八草駅から猿投山へ縦走2024年01月04日

白山連峰
 電車とバスで山々を跋渉したい。日照時間の短い時期なので猿投山の縦走を企てて見た。三角点「西広見」を経由して物見山に行き、猿投山へ縦走する計画である。
 リニモ終点の八草駅を8時40分ごろ下車。8時50分、身支度して駅から愛工大の南をなぞると椀貸池に着く。日本のあちこちにある椀貸伝説の池である。今は水を抜いて池さらえの最中。俳句歳時記に池普請という冬の季語がある。
 胸形神社への参道を登ると終点に本殿があった。道迷いも含めて約1時間ちょっとかかった。せっかくなので参拝させてもらった。
 右端にトイレがあり、脇から尾根に取り付く。ヤブこぎというほどの密植ではない。尾根の分岐には篤志家の付けたテープがある。あるかないかの踏み跡をたどるとやがて二等三角点「西広見」に着く。瀬戸市と豊田市の市界には破線があり微かな踏み跡が続く。
 里山の常で小さなコブには四方に枝道がありどれにもテープがある。その度にヤマップで方向を確認。しかし時には濃厚なテープにだまされてしまい、下がり過ぎて戻ること2回あった。海上の森からの道と合流するとハイカーに出会った。さすがに海上の森である。高速道路のようにアクセルを踏むだけで何の迷いもなく、快適に移動できる。最初のピークである物見山に登頂。麓や山中で迷ったのでロスタイムがあり予定より1時間遅れになった。
 先が長いので12時に出発。この先の道も昔は難路だった記憶がある。今は快適な高速道路である。猿投方面から続々ハイカーやトレランのランナーが丸腰か軽装で走ってくる。小休止しておにぎり1個とお茶を飲む。赤猿峠がエスケープルート選択の分岐点になる。延々続く稜線の道をたどってようやく赤猿峠に着いた。ここでアンパンを半分、ミルクでエネルギーを補給。時計を見ると15時前なので1時間で着けば日没の16時50分までに猿投神社に下れる。
 13時50分赤猿峠着、14時過ぎ出発。猿投山へは14時45分に着いた。単独のハイカーが一人居ただけだった。冠雪した伊吹山、能郷白山、白山、御嶽山と名峰が並ぶ。カメラに収めるとまた4人組の若者らが来た。入れ替わるように多数のハイカーが遅めの登頂を目指す。東の宮の入り口で15時40分になった。日没を考慮して車道コースを下った。16時53分に日没。猿投神社には17時ジャスト。薄暗い中、結構多くの善男全女が居る。おみくじには行列していた。私も参拝を済ませた。参道にはたこ焼きなどの多数の露店が並ぶ。そこをを通って山門を出た先にバス停がある。17時10分にバス停を見ると17時34分のバスがあった。たこ焼きを食べながら時間を過ごす。バスに乗ると西の空が赤く焼けて見える。名鉄豊田線上豊田南バス停を降りるともう真っ暗だった。道行くおばさんに駅を聴くと今から行くというのでついて行った。いわゆる駅前らしくない田舎駅だった。地下鉄の階段を下りるような感じである。18時11分の上小田井行に乗車すると植田駅までは意外に近かった。

