では北遠地方にみられるが,2,000年前頃には,こ の地域にも生育していたのである。
 気候とは別に,小笠山の植生の成立に及ぼした人為的要因もみのがすことはできない。小 笠山には昔から人が住みつき,古墳 も発見されている。また,た び重なる山火事 も知 られている。西から南に広がるァヵマツ林の成立には,地形,地質が大きな影響を与えているが,人為的要因も特に強 く介在 していることが考えられる。

3.植 物相 の概 要 と特 徴
 小笠山の植物相を概観すると,西 から南側はアカマツ林が発達 し,林床にはコシダ,ウ ラジロの群落がみられる。東から北側は,お もにシイ,カ シ類が繁茂し,林床にはコバノカナフラビ,ホ ソバカナヮラビの群落が発達 している。スギ,ヒ ノキの植林地も多い人家に近い場所は開墾 され,茶畑、みかん畑になつている.
 山頂には,山地性のアカガシ林 と海岸性のウバメガシ林がよく発達 し,ウバメガシの林床にはヒトッバが多いタ イミンタチバナの群落もみられる。ァカマツ,ソ ヨゴ,ヤ マモモ,ヤ マツツジ,モ チツツジ,ミ ツバツツジ,ナ ツハゼ、ネジキも普通である。小笠神社を中心 とする半径 2kmの地域には,集中的にいちじるしく多様の植物が分布する。

ハ,アカガシ林とウバメガシ林
 小 笠 山の植生の特徴 として,山 地性のアカガシの 林と,海 岸性のウバメガシの 林が山頂に極相林として並存 していることがある。
 アカガシ林は山頂の西側にあり,ツ クバネガシ,オ オツクバネガシを混生する。その東側にウバメガシ林が続 く。いずれもよ く発達 した林で、アカガシは奥の院にみられる最も太いもので胸高直径140㎝もある。
ウバメガシは胸高直径80㎝以上の大木が多数みられ、純林を形成 している。
 アカガシ林は,静 岡県内では低地にも分布するが山地によ く発達するもので八高山 (832m ),粟 ヶ岳 (514m ),光 明山 (540m)の 山頂なとに大きな群 落 がみられる一方,ウバメガシ林は海岸にみられ,静岡県
内では伊豆半島の海岸に多い。南伊豆町子浦には,静 岡県の天然記念物に指定 された林もあるが,そ れに匹敵する大木の群落が,海岸から9励離れた小笠山の山頂に発達 している。両者の生育している環境を比べると,ア カガシ林のある西側の基盤は礫岩であるが,小 さな尾根に囲まれた凹地で,腐植土が堆積 し土壌 もやや深 くなつているoウバメガシ林がみられる東側は礫岩が露出する場所で南面する。
 ァカガシは陰樹で,適潤,ま たはやや乾いた肥沃な深層土を好むoウ メバガシは陽樹で乾燥に強レV性質があるので,他の植物が生育できないような海岸の急斜面の岩上でも生育することができる。この生態 の差が,両者が小笠山の山頂で東西にすみ場所 を分け合つて並存する原因になっていると思われる。
 鈴木 (1952)に よると,ウバメガシ林は植生類型 としては硬葉樹林のウバメ型で,そ の成立の限界はラングの雨 量 係数100に ほぼ一致 し,海岸線が冬の季節風に直角に位置する海岸において発達が顕著になる傾向があるという。小笠山のウバメガシの生育地の気温,雨量の記録はないが,隣接する小笠町のラングの雨量係数は132,袋 井市 のそれは98で あり,小笠山の東側より西側の係数が低いoそれにもかかわ らず東側にウバメガシ林が発達するのは、小笠礫岩の保水力が乏しく,ま た,た えず吹きつける風が乾燥 した環境を形成し,冬雨型の極相林であるウバメガシ林を土地的極相林 として夏雨型の小笠山に発達させたと考えられる。
 このことは,ウバメガシ林が南面する季節風の強い側に繁茂 していることからも裏付けられる。


5.自 然保護 の重要性 と対策
 小笠山は植物学的に各方面から興味深い丘陵である。しかも,狭 い範囲に各種の自然保護上貴重な植物がまとまつて生育 している。これらの植物には,山頂のアカガシ林,ウバ メガシ林,全国的に分布が希な植物,アカウキクサ線を分布の限界とする植物の小笠山をタイプ地 として発表された植物,及び豊富なシダ植物等がある。
 小笠山は山塊そのものが植物見本園的な存在であることか ら,全山を自然公園または森林公園 として永 く子孫に残すべ き,最適 の地域である。その際には,環境の破壊 を防 ぐ意味か ら,自 動車道 を通 す こ となく,山 に入 るには歩道のみ とし,永久に小笠山の自然が保護され ることが望まれる。
以上