忘年山行2023年12月03日

 忘年山行の企画で参加者12名で実施。継鹿尾山への12時集合の集中登山でした。天気は今一で、少雨決行の通りに少しだけ降った。山頂ではW会長が本格的な蒸し器とガスコンロを持ち上げて肉まんと餡まんを蒸して待っていた。早速熱々の肉まんをいただいた。寒い中では旨いですね。
 天白区の自宅を7時30分に出て8時5分の地下鉄で鶴舞線終点の上小田井駅へ行く。名鉄急行に乗換で犬山駅へ。運賃は510円。犬山駅東口を出て喫茶店で時間調整後出発。平地から丘陵地へ歩いた。富岡前駅からの道を見送り、次の交差点で左折すると坂道に入る。民家の庭先の南天の実が冬日に鈍く輝いて初冬の弱弱しさを見せている。喫茶店の親父が言った通り、冬紅葉、冬黄葉はしっかり色づいている。
舗装された山路は京大霊長類研究所と日本モンキーセンターをなぞるように登ってゆく。公園内の125mの四等三角点に寄った。多くのハイカーはこの公園までマイカーで来て山に登る。ここからだとほとんど登りではない。その為に駅から歩いたわけだ。
 公園を過ぎると尾張パークウェイをまたぐ橋を渡り、すぐに山路に入る。雑木林の中の明瞭な山路である。登山道はかなりな急傾斜になった。露岩が胸骨のように張り出している。これは地学の本によると中生代のチャートという。犬山の地質図によれば栗栖辺りは砂岩・頁岩で周囲はチャートが分布する。足元にはヤマエンゴサクが咲いている。本来は春の花だが暖冬のせいで狂い咲きしているのだ。
 少しばかりで外からギャーギャー鳴き声が聞こえる。これは多分日本モンキーセンターの園舎の猿の鳴き声だろう。高いところに来るとかえってよく聞こえる。
 左からの道と合うと傾斜も緩み、山頂が近い。
 山上は子供たちで大いに賑わっている。ボーイスカウト風な子供も多数いた。母子のハイカーも微笑ましい。聞けば3歳未満で登ってきた幼児がいた。体重が軽いせいか、飛ぶように動き回る。
 我々おじんおばんのグループは一つのテーブルに陣取って蒸し器で蒸された肉まん餡まんをほおばりながらダベリングする。約二時間の滞在でまたそれぞれのルートに散っていった。私は寂光院は行ったことがないので東海自然歩道を下った。この辺りも栗栖と同じ地質なのか、頁岩の露頭が目に付いた。開花期が4月から6月のツツジの花が咲いている。これも帰り花である。
 下るにつれて継鹿尾山は寂光院の山号と分かった。まだ登ってくるハイカーが多数いる。寂光院は多数の参拝客で賑わっていた。紅葉に彩られてなるほど古刹といわれるだけはあると思った。
賑わいの中をすり抜けて木曽川沿いに出て車道を犬山遊園駅まで歩いた。登りは犬山駅から1時間半、下りは1時間20分程度。軽いハイキングでした。
 西に夕暮富士という伊木山が素晴らしい。木曽川のこの辺りを日本ラインと命名し、犬山城を白帝城とたたえたのは岡崎の志賀重昂だった。15版も売った『日本風景論』を著し、日本の若者を登山ブームに導いた偉人である。灯台下暗し、低山ながら楽しい一日でした。

小川路峠へ2023年11月19日

 遠山谷も昨夜は凍て雲が山にまとわりついて寒かったが朝から快晴でした。6時50分に和田の宿を出発。7時30分に清水地区にある秋葉街道登山口を出発。野生のシカの頭蓋骨が落ちていた。人工林の中の道は不明瞭でしばしばRFで渋滞気味になる。それでも石の地蔵があるのでかつての街道には違いない。一旦皆伐してしまうとイバラ、タラなどが繁茂し、いわゆるヤブ道になる。植林すると日陰になって雑草は枯れてしまう。この間に人が歩かないと廃道になる。現在は森林は密植されており、間伐を待っている。道も廃道状態に近い。一旦は林道に上がって横切る。再び人工林の中を登るがやはり不明瞭である。最終的に林道に上がった。1062.8mの三等三角点上村の尾根の先に地蔵などが設置されている。昔は建物でもあった跡である。
 ここから本格的な秋葉街道になった。15番の観音から始まる。しばらくは人工林だが疎林になっただけ、見通しが良く明るくなった。遠くに白い山も見える。観音様の番号が増えることで着実に登っていく実感がある。雪も出てきた。29番を過ぎると山抜けの沢の渡渉が待っていた。かつては桟橋もあったが朽ちている。虎ロープも切れて巻いてあった。リーダーがロープを出して女性らを確保して渡渉した。三点支持の基本技術があれば怖くない。そこから地蔵がずらっと並んだところにきてすぐ先に茶屋址と熊の檻があった。地形図では急な尾根だが九十九折れで優しく登って行ける。
 12時45分にうっすらと雪のある小川路峠に到着した。昼食後、体が冷えない内に1人で13時30分に来た道を引き返す。途中、4回足に痙攣が走った。都度68を飲んで対応した。下山後約2時間の15時25分に林道に着く。太陽は隣の山にかかってすぐに日没しそうだ。帰路は樹林帯は薄暗いので林道を歩き通した。約1時間でクルマのおいてある入口に着いた。
 小川路峠は上久堅からは5回も往復しているが遠山谷側は初見でしたので満足できた。秋葉街道は南西面に付けられているので西日が当たり午後も明るい。林道に下りた地点で3時30分位でしたが日が伊那山脈に沈んだ。山の中は飯田市の日没4時40分よりも1時間以上早い。
 残照があるので4時半までマイカーまでは明るかくヘッデンは点けずに済んだ。
 マイカーで矢筈トンネルを通過、下氏乗から中宮でR256に合流、左折して富士山之神社(スマホのナビの目標)へ向かうと5時20分ちょうど東京組と合流できた。後は飯田駅へ送って別れた。飯田から園原まで地道。20kmほど。中央道園原ICから帰名。2000円。102km。
 名古屋から周回の距離は約380km位でした。山間ドライブは正味150km位。極端なタイトなカーブが多いので山よりもドライブに疲れた。3ヶ月のブランクがあったので足腰が久々に痛んだ。