・・・・小笠山直下にはアカガシの大木があった。この論考を読むと小笠山を代表する樹種なのなのだ。

小笠山ノート①2021年01月12日

登山道の真下の断崖絶壁は小笠層群の露頭
 静岡県袋井市北方可睡丘陵の小笠層群
                       竹 村 恵 二(京 都大学)
 天竜川と大井川 にはさまれた地域(掛川地方)の新第三系は,慎山次郎 をは じめ とす る多 くの研究があ り,第 四系について も土隆 一の一連の研究があ る。
 筆者は1974年 の京大理学部の課題研究として,袋井市北方の可睡(かすい)丘陵を対象として,層 序学的な調査を行い,堆 積環境の時間的変遷の考察と大阪層群との比較 を試みた 。
 調査地域は掛川層群,曽 我層群,小笠層群,段丘堆積物よりなる。掛川,曽我,小笠の三層群は南西へ緩 く傾く単斜構造 をなす。曽我層群は中部に挾まれる凝 灰質層 を鍵層 として下部,中 部,上 部に三分される。それを不整合 におおって,砂 礫 と泥の互層状を呈す小笠層群 がのる。粘土層 を基準に して,小 笠層群を下部よ り一色層,西 之谷層,可 睡 斎層,可睡層,平 宇 層,久 能層,鶴 松層 に七分 した 。
 掛川層群は海成の砂泥 か らな る。その上の曽我層群 は小笠丘陵 では下位か ら上位に向 って泥質 か ら砂礫質への変化が認 め られ,礫 は粒度 のそろった海浜成 円礫であ る。可唾丘陵では最下部に数米の礫層 を持 ち,そ の上位に円礫 まじりの砂層 が堆積 してい る。北西 方へ行 くに従 い礫が優勢 とな り,磐 田原下部は小笠丘陵地域 よ りも河成相 的であ るこ とを示す 。
 可睡丘陵では,曽 我層群 の上位 に礫泥互層状の小笠層群が重なり,全体 として河成相的様相を呈する 。一般に現在の河川 との比較 によ り磐 田原下部は天 竜川系 の河川 によ る堆積であ り,小 笠丘陵 は大井川系の河川 による堆積 であ る とされ る 。そ の間 に位 置 す る可睡丘陵 の小 笠層 群 には 少 量 とは いえ花 歯岩の礫 があ り天 竜川系 河 川 の影響 が及 ん だ もの と考 えられ る 。
 しか し,可 睡丘 陵 の小 笠層 群 は生成 環境 を細 か く吟 味 す る と,海 成 の 部 分が 存 在 した と考 え られ る 。第 一 に,泥 質 部 に サンドパイプのある層 が存在すること。第 二に淘 汰のよい海浜成 円礫の層 が平宇層および可睡斎層に存在することによる 。
 た だ し,一 色層 か らSaxostrea  sp.を 産 した以 外 に海 棲 貝 化石 が産 して いな いの は海成の証拠 としては 不十 分 であ る 。今 回 の 調査 では,可 睡丘 陵 の小 笠層 群 は,河 成 相 を主体 としつつ も,淡 水,汽 水 の 入 りくん だ複 雑な環 境 下 で形成 され た こ とが結 論され る 。
 時代 に関 して は,鮮 新 一更新統 の境 界 は浮遊 性有 孔 虫 化 石 か ら掛 川層 群 中 に求 め られ る(1973加 藤,1972両 角)。 ま た曽我 層群 の貝 化 石 は現 生 種 が90%以 上 で,か つ掛 川層 群 中 の熱帯 要素 が 消 滅 す る ことか ら,曽 我層 群 は更 新世 であ る と され る(土1961)。
 小笠 層 群 に つ い ては,化 石 に よ る資料 が 乏 しい が,可 睡丘 陵 の 西浦 付 近 よ りMetasequoiadisticha Mikiの 産 出が 報 告 され て お り(土ほ か1967),大 阪層 群 のMa3の 時 代 よ り新 し くな い と考 え られ る。現在 花粉 分 析 を行な って お り,よ り細 か い対 比 の可能 性 もでてくるで あ ろ う 。
以上
 WEBの国土地理院の地形図をなんども縮尺拡大するうちに天竜川と大井川の間には6本の中小河川があり、さらに微細な河川が縦横に網羅的に見られた。これはきっと天竜川と大井川の伏流水が関係しているとにらんでググってゆくうちに引用記事を発見した。
 やっぱり遠州半島は基本的に小笠山と高天神山を結んであったのだ。
 その北の逆川は夜泣き石辺りを水源に西へ流れる。「逆川(さかがわ)は、静岡県の主に掛川市を流れる二級河川。 太田川水系原野谷川の支流。 蛇行が激しく、たびたび水害をもたらしてきた暴れ川である。 堤が欠ける(決壊する)ことから「かけがわ」(欠川→掛川)とも呼ばれ、当地域が「掛川」と呼ばれる由縁となったと伝えられている。」のであるが、古くは大井川の流れではなかったかと想像する。
 すると袋井は「市内を流れる原野谷川・宇刈川・沖之川に囲まれた「袋」のような地形に由来するという。」という。池袋なども同じ由来だろう。袋になるのは川の蛇行で沖積平野になるが、水溜まりの部分が流れを失い袋状に取り残される地形だから。
 天竜川の伏流水もあり湿潤な土地ではないか。しかし水稲には良い環境だろう。水が豊か、水稲栽培が盛ん、子孫繁栄を願って遠州三山がこの地に成立したものともうかがえる。するとあの団子の餅も土地柄を反映した名物なのだ。