※すでに完成している矢筈トンネルと青崩トンネルが高規格の道路に生まれ変わると鳳来峡ICにつながる。観光客も増えて秘境のイメージも無くなるかも知れません。

小白木峰を歩く2023年08月05日

8/4の夜に出発。深夜割引を意識してひるがの高原SAで時間を調整し飛騨清見は12時過ぎに出た。
 8/5は道の駅いぶしで車中泊。2台の先行者がいた。トラックはいないので静かに寝られた。4時30分に出発R41に出てR360に入り、R471,R472に右折。一車線分の酷道で、狭い、タイトなカーブでした。
 地蔵様が2体が並ぶ楢峠を越えて登山口の取水口に着いたのは6時を回ってしまった。6時20分に出発、沢沿いに渡渉をして山腹に取り付く。直登の尾根までもそれからも急登の連続。
 しばしば休憩をとった。それでも小白木峰に着くと池塘あり、展望ありで癒された。三角点の先に展望台があった。乗鞍岳、槍ヶ岳も見えた。ここで8時40分となり、往復4時間と下山2時間を見込むと6時間はかかる。15時近くになるので極楽坂の集合15時に間に合わずに断念。小白木峰周回に変更。10時半過ぎに下山できた。富山県側へは道が悪いとのことで結局宮川に戻りR360を走った。R41に出て割石温泉に入湯。極楽坂へは充分に間に合った。
 余談ですが、ロッジ太郎は太郎平小屋のオーナーの五十嶋一晃氏が経営。愛大の薬師岳遭難から60周年ということで、五十嶋オーナーを招いて慰霊祭を行った。当時のNHKのビデオ「遭難」を見ると昭和38年に新婚早々の五十嶋さんが13人のご遺体を発見するシーンそのままの思い出話に涙ながらに語られて目頭が熱くなった。
 ほとんどは5月から6月の雪解けと同時に発見されたが、鈴木俊彦(JAC会員の鈴木重彦の弟)と鳶田さん(春日井市)が未発見だった。2人は東南尾根の黒部川上の廊下側へ多分雪庇を踏み抜いて落ちたという想定で捜索されて10月に入ってからやっと発見された。上の廊下の立石奇岩付近に落ち込むガレ沢の上部だった。
 2009年に渡邊リーダー他2人で上の廊下を遡行した際に地形図でここだろうと立ち止って合掌したことを思い出した。地形図を見ると北西の季節風で風下へとおしながされていったのだろう。後知恵になるが、肉眼で見える距離に標識旗を建てて下山ルートを確保しないと道を誤る。
 しかし他の大学パーティが薬師平までは愛大生のラッセルを利用してさっさと往復して行ったのを見てせっかくだからと登頂に向かった。先には他の大学パーティの足跡もあり標識旗は立てなかった。吹雪かれるとたちまち雪で埋もれる。いくつものミスと判断力の結果だった。
 38豪雪の凄さは鉄道、道路、スキー場など皆止まったのである。ただでさえ豪雪の北アルプスの山中で的確な判断を求めるのは酷であろう。13人の遭難死を風化させないための慰霊祭であった。

 山行記は過去のものを貼り付けた。
2010年
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/08/02/5262666
2012年
http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/08/06/6532244
2013年
http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/07/29/6927586

北ア・薬師岳慰霊登山 ― 2015-08-03
https://koyaban.asablo.jp/blog/2015/08/03/7723885

薬師岳・晴天に恵まれた慰霊登山
https://dekakeruhi.exblog.jp/24512108/

熊鈴を注文2023年07月27日

 予備に熊鈴を注文した。塩の道の古道は山里に隣り合うことが多いが、平谷村最奥の靭の奥は人家もなく、熊の生息域と思われる。ので常に熊鈴を鳴らしながら歩く。紛失しやすいのでもう一個持つことにした。

秘められし平谷の奥の梅雨の滝 拙作2023年07月10日

 美しい滝だった。周囲の落葉樹林の雰囲気も良い。滝を登攀して奥へ遡行したい気にさせる。

大台ヶ原山を歩く②・・・マブシ嶺から古和谷2023年05月02日

          新木組峠へ
 5/2 尾鷲市の夜明けは5時6分。少し前から東の空が朝焼けになった。出発予定の午前5時の1時間前に起きてガスコンロでお湯を沸かして熱いお茶をすする。朝飯の柿の葉寿司も食えるだけ食う。遠くから小鳥の鳴き声が聞こえる。風も小康状態だ。外に出てパッキングする。山頂に戻ると地面が凍結していた。昨日は泥だったのに一晩で冷気に晒されて霜柱が立っている。寒い訳である。5時過ぎにマブシ領を発つ。比高200mほど下ると平らな雑木林になる。風はほとんど吹いてこない。穏やかである。本当はここらで幕営したかった。しかし適地はすべて熊の生息地と重なる。昨夜も蚊取り線香を焚いて熊に知らせた。青嵐で熊も落ち着かなかったのだろう。熊鈴を鳴らしながら巡礼者のように素敵な自然林の中を歩く。木組峠に着く。ここからまた若干の登りになる。登りついたところから光山の分岐を後にする。1250m前後のコブを上下しながら新木組峠に着いた。ここでも水を飲み、若干は食べた。昨年5月中頃に仲間と訪れた際は木組峠の稜線道を登り帰りは尾鷲道(リスク大)を通過した。反対に帰路は1297.6mに登って又口辻に下りた。これが松浦武四郎らが通った道だった。
          古和谷分岐へ  
 今回は横断的な尾鷲道を行く。落葉が多くふわっと重なっている。ザックが重いので転滑落には要注意だ。靴先で落葉に隠れた石ころを探りながら歩いた。神明水は流水があった。3回目でやっと水の流れを見た。しかし今日は寒いし水はあるので通過。中間地点まで来たところで左足に痙攣が走った。ヤバいな、と小休止し、芍薬甘草湯を水とともに流し込む。苦くもなく少し甘めのながら薬効は即効だ。再び危険な横断道を歩く。篤志家らが張ってくれたフィックスロープが非常にありがたい。その内に又口辻、そして古和谷分岐に着いた。
         古和谷へ下る
 9:30。小休止の後、未踏の古和谷道に下る。杉や桧の植林内のよく歩かれている感じの尾根道が続く。分岐から張り出した尾根の1053mの手前の鞍部から谷へ急降下。ここでも中間地点でまた痙攣が走った。芍薬甘草湯を服用して治まるのを待つ。なるだけゆっくりと下り、ようやく古和谷の流れを眼下に見たときはほっとした。左岸の植林内に細々とした山路が続く。思った以上に歩きやすい感じだ。後ろに人気を感じて振り返ると半袖の若い登山者が追い付いてきた。しばし情報交換して先に行ってもらう。今日尾鷲辻から下ってきてもう追いつかれたのである。一体何時に出発したんだろう。ヤマッパーらしい。あっという間に視野から消えた。韋駄天とは彼みたいな男をいうのだろう。そろそろ足を労わりながら重荷を担ぐより、寝具、食料など省いて軽量にして駆け抜けるのも一案である。渡渉地点でちょうど昼時になり、ザックを下ろした。先を急ぎたい気持ちより山に浸る方に重きを置いた。河原でガスコンロをだし、お湯を沸かし、お茶を楽しみ、カップ麺を食った。その後石飛で右岸に渡る。左岸より右岸の方が悪い。森林軌道の跡らしいが、橋が落ちたところは高巻きする。目印はあるものの上下、左右に留意した。河原に近い箇所はレールの残骸がある。朽ちた桟橋をいくつか恐る恐るわたると尾鷲道の登山口は近い。13:40に車道に出た。ここからが長い長い林道歩きだ。県道に着くまで2時間はかかった。
          思いがけない親切に深謝
 計画では2時30分に尾鷲駅到着だったが、到底無理。昨年泊った民宿に電話しようとしたが圏外だった。その内、後続がまた一人とトレランが下山してきた。どうしようか、と考えていると釣り師が親切にも駅まで乗せてってあげると申出があった。渡りに船と便乗させてもらった。名古屋へ帰る旨話すと鈴鹿市在住なので自宅に近い白子駅まで乗せてもらえた。感謝感謝であった。

参考データ
大台ヶ原山 尾鷲道 その1 尾鷲辻~又口辻~古和谷林道終点
https://amaimonoko.at-ninja.jp/s-mtdata/ki/odai-owase/1.htm
・JACの古道調査です。
・GPSの信号はヤマップを通じてWさんのスマホに送信されます。
・天候:1年に400日雨が降る、とか弁当忘れても傘忘れるなという尾鷲市から大台ヶ原一帯の俚諺です。
一般的な天気予報は5/1~5/4の降雨率20%、5/5以降は70%以上にアップ)
・非常に不安定な天気です。