若狭・庄部谷山を歩く③2020年12月01日

 地元の人は軽トラで山仕事でここまで上がっていた。この方も山や自然が好きで岩魚釣りや山菜取りに入るという。ブナが素晴らしいと言ったらこの方も同意された。仕事と趣味が一致しているのだ。
 それにしても堰堤が多いですね、と黒谷山の東の谷にある砂防堰堤の話をした。
 そこを切り口にブナ林は山の生活史的には、昔は薪炭林だったことでしょう。若木の内に クヌギ、コナラ、ヤマザクラ、エノキなどの伐採を繰り返し、山の地味が痩せるから松を植えたことでしょう。
 炭焼きの山から松山になった。松茸は人間が繰り返し干渉し、地味が痩せた松の木から生える茸である。
 松を切り出した丸太を榑松という。人名にもあるし、鈴鹿山系の竜ヶ岳の南にも石榑峠、霊仙山の登山口の廃村・榑ヶ畑と結構見る地名である。
 その炭、薪、松も戦後の石油の輸入で炊飯、煮炊きの燃料に使わなくなり、炭焼きや薪の切り出しの用が無くなるとくぬぎ類は急成長した。松山は荒れた。慌てて杉や桧を植林したが育ちが悪い。猿投山周辺には多く見られる。山が荒れると大雨で土砂の流出が続き、山崩れで浸食された。土石流は谷川の川底の水位を上げる。もはや沖積平野にはなりえないから砂防堰堤で土砂を貯めることになった。
 それが徹底すると例えば天ノ橋立も砂洲への砂の供給が止まり切れるという事態になる。鳥取砂丘もかつて古代から続いた中国山地のかんな流しで砂鉄を採ったり、和鉄を生産するための大量の炭焼きの原料として伐採された結果、山が荒れたのである。いつしか砂の供給不足で砂丘が減ってゆくのではないか。
 山の人曰く、今のブナ林は山の保水力となって守っているんだな、と理解を示された。そのブナを切って、風力発電の基地にしたらどうなるか。山の人曰はく、北陸は冬春でも雷が鳴り、落ちることがある。と懸念を示された。その上に保水力は減衰する。
 横谷川の下流の新庄は間違いなく、土石流の犠牲になる。山は堰堤だらけになるだろう。今でも小さなダムがあるが大規模なダムも作らないと危ない。
 一基8000万円から2億円もする風車の耐用年数は9年である。耐久消費財なので短期間で利益を出すことになる。採算が合わなければ撤退するだろう。すると残るのは新庄の住民らは自然破壊で災害の恐怖にさらされる。発電企業からの法人税よりも治山治水に使う税金が多ければ社会的には採算割れだ。
 人間の生活史は利用のための自然破壊の歴史である。

 下山後は温泉に入湯したかったが、適当なお湯がないので諦めた。帰路、湧き水があったので汲んだ。またR27沿いにJAのスーパーがあったので魚を買った。若狭湾産には買い気をそそられる。敦賀市まで来るともう雨になった。木之本では小雨、関ヶ原では止んだ。日本海は冬時雨だったのだ。