郡上の東殿山と白山2に登る2023年04月23日

 今日も郡上の里山詣でに行く。振り返ると
2/26 上洲河の岳山773m
3/11 厚曽から黒岳795m 
4/14 西乙原の藤巻山733m
の3座になる。
 今日は藤巻山を調べていて知った東殿山と白山2である。白山2は点名である。奥三河にも鷹ノ巣山は段戸山1、寒狭山は段戸山2とあった。加賀の白山の御前峰は白山、白山1は不明、そして郡上の618mの里山に白山2が与えられている。その秘密は如何に。
           郡上八幡へ
 朝5時過ぎに出た。小牧東ICまでは高速で行く。近くの植田ICから一宮IC経由郡上ICまで利用すると3320円。名古屋ICからだと2140円。名古屋市内だけでも1210円。市内の通過がものすごく高い。ところが名古屋ICから小牧東」IC間は600円と安い。R41、美濃加茂からは岐阜県の県道63号線と286号線をつなぐと美濃市のR156へポンと出た。郡上八幡へは7時過ぎに到着。7時30分には出発できた。早起きは三文の徳である。
 Pはどこにするか検討したが市役所周辺の愛宕公園が平日は無料ながら休日は有料になる。どうせ半日程度なので郡上八幡の街歩きも楽しみに入れて城山公園駐車場に停めた。
         東殿山へ登る
 街歩きは約10分で愛宕神社に着いた。減税を求めて一揆を起こし打ち首獄門晒しの罪を負わされた宝暦義民碑を見学した。登山道は境内の奥から凝木を並べて遊歩道のように整備されていた。これは歩きにくい。赤谷山城跡の案内のあるところで一区切り。
 標高410m付近から登山道が立ち始めた。フィックスロープまでセットされている。足元の道には常緑針葉樹の落葉が乗っている。晩春から初夏にかけては常緑樹針葉樹(マツ、スギなど)の落葉の時期である。落ちているのは五葉松だろうか。新しい落葉は油分を含むので滑落に留意しながら登った。
 赤谷山城跡の三番目で頂点になり、そのまま先へ行くのかと思ったら青いロープで「元の道に戻れ」とあった。さては分岐のところで指導標が倒れていたので起こすと先へ道が続いている。桟橋もある。
 巻き終わって鞍部に登ってみると赤谷山は自然の要塞のような岩壁になっていた。地形図には表現されていない岩壁である。これではそのままでは下降できないからう回路を作ったのであろう。ここからも東殿山を巻く道があったが通行止めになっている。
 山頂へは左に寄り乍ら東のコブに到達後578mに行く。展望は若干大日ヶ岳と郡上八幡城が見えるだけ。しかし寒いのですぐ後にした。すると展望台が斜面に張り出してあった。そこからは郡上八幡の街並みを俯瞰できる。この眺めは良い。大日ヶ岳から左へ願教寺山、薙刀山、野伏ヶ岳が見える。
 尾根に沿って下山を開始した。470m付近から左へ振った。ジグザグに下ると石垣のある谷底に着いた。これはむかし安久田の人らの畑があった名残りだった。見落としたが谷沿いの破線路もまだ遺っているらしい。
 後は乙姫谷に沿いながら林道跡のように広い山道を歩く。堰堤があり、周囲にはヒメシャガが咲いていた。乙姫滝を眺めたが地味で規模も小さいのが惜しい。地元の人が散策に来ていた。むかしはもっと水量も多かったという。また夏はヤマビルが多いとも言われた。話終えると墓地のある谷口に着いた。
 路地裏の道を歩きながら往きとは違う橋を渡り、城への近道を登って城山公園Pに着いた。
 まだ12時前である。車でバローの店に行きお茶と昼食を買った。愛宕神社の参詣者用のPに行くと東屋があるので昼食を食べた。
        安久田から白山2へ
 愛宕神社から白山2に行く前に東殿山の山容を撮影するために郡上IC料金所の隣にある墓地へ行った。そこからはマッターホルンのような鋭鋒だった。地形図から受けるイメージより登ってみると険路の連続だった理由が分かった。
 その後R156を南行すると郡上八幡駅南の交差点から新緑の素晴らしい山が見えた。これから行く白山2である。北向きの斜面のほとんどが落葉樹の新緑でまぶしい。安久田へ左折。外れにある広場に車を停めて歩く。スマホのGPSの位置と地形図の破線とが重なったところが登山口である。ところが若干は誤差がある。荒れ地に入り込んで前方を見ると道が見える。その方向へ行くと微かな踏み跡があった。これでは分かりにくい。
 13時30分に杉林の良く踏まれた山道を歩き始めた。この道は山頂に建つアンテナの保守路として整備されたみたいです。基本的は尾根をたどりながらもコブは巻いて凹凸はない。場所的はよく掘れこんであり落葉が溜まっている。550m付近から道が急になった。ややジグザグに歩きながら登頂。約45分。三角点の脇には四角い建物と電波塔が建っていた。
 建物の東に白山神社という黒御影の石碑も埋まっている。これが白山2の謂れか。奥宮のイメージにしてはちょっと迫力がない。小さくても祠くらいはあって欲しい。
 麓から見上げるとあれだけ美しく見えた落葉樹の新緑も北西面にあるだけで東半分は植林である。展望はなく水を飲んで下山。往復1時間半の里山でした。

残雪の北尾根から桑崎山に登る②2023年04月02日

 起床は午前4時。靴下はウールの厚手の物に履き替え、下着は冬山用に着替えた。厚手のアウターと冬用のヤッケなどに身支度をを整え宿の2階から降りて車に乗る。出発は5時19分。登山口までは車で移動。これまで2回来ているのですぐ分かる。2回とも夕顔の駅からスキーで歩いたが今回はその分楽できた。
         キックステップで残雪の尾根の登攀を楽しむ
 ザックを整えて5時36分に出発。計画ではアイゼン、ピッケル必携だったが、自己判断でスリーシーズンの登山靴とスパッツとストックにした。残雪期でも凍結はある。むしろ日中の気温で溶けた表面がクラストするので凍結しやすい。それでも重たい重登山靴にアイゼンはやや装備過剰かと思った。キックステップで身軽に登りたい。
 林道をしばらくは土が出ていたが最初のカーブから残雪におおわれていた。雪が解けたところにはフキノトウが沢山でていた。早くも下山時には採取する話をしていた。雪面は風の当たるところはクラストして沈まないが日当たりのいい所では多少沈んだ。1400m地点で長い林道歩きも終わった。
 地形図のヘアピンカーブで他のメンバーはやおらアイゼンを装着した。ヘアピンカーブは小沢になっていて雪解け水が音を立てて流れている。地形図の破線路が1568mに続く尾根への林道になっているがWリーダーは北側に拘り、杉の木立に分け入り、すぐに渡渉して破線路のある尾根の一本北側の尾根に取り付いた。
        ブナ、ミズナラの原生林の風景に酔う
 杉木立で日陰になるせいか残雪はつながっていた。両側の谷は意外に深く雪解け水が流れている。滑落すると急斜面を滑って谷に落ちる。慎重な登りになる。何とか無事に1568m峰にたどり着いた。太い幹の一本だけの桧がたっている。この間も赤布を付けて下山の目印を怠らない。
 1568mから桑崎山につながる等高線の緩やかな尾根はブナ、ミズナラなどの原生林が広がった。夢のような源流地帯である。金木戸川の支流の深洞の源流は物差しで10㎝縮尺2㎝で300mなので約1.5mは緩斜面のブナの疎林の源流地帯が広がっているはずだ。また来る機会が得られるだろうかと後ろ髪惹かれる思いで尾根をたどった。
 地形図では細い尾根に見えるが残雪のせいか自在に登って行ける。尾根の端緒には雪面に大きな熊の足跡がくっきり残っていた。途中若干痩せ尾根になるが雪のお陰でスムーズに登れる。山頂直下の尾根の広がった辺りではキックステップで斜登高を楽しみながら登った。辿り着いた平坦な山頂は疎林の広がる高原風だった。
 9時50分、GPSで三角点付近に到達を確認したが山頂標らしい目印は皆無だった。先行していた人が南東の尾根の広いところへ行って展望が良いと叫んでいる。皆もそこへ行った。
         無風快晴の飛騨の展望を楽しむ
 弥、すごい景色が広がった。遠望することの多い北アルプスの名峰群がここからは指呼の間に見える。
 約10kmの至近距離にあって、かぶさるような黒部五郎岳はやや丸みのある三角錐。スレンダーな三角錐は笠ヶ岳で、約10kmの至近距離にある。何枚もシャッターを押してしまった。それだけではない。
 槍ヶ岳が真っ黒な三角錐で存在感を押し出している。たおやかな乗鞍岳、チャオスキー場が傷跡に見えた御嶽山、黒っぽく見える恵那山のドーム、西には白山がほほ笑む。
 あれは金剛堂山かと目を凝らす。地形図に物差しを当てると約27㎝、2.5㎝で3kmなのでちょうど30kmの距離にある。
 山頂滞在が久々に長居になった。それだけ楽しんだ。初めての残雪の桑崎山を堪能できた女性メンバーも大いに喜んだことは言うまでもない。出発前にはっさくの皮を剥いて実だけをパックにしておいたおやつを提供したら喜んで摘まんでもらった。春山は意外に喉が渇くから酸味がある柑橘系のフルーツの果汁が嬉しい。2個分のはっさくがあっというまに平らげた。
 さて、まだ11時20分である。山頂への名残り惜しい気持ちを抑えてそろそろ下山となった。Wリーダーが付けた赤布が寸分の迷いもなく下山ルートをたどれる。GPS利用以前の間違いのない山の歩き方である。
 桑崎山の山頂直下はしばらくは残雪の上を自在に下れるが尾根は次第に痩せてくるので自然と急にもなる。そしてあのゆるやかな源流地帯へと下る。
 1568mへ登り返すといくつかある尾根のうち赤布を付けた尾根へと導かれる。途中でアイゼンを外す。待っている間に風に乗って獣の臭いがただよう。近くに熊でもいるのか、と。
 残雪が段々少なくなって笹や枝をつかみながら下る。小さな渡渉を終えると林道に出た。フキノトウを摘みながら下山した。14時18分に登山口に到着。オーナーは留守だったが宿で入浴もさせてもらった。宿ではゆったり休んだ。20時無事に帰名。

残雪の北尾根から桑崎山に登る①2023年04月01日

 岐阜県飛騨市の北にある漆山岳の予定だった。残雪の山歩きがねらいだったが雪不足で急遽、桑崎山に変更された。未踏の山に行きたいのは山々であるが、宿を「猟師の家」にとることと知って既登の桑崎山の計画に乗った。
 4/1は午後3時に集まって「猟師の家」に泊まった。この宿は2020年2月9日に大鼠山にスキーで登った際に大雪で1500m地点で引き返した。この時後から追いついて来た地元のグループと交代でラッセルしながら道々山の話をしたときに進められて知った。
 それをWリーダーが覚えていてこの際に宿泊を申し込み、続いて桑崎山の残雪の状況も聞きだした。標高1400m地点から1568mの独標に登り北尾根をたどれば残雪の山歩きができるということだった。
 東海北陸道から高山IC、そしてR41も相当な交通量だった。そこで大坂峠に迂回し山岳路から神岡町に下った。R471に出て山之村への伊西トンネルを抜ける道に入った。そこからも大変な山岳路を経てやっと「猟師の家」にたどり着いた。Fさんは先着していた。
 夕食は別の店で経営するジビエの焼肉がウリだった。山之村産のハム、ソーセージ、野菜が出された後、盛り沢山の猪の焼肉を食べた。生ビールを片手に夢中で食べた。メンバー5人分の食材はあっという間に平らげた。熊の胆をお茶で溶いたものを出された。一口だが口中に広がる苦みが凄い。なるほど胃の薬になりそうだ。アケボノソウ、せんぶり、竜胆も苦みが健胃薬とされる。
 ネットには「熊の胆は何に効きますか?
鎮痛、健胃、強心、消炎、胆汁分泌促進などに用いる。 富山の猟師の間では、二日酔い、解熱、目薬、歯痛、胃痛など、万病に効くと伝えられました。 ちなみにほかの動物の胆に比べて、クマノイの効果はめざましく優れているとのこと。」
 新潟県の民宿では熊肉の鍋、福井県の鉱泉では熊のルイベのような刺身を食べたことがある。
 今回は熊の胆を味わった。人生の苦渋に耐え忍んで生きる力を与えられた。ちょっとオーバーですが。

2020.02.09
https://koyaban.asablo.jp/blog/2020/02/09/

2020.03.22
https://koyaban.asablo.jp/blog/2020/03/22/9227